#4|もう一人
次の日、『MAD*IN』のロッカー室の扉を開けると、僕以外で唯一女装メイドをしている先輩の芦戸尋乃が着替えの真っ最中だった。
噂には聞いていたが、癖毛のある桃色の髪と白い肌に映える大きな黒目がウサギを彷彿とさせる。一言で表すと、とにかく可愛い。
「あ、おはよー」
芦戸さんは柔らかい声色と共に笑顔を向ける。気のせいか、ロッカー室がいつもより甘くて良い匂いがする。
「おはようございます。あっ、初めまして。来宮里玖です」
とりあえず僕は初対面として一礼すると、芦戸さんはふっと優しく微笑んだ。
「芦戸尋乃です。君が『里玖ちゃん』なんだね」
「そうです。ていうか、何で『ちゃん』付けなんですか?」
服を脱ぎながら問いかけると、芦戸さんは「んー」と言いながら、人差し指を顎に当てて斜め上を向いている。この人、可愛いだけじゃなくてあざとすぎるな。
「聖さんがそう呼んでたし、顔が中性的で可愛いって言われたことない?」
「聖にだけは、何回か言われたことはあります」
「へー」
ロッカーに掛かっていたメイド服に腕を通そうとした瞬間、不意に桃色のロングヘアのウィッグを付けた芦戸さんの姿が、鏡越しに見えた。
心臓が、ドクンと鳴る。
その姿は、本物の女の子みたいだ。いや、それ以上に——。
「僕なんかより、芦戸さんの方が全然可愛いと思いますけど」
反射で出た言葉だった。普段の僕ならこんなセリフ、絶対に言うもんか。
それほどに、芦戸さんのメイド姿は人を少しでも変えさせるほど、可愛さだけじゃない圧倒する何かがあった。
「えー嬉しい。ありがと」
「……いえ」
芦戸さんは目を丸くさせると、すぐに頬を赤らめて前髪を触っている。そんな反応をされると僕まで段々恥ずかしくなってしまい、一気にぎこちない雰囲気になる。
すると、聖が僕達を招集する声が聞こえてきた。芦戸さんは、気合を入れるように鏡の前で一息吐く。
「じゃあ今日も頑張るか。分かんないことあったら、何でも僕に聞いてね」
僕に振り返って愛嬌のある笑顔を見せると、桃色を纏った先輩は颯爽と部屋を後にした。
やっぱり、芦戸さんはすごく可愛らしい人だ。加えて親しみのある優しい人と同類の奴が、僕か。
劣等感が増してしまい、芦戸さんとは正反対の意味で一息吐いた。
出勤してから一時間後。それは、起きた。
一人席に、見覚えのある後頭部が見える。あの短髪に褐色の肌と、顔が見えなくても伝わる清涼感。まさかな、と思いながらも、僕は気を紛らわせようと空いたテーブルを拭くことに集中していた。
しかし、気になる。気になって仕方がない。
やはり人間は好奇心には勝てないもので、布巾を戻すついでに顔をちらっと横目で見た。
——やはり、彼は『陽キャ集団』の一人である八島葉介だ。あの爽やかイケメンの人気者が、一人で少し気持ち悪いほどにモジモジしながらメイドカフェに居るなんて、誰が想像できようか。
こんなギャップがあったなんて。
正直、僕からすると、親近感と好感度が急上昇していた。
結局、八島の接客をすることは無かったが、帰りの会計とお見送りをすることになってしまった。きっと、未だに正体はバレてないと思う。
「いってらっしゃいませ、ご主人様」
僕はホッとしながらお辞儀をする。
しかし、視界に入る八島のスニーカーが動かない。顔を上げると、八島は頭をポリポリ掻きながらこちらをじっと見ていた。
「どうかされましたか? 忘れ物でも——」
「言うか迷ったんだけど、来宮で合ってるよな?」
心臓が、止まった。
いつからだ、さっき会計した時か。でも、そんな短時間にバレるものなのか。そもそも、どうしてこいつは一人で来たのだ。——まさか、水瀬からの刺客か。そうだ、あいつならやりかねないぞ。
色々な思考が駆け巡り混乱した僕は、八島の胸倉を掴んで強く引き寄せた。
「おい、誰から聞いた?」
「え、何!?」
八島は戸惑った顔をしている。本当に心当たりがないのか。
「バイトのこと、誰かから聞いたんだろ」
再度低い声で睨みつけると、首がもげるくらい横に振られた。
「ち、違うわ! 誤解すんなよ!」
大声で動揺する爽やか君が嘘をついているように見えなかったため、仕方なく胸倉から手を離す。
「じゃあ、どうしてここに一人で来たんだよ」
「……俺は、こういう店にちょっと興味があっただけで。本当は誰にもバレたくなかったんだよ」
八島は首の裏を掻きながら、先ほどとは比べ物にならない小さな声で呟いた。こいつも可愛いものに対する興味があったんだな。
ということは、『本当は誰にもバレたくない』点は僕と利害が一致しているじゃないか。
「分かった。今日のことは、二人だけの秘密にしよう。どうだ、これでおあいこだろ?」
僕の提案に、八島は深く頷く。
「頼むよ、来宮」
それはこっちのセリフだよ。僕が苦手とする集団から二人目が来るなんて誰が思ったことか。
きっと、八島は水瀬のような性悪なことはしないだろうと、去っていく背中を見つめていた。
次の日学校に行くと、案の定昨日のことは広まっておらず、部活に行く直前に廊下で八島に呼び止められた。
「来宮、昨日のこと秘密にしてくれてありがとう」
「いや、こちらこそ」
驚いた。わざわざ僕にお礼を言いに来たのか。なんていい奴なんだ。
「あのさ、言いたくないなら別にいいんだけど、何キッカケであの店に来たの?」
「それ、聞いちゃうんだ……」
恐る恐る伺うと、八島は想像以上に絶望した顔をしている。
「え!? いや、無理に言わなくていいんだけど」
まさか地雷を踏んでしまったのかと慌ててフォローするが、八島はふっと笑った。
「いや、さすがに言うよ。秘密作ってもらってるし」
秘密を共有しているだけで色々打ち明けて貰えることは嬉しいが、少しだけ罪悪感が生まれる。
八島は周囲に人が居ないことを確認して、顔を近づけてきた。
「SNSで偶然尋乃ちゃんを見つけて、会いたくなった」
小声でそう話す八島の顔は、見事に真っ赤になっていた。『陽キャ集団』一番のモテ男も、こんな顔するんだな。
そもそも今知ったのだが、芦戸さんSNSやってたのか。
「僕あんまりSNSやってないから分かんないんだけど、芦戸さんのどんな写真見たの?」
純粋に聞いただけなのに、八島は赤い顔で目を泳がせながら言葉を詰まらせる。
「そそそれは、えっと、今度見せるから! だから、昨日のことも秘密にしといて」
「うん。分かったけど」
やらしいものでも見たのかと誤解を招く反応だぞ、という言葉は胸に留めておき、僕は気にしていない風に装った。
「あ、そういえば慧都と何かあった? あいつから誰かに話しかけるなんて無いからさ」
八島はハッと思い出したかのように話題を変える。やっぱ、変な絡み方してたら誰でも気になるよな。
「あー。実は、八島君の何日か前に水瀬君があの店に来てたんだよ。その時に僕だってバレちゃって。多分、あの人は僕の弱みを握って楽しんでいるだけだと思うんだけど」
「あはは。慧都って子供っぽいとこあるからさ。悪い、代わりに謝る」
爽やか君はウィンクしながら片手で謝罪した。それ、イケメンしか許されないやつだぞ。
「葉介!」
すると、遠くから水瀬が八島を呼びながら駆け寄って来た。なんて、出来たタイミングだ。
僕は反射で、つい身構えてしまう。なんというか、水瀬は八島と違って怖いんだよな。
「おい、行くぞ」
「あ、じゃあねー。来宮」
水瀬から強引に連れて行かれているくせに、八島はヘラヘラ笑いながら僕に手を振ってきた。僕もなんとなく手を振り返すと、顔だけ振り返った暴君にキッと威嚇される。
これは、図に乗るな、という忠告だ。一瞬でも、あの爽やかイケメン八島と会話が出来て楽しい、なんて思ってしまった自分の立場を気付かされた。
そうだ、僕は陰の人間なんだ。ひっそり生きよう、と改めて決心した。
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