#11|活気あるバイト先
文化祭の本格的な準備が近付いてきた時期。僕は相変わらず、『MAD*IN』のアルバイトに来ていた。
「お疲れ様で……。え!? 何ですかそれ!?」
「里玖ちゃん見て! 今日ウサ耳フェアだって!」
ロッカー室に入ると、芦戸さんがメイド姿で白いウサ耳のカチューシャと尻尾を付けながら跳ねている。ウサギ顔にウサ耳とは、可愛さの二乗だな。
うちの店では、気まぐれオーナー兼店長の聖によって、不定期に何かしらのフェアを開催することがある。メニューに一工夫加えたりする際は事前に通達があるのだが、こういったコスチュームの改変だけを行う場合は、当日に知ることも珍しくない。
レアな姿を見逃した芦戸さんの常連客から反感を買わないだろうかと心配だが、僕は知らないふりをしておこう。
「芦戸さん、やっぱウサギ似合いますね。可愛いですよ」
ロッカーに荷物を押し付けながら褒めてみせると、ウサギさんの顔がさらに明るくなる。
「ありがとう! 里玖ちゃんは嘘つかなそうだから信用できるんだー」
「嘘は言いませんよ。信用できないってのは、例えば聖のことですか?」
少し意地悪をしてみると、芦戸さんは目を丸くしてすぐ、頬が赤く染まった。
「ち、違うよ! 違くないけど」
先輩は手を振りながら一生懸命否定しているが、その火照った顔で分かりやすく言葉がつっかえるということは、肯定しているのも同然じゃないのか。
まあ、あの人が信用できないのは分かる。やたら胡散臭いし、適当なことしか言わないからな。
「へーい。俺がどうしたー」
「あっ! わ……」
このタイミングの悪い時に、休憩中の杉澤聖がペットボトルのコーヒーを片手に入室してきた。芦戸さん、動揺して何も言えなくなったじゃないか。
すると、聖は感嘆しながら、俯いている先輩に近付く。
「尋乃、マジで可愛いじゃん。その丸い尻尾も似合ってんね」
ウサ耳を親指でさわさわ触られながら言われると、ウサギさんは顔だけでなく耳まで赤くさせ、余計に顔を上げられなくなっていた。
「ありがと、ございます」
震えていた言葉から、芦戸さんの勇気が僕にまで伝わった気がする。きっと心臓の音が鎮まらないのだろうか、先輩は胸に当てた手をギュッと握り締めていた。
その姿とは反対に、聖は隅に置いてある茶色い一人掛けのソファーに、ため息をつきながらドカッと腰を下ろす。
「そういえば、文化祭で里玖ちゃんのクラス何やるん?」
「え、言わなきゃダメ?」
眉間に皺を寄せると、この金髪野郎は拗ねて口をすぼませてきた。もうすぐアラサーのおっさんなんだから、赤ちゃんみたいなこと辞めてくれ。
「だって俺行っちゃダメなんだろ。折角尋乃と行こうとしてたのにさ」
「え!?」
うわ、たちの悪い奴。
驚きつつも顔を綻ばせる芦戸さんを見てしまったら、「行くな」なんてことも言いづらくなる。
「しかも俺、叔母さん達からお前の写真、頼まれてんだぜ?」
最終奥義『叔母さん』。いわゆる、僕の母親だ。
聖から自慢げに、母親とのチャット画面を映したスマートフォンを見せつけられてしまうと、断る選択肢は無いぞと言われているようなものだ。
「あーもう、分かったよ! 来ていいから、騒がしくすんなよ」
「やりー」
「うげっ」
僕が折れた瞬間、聖は嬉しそうに腰を強めに叩いてきた。メイド服の紐があったから良かったが、結構ヒリヒリしたぞ。
「んで、何やんの?」
結局、ソファーの肘掛けに身を乗せている奴に言わなきゃダメなのか。
「僕も知りたーい」
芦戸さんまで参加してきやがった。いつもより可愛くなった天使のお願いなんて、断れるわけないだろうが。
「……メイド喫茶、です」
苦し紛れに顔を逸らして答えると、数秒間の沈黙が流れる。こうなるから、言いたくなかったんだ。
「ぷっ、あははははははははは! やべえな、それ!」
「わ、笑うなよ! 仕方ないだろ!」
突然、聖が腹を抱えながら吹き出した。
僕が、自分の意思で『MAD*IN』のメイドに扮している訳では無いため、てっきり微妙な空気で励まされるもんだとばかり思っていたのだ。
この瞬間だけは、聖の反応に少しだけ安心してしまった。
「里玖ちゃんは、それで良かったの?」
反対に、芦戸さんは心配そうな眼差しでこちらを見ている。
「まあ、決まったことですし。僕のバイトのことはクラス全体に広まっちゃったんですけど、気に掛けてくれる人もいるので、すでにどうでも良くなってます」
「え! そう、なんだ。良かったね」
「まあ、はい」
僕の言葉で一瞬先輩の顔が固まったように見えたが、すぐにいつもの笑みに戻る。学校関連であんまり良い思い出が無いのか。
「そうなったら、俺行くしかねえな。おい尋乃、ぜってーこいつ弄りに行くからなー」
「……はい!」
聖はソファーから重い腰を上げて部屋から出ようとすると、芦戸さんも嬉しそうに背中を追って出て行く。
残り一人になった僕も適当にウサ耳を尻尾を付けて、ロッカー室を後にした。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「里玖ちゃん、久しぶりー!」
「また来ちゃったよ! 耳、可愛いね」
時間が経って新しいお客さんを迎えると、面倒くさい場面に直撃してしまった。この人誰だっけ現象、である。人とほとんど関わる機会が無い僕の顔と名前を覚えている男性二人組は、間違いなく陽の人間だ。
しかし、顔に見覚えが無いわけでは無い。アルバイトを始めたあたりまで、記憶を遡る。
——「この萌え萌えオムライスって、里玖ちゃんが本当に絵を描いたりしてくれるんですか?」
——「おー! 里玖ちゃん、絵上手いね!」
——「せーの、美味しくなーれ美味しくなーれ、萌え萌えキューーーーン!」
ああ、思い出した。初めて接客した、あの優しい男性二人組だ。
「お久しぶりです! 席へご案内しますね」
モヤモヤが晴れ、僕は笑顔で二人を連れて行った。
「早速、注文していい?」
「はい、どうぞ」
席について早々かよ、と零れそうになったが寸前で飲み込む。
「萌え萌えオムライス2つと、チェキ二人分お願いしていい?」
「は、チェキ二人分ですか!?」
聞き返しても、二人は笑顔で頷くだけ。
なんせ、僕にとっては初チェキだからだ。今までは、芦戸さんを始めとした先輩方の撮影係として勤しんでいたのに、どういう風の吹き回しなのだろう。
「あの、一枚300円かかりますが、僕なんかで大丈夫ですか?」
「うん。ウサ耳貴重だしね」
「よろしくね」
心配で再度確認しても、二人は顔色も変えず承諾している。これは、僕がメイドとして進歩したってことだろうか。
「は、はい!」
僕は肝に銘じて、大きな声で返事をした。
最後に各々とチェキ撮り終えて申し訳程度のサインも添えると、「また来るねー」と言いながら男性二人組は気分良く出て行ってしまった。
「多分、これから指名客になるんじゃないのか?」
「本当かな」
撮影してくれた聖が、僕に肩を組んでくる。指名客なんてそんな貴重なもの、僕なんかに背負えるだろうか。
不安を見抜かれてしまったのか、聖は小さく吹き出した。
「ははっ。最初はそうなるだろ。でも、里玖ちゃんは俺にとっちゃ可愛い自慢の弟だから、これから指名増えるかもなー」
「兄弟じゃなくて従兄弟だからな」
素っ気なく言ってしまったが、これでも励ましてもらえたことは嬉しかった。これは最大限の照れ隠しだということは、きっとこいつには見抜かれて居るのだろう。
「また来た。里玖、行ってこい」
「うん」
聖に背中を押されて、入口に向かう。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
顔を上げると、見覚えのありすぎる顔が一名、目に入る。
そうだ、ウサ耳フェアに飛びつく人間の中に、この人も居たのだ。
「あ……来ちゃった」
恥ずかしそうに後頭部を掻いている、爽やかイケメン八島葉介。別名『尋乃ちゃんガチ勢』。