無人島に流れ着いて私をファックしてもいいぞ!?
寺門雅人──しがない二等兵。キャンプで食べる缶詰はキコキコと開けたい派。
近藤伊織──しがない女軍曹。キャンプにはテントしか持って行かない派。食材は現地調達。
よりによって無人島に漂着するとは夢にも思っていなかった。
「寺門二等兵よ! ココは本当に小さい島のようだな!」
しかも軍曹と二人きり。最悪の展開だ。
海と言えばクルージング。てな訳で船が転覆してこの始末だ。船に乗っていたのは自分と軍曹だけだったのが不幸中の幸いだ。
「帰れますかね、これ……」
「なぁに、ファックがはかどるさ」
壊れたのか平常運転なのか、もう俺には分からないが、軍曹の顔はやたら自信に満ちていた。
「とりあえず水と食料ですね。探しましょう」
「うむ!」
島をくまなく探し回り、何とか食べられそうな木の実を探し当てた。
「これだけですか……」
「うむ、待ってろ寺門二等兵よ」
軍曹はシャツの袖を捲ると、水面に向かって手刀を振り下ろした。
──ヴバァォン!!
まるで水蒸気爆発みたいな音がした。
音に驚いた魚達が次々と水面を浮かび上がっては身をくねらせている。
「獲れたぞ」
「うわぁ……」
野性味溢れる軍曹の漁に、俺は鳥肌が立った。あの手刀でやられたら、間違いなく俺は死ぬ……!!
「さーて、メシだ」
クルーザーのハンドルの上に魚を乗せ、焚き火の上へと置く。ハンドルは軍曹が転覆前にもいだやつだ。もぎ取ったせいで転覆した説が今のところ濃厚なのだが、本人は頑として認めようとしない。
「ふふ、二人きりだな寺門二等兵」
焚き火が照らす洞窟の中、軍曹が不気味な笑みを浮かべる。嫌な予感と言うか、ファックしか言わないんだろうな、この人は。
大体にして枝を擦る原始的な着火方法を、多少曲がった木の枝であっという間に熟してしまう辺りに、既に規格外の気配が香ばしい。
「壁に正の字でも書くか?」
「遭難日数の印ですか」
「ファックされた回数だ」
「一生書けないと思います」
「ちぇっ」
焼きたての魚を手に取り、そのまま思い切り齧り付くかと思えば、ちまちまと小骨を取り始める軍曹。どうやら骨ごと噛み砕くワイルドさは無いようだ。
「骨嫌い……」
指先でピッピ、ピッピと小骨を飛ばす軍曹と軍曹と目が合った。
「どうした寺門二等兵」
「いえ、意外だなと思いまして……」
「私だって魚くらい食べるさ」
「いえ……骨が」
「……いつもは椋が骨抜きをしてくれるからな」
ちょっと始末が悪そうに、軍曹が恥ずかし気な顔をして苦笑した。俺は人相……いや魚相の悪い魚の顔を見ては、覚悟を決めて口にした。ハッキリ言って不味い。
「美味い不味いは食って確認するしか無い。数日は我慢だ」
「いえ、食べられるだけ満足です」
俺の顔を見た軍曹が、気にかけるようにそう言ってくれた。醤油でも有れば大抵の物は食えると思うが、素材そのままはやはり味気ない。
「多少だが、湧き水も出ていた。これに関しては奇跡だな。おかげで水に困ることは無さそうだ。後で頭も洗う事にしよう。海水でゴワゴワになりたくない」
軍帽から長い髪を解き、濡れた軍帽をそっと手頃な岩の上へと載せる軍曹。
「これも濡れてしまったな」
右目を覆う眼帯を外すと、薄いグレーの瞳と目が合った。初めて見る軍曹の右目に、俺は少し驚いた。
「幼少の頃、病気で視力を失ってな。完全に見えない訳じゃあ無いんだが、色も色だし隠している」
「そう、でしたか……」
どう返事をしたら良いのか分からず、歯切れの悪い曖昧な言葉で濁してしまった。
「着けてた方が良いか?」
「いえ、初めて見たので少し驚きましたが、特に嫌な感じはしません」
「好きか? ファックしたい程に」
「そこまででは……」
「なら嫌いか?」
「いえ」
「じゃあ好きなんだな?」
「ええ。好きです」
いつものやり取りになり、面倒になってつい適当な返事をしたが、軍曹は「お、おぅ……」と、恥ずかしそうに俯き加減で新しい魚を頭から丸ごと囓り始めた。どうやら面と向かって『好き』と言われると照れるらしい。
「塩が欲しいですね」
「あるぞ。ほれ」
「拾ったんですか?」
「海水を掌で蒸発させて作った」
……やっぱり人間じゃねぇ。
「さて、多少腹も膨れた事だ。湧き水で体を洗ってくる」
「あ、はい」
「……覗けよ?」
「普通、逆じゃありませんかね」
「言わないと覗かないだろ?」
「言われなくても覗きませんよ」
「覗け! これは上司命令だ!!」
「サー! イエッサー!! 後で日報に記載しておきます!!」
「あ、いや……ただの願望だ。日報に書くのは止めてくれ。マジで」
どうやら軍曹にも勝てない事があるようだ。実に良い事である。
「では行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
軍曹の完成された背中が見えなくなると、次の魚に手を伸ばし、そっと「マズ……」と呟いた。
口直しに木の実を囓るが、コイツも苦くて口の中が途轍もなく渋くなってきた。
「ヤバい、顎の所がイーってなってきた……」
湧き水を汲んだ空き瓶へと手を伸ばす。
「あ」
指先が当たり、空き瓶を倒してしまった。水は全て溢れてしまい、口の中は更に渋くなってゆく。
早く戻らないかと、洞窟から出て湧き水の方へと目をやった。しかし夜の闇でおぼろげにしか見えず、軍曹らしき人影も分からない。
仕方なく、空き瓶を持って軍曹の方へと向かうことにした。覗くつもりは毛頭無いが、水は一刻も早く欲しいので仕方の無い行為だ。
「軍曹!」
「どうした寺門二等兵! やっぱり覗きたくなったのか!?」
「違います! 木の実が尋常じゃない位に苦かったので水を頂きたいです」
少し離れた所から軍曹へ声をかけた。ぼんやりとだが、誰かが動いている位にしか見えないが、これでいい。
「何だって!? 一緒に水浴びがしたいだと!?」
「違いますよ! 空き瓶に水を下さい!」
「遠慮するな! そのままこっちへ来い!」
「嫌ですよ!」
「さっき好きだって言ったじゃないか! あれは嘘だったのか!?」
軍曹が面倒臭さ全開になったので、仕方なく目を閉じながら歩いた。地面に目立った障害物も無いので、本当にただ歩くだけだ。
「む……目を閉じて来たのか」
「勿論です」
手探りで、岩の間から小さく噴き出す湧き水へと空き瓶を突き出す。
「もっとこっちだ」
手首を掴まれ左の方へ誘われると、空き瓶に水が満たされてゆく感触がした。
「ありがとうございます」
水を飲み、ようやく口の中の苦みとおさらば。
もう一度水を汲み、その場を離れようとすると、軍曹の指が俺のデコにツンと着いた。どうやら帰り道を塞がれてしまったようだ! ヤバいぞ、こっちは目を閉じているのに……!!
「そうは問屋が卸ろされない」
「ぐ、軍曹……」
「生憎、私は全裸の裸だ。後は分かるな?」
「ちょっと何を言っているのか分かりません」
「それとも、逃げてみるか?」
「……」
「それとも、私が諦めるまで待ち続けるか? 私は全校集会の時の校長よりも待つぞ? 君達がファックしてくれるまで五分三十秒掛かりました、ってな」
「私も水浴びをしても宜しいですか?」
「そうか、ファックしてくれるか!? ならば先に帰って待っていよう。早くするのだぞ!?」
嬉しそうな足音が遠ざかっていく。
何だってあの人はそんなにファックが好きなんだ?
「とりあえず頭くらいは洗うか」
海水でチクチクし始めた頭を、丁寧に湧き水で洗い流した。
「遅かったな寺門二等兵よ! いざ尋常に、ファック!!」
洞窟へ戻ると、巨大な昆布やワカメで身を包んだ軍曹が、おいでませと言わんばかりに横たわり、指を滑らかに動かしては誘っていた。昆布やワカメは昼間に海で取れた物だが、後で干しておこうと思って放置していたやつだ。
「……軍曹は何故にファックにこだわるんです?」
「子孫を残さねばと言う強い意志、かな」
「じゃあ、そこに愛は無いんですね」
「そんな事はないぞ!?」
軍曹はワカメを食い千切りながら立ち上がると、拳を握り締めた。愛があろうが無かろうがファックするつもりは毛頭無いので、聞こうが聞くまいが、どっちでも良い。
「……あれは寺門二等兵が入隊する間際の話だ」
軍曹はワカメを食べながら語り始めた。食べた分露出が増えていくので、仕方なしに目を閉じる。
「『近藤軍曹に憧れて入隊を決めました!』と、君は目を輝かせながら私の所へとやってきた。とても初々しく、それでいて決意に満ちたその瞳は、希望に満ちあふれていた。私は『一緒に頑張ろう』と、手を差し出した。君と握手した瞬間、私は何故か不思議な気持ちになった。他人とは思えない、不思議な暖かい感覚だった。まるで運命の出会いのような……」
「ぐー」
「…………起床!!」
「──サーイエッサー!!」
雷鳴の様な号令が突然響き渡り、一瞬で目が冴えた。すっかり寝てしまったが、そう言えば軍曹との話の途中だった。
「どうだ? 寺門二等兵」
「どう、と言われましても……」
だいぶ食ったのだろう。ワカメと昆布の面積が減り、軍曹の筋肉がかなり露わになっていた。
「クレオパトラも小野小町も楊貴妃も、きっと昆布ワカメドレスはしたことがないだろうよ」
「でしょうね」
「では三大美女を上回るファックを、寺門二等兵は世界で初めて堪能できるという訳だな!」
「もう何が迷子になっているのか、俺には分からなくなってきました……」
「鳴かぬなら ファックも辞さない ホトトギス」
「──!?」
軍曹の纏う雰囲気が、一瞬にして変化した。
まるで相手を殺る時の、決意に満ちた表情だ。
「逃げます」
「あっ! 待て寺門二等兵!!」
夜の無人島で軍曹と鬼ごっこが始まった。
恥も外聞も無い、本気の鬼ごっこだ。
「ハハハ! 掴まえたらファックして貰うからな!!」
夜に紛れ、茂みや窪みに身を潜ませる。
だが、軍曹はすぐに俺を見つけてしまう。
「無駄だ! 私の嗅覚は犬よりも優れているからな!」
「人間じゃねぇ!!」
朝、くたくたのへとへとになった俺は、救助に来た船でようやく救われた。