第455話 愚王
レルシアン王国の王都ヴェスカーラ、王城。
謁見の間では今、玉座に横柄に腰掛ける国王ベルトルドの前で、財務大臣が片膝をついて申し立てをしていた。
財務大臣は額に汗を浮かべ、首を垂れたまま上申する。
「お、おそれながら申し上げます、陛下。国内各地からの報告によりますれば、領内での餓死者が例年にない著しい数にのぼるとのこと。また今後も餓死者は急速に増え続ける見込みでございまして、このままでは国力の大幅な低下が危ぶまれます」
玉座の国王は、いかにも不愉快だという顔で財務大臣からの報告を聞いていた。
国王ベルトルドはまだ年若い、二十代前半の王だ。
恵まれた体格を持った大男で、金色にも近い色合いを持った猛き赤髪と、同色の瞳を備えている。
王が腰掛ける玉座には、魔石製の戦斧が立てかけられている。
ベルトルドはレルシアン王国歴代の王族の例にもれず、覚醒者の力を持っていた。
玉座の傍らには、薄い笑みを浮かべた美女が立っている。
黒のドレスを身にまとい、長い黒髪を備えた妙齢の女性の瞳は、妖しい赤色をたたえている。
謁見の間には、ほかにも数多くの重鎮が参列していた。
王の近くに立つ彼らの顔には、強い緊張の色が見受けられる。
「……それで? 何が言いたい」
国王ベルトルドは、財務大臣に問い返す。
表情ばかりでなく、声にもまた、不愉快さをたっぷりとにじませていた。
財務大臣は、ごくりと唾を呑む。
彼はこれまで、現在のこの国の状態に大きな問題があることを認識しながら、王への上申は控えていた。
しかし、どう考えてもこれではダメだと思い、意を決して王に意見をすることにしたのだ。
財務大臣は、からからに乾いた喉から、どうにか声を絞り出す。
「そ、その……小官といたしましては、民にかける税を、幾分か下げるべきかと愚行いたします。税を大きく上げましたことにより、その……有力商人たちも、すでにこの国を離れておるようでして……長期的には、国力のさらなる衰退を招き、税収も低迷を続けていくものかと……」
財務大臣のその言葉の後、謁見の間には、しばしの静寂が訪れた。
誰も一言も発せず、王の言葉を待つばかりの時間が流れる。
たっぷり数秒の間を置いた後、国王ベルトルドが口を開いた。
「つまり貴様は、余が愚王だと、そう言いたいわけか。国政も分からず、ただいたずらに税を上げたばかりの愚かな王であると」
「い、いえ! そのようなことは決して、ぐぎゃばっ」
ぐちゃっ。
財務大臣だったものは、脳天を斧にかち割られて絶命し、倒れた。
真っ赤な絨毯の上に、より鮮やかな赤い染みが瞬く間に広がっていく。
玉座に並んでいた重鎮の誰かから、「ヒッ」という小さな悲鳴が上がった。
国王ベルトルドが、玉座に立てかけてあった斧を掴み、無造作に投げつけたのだ。
ベルトルドはつまらなさそうな顔で、玉座から立ち上がる。
「今日の謁見は終いだ。余は気分が悪い。ネログリフィ、来い」
「はい、陛下」
ベルトルドは血塗れた斧を拾いつつ、謁見の間を出ていく。
王の傍らにいた美女が、その後に続いた。
王はそのまま、自らがネログリフィと呼んだ女を、寝室へと連れ込んだ。
天蓋付きの豪奢なベッドの上で、男と女が獣のように交わる。
真っ昼間にありながら、女はたくさんの嬌声をあげ、男はがむしゃらに腰を振った。
「ネログリフィ! お前も余を、愚王だと思うか!?」
「いいえっ、陛下っ……陛下はっ、とても賢明ですわっ……!」
「そうだ! 余がなんのために冒険者を優遇し、騎士に多くの権利を認めているか! 力ある者さえ手懐けておけば、統治などどうとでもなるのだ!」
「それを分からない、あの者たちが愚かなのですっ……! ああっ、あぁあああっ!」
「くそっ……! どいつもこいつも、使えんやつらばかりだ!」
男は欲望を吐き出し、女はそれを受け入れる。
やがて男女の営みが終わり、憩いのときとなった。
女はしなを作り、男の耳元でささやく。
「陛下。私ひとつ、進言がありますわ」
「進言? なんだ、申してみよ」
「ありがとうございます。あの愚かな財務大臣は、まるで税が重すぎるかのような言い方をしていたけれど、私、逆だと思いますの」
「逆……? どういうことだ」
「その、女が政治に口を出すなんて、生意気だと思われるかもしれないけれど……」
「よい、許す。申せ」
「まあ! やはり陛下はご寛大ですわ。……だって陛下、国民は毎日寝ずに働けば、もっといくらだって稼げるはずでしょう? 飢えているだなんて、怠けたい人たちが嘘をついているとしか思えませんわ」
「……ふむ。確かに」
「きっと国民は、陛下を騙そうとしているのよ。だからそういうことをしたら、自分たちが痛い目を見るって、思い知らせてあげたほうがいいんじゃないかしら」
「なるほど、合理的な考えだな。よし、では平民にかける税をさらに一割上げることにしよう。ネログリフィ、お前はほかの女と違って賢い。これからも余に進言したいことがあれば、憚らず言うがよい」
「ありがとうございます、陛下」
男と女はキスをする。
それから男は服を着て、寝室を出ていった。
一人残された女は、裸身のままにほくそ笑む。
「ふふっ……愚かな人間たちの中でも、あの男はとびきりね。でも利用価値はある。この国の人間たちの絶望、苦しみ、痛み、憎悪……ああ、おいしいわ。これほどの御馳走を、ずぅっと味わえる。なんて贅沢なのかしら」
寝室にあって女は、満ち足りた愉悦と恍惚の表情を浮かべていた。
余人が見れば、それは国王ベルトルドに愛され、歓喜する女の姿だと勘違いしたかもしれない。
その後、女は衣服をまとい、寝室を出る。
彼女は今日も、人々の感情を生で堪能するべく、城を出て王都の町中へと繰り出すのだ。
***
「『妙な女』っすか?」
「ああ。私の思い込みかもしれないが──その女をベルトルドが王城に連れ込むようになってから、すべてが狂った方向へと向かった。そのように思うのだ」
おうむ返しにする弓月に、ガヴィーノさんがそう答えた。
一行は今、レジスタンスの拠点であったレクティモの町を出て、王都へと向かう森の中の街道を歩いていた。
俺たちがレクティモに着き、中央広場の騒動に関わった、その翌日のことである。
メンバーはレジスタンスの八人と、俺たち三人、合計十一人だ。
あとおまけで、うちのペットが一体。
クラウディアが会話に割り込む。
「長い黒髪で黒のドレスを着た、妖しい赤い目の別嬪だって話だよな。国王ベルトルドのそばにいつも付き従ってるっていう」
「ああ。もっともその女が王城に現れたのは、ベルトルドが国王になる前──つまりあの男がまだ王子と呼ばれる地位にいた頃のことだが」
ガヴィーノさんが答える。
ちなみにガヴィーノさん、昔は王城詰めの王国騎士だったのだそうだ。
現国王になってから、悪政に業を煮やして離反し、レジスタンスを結成したらしい。
「『すべてが狂った方向に向かった』って、具体的にはどういうことが起きたんですか?」
風音が口を挟む。
ガヴィーノさんは険しい表情を見せた。
「まず次期国王と見込まれていたカルメーロ殿下が変死──つまり何者かに殺害された。ベルトルドの兄君だ。次に王妃殿下と、国王陛下も同様の変死を遂げられた。そしてうやむやのうちに、ベルトルドが王位についたのだ」
「えっ。メチャクチャ怪しいじゃねーっすかそれ」
弓月のツッコミには、弓使いの優男が答える。
「時期が符合するってだけだからな。その女が何かをやったって証拠は、なぁんもありゃしねぇってことだ。それにガヴィーノ、その女からは覚醒者の力も感じなかったんだろ?」
「ああ。そして代々多くの覚醒者を多く輩出している王家にあって、兄殿下も国王陛下も、例に漏れず覚醒者だった。並みの女に何かできるとは考えづらい」
「あー……それって、色仕掛けでベッドに潜り込んだとかじゃねーんすか?」
弓月は赤らめた頬をぽりぽりと指でかきながら質問する。
ガヴィーノさんは首を横に振った。
「不明だ。だが現場はいずれも城館の外にある裏庭。外傷も様々だ。魔物の牙に噛みつかれたような跡や、毒を受けたらしき痕跡、首や四肢を無惨に切断された遺体など、いずれも尋常なものではなかった」
魔物の牙……?
まさか【テイム】を使える覚醒者の仕業か?
「現国王、ベルトルドでしたっけ。そいつは殺害の犯人として疑われなかったんですか?」
これは俺の質問。
ガヴィーノさんが答える。
「カルメーロ殿下が亡くなられた際には、陛下が疑いの目を向けていたことはあったように思う。だが陛下御自身が亡くなられたあとは、もはやベルトルドを疑うことが許される状況にはなかった。残された唯一の王族であり、国王になることが決まっていたのだ。誰が疑えようか」
「あたしがその場にいりゃあ、疑えたのにな。──って、そこは血筋があるってだけじゃ無理か。あっはっは」
クラウディアがからからと笑って言う。
そこに風音が、別の疑問をぶつける。
「そういえば、クラウディアちゃんが王家の血を受け継いでいるとかって……?」
「あー、あたしもよく分かんねぇんだけどさ。ガヴィーノの話によると、先代の国王が当時城詰めのメイドだったあたしの母さんを孕ませて、生まれたのがあたしなんだと」
「ああ。それで王妃殿下がひどくお怒りになられて、当時赤ん坊だったクラウディアとその母親は、王都から追放されてしまったのだ」
「先代の国王も、まあまあろくでもねぇよな。その話を聞いてからも、あたしはそいつを父親だなんて思っちゃいないよ。あたしの親は、あたしを育ててくれた母さんだけだ。それもだいぶ前に死んじまったけどな」
「そっか……。ごめんね、デリカシーのないこと聞いて」
「いいって。そんなの気にしてたらキリがねぇもん」
そんなあれこれのやり取りをしながら、一行は王都への道のりを進んでいく。
そしてレクティモの町を出てから一日半ほど進んだ頃に、王都ヴェスカーラの姿が見えてきたのだった。




