第435話 レベルの違い
「アンナ! ──貴様ぁっ!」
ずたぼろの姿になったアンナが、壊れた玩具のように放り捨てられたのを見て、エリオットは怒りをさらに募らせた。
彼は幼馴染みを救うべく、剣を片手に、男に向かって廊下を駆けていく。
対する男は、剣を肩に担ぎ、ニヤニヤ笑いを浮かべた余裕の態度でエリオットを待ち受けていた。
──立ち向かってはいけない。
──殺されるぞ。
エリオットの覚醒者としての直感がそう訴えかけるが、彼はその内からの警告を振り捨てる。
あの男はアンナを虐待した。
今ここで取り返さなければ、今後もひどい目に遭わされ続けるに違いない。
何がなんでもあの男を打ち倒し、大切な幼馴染みを救い出さなければならない。
「うぉおおおおっ! 【二段斬り】!」
怒涛の勢いで間合いを詰めたエリオットは、剣にスキルの輝きをまとわせ、上段から振り下ろす。
斬り下ろしの一撃から、すぐさまVの字に斬り返す、エリオットの得意技だ。
「遅ぇよ」
「なっ……!?」
だが男は驚くべき俊敏性でバックステップし、エリオットの攻撃を回避してみせた。
エリオットは、これほどの敏捷性を持った敵とは、これまでに戦ったことがなかった。
予想をゆうに超える、驚異的な速度と瞬発力。
一度発動したスキル攻撃の動作は、途中で止めることはできない。
連撃を空振りしたエリオットの体が、一瞬ばかり泳ぐ。
「くっ……!」
──まずい、反撃が来る。
エリオットはどうにか体勢を取り戻そうとするが、体が追いつかない。
だが相手の反撃は、すぐには来なかった。
「ニャニャニャニャニャーッ! 食らえニャン──《強撃》!」
エリオットの横合いに猛烈な勢いで駆け込んできた猫耳族の少女が、さらに一歩大きく踏み込んで、その手の槍を繰り出す。
スキルの輝きを宿した強力な一撃が、上半身裸の男の、分厚い腹筋に突き刺さった。
さらに──
「穿て、氷の槍──《アイシクルランス》!」
後方からは氷槍が飛来して、これも男の胸に突き刺さった。
水属性魔法を得意とする、魔導士ルシアによる援護攻撃だ。
そうだ、エリオットには心強い仲間がいる。
これなら──
エリオットが抱いた希望。
しかしそれは、瞬く間に打ち砕かれた。
「くくくっ、いい攻撃だ。よくできたメス猫には、ご褒美をくれてやらねぇとな──オラァッ!」
「ニャッ……!? ──んにゃああああああっ!」
男の振るう剣が、猫耳族の少女を斬り裂いた。
スキル攻撃ですらない通常攻撃だが、速さも鋭さも破壊力も、すべてが段違いの一撃。
「あ、あっ……」
槍を取り落とした少女は、白目をむいて崩れ落ちる。
その体は床でびくびくと痙攣し、すぐに動かなくなった。
地面には赤い血が広がっていく。
「ミャーナ!」
エリオットは仲間の名を叫びながら、再び男に斬りかかる。
男はそれを、自らの剣で受け止め、力任せにはじき返した。
跳ね返されたエリオットの体が、後方へと泳ぐ。
「ハハハッ、まずは一人だ。次は──あっちの女を先にヤるか」
「何っ……!?」
エリオットの横を一瞬のうちに通り抜けて、男は後衛のルシアの元へと向かっていく。
エリオットはそれを追いかけようとするが、体勢を崩していたこともあって、まったく追いつかない。
「こ、来ないでください──【アイシクルランス】!」
「っつぅ~、効くねぇ。ま、抵抗する女は嫌いじゃねぇが──」
二度目の魔法攻撃のダメージも意に介することもなく、男は廊下を走破し、ついにルシアに肉薄した。
それから、ずぶりと剣が肉体を貫く音。
「あっ……ああっ……」
剣が引き抜かれると、魔導士姿の女冒険者はその場に崩れ落ちた。
石造りの床に、赤い染みが広がっていく。
「き、貴様ぁあああああっ!」
エリオットは男の背に向かって、斬りかかっていく。
だが──
「──おい、いいのか?」
男が顔だけ振り向いて、その鋭い視線でエリオットを睨みつけてきた。
「くっ……!」
それだけで、エリオットの足はブレーキをかけてしまった。
近付けない。
ここで斬りかかれば、今度こそ間違いなく殺される。
たった今意識を刈り取られたルシアが、ではない。
自分が──エリオット自身がだ。
その様子を見て、男は愉快げに口の端を吊り上げる。
「くくくっ、ようやく格の違いってやつが分かったみてぇだな」
それから男は、治癒魔法を使って、自らの傷を癒した。
エリオットはその間、動けずに見ていただけ。
仲間たちが必死に与えたダメージが、あっさりと無に帰してしまうのを、彼は何もせずに見過ごしてしまった。
男は、意識を失った魔導士姿の女冒険者を、その髪をつかんで引きずっていく。
べっとりと赤い血が、筆で引きずったかのように、石床にこすりつけられていく。
男がエリオットの横を通り過ぎていく。
青年は剣を握りしめたまま、なおも動けない。
男はエリオットの耳元で、こうささやいた。
「安心しろ。お前の仲間たちは、すぐに殺しはしねぇからよ。三人とも鎖につないで、ペットとして大事に飼ってやるさ。俺がたっぷり楽しんだあとには、下のやつらにも回してやるか。タフな冒険者の女は、存分に有効活用してやらねぇとな。ハハハハッ」
男は剣を放り捨て、エリオットのもとを通り過ぎていく。
彼はさらに、猫耳族の少女も拾って、もう一人の女冒険者と同じように髪をつかんで引きずっていった。
「くそっ……! なん、で……僕は……!」
エリオットの手は、震えていた。
今にも剣を取り落としそうだ。
そんな青年の耳に、まるで追撃のように、男の声が聞こえてくる。
「分かってると思うがよぉ──お前、次に斬りかかってきたら『殺す』からな」
びくっと、エリオットは体を震わせた。
そんなことは分かっていたが、あらためて言葉に出されて、彼は怯んだ。
なおも歯向かうならば殺す──
それは逆に言えば、エリオットのほうから斬りかかっていかなければ、命だけは助けてもらえることを意味していた。
負け犬らしく尻尾を巻いて逃げるなら、逃がしてやる。
大事なものを奪われ、守りたいものも守れず、それでも無様に生きながらえたいなら見逃してやると、そう言われたのだ。
力なき者が「敵」とぶつかれば、弱者の側は、ただ奪われるしかない。
暴力による対立の場に身を置く者として、当たり前の摂理。
エリオットは運が良かったのだ。
敗北したのに、すべてを失うことなく、自分の命だけは相手のきまぐれで見逃してもらえるという。
大事な幼馴染みを奪われても、気のいい仲間たちを失っても、命さえあればまたやり直せる。
生きていれば、新たな仲間との出会いもあるだろう。
この経験を踏み台にして、また新たな人生を始めればいい。
世の中には多くの人がいて、多くの不幸がある。
これもまた、そんな世にありふれた出来事の一幕に過ぎないのだから、賢明に生きるならば──
「──うわぁあああああああっ!」
エリオットは叫び、今度こそ男に向かって斬りかかっていた。
相手の手元に武器がなかろうが、勝ち目など万に一つもない。
ただただ無駄死にをするだけだ。
そんなことはエリオット自身が誰よりもよく分かっていたが、それでもここで動けたことに彼は安堵していた。
しかしそのことが、望む結果に繋がるわけでもない。
「ハッ、馬鹿な野郎だ。だがよ──」
「……っ!?」
男は振り向くと、エリオットに向かって、その両手にあるものを全面に押し出した。
それは猫耳族の少女ミャーナと、魔導士ルシア──意識を失った二人の仲間の体だった。




