第416話 新たな旅立ち
「わあっ、綺麗な海!」
町の入り口から眼下を見下ろし、風音が嬉しそうに声をあげる。
弓月は「んんっ」と唸って、やっと町についたとばかりに大きく伸びをした。
俺もまた夕焼け空の下、オレンジ色と群青で彩られた海を見て、口笛を吹く。
ペットサイズのグリフは、俺の肩に乗って「クピィッ♪」と上機嫌で鳴いた。
港町トルネルク。
ノーザリア連合王国の北西部に位置する交易都市だ。
「氷の女王」の打倒を果たした俺たちは、その翌朝に都市レゼリアを出立した。
復興を始めた都市トゥラムを経由して、そのまま西進。
レゼリアを発ってから三日目の夕刻である今、この港町トルネルクへとたどり着いた。
潮の匂いを含んだ風に吹かれながら、俺たちは町を下り、船着き場へと向かう。
船着き場に着くと、そこには大小いくつもの船が停泊しており、筋肉ムキムキの海の男たちが荷物を運ぶなどしていた。
「大陸の西部に向かう船がないかって? そりゃああるが、今日のはとっくの前に出ちまったよ。また明日の朝にでも来てくんな」
海の男の一人に聞くと、そんな言葉が返ってきた。
ダメ元で聞いてみたが、やはりという感じだ。
俺たちは引き返し、今日の宿と夕食の場と探すことにした。
次の目的地は、大陸の西部地方だ。
これまで主に、大陸の中部から東部を旅してきたので、船に乗って西部に渡ってみようと考えたのだ。
この港町トルネルクがあるノーザリア連合国の北西部は、海に突き出した半島状の地形となっている。
ここから船で南に向かえば聖王国の港町バーレンに、西に向かえば大陸西部にたどり着く。
なお大陸西部に向かうのは、特に何かあてがあってのことではない。
新天地に行くと何か新たな特別ミッションに遭遇するのではないかという、希望的観測に基づいた行動である。
「そろそろミッションも、目ぼしいものがなくなってきた感じっすよね」
弓月がふと、そんなことを口にする。
それには風音が相槌を打つ。
「だよね。いろいろあるはあるんだけど、何をしたらいいのか分からない感じ」
ちなみに今の未達成ミッション一覧はこんな感じだ。
───────────────────────
▼ミッション一覧
・人口10万人以上の街に到達する……獲得経験値20000
・空中都市に到達する……獲得経験値100000
・地底都市に到達する……獲得経験値150000
・デュラハンを1体討伐する(0/1)……獲得経験値15000
・ドラゴンゾンビを1体討伐する(0/1)……獲得経験値30000
・レッサーデーモンを3体討伐する(0/3)……獲得経験値50000
・ストームジャイアントを1体討伐する(0/1)……獲得経験値100000
・エルダードラゴンを1体討伐する(0/1)……獲得経験値100000
・ジャイアントを10体討伐する(5/10)……獲得経験値100000
・ドラゴンを10体討伐する(9/10)……獲得経験値250000
・リッチを1体討伐する(0/1)……獲得経験値250000
・ベヒーモスを1体討伐する……経験値350000
・Aランククエストを6回クリアする(3/6)……獲得経験値60000
・レイドクエストを6回クリアする(3/6)……獲得経験値150000
・Sランククエストを6回クリアする(5/6)……獲得経験値200000
───────────────────────
空中都市や地底都市は、半ば伝説上の存在で、町で話を聞いても噂レベルの情報しか手に入らない。
モンスターもどこに行けば遭遇するのか分からない。
なのでもう、これからどこに行くかは当てずっぽうである。
そもそもフェンリルや「氷の女王」討伐による獲得経験値が凄まじすぎたせいで、俺たちはもう、数十万ポイント規模の獲得経験値でないと満足できない体になってしまった。
次のレベルまでに必要な経験値も、今や40万ポイントを超えるほどだ。
経験値インフレここに極まれりである。
誰か責任を取ってほしい。
まあそれも仕方のないことだとは思う。
すでに俺が62レベル、風音と弓月が61レベルに達しているのだ。
八英雄の一人であるユースフィアさんが、自称75レベルだった。
彼女の自己申告が本当なら、俺たちの強さはすでに、この世界の歴史的英雄に近い水準まで来ていることになる。
実際、限界突破していない一般冒険者では二十人、三十人と束にならないと──あるいはそれだけ束になっても──俺たち三人には敵わないほどだ。
俺の中身は凡人で小市民なので、そんな身に余る力を持っても、むしろ落ち着かないぐらいだ。
とはいえ、この世の理不尽が、常に俺たちよりも弱いとは限らない。
より大きな力を持った理不尽によって、俺たちの日常と幸福が踏みにじられないために。
今後も無理をし過ぎない範囲で、少しずつでも力を付けていきたい思う。
この100日間のようなチャンスが、一生のうちに何度も訪れるはずはないのだから、なるべく後悔はしないようにしたいものだ。
というわけで俺たちは、港から引き返して、今夜泊まる宿と夕食の場を探していた。
経験値も大事だが、今日の休養と幸福も大事である。
商店街をぷらぷらと歩いていると、小規模ながらいい感じの、大衆食堂を兼ねた宿屋を見つけることができたので、そこにチェックインをした。
部屋はいつも通りに三人部屋をチョイス。
これを不埒だと思うことも、最近はなくなってきた。
というか不埒なことを平気でやるようになった、というほうが適切かもしれない。
部屋に入って少しくつろいでから、浴場でどっぷり湯につかって旅の疲れを癒す。
その後、夕食をとるために、二階にある部屋から一階の酒場へと繰り出した。
酒場は騒がしかった。
海の男たちが大声で笑い、酒を飲み、品のない冗談に花を咲かせている。
そんな中、うちのメンバーも、いい感じに出来上がった。
四人掛けの丸テーブルを一つ占拠して、飲んで食べてを楽しんでいたのだが。
湯上がりホクホクの姿であっという間に酔っぱらった風音が、甘えるようにして俺に抱き着いてきたり。
素面の弓月がそれに対抗して、同じように俺に抱き着いてきたり。
果てはグリフまでもが、風音が差し出したワインに口を付けて、顔を赤らめてふらふらしたりしていた。
「すいませーん、ワインおかわりくらさーい♪」
ろれつが回らなくなった風音が、ウェイトレスの少女にお酒の追加を要求。
まだ十五歳ほどの少女は、両手でたくさんのジョッキを運びながら、「は、はーい!」と返事をする。
それからウェイトレスの少女は、その場にへたり込み、ゴホゴホと少しせき込む様子を見せた。
しかし頭を振ってすぐに立ち上がり、また給仕の仕事を再開する。
「ねぇ先輩、あのウェイトレスの子、大丈夫っすかね? ちょっと顔色悪くないっすか?」
弓月が少し心配そうな様子で、厨房に消えていく少女の姿を見ていた。
俺はそれにうなずく。
「俺にもそう見える。風邪でもひいてるのかな」
「体調不良のときは、仕事はちゃんと休まないとダメっすよ」
「わかる! 体調が悪いときは、お仕事は休む。それが健全というものなのれす!」
ろれつが回っていないのは、すっかり顔を赤らめた風音だ。
俺より一つ年上のお姉さんは、安心しきって甘えた様子で俺にしなだれかかっている。
俺はその頭をなでながら、再び厨房から出てきたウェイトレスの少女に目を向ける。
少しふらふらした様子に見えた。
少女は一つのテーブルにお酒と料理を持っていってから、また厨房に戻っていこうとする。
俺たちのすぐそばを通り過ぎた、そのときだった。
「あ……」
少女がふらりと、床に倒れ込みそうになる。
それを弓月が慌てて抱きとめ、支えた。
「だ、大丈夫っすか?」
「え、あ……す、すみません、大丈夫……です……」
「ちょっ、すごい熱っすよ! 先輩、これ多分、働ける状態じゃねーっすよ」
額に手を当てた弓月が言う。
少女はいまや重病人のように、熱に浮かされ、ハァハァと荒く息をしていた。
「てか先輩、こういうとき倒れる女の子を支えるのは先輩の役目じゃないっすか? 見損なったっす。先輩はラノベ主人公失格っす」
「そんなこと言われても。というか、風音がな……」
「うにゃ……?」
猫のような声をあげた風音は、俺のことを抱き枕かベッドか何かだと思っているようで、前後不覚の様子で気持ちよさそうに俺に抱き着いていた。
俺も動こうと思ったのだが、そうすると風音を放り捨てることになってしまうので、すぐには動けなかったのだ。
そのとき厨房の奥から、女将さんが顔を出す。
「どうしたんだい──って、カリン! 倒れたのかい!? もう、無理するなってあれほど言ったのに」
女将さんは慌てた様子で駆け寄ってきた。