第397話 ×マラソン ○駅伝
「ねぇ思うんだけどさ、大地くん。これ私たち、自分の脚で走った方が速かったりしない?」
パカ、パカとそれなりの速度で進む馬の手綱を取りながら、風音がふと、そうつぶやいた。
あー、やっぱりそれ思うか。
そうなんだよな。
「風音もそう思う?」
「あ、大地くんも考えてた? やってみないと分かんないけどさ。この馬には申し訳ないけど、たぶん私、自分で走った方がだいぶ速い気がするんだよね。──火垂ちゃんはどう思う?」
「え、走りたくねぇっす。……とか言ってる場合じゃないっすよね。フルマラソンぐらいの距離っすよね。人間が走れない距離じゃないし、ましてやうちら探索者で、限界突破してるっすよ」
「二人とも、フルマラソンを走ったことは?」
俺がそう聞くと、風音と弓月はぶんぶんと首を横に振った。
「うむ、俺もない。しかしそれ専用の訓練をしていなくとも、俺たち探索者ならそれなりに走れそうな気はする。ましてや以下略だ」
そういえば元の世界のニュースで、各種運動競技への探索者の参加を認めるかどうかでうんたらかんたらいう話があった気がする。
たしか認められていなかったはず。
そのせいで、元々スポーツ選手だった人が探索者の力を得てしまって、大変に嘆いたという話を聞いた覚えがある。
「フルマラソンの世界記録って、どのぐらいだっけ?」
「二時間ぐらいじゃなかったっすかね? よく覚えてねーっすけど」
「そのぐらいだった気がするな。──ソフィアさん、このまま馬で進むとレゼリアまでは何時間ぐらいかかりそうですか?」
俺は一行の中でも目立つ、赤髪ロングの王女様に声をかける。
前方を進むソフィアさんは、馬上で一時、顔だけを後ろに向けて答えた。
「厳密には分かりませんが、最大限急いでも二時間以上はかかってしまうでしょう。三時間はかからないと思いますが」
なるほど。
馬は背中に人を乗っけていることもあるし、そんな感じか。
「ソフィアさん、もう一つ。俺たちが乗っている馬は、途中で乗り捨てても大丈夫ですか?」
「えっ……? えっと……は、はい。目的によりますが、必要であればこちらで対応を考えます。……ダイチさん、何を考えているのですか?」
「いえ、せめて俺たちだけでも、レゼリアにもっと早く着ける方法はないものかなと」
俺は頭の中でパズルを構築する。
こうしてこうしてこうすれば、単純な馬での移動よりは早く、体力の消耗も抑えめで現地にたどり着ける……はず。
「……先輩、マジでやるっすか?」
「ああ、そのつもりで考えている。方法があったのに、やらずに後悔はしたくないだろ。弓月は嫌か?」
俺が問い返すと、弓月はぶんぶんと首を横に振った。
「う、うちだって、事態が分かってないわけじゃねーっす。でもそれで早くたどり着けたとしても、くたくたにへばってたら戦えねぇっすよ。マラソンランナーが走った後に崩れ落ちる姿、先輩だってテレビで見てるっすよね?」
「まあな。でもそこはほら、うちにはもう一体、心強い味方がいるだろ。な、グリフ?」
「クピーッ?」
「え、グリちゃんに乗ってくっすか???」
弓月が頭の上に、たくさんの疑問符を浮かべる。
その魔導士帽の上にはグリフが乗っかっているのだが、それも一緒に首を傾げていた。
「えーっと、私は自分で走るという話をしたつもりなんだけど……???」
もう一人の相棒、風音もまた、同じように首を傾げている。
「もちろん俺たちも走る。今乗ってる馬にも、グリフにも頑張ってもらう。それなら負担は分散されるだろ?」
「ん……? あー……なるほど、そういうことか。大地くん、頭いい」
「えっ。うちまだ分かってねーっす。どういうことっすか?」
「これから話すよ。──というわけでソフィアさん、俺たち先行するので、馬のことお願いします」
「えっ……? は、はい、分かりました」
ソフィアさんの承諾の言葉を受けてから、俺、風音、弓月はそれぞれが乗る馬の速度をあげた。
先行していた騎馬たちを追い抜いて、俺たち三人が突出する。
そのまま後続を置き去りにして、街道を駆けていく。
途中、弓月にプランを説明しながら進んでいって──変化が表れはじめたのは、馬を走らせはじめてから五分ほど経とうという頃。
俺たちが乗っていた三頭とも、その頃には疲れを顕著に見せ始め、へとへとの様子になっていた。
速度も落ちてきて、これ以上は無理をさせても仕方がないという状態になった。
「そろそろだな。下りよう」
俺たちは馬を下りて、へとへとになった馬を休ませた。
三頭ともロープを使って、近くの木に括りつけておく。
風音や弓月は「お疲れ様、ありがとう」「助かったっすよ」と声をかけ、馬をなでていた。
まあ、俺もだが。
ここまででレゼリアまでの道程の、一割以上の距離は稼げたんじゃないだろうか。
「【テイム】!」
「クアーッ!」
そしてここで俺は、【テイム】のスキルを使用し、グリフを本来の大きさに戻した。
新たに元気な騎乗用動物(厳密には動物ではないが)が現れた形になる。
「こういうとき便利っすね~。お手軽に持ち運べる騎乗用動物って、結構ヤバくないっすか?」
「MP使うけどな」
「20だったっすよね。まあまあ重いっすか」
「というわけで、弓月のMPを吸わせてほしい」
「ちょちょちょちょっ! 先輩!」
巨大化したグリフに、弓月を前、俺が後ろで騎乗しながら、後輩に抱き着くなどしてちょっとだけおふざけ。
弓月が耳まで真っ赤になったのを確認して、満悦する。
すると、すぐ隣で準備運動をしていた風音から、ジト目を向けられた。
「……ねぇ大地くん。温厚な私も、そろそろ怒るよ?」
「……はい。すみません」
「温厚」というあたりはツッコミ待ちなのかどうか判断に迷ったが、怖いのでとりあえず謝っておいた。
すまない。
かわいい後輩が、すぐ目の前で無防備な背中を晒していると、つい悪戯したくなってしまうのだ。
そういうお茶目な冗談はさておいて(それによって大きなタイムロスはしていないとは主張しておきたい)。
そこから俺たちは、二人はグリフに乗って飛行移動、もう一人は自力で走って移動という方法で、次なる移動を開始した。
最初は俺と弓月がグリフに乗って、風音が走る。
風音は最初、言い出しっぺもあって自力で走るほうを自ら志願したが──
「次、火垂ちゃんの位置、私だからね」
と拗ねるように言いながら、軽快に走っていた。
なお騎乗状態で飛行するグリフは、全速飛行でない通常速度の飛行でも、十分ももたない。
へろへろになってきたあたりでいったん降りて、再度【テイム】を使って小型化させた。
「お疲れ様、ありがとうな。またあとで頼む」
両目をバッテンにさせてぜぇはぁするグリフをなでてやると、わが従魔は「ク、クピ~ッ」と返事して片羽根を上げてみせてきた。
そこからは全員、自力でランニングだ。
えっほえっほと、三人で早めの速度のマラソンをしていく。
常人の全力疾走を上回るぐらいの速度は、平気で出ていると思う。
「いやー、走れるもんっすねー。さすが探索者の体は違うっすよ」
「はっ、はっ……ねぇ大地くん、そろそろグリちゃん、回復してきてない?」
「クピーッ!」
「お、いけるらしい」
グリフが力こぶを見せるようなポーズをしてきたので、俺は再び【テイム】を使ってグリフを巨大化させる。
そして今度は、俺と風音がグリフに乗って、弓月が自力ランニングだ。
グリフを飛ばせて軽快に進んでいると、俺の前に座った風音がちらちらと、何かを求めるかのように俺を見てきた。
えーっと……。
「あの、風音さん」
「なんでしょうか、大地くん」
「抱き着かせていただいても、よろしいでしょうか……?」
「なんで私のときは恐る恐るなの!? 火垂ちゃんみたいにもっと弄んでよ!」
「えぇーっ……」
そんなやり取りがありつつ、背後から風音に抱き着くと、黒装束の乙女はご満悦の様子になった。
一方では下から、弓月の声が聞こえてきた。
「はぁっ、はぁっ……わ、分かったっすよ、風音さん……これがさっきの、風音さんの気持ちっすね……はぁっ、はぁっ……」
「そうだよ火垂ちゃん。分かるでしょ、除け者にされた私の気持ちが」
「ううっ、キッツイっすねぇ……はぁっ、はぁっ……」
なんだかとても悪いことをしている気分になってきた。
みんな、俺のために喧嘩はやめて……?
そうして二度目のグリフへの騎乗から、十分足らず。
再びグリフがへばってきたので、もう一度降りて【テイム】を使用。
目がバッテンになったグリフを抱えて、また三人でランニングだ。
しばらく走っていると──
「ぜぇっ、はぁっ……せ、先輩……うち、もうダメっす……うちを置いて、先に行くっす……あ、やっぱり置いてっちゃダメっす……寂しいっす……」
「元気が残っているのかいないのか、よく分からない状態だな。お、グリフまたいけるか」
「ク、クピーッ!」
弓月が体力の限界を訴えはじめ(ただしどのぐらいシリアスなのか分からない)、一方ではグリフが、自分もう一度飛べますというポーズを見せてきた。
俺は再度、【テイム】を使用。
今度は風音と弓月がグリフに乗って、俺は一人、自力でランニングモードだ。
ちなみに風音は、グリフに乗っているときは、【クイックネス】をグリフと走者にちょいちょいかけていた。
とまあ、俺たちはあれやこれやの小技や小細工を駆使して、体力の消耗を抑えながら可能な限りの速度で街道を駆けていった。
やがてグリフが三度目のバテを見せ、再び三人で走り始めて少しした頃に──
「ぜぇっ、ぜぇっ、はぁっ、はぁっ……あっ! せ、先輩、あれ──!」
弓月が希望の光が見えたという様子で、前方を指さした。
森をつらぬく道の先に、目的地である都市の姿が、ようやく垣間見えたのである。
「お、ついにレゼリアが見えてきたか。風音、タイムは?」
「んーとね……王都を出てからここまで、一時間と十五分ぐらいかな」
魔石時計に視線を落とした風音が、そう答える。
「ぜぇっ、ぜぇっ……世界記録……抜いたっすよ……! はぁっ、はぁっ……!」
「いや、そこ誇るのは恥ずかしくないか? 逆に俺たちの体でこれだけいろいろやってこのタイムって、世界記録のほうが驚きだよ。まあ距離もぴったり一致じゃないだろうが」
「ところで火垂ちゃん、どうして一人だけそんなに疲れているの?」
「や、ホントはそこまで疲れてねぇっす。ただの雰囲気出しっす」
「また紛らわしいことを。──よし、最後スピード上げるか!」
「オッケー!」
「うっすうっす!」
そうして俺たちは、前方に見える都市に向かってラストスパートをかけていった。