第388話 会議(2)
伝令の男はうなずいて立ち上がり、会議室に設置された黒板のほうへ向かうと、チョークで何かを書き出していった。
フェンリル。
HP2400、攻撃力190、防御力180、敏捷力70、魔力110。
火属性弱点、氷属性耐性。
特殊能力:アイスブレス、連続攻撃。
伝令の男が、黒板に書き出した内容だ。
ソフィアさんが「彼は【モンスター鑑定】のスキルを修得しています」と教えてくれた。
よし、ステータスが分かるなら戦術や目算がだいぶ立てやすくなる。
そう思い、俺はフェンリルのデータをつぶさに見ていったのだが──
そこで俺は「あれ?」と思った。
思ったよりも無茶苦茶な能力をしていないように思えたのだ。
30万ポイントのモンスターが、こんなもんか?
いや確かにステータスだけ見るとフェンリルは満遍なく高水準だし、特に攻撃力はこれまでの大ボスと比較しても段違いに高い。
しかしヤマタノオロチのような異常に高い防御力や再生能力、八回攻撃といった理不尽とも思えるような能力は持っていないように見える。
ブレス系や連続攻撃といった特殊能力だけなら、つい何時間か前に戦ったスノードラゴンのような、普通のドラゴンでも持っている。
もちろんフェンリルの各能力値は、スノードラゴンなどのそれとは段違いなのだが。
参考までにヤマタノオロチのステータスをあげると。
HP:2200、攻撃力110、防御力240、敏捷力65、魔力80。
火属性耐性。
特殊能力:ファイアブレス、八回攻撃、再生能力(200)、対魔結界Ⅱ、となる。
ちなみにクラーケン(不完全体)はというと。
HP1800、攻撃力110、防御力135、敏捷力55、魔力65。
弱点や耐性なし。
特殊能力:触手乱舞、稲妻の嵐、である。
さっき戦ったスノードラゴンは、こんな感じ。
HP:1200、攻撃力:80、防御力:105、敏捷力:40、魔力:50。
氷属性耐性、火属性弱点。
特殊能力:飛行、アイスブレス、連続攻撃。
俺が「本当にこれだけですか?」と聞くと、黒板にステータスを書き出した戦士は、冷や汗をかきながら「私の記憶が確かであれば」と答えた。
ひとまず間違いはないと見ておいてよさそうだ。
データ面だけを見てものすごくざっくりとしたことを言うと、スノードラゴンの全ステータスをおよそ二倍にして、飛行能力を取り払ったものがフェンリルであると考えられる。
この「全ステータスがおよそ二倍」というのが、実戦においてどの程度のインパクトがあるのかが問題だ。
例えば限界突破前の25レベル時点の俺たちと、今の俺たちとを比べると、筋力や敏捷力といった各ステータスがちょうど二倍ぐらいになると思う。
HPやMPは三倍ぐらいありそうだが。
とすると、25レベル段階の俺たちがドラゴンに挑むようなものと考えれば……あー、やっぱりかなり厳しいのか。
30レベル程度でエアリアルドラゴンを相手にして、アリアさんが加勢でいても、そこそこ苦戦したもんな。
ただ付け加えるならば、フェンリルが火属性攻撃を弱点とするのであれば、弓月の火属性の攻撃魔法が文字通りに火を噴くことになるだろう。
また状況的に、最近弓月が修得した新魔法が、劇的な効果を発揮しそうな気もする。
フェンリルは討伐経験値30万ポイントのモンスターではあるが、おそらく俺たちにとっては、ヤマタノオロチよりも与しやすい相手なんじゃないだろうか。
ワンチャン俺たちのパーティだけで勝てる可能性も──いや、それは危ないからやめておいたほうがいいな。
トドメを取り損ねたら30万ポイントがチャラになる危険性があるが、それでもこの国の戦力と共闘したほうがいいだろう。
この依頼を引き受ける場合には、トドメに関しては現場指揮官になるというソフィアさんと相談だな。
あとまあ、一応これも聞いておこう。
「参考までにですが、俺たちがこの依頼を断った場合には、フェンリル討伐はどうするつもりですか?」
「あなたがたに加勢してもらえれば非常に心強いですが、そうでなくとも方針は変わりません。動員しうる限りの最大戦力をもって、フェンリルの討伐に挑みます。少なからぬ犠牲が出ることも考えられますが、それは民を守るべき騎士団が動かない理由にはなりません。これ以上、かの魔獣による蹂躙を許すわけにはいかないのです」
だろうな。
人里に現れたモンスターを放置しておいたら、被害が拡大することは目に見えている。
伝説の魔獣だろうが何だろうが、国を守るべき騎士団や王家が、手をこまねいて見ているわけにはいかないだろう。
それに実際問題、ヤマタノオロチのような異常な防御力や再生能力がないのであれば、25レベルの熟練冒険者や騎士を百人もかき集めれば対処は可能であるかもしれない。
ただその場合、ソフィアさんも言っているとおり一定数の犠牲者が出る可能性は低くないだろう。
全滅もあり得るかもしれない。
俺たちが討伐に参加すれば、それらの可能性をかなり低く抑えられると想定できる。
その代わりに、俺たち自身もその「犠牲者」となる可能性がゼロではなくなるのだが──
それからソフィアさんは俺たちに、この依頼の報酬額を提示してきた。
このフェンリル討伐の依頼だけで、大金貨150枚──金貨にして1500枚相当だ。
一般のAランク冒険者パーティに対する依頼報酬相場が、金貨120~150枚程度なので、その十倍以上に相当する額である。
一つの冒険者パーティが四人程度で編成されていると考えると、25レベルの熟練冒険者およそ四十人に対して支払う報酬総額を、俺たち三人だけのために提示したことになる。
この金額が、今の俺たちの実力に相応しいものであるかどうかは定かではない。
だが少なくとも、誠意は十分に伝わってくる提示額だと思った。
俺は再び、風音、弓月のほうを見る。
二人はやはり、うなずいた。
それを確認した俺は、ソフィアさんに伝える。
「分かりました。そのフェンリル討伐の依頼、引き受けます。細部で相談したいこともありますが、それは後にしたほうがいいですか」
「はい、細かいことは後にしましょう。引き受けてくれて、ありがとうございます。あなたがたのような力ある英雄の助力が得られることを、とても心強く思います」
「ご期待に沿えるよう尽力したいと思います。それはそれとして──先ほどソフィア様は『あなたがたにお願いしたいことの一つは』とおっしゃっていましたよね」
俺がそう返すと、ソフィアさんはふと微笑みを浮かべた。
「はい。大仕事に加えて、さらに大仕事をお願いすることになるので、切り出しづらかったのですが──」
俺たちはその後、ソフィアさんから別件の──あるいはフェンリル討伐とも密接にかかわるもう一つの依頼について話を聞いてから、細かい話も終え、会議室をあとにした。
フェンリル討伐に向かって行動を開始するのは、明朝とのこと。
冒険者たちを動員するために時間が必要なのと、都市トゥラムへ偵察に出した兵の帰還を待つ必要があるためだ。
俺たちは、この日は宿をとり、翌朝の出立に備えた。
そして翌朝──元の世界への帰還まで、残り52日となったその日。
俺たちが集合場所である街の広場に行くと、そこで、とある事件に遭遇したのである。