第266話 ボートでデート
俺たちは二艘のボートを漕いで、港町バーレンの波止場を出立した。
俺と風音さんが同じボートに乗り、もう一方には弓月とレベッカさんだ。
こっちのボートでは、オールを漕ぐのはもちろん俺だ。
風音さんも探索者の能力を持っているのだから、オールを漕ぐぐらいどうということはないだろうが、こういう力仕事は男の役割だという価値観をなんとなく持っている俺である。
風音さんはというと、可憐な水着姿で俺の向かいに座っていた。
にこにこしていて、とても上機嫌に見える。
「えへへーっ。こうしてると、二人っきりでデートしてるみたいだね、大地くん♪」
「そ、そうですね」
俺は海パン姿でボートを漕ぎながら、ドギマギしつつそう返事をする。
俺たち二人を乗せたボートは、港を離れ、大海原へと漕ぎ出していた。
このまま一時間ほど漕いでいったところに、「人魚岩」と呼ばれる目印となる岩場があるらしい。
ちなみにレベッカさんと弓月が乗ったボートもすぐ近くに並走しているので、「二人っきり」という表現はあまり妥当ではない。
しかし狭いボートに二人で向かい合って座っていれば、そんな気分にもなろうというものだ。
「大地くんさ、緊張してる?」
「してますよ。風音さんと二人きりのときは、いつも緊張してます」
「じゃあ、火垂ちゃんとは?」
「弓月とは……まあ、だいぶ気安いですけど」
俺がそう答えると、風音さんは腕を組んで難しい顔をした。
「そこなんだよねー。私、いつまでも大地くんに気を遣わせちゃっててさ。気遣いはありがたいんだけど、距離を感じちゃうんだよね」
「距離、ですか。そんなことは……」
「ないと思う? 大地くんが私との間に、まだ壁を作ってるように見えるんだ。私には」
「…………」
まあ確かに風音さんは、弓月のようには気安く扱ってはいけない感じはしている。
何かのはずみで、風音さんを傷つけてしまうんじゃないか。
壊れものを扱うような繊細さをもって接している向きは、自分でもあるかと思う。
それはなぜか。
「……俺、多分、風音さんに嫌われるのが怖いんだと思います」
「私が大地くんを嫌うって思う?」
「何か、俺が風音さんを傷つけるようなことをしたらと思うと、少し怖いです」
「ふぅん、そっか……。それは私にも責任あるかなぁ。大地くんからの信頼を得られてないってことだ」
「あ、いや、その……」
「ううん、いいのいいの。多分本当に、そういうことだよ。私がズルいんだ」
「ズルい?」
「うん、そう。火垂ちゃんと違って、大地くんにならどんな扱いされてもいいよってオーラを、私が出せてないんだよ。うーん、難しいなぁ」
風音さんはそのまま、考え込む仕草を見せてしまった。
俺はどう言葉を返したらいいのか分からず、オールを漕ぎ続ける。
探索者のパワーで漕いでいるので、ボートは海の上をかなりの速度で進んでいく。
しばらくの沈黙の後、風音さんがこんなことを口にした。
「じゃあさ、大地くん。試しに私のこと、呼び捨てにしてみない?」
「呼び捨て、ですか?」
「うん、そう。『風音』って、私のことを呼び捨てにしてみてよ」
「えーっ……それは、すごく気が引けます。違和感がすごい……」
「そこを何とか、頑張って。はい、どうぞ」
「うっ……じゃ、じゃあ……か、風音」
「~~っ!!!」
俺が呼び捨てにした瞬間、風音さんが一瞬で頬を真っ赤にして、身悶えした。
しばらくジタバタしてから、息を切らせた様子を見せる。
「ハァ……ハァ……だ、大地くん、もう一回。もう一回お願い」
「え……えっと、風音」
「うわぁあああああっ!」
風音さんが再び、俺の対面で悶えた。
ボートがギシギシと揺れる。
「いい、いいよ大地くん、最高だよ! 今後それで行こう!」
「はあ……」
「せっかくだからもう一個リクエストしていい? 『風音、愛してるよ』って言ってみて」
「あー、はい。──風音、愛してるよ」
「ひぃやぁあああああっ! ……も、もう死んでもいい……幸せ……」
「えっと……とりあえず、死ぬのはやめてもらえます?」
「大地く~ん、私も愛してるよ~!」
「うわっ、ちょっ、危ない危ない……!」
風音さんが突然、俺に向かってダイビングして、抱きついてきた。
ボートがいくぶんか揺れたが、どうにか立て直す。
水着姿なので、風音さんの肌の感触や体温がダイレクトで伝わってくる。
裸で抱き付かれているのと大差ない。
ヤバい、いろんな意味でヤバい。
俺は煩悩を退散させるべく、無心でボートを漕いだ。
そんなわけで、俺は今後、風音さんのことを「風音」と呼び捨てにすることになった。
あと敬語もやめようと言われた。
まあ確かに、俺が壁を作っているのであれば、そういう風に言葉遣いから直していく手は有効かもしれない。
違和感バリバリだが、ほかならぬ風音さん……風音からの要請だし、試してみることにしよう。
とまあ、そんなあれやこれやのやり取りをしながら、俺たちは大海原を手漕ぎボートで進んでいった。
俺たちはやがて、目印となる「人魚岩」へとたどり着いたのだった。




