第262話 港町バーレン
眼下に広がるエメラルド色の海から、磯の匂いを含んだ潮風が吹きつけてくる。
波止場には大型船から小型船まで大小さまざまな船が停泊しており、海の男たちが船から陸へ、あるいは陸から船へと荷運びをしている姿が見受けられた。
港町バーレンは、人口二千人ほどの中規模の都市だ。
沿岸の崖地に作られた集落で、北側が海に面している。
南門から街区に入ると、最初に遭遇したのは、下り坂の町並みとその先の海を眼下に一望できる風景だった。
「うんっ……! 潮の匂いがして、海って感じだね」
「ま、新鮮なのは最初だけで、そのうちべたべたするのが気になってくるけどね~」
「いきなりテンション下がること言うっすねレベッカさん。それでも冒険家っすか?」
「あはははっ、ごめんごめん。一度来たことがある町だとどうもね」
風音さん、レベッカさん、弓月の三人が、港町の風景を眺めながら思い思いの感想を漏らす。
俺もまた、カモメの鳴き声や波の音を耳にしつつ、ちょっとした感慨にふけっていた。
肩に乗ったミニグリフォンも、いつものように「クピッ、クピッ♪」と鳴いてご機嫌の様子だ。
大洞窟「地竜の寝床」を踏破してランドラム山脈の北側へと抜けた俺たちは、そこから鬱蒼とした森林地帯をさらに北上して、ついに港町バーレンへと到着した。
聖王国王都を出立してからは、およそ一日半の道程だ。
今は昼過ぎの時刻で、青空の下、麗らかな午後の風景が広がっている。
なおバーレンに到達した時点で、特別ミッション達成の通知が出ていた。
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特別ミッション『地竜の寝床を経由して港町バーレンに到達する』を達成した!
パーティ全員が30000ポイントの経験値を獲得!
六槍大地が44レベルにレベルアップ!
小太刀風音が44レベルにレベルアップ!
現在の経験値
六槍大地……816254/914112(次のレベルまで:97858)
小太刀風音……834146/914112(次のレベルまで:79966)
弓月火垂……910071/914112(次のレベルまで:4041)
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アースドラゴンの撃破経験値を風音さんが得たこともあり、三人のレベルが並んで全員44レベルになった。
1レベル上げるのに必要な経験値が、そろそろ10万ポイントを超え始めた感じだな。
さすがに少し厳しくなってきたか。
俺はレベッカさんに、これからの行動について確認する。
「この港町バーレンから海に出て、目印になる『人魚岩』までは、ボートで一時間ぐらいって話でしたよね」
「でもその前に『準備』があるって言ってたっす」
「海の底にある都市に、どうやって行くのって話だよね」
弓月と風音さんが情報を補足する。
レベッカさんは、からからと笑った。
「ま、そう慌てなさんな。先に腹ごしらえといこうよ。おいしい海鮮料理のお店を知ってるからさ」
レベッカさんは、この港町バーレンには何度か来たことがあるらしい。
彼女の案内で大衆的な飲食店に入って、俺たちはそこで遅めの昼食をとった。
朝に保存食を齧ったきりだったこともあってか、提供された海鮮料理はとても美味しく感じられた。
特にエビやイカを使ったパスタは、風味豊かで絶品だった。
腹ごしらえを済ませた俺たちは、その足で次の店へと向かう。
レベッカさんについていくと、細まった路地をぐねぐねと進んでいった先にある、質素な店構えの店舗にたどり着いた。
先導していたレベッカさんが、店の前で振り返ってニコッと笑いかけてくる。
「ここで『水着』を買うよ。少年たち、きっとびっくりするんじゃないかな」
「びっくり……ですか。ていうか、海底都市に行く準備って、水着のことですか? てっきり海の中に入るための特殊なアイテムか何かを準備するのかと思ってましたけど」
「ふっふっふ、それも間違ってないんだな~」
「はあ……」
俺は風音さん、弓月の二人と顔を見合わせて、互いに首を傾げる。
もったいぶるなぁ、レベッカさん。
雇い人が構わず店の中へと足を踏み入れたので、俺たちも腑に落ちないまま、そのあとをついて行く。
そして店内を見て、俺は自らの目を疑うことになった。
「やあ、いらっしゃい。レベッカはひさしぶり」
「やあラティ、おひさ~♪」
個人営業と思しき小規模の店舗。
店主と思しき人物がカウンター越しに、客である俺たちに向かって歓迎の声をかけた。
レベッカさんは店主と顔見知りらしく、カウンターに駆け寄って、その奥に腰掛けた店員に向かって両手を広げて差し出す。
店主は淡々とした様子で自らも両手を出し、レベッカさんと手を合わせた。
その店主の姿には、見覚えがあった。
年若い少女だ。ともすれば小学生にも見えるほど小柄で童顔。
ロングウェーブの銀髪に、紫色の瞳。肌は港町に似つかわしくない白さだ。
その姿を見た俺と風音さん、弓月の声がハモった。
「「「ダンジョンの妖精!?」」」
「ダンジョンの妖精……? 何それ?」
レベッカさんと、当の店主らしき少女が首を傾げる。
その後、カウンターの向こうに腰掛けた少女は、少し考え込むような仕草を見せてから、こう返してきた。
「それはつまり、別のボクがそう呼ばれているのかな。けれど『妖精』とはまた、大層な呼び名だ。少しこそばゆいね」
外見相応の幼い声質の、しかし落ち着いた雰囲気の言葉。
間違いない。俺たちの世界のダンジョン第五層で遭遇したあの子だ。
少なくとも、それと瓜二つの声と外見だ。
あのときの彼女は、まるでモンスターを倒したときのように黒い靄になって消え去ってしまった。
彼女には聞きたいことが山ほどある。
例えば、そう──
「キミは、何者なんだ」
俺は少女に向かってそう問いかけていた。
何よりも真っ先に聞きたいのがそれだ。
レベッカさんは少女と俺たちとを見比べて、頭の上に疑問符を浮かべている。
一方で、当の少女は、首を横に振った。
「おそらくこのボクには、キミたちが聞きたいことの大半には、答えることができないと思う。それは、このボクに許された権能ではないからね」
「えっと……『このボク』って?」
「キミたちが知っているボクとこのボクは、別の存在だと思ってくれればいい。ボクはキミたちとは初対面だし、キミたちが聞きたいことにも答えることができないだろう。このボクにできるのは、キミたちに『水着』を提供することぐらいだ」
「…………」
キツネにつままれたような答えが返ってきた。
しかし彼女が大きな嘘を言っているようにも思えなかった。
本当はニュアンスが違う部分を、分かりやすく嚙み砕いて話している雰囲気は感じるのだが。
つまり──彼女は、俺たちが出会った「ダンジョンの妖精」とは別人の、ただのそっくりさんということ?
いや実際にはもっとニュアンスが違うのだろうが、今この場ではその理解をしておけばいいと、彼女はそう言ったように思えた。
風音さんや弓月の顔を見ても、二人もお手上げという様子だった。
わけ分からんぷーといった感じだ。
「うーん……」
俺は考える。
彼女に出会ったら、聞きたいことはいろいろあったはずだ。
が、あらためて考えてみると、「キミは何者?」以外の質問があまり思い浮かばない。
限界突破イベントとかなんとか不可思議なことは色々とあるが、不可思議であることを横に置けば、必要最低限の情報は現段階でほぼ出揃っているような気もする。
それに、聞かれても答えられないだろうと、彼女自身が言っている。
今、目の前にいる彼女の発言も妙な部分はあるが、問いただしても生産性がないように思えた。
そして彼女はこう言った。
「このボクにできるのは、キミたちに『水着』を提供することぐらいだ」と。
店内を見回せば、この店はどうやら水着ショップのようだった。
色とりどり、デザインもさまざまの水着が所狭しと展示されている。
「ていうか、こんなデザインの水着、こっちの世界にあるんすね」
「ね、私も驚いた。私たちの世界の水着とほとんど変わらなくない?」
弓月と風音さんが寄ってきて、レベッカさんに聞こえないようにコソコソ話をしてくる。
店内に飾られている水着は、俺たちの世界のそれそのものの、現代的なデザインのものに見えた。
いや、わずかにエキゾチックな雰囲気を感じなくもないが。
いろいろと不可解なことはあるが、とりあえず、今考えるべきことは──
「えっと、レベッカさん。この店には本当に、水着を買いにきただけなんですか? 海底都市にはどうやって行くつもりなんです?」
俺が問うと、ずっと不思議そうに首を傾げていたレベッカさんが、気を取り直した様子で答える。
「ああ、うん。それはね──ラティ、説明してくれる?」
「ん、任された。それはこのボクに許された権能だからね」
ダンジョンの妖精にそっくりな少女は、そう前置いて説明を始めた。




