第237話 寝取られ
さて、ミッション「ジェラルドさんに話を聞く」の開始だ。
いや嘘だけど。
そんなミッションはないし、経験値も獲得できないが、なんとなくである。
俺は独りで先行するジェラルドさんを、小走りで追いかけた。
やがて追いついて、彼のすぐ近く、斜め後ろの位置について足並みを揃える。
ジェラルドさんはちらりとこちらに視線を向けただけで、また前を向いて黙々と進んでいく。
沈黙の時間が流れた。
……うん、どう声を掛けたらいいのか、まったく分からないな。
迂闊な声掛けをすれば、鬱陶しがられるのが目に見える。
探索者になってからいろいろ経験してコミュニケーション能力が上がったような気がしていたが、どうやら気のせいだったようだ。
ミャルラはこの圧に耐えて、果敢に声掛けをしていたのか。
ちょっと尊敬するわ。
「ダイチくん、だったな」
「あ、はい」
意外なことに、ジェラルドさんのほうから声をかけてきた。
ミャルラに対するときとは、露骨に態度が違う。
「キミはあの──カザネ、だったか。彼女とは、どういう関係なんだ。なかなかずけずけとモノを言ってくる女性だと思ったが、キミにはひどく好意的であるように見える。キミは彼女と付き合っているのか?」
「あー、えっと……はい。俺にはもったいない彼女です」
なんでそんなことを聞いてくるんだろう。意外と雑談好きなのかな。
などと思いながら、対話が成立しているのはいいことなので、素直に受け答えしておく。
「そうか。ではもう一人、ホタルといったか。彼女とは? 彼女もずいぶんキミに懐いているように見えるが」
「えぇっと……実は、あいつも俺の彼女です。その、二人とも……です」
こ、答えづらい……。
二人とも俺の彼女ですとか、改めて考えると俺、めちゃくちゃ遊び人っぽく見えるのでは?
聖王国って、そのあたりどうなんだろう。
お堅いイメージだから、やっぱりそういうのは非難の対象なのだろうか。
そう心配してみたが──
「……そうか」
ジェラルドさんから返ってきたのは、それだけだった。
特に非難の言葉とかはない。
返事までにかなりの間があり、そこに葛藤はあったのかもしれないが。
だがそのあとに、本質的な問いかけが来た。
「ではキミは、彼女たちのことをどう思っているんだ。都合のいい遊び相手で、飽きたら捨ててまた別の女に乗り換えるつもりか?」
「それは違います!」
俺はつい大声を出してしまった。
慌てて振り向くと、風音さんたちが不思議そうな顔で俺のほうを見ていた。
ここまでのジェラルドさんとの話は、風音さんや弓月、ミャルラには聞こえていないはずだが。
俺は女性陣に、なんでもないよとジェスチャーで示してから、再びジェラルドさんのほうに向き直る。
「それは本当に誤解です。俺は風音さんのことも弓月のことも、一番大事な人だと思っています。……一番が二人いるとか、説得力はないかもしれないですけど」
自分で言っていて、ツッコミ必至な内容だった。
今更ながら俺って、実は相当にアレな人なのでは……?
再び恐々としながら返事を待っていると、ジェラルドさんからはこんな言葉が返ってきた。
「いや、それならいい。むしろ納得したよ。見たところキミは、そういった類の遊び人には見えなかったからな。不思議に思ったのだが、合点がいった。まあそれも、キミが嘘をついていなければの話だが」
「嘘じゃありません。誓って本当です」
「ふふっ。分かった、信じよう」
この任務についてからこっち、ずっと仏頂面だったジェラルドさんが笑った。
お、なんだ、いい感じか?
だがジェラルドさんは、次にこう伝えてきたのだ。
「ならばこそ、キミには警告しておく。あの獣人女には気を付けろ。キミのことを大事に想ってくれている二人の女性を、絶対に裏切るな」
俺は一瞬、絶句してしまった。
そんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。
「ミャルラに気を付けろ……ですか? ミャルラが何かしたんですか?」
そう問い返すと、ジェラルドさんは一度黙った。
しばらくの時間、ランタンの灯りが照らす夜の森を、俺たちは無言のままに進んでいく。
やがてジェラルドさんは、こう返してきた。
「そうだな。ひとつ昔話をしよう。これは卑劣な行為によって引き裂かれた、とある家族の話だ──」
そうしてジェラルドさんは、ある聖騎士の家に生まれた一人の子供と、その家族の話を始めた。
彼が語ったのは、こんな内容だった。
***
その少年は、聖王国のそれなりに裕福な家庭の生まれだった。
少年の父は聖騎士であり、厳格で規律正しい人だった。
母はやや癇の強いところはあるが、やはり厳格な人柄で、少年は厳しく育てられた。
背筋を正しなさい、前を向きなさい、正しいことをしなさい、間違っていることは間違っているとはっきり言えるようになりなさい──父や母からの教えは、少年の心に刻み込まれた。
少年は、厳しくも優しい父のことが好きだった。
母に対しても、この頃には悪い印象などほとんどなかった。
少年の家は、幸福な家庭だった。
だがあるときから、すべてが変わってしまった。
ある日を境に、父が家に帰ってこない日が増えた。
父は、私にも事情があるのだと言っていたが、母は父をあれやこれやと毎日のように問い詰めていた──夜、少年が寝室で寝たふりをしたあとに。
母は父の浮気を疑っているようだった。
もともと癇の強いところがあった母は、父を問い詰めるときは、特に甲高い声で喚くようになった。
食器が割られる音を、少年は何度も聞いた。
そしてついに、父は家に帰ってこなくなった。
父の職場である聖騎士団から、父の同僚が訪ねてきて、父の居場所を聞かれた。
少年も母も、父がどこに行ったのか分からなかった。
やがて少年の母は、壊れた。
かつての厳格だった姿はどこにもなくなり、酒に溺れるようになった。
少年に対して暴言を吐き、暴力を振るうようになった。
このときの少年は十五歳で、すでに働いていた。
彼は、母のことはあまり好きではなくなっていたが、母に責任はないと思った。
彼はどうにか母を養いながら、日々を過ごした。
ある日、少年は街で父の噂を聞いた。
父は獣人──猫耳族の女と駆け落ちをして、街を出たのだという。
そんなのみんな知ってる、知らないのはお前だけだとも言われた。
寝取られる、という言葉を、少年はこのとき初めて知った。
周囲のみんなが言っていた。これだから獣人女は、と。
街のみんなが獣人を忌み嫌う理由が、少年にもよく分かった。
ただ、あの厳格な父がそんな売女に誘惑され、母を裏切ったとは信じがたい。
その獣人女が、何か卑怯な手段で父の弱みでも握ったに違いない。
少年の母はやがて、酒の飲み過ぎが原因で命を落とした。
親類とも疎遠になり、少年は独りになった。
***
「──少年が覚醒者の力に目覚めたのは、十八の頃だった。彼はそれまでの仕事をやめ、冒険者となり……と、ここまで話す必要はないか」
ジェラルドさんはそこで言葉を切り、大きく息を吐いた。
話をしている間、ときどき声がふるえていた。
興奮していたのかもしれない。
それから彼は、俺に視線を向けてこう続けた。
「もう一度だけ言う。獣人女、特に猫耳族の女には気を付けろ。陛下を垂らし込むほどの雌猫ならなおさらだ。──聖騎士団の中にもぐり込んだあの穢れた雌猫は、僕が必ず排除してやる」
そしてジェラルドさんは、話は終わったとばかりに、また一人で進んでいってしまった。
一方で、俺は──
「なるほど。だいたい分かった」
そうつぶやきつつ、ため息をついた。




