第227話 村の酔っぱらい
たどり着いた村は、聖王国内の村落の一つだった。
この世界には、厳密な意味での国境はないようだ。
なんとなく国の領土に入ったら、そこはもう隣の国なのだ。
まあ世界樹方面から来る人なんて普通はほとんどいないわけで、そういう意味でも入国審査らしきものを受ける機会がなかったのだが。
それでも別に、密入国とかにはならないらしい。
村に入った俺たちは、よそ者だからといって特に迫害されるようなこともなく、宿や食事の場を無事に確保することができた。
文化の違いのようなものも、あまり見受けられなかった。
人々の暮らしぶりなども、これまでいた国──ザンドルト王国というらしい──との大きな違いは感じられない。
ただ特徴的な部分も、ないわけではなかった。
村に着いてすぐ、レベッカさんのおごりで、酒場で晩餐を行ったときのことだ。
俺と小型化したグリフォン、風音さん、弓月、レベッカさんは、丸テーブルを一つ占拠して料理や飲み物を注文し、さあこれから楽しもうというテンションだった。
だがその時、近くのカウンター席で飲んでいた一人の中年男が立ち上がり、俺たちのほうに向かって歩み寄ってきた。
かなりの泥酔状態のようで、絵に描いたような赤ら顔と千鳥足だ。
そいつは俺たちのすぐ近くまでやって来ると、こんな風に因縁を吹っ掛けてきた。
「おい、お前ら冒険者だろ? 見りゃあ分かるぜ。聖騎士のなりそこないどもがよぉ……ヒック」
「お、おい、やめろよ! 殺されたらどうすんだ!」
一緒に呑んでいた連れの男が、慌てて止めようとするが、泥酔男はそれを乱暴に振り払う。
「うるせぇ! 冒険者が怖くて畑が耕せるかってんだ! ……ん? でもこっちの坊主と嬢ちゃんたちは、ちぃと聖騎士っぽい面構えしてんな。おい坊主たち、ひょっとして聖騎士か? 聖騎士勲章はどうした」
「何すか、おっちゃん? うちら別に、聖騎士とかいうのじゃないっすよ。旅の冒険者っす」
「あぁん、旅の冒険者ぁ……? あー、分かった分かった、皆まで言うな。まだ若ぇから、これからってわけだな。坊主も嬢ちゃんも、これから頑張って聖騎士になって、お国のためにしっかり働くんだぞ……ヒック」
弓月の返答に、話が通じているのかいないのか分からない言葉を返してくる泥酔男。
酔っぱらい、面倒くせぇ……。
だが泥酔男はその後、連れが止めるのも構わずに、レベッカさんをぎろりと睨みつける。
「けどねーちゃん、お前は違うよなぁ? お前は聖騎士になれなかった、落ちこぼれのろくでなしだろ? 見りゃ分かるんだぜぇ……ヒック」
「…………」
レベッカさんは関わるつもりもないというように、知らん顔でジョッキのエール酒を呷っていた。
それを見た泥酔男は、さらにレベッカさんに詰め寄り、食って掛かる。
「おい女ぁ、何をすまし顔してやがんだ。聞いてんのか? お前だよお前」
「だ、だからやめろって! マジで殺されるぞ! へへっ、すいませんね。こいつ、ちょいとばかり酒癖が悪くって」
連れの男が愛想笑いを見せながら、泥酔男を羽交い絞めにして引きずり戻した。
泥酔男は大声で叫んで暴れようとする。
「なんだよ、俺ぁ本当のことを言ってるだけだろうがよ! くそっ、何が冒険者だ、落ちこぼれのくせに偉そうに! 放せ、放せよこの野郎!」
「いいから行くぞ、バカ!」
「バカとは何だ! 俺ぁなあ、この国の未来のことを憂いて──」
「バカだからバカっつったんだ! お、女将、お勘定!」
連れの男は会計を済ませると、泥酔男を引きずって慌てた様子で酒場を出ていった。
びくびくとした様子で見ていた周囲の人々が、ホッと安堵した様子を見せる。
酒場は元通りの様子を取り戻した。
だが注意深く見れば、あちこちのテーブル席やカウンター席から、俺たちのほうをチラチラと見る視線を感じ取ることができた。
まるで腫れ物を扱うかのようだ。
やがて酒場の女将がやって来て「す、すまなかったね、あんたたち。これはサービスだよ」と言って、つまみを一品、余計にテーブルに置いていった。
置くときの手が、ちょっとだけ震えていた。
女将が足早に去っていったあと、事態を静観していた風音さんがレベッカさんに聞いた。
「この国では、冒険者って嫌われているんですか?」
一方のレベッカさんは、鶏肉のバターソテーをつつきながら、何気ない様子で答える。
「まぁねー。嫌われているっていうか、ならずもの扱いっていうか……ま、あんまりいい印象は持たれてないね。あたしは一応この国の育ちだから、よその国に行って、冒険者に対する偏見の目がないのには逆にびっくりしたよ」
「あの酔っぱらい、『聖騎士』がどうとか言ってたっすよね?」
弓月がそう聞くと、レベッカさんはこくりとうなずく。
「この国の『聖騎士』ってのは、経験を積んだ冒険者のうち、国の試験で人格と実力が認められたやつだけに認められる名誉職でね。聖騎士になれない冒険者は、人格が認められないろくでなしか、実力が認められない落ちこぼれの烙印を押されるってわけ。よその国での騎士と冒険者はここまで露骨じゃないと思うけど、お国柄かねぇ」
そこまで感傷的な雰囲気で言ってから、レベッカさんは一転、パッと笑顔を作った。
「けど、気にしない気にしない♪ 今日は命を助けてもらったお礼に、あたしのおごりだからさ。じゃんじゃん飲んで食べてよ。ささっ、楽しくやろう」
確かに、不愉快な話を続けていてもつまらない。
お言葉に甘えて、しっかりご馳走になって楽しむことにした。
その後は普通に宴会だった。
大衆的なお店ながらも料理はおいしく、特に豚肉の香草焼きは絶品だった。
そのうちに風音さんとレベッカさんが意気投合して、お酒をパカパカ飲んで盛り上がりはじめた。
でもレベッカさんはお酒に強いらしく、風音さんは別に強くはない。
風音さんはわりとすぐにへべれけになって寝入ってしまった。
するとレベッカさんは、今度は俺に絡んできた。
俺の肩に腕を回してきて、近い距離で陽気に話しかけてくる。
上半身はほとんどシャツ一枚の格好で、おっぱいが大きい。
あといい匂いがした。
だからドキドキするなと言われたって無理だって。
でも風音さんは潰れているからバレないか──などと思っていると、目が据わった弓月が無理やり間に割って入ってきて、レベッカさんから俺を引きはがした。
それから弓月は、レベッカさんに向かって威嚇の唸り声をあげた。
本人は虎やライオンのつもりなのだろうが、俺には仔猫かチワワのように見えた。
レベッカさんは「あはは、ガード堅いなぁ」などと言ってけらけらと笑っていた。
ちなみに本物の猛獣(小型化中)はというと、テーブルの上に乗って果実酒に口をつけ、頬を赤らめた顔で「クピッ、クピッーッ♪」と嬉しそうな声をあげていた。
お前も飲むのか……。
そんなこんながありつつ夜を過ごした俺たちは、翌朝、宿のベッドの上で目を覚ました。
もちろんレベッカさんは別の部屋だ。
寝起きの風音さんは、飲み過ぎのせいか頭が痛そうにしていた。
そんな風音さんに、弓月が昨晩あったこと──先輩がレベッカさんに絡まれて満更でもなさそうだったっす、とは弓月の談だ──を告げ口すると、風音さんは拗ねたような少し怒ったような目で俺を見てきた。
それから風音さんは、「ん」と言って俺に向かって両腕を広げてみせてきた。
俺はこれでいいのかなと思いつつ、恐る恐る風音さんに近付いて、抱きしめた。
風音さんは「えへへー、よろしい♪」と言って、ぎゅっと抱き返してきた。
機嫌が直ったようだ。よかった。
ちなみに弓月にも同じことを要求されたので、同じことをした。
俺に抱きついた告げ口チワワは、「にへへっ」と笑って、すごく嬉しそうだった。
かわいいので許そうと思った。
それから俺たちは宿で朝食をとると、村を出て王都に向かって街道を進んでいく。
レベッカさんも一緒だ。
村から王都までは、徒歩で半日ほどの道程らしい。
元の世界への帰還までは、あと77日だ。