第221話 一角獣
『待って、攻撃しないで。僕はキミたちの敵じゃない』
どこか神聖さのようなものを感じる森の中。
同じく神聖さを感じさせる一角獣の口から、この世界の人間のものと同じ「言葉」が発せられた。
森は静謐で、その一角の白馬以外に、脅威となるようなものは見当たらない。
「ど、どうしよう、大地くん」
風音さんが困惑した声を俺に向けてくる。
無理もない。俺も判断に迷っている。
あの一角白馬の言うことを信用していいものかどうか。
街の人たちから聞いた話の中には、「世界樹には人語を解する善良なモンスターが暮らしている」というものがあった。
嘘だろ、人の言葉を話すモンスターなんて聞いたこともない──と、その話を聞いた当時は半信半疑だったが、こうして目の前に現れてしまえば、そこは疑う余地もなくなった。
問題は「善良」という話が本当かどうかだ。
まあそもそも、「善良」か「邪悪」かなんて、俺たち人間の一人ひとりを見たって一概に言えるものでもないと思うが。
一角獣は俺たちの前方、数十歩ほどの位置から声をかけてきたまま、動かずにいる。
俺たちがどう動くのか、様子を見ているようだ。
「弓月、【モンスター鑑定】の結果は?」
「モンスター名は『ユニコーン』、分類は『聖獣』っす。この分類のモンスターは初めてっすね。ステータスはさっき戦ったキマイラと同じぐらいっす」
「モンスター図鑑に載っていたかどうか、覚えてないか?」
「いんや、載ってなかったはずっすよ。そんなの載ってたら、覚えてないわけないっす」
「だよなぁ」
もっとも【モンスター鑑定】でステータスを識別できたということは、モンスターであることに違いはないはずだ。
モンスター図鑑に載っていないのは、それだけレアなモンスターということか。
これまでモンスターが敵対的でなかったことなど、【テイム】したグリフォンを除けば、一度もなかった。
元の世界でもそんな話は聞いたことがない。
だがそれを言うなら、人語を解するモンスター自体、聞いたことがない。
あの一角白馬は、モンスターの中でも明らかにイレギュラーな存在だ。
ちなみに、キマイラ程度のステータスなのであれば、その気になれば倒すのは困難ではないだろう。
俺たちの身の安全を最優先にするなら、そうしたほうがリスクは少ないかもしれないが──
「分かった、攻撃はしない。話をしよう」
俺は魔法発動準備を解除し、構えていた槍も下げて、交戦の意志がないことを一角白馬に伝えた。
風音さんと弓月も、安堵の様子を見せつつ俺に倣う。
相手が攻撃の意志がないことを示しているのに、こっちから攻撃をするっていうんじゃ、とんだ野蛮人だからな。
『よかった、ありがとう。やはりキミたちは善良な人間だ。そうと分かるから、僕はキミたちの前に姿を現したんだけどね』
一角白馬──ユニコーンは、好意的な言葉を返してきた。
しかし、「善良な人間」ねぇ……。
何を根拠に言っているのか分からないが、善悪二元論的な見解をこうも強調されると、さすがにちょっと引っ掛かるな。
とは言え俺も大きい意味では、目の前のユニコーンというモンスターに、神聖さや善良さのようなものを感じていた。
ひどく感覚的なものなので、その感覚を信頼しすぎるのもいかがなものかと思うが。
「よかったっすね、先輩。エロいこと大好きな先輩も、善良って認めてもらえたっすよ」
弓月がそう言って、にひひっと笑いかけてくる。
そもそも俺を邪悪呼ばわりしたのはお前だけどな。
「だから言っただろ。エロいことは邪悪じゃないんだ」
「そうそう。エッチなことは悪いことじゃないんだよ。やっぱり愛が大事なんだよ」
「今日はそこ、ずいぶんこだわるっすね」
「お前が柄にもなく、エッチぃのは邪悪ですとか言い出すからだ」
「柄にもなくとは何すか。うちみたいな清純派アイドルを捕まえておいて。ぷんぷん!」
『えーっと……少し近付いてもいいかな?』
俺たちがいつものコントを繰り広げていると、ユニコーンが困惑したような声をあげてきた。
うむ、すまない。すぐに三人の世界に入り込むのは、俺たちの悪いところだな。
俺はユニコーンに、接近を許可した。
トコトコと歩み寄ってくるユニコーン。
十歩ほどの距離までやってきたユニコーンは、そこですんすんと鼻を鳴らし、匂いを嗅ぐような仕草を見せた。
それから風音さんと弓月のほうを見て、大きくため息をつくと、悲しげな様子で首を左右に振ってみせる。
『キミたちは善良ではあるけれども、穢れなき清らかな乙女ではないみたいだね。残念だよ』
ぴきっと、うちの二人の女子の額に青筋が浮かんだ。
「あん……? 何すかあのクソ童●馬野郎。あの角引っこ抜いて尻にぶっ挿してやればいいっすかね」
「大地くん、やっぱりあいつ八つ裂きにしていいかな。いいよね。喧嘩売ってるもんね」
「す、ストップストップ! 二人とも落ち着いて!」
魔法発動準備を始める弓月と、腰から短剣を引き抜こうとする風音さんを、俺は慌てて両腕で抱きかかえて制止をかける。
二人はふーふーと鼻息を荒くしていたが、俺の腕の中で徐々に落ち着いていった。
『す、すまない。侮辱のつもりはなかったんだ。僕が迂闊だった。許してほしい』
ユニコーンは数歩後退しつつ、ちょっと怯えた様子を見せていた。
同情の余地はないと思う。どう考えても百パーセント侮辱だったろ。
「分かってくれればいいけどさ。大地くんを穢れ呼ばわりはちょっと許せないかな」
「そうっすよ。先輩の心がだいぶ汚れてるのは認めるっすけど、存在そのものが穢れは言いすぎっすよ」
「えーっと……? あいつが言った『穢れ』って俺のことなの? それ二人の中で確定事項?」
まあ意味合い的にそうなるけど。なるけど。
いやいや、この話はもう引きずるのやめよう。不毛だ。
俺は話題を逸らす目的も兼ねて、ユニコーンに問いかける。
「それで、俺たちに何か用か?」
『ああ、そうだった。僕はキミたちに頼みたいことがあるから、こうして姿を現したんだ』
ユニコーンは、思い出したというようにうなずいてから、向きを変える。
俺たちが向かっていた先──世界樹のほうへ。
『ここに来たということは、キミたちの目的は世界樹だろう? それなら僕が案内するから、ついてきてよ。歩きながら話をしよう』
そう言ってユニコーンは、森の奥へとゆっくり進んでいく。
俺たちは互いに顔を見合わせてから、うなずき合い、ユニコーンのあとをついていった。