第220話 世界樹の森
ドワーフ大集落ダグマハルを出立した俺、風音さん、弓月の三人。
俺たちは山岳地帯を北上し、「世界樹」へと向かっていた。
地図によれば、ダグマハルから世界樹までは徒歩で二日ほど。
世界樹に向かう目的は、ミッション『世界樹に到達する』を達成するためだ。
獲得経験値は3万ポイント。
今となってはものすごく大きな経験値でもないが、ほかに特にあてもないからな。
世界樹とは何か──という問いに答えることは、俺たちには難しい。
街の人たちに聞いてみても、人によって言うことが微妙に違った。
曰く、大陸全土に根を張り巡らせた神聖な大樹である。
曰く、人語を解する善良なモンスターが棲む楽園である。
曰く、千年以上も前からかの地に存在する伝説の木である、……などなどだ。
はっきりしているのは、とんでもない大きさの大樹であることぐらいか。
日本において富士山を遠くの地から望めるのと同じように、かなり遠い場所からでもその姿を視認することができる。……一体どういう大きさだよ。
いずれにせよ、この足で行ってみるしかないということだ。
そうしないと経験値も入らないしな。
ダグマハルを出立して、初日はこれといった出来事もなかった。
夜は野宿をして、無事に一日を過ごした。
二日目には山岳地帯を抜け、「魔獣の森」と呼ばれる森林領域に入った。
うねうねと歪に曲がりくねった草木がはびこる、不気味な一帯だ。
ホラーが苦手な弓月は怯えながら俺にへばりつき、風音さんも対抗するようにそれに追随した。俺は嬉しい。
早朝だというのに薄暗い不気味な森の中を進んでいくと、やがて「魔獣の森」の名称に相応しいモンスターと遭遇した。
俺たちの進行方向、数十歩ほど先にのそりと姿を現したのは、いくつもの動物が合体したような見た目のモンスターだった。
ライオンに似た胴体から、三つの頭部が伸びている。
頭部の一つはライオン、一つはヤギ、一つはドラゴンに見える。
背中からはこれまたドラゴンのそれに似た翼が生えており、尻尾は蛇だ。
全体のサイズ感は、ライオンよりは一回り大きいものの、エアリアルドラゴンやファイアドラゴンなどの本物の竜とは比較にならない。
ドラゴンに似た頭部も、体のサイズ相応の大きさだ。
「ま、魔獣系のモンスター『キマイラ』っす! ステータスはワイバーンと同じぐらい! み、見えてるモンスターなら、こ、こ、怖くはないっすよ!」
震え声の弓月が、視界の先に現れたモンスターの解説をしてくれた。
数は一体。
木々の陰から姿を現したそいつは、俺たちの姿を認めると、翼を羽ばたかせて浮かび上がり、こちらへと向かってきた。
「大地くん、作戦は?」
風音さんが二本の短剣を構え、魔法発動の準備をしながら聞いてくる。
俺は弓月からの情報を踏まえ、即答した。
「いつも通りでいきます」
「了解」
「こ、こっちも了解っす」
「クアーッ!」
襲い来る魔獣を迎え撃つ形で、戦闘が開始された。
といっても、戦闘というほどの戦闘でもない。
弱いモンスターではないが、一体を相手に今の俺たちが危機感を覚えるほどの脅威でもなかった。
まずは魔法やフェンリルボウによる遠隔攻撃でダメージを与え、接近されてからは俺の【三連衝】や風音さんの短剣二刀流、グリフォンのくちばしや爪による連続攻撃で打撃を与える。
それで魔獣は瀕死になったので、最後は俺が槍で攻撃してトドメを刺した。
魔獣の巨体は、黒い靄となって消滅し、魔石へと変わった。
消化試合だな。
しかし得られたものは、さりげなく大きかった。
ピコンッと音がして、メッセージボックスが表示される。
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ミッション『キマイラを1体討伐する』を達成した!
パーティ全員が15000ポイントの経験値を獲得!
新規ミッション『クラーケンを1体討伐する』(獲得経験値200000)を獲得!
六槍大地が41レベルにレベルアップ!
小太刀風音が41レベルにレベルアップ!
現在の経験値
六槍大地……587634/637868(次のレベルまで:50234)
小太刀風音……573926/637868(次のレベルまで:63942)
弓月火垂……657301/720298(次のレベルまで:62997)
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ミッション達成により、俺と風音さんがレベルアップ。
すでに42レベルの弓月は変化なしだ。
代償として、ドラゴンの頭部が吐いてきた炎の吐息によって全員が小ダメージを負ったが、安いものだろう。
俺は三人と一体にそれぞれ【アースヒール】を使って、全員のHPを全快させた。
全員に回復をかけると消費MPが4×4=16ポイントとやや重いが、これは致し方がない。
そうしてちょっとした障害を撃破した俺たちは、さらに北へと向かって進んでいく。
するとしばらく歩いたところで、森の風景ががらりと変わった。
それまで歪にねじくれ曲がった不気味な草木で覆われていた風景が、いつしか健全さを感じる正常な草木に囲まれた景色へと変わっていたのだ。
木漏れ日が落ちる森の風景は、むしろ神々しさすら感じられるほど。
あちこちがキラキラと輝き、どこか善なる気に満ちているような──そんな錯覚を得たのは、俺だけではなかったらしい。
「なんか突然、森全体が綺麗な感じになったっすね」
「うん。神様が住んでいる地だとか言われても、納得しちゃう感じ?」
「クアッ、クアーッ♪」
弓月や風音さん、グリフォンですらも、世界が変わったような印象を受けている様子だった。
地図上では、世界樹の周辺の一帯は「世界樹の森」と記されていて、「魔獣の森」とは明確に区別されている。
森林地帯が続くなら、どこで線引きがされるんだろうと疑問に思っていたが、現物は予想していたよりも遥かに分かりやすかったな。
そんな神聖さを感じる森の中を歩いていると、ニヤニヤ顔の弓月が、俺にすり寄ってきた。
「でも先輩みたいな邪悪な存在は、こういうところに来ると、浄化されて苦しんじゃうんじゃないっすか?」
「ほほう。自分を棚に上げて、俺を邪悪だと言うか」
「そうっすよ。だって先輩、すぐエロいこと考えるじゃないっすか」
「邪悪の根拠はそれか。全国のエロいことが大好きな人たちに謝れ」
「そうだよ火垂ちゃん。エッチなのは悪いことじゃないよ。大事なのは愛だよ愛」
「はあっ、愛欲に溺れたカップルの発想っすね。やれやれっす」
「お、火垂ちゃんだけ綺麗なつもりか~? そんな火垂ちゃんはこうしてやる。うりゃうりゃうりゃ~!」
「うわっ……!? か、風音さん、やめるっす! 冒険中っすよ! あっ、あっ、にゃあああああああっ……!」
風音さんが弓月の背後から抱きついて、魔導士姿の少女を弄び始めた。
顔を真っ赤にした弓月は、あられもない声をあげて身悶えする。
おのれ二人でイチャつきおって。俺も混ぜてくれないか。
そんな緊張感に欠けるムードで冒険行を繰り広げていると、あるとき風音さんが制止を訴え、警戒を促した。
前方に気配がする──いつものモンスター遭遇パターンだ。
だがこの遭遇には、いつもとは大きく違うところがあった。
俺たちの前方に現れたのは、一頭の、白馬に似た生き物だ。
額からは、一本の角がまっすぐに伸びている。
白馬の全身は、心なしか淡い純白の光を放っているようにも見えた。
その姿を見て俺は、美しいな──と素直に感じてしまった。
この世界樹の森そのものと似た、どこか神々しさのようなものを感じる容姿だ。
それでも俺たちが油断をせず、いつものように攻撃準備を整えていると──
『待って、攻撃しないで。僕はキミたちの敵じゃない』
その一角獣の口から、この世界の人間のものと同じ「言葉」が発せられたのだ。




