第184話 更衣室
混浴温泉、第一関門──
それは更衣室であった。
「わあっ、更衣室が分かれてないんだ」
「暖簾に『男女』って書かれてるっすね」
番台のおばちゃんから入浴用具一式を受け取ってから、更衣室の前までやってきた俺たち。
だが更衣室の入り口は、一つしかなかった。
男女とも、同じ更衣室で着替える仕様のようだ。
「んー、要するに完全に、カップル向けとか家族向けってことだよね」
「っすね。気にせず入るっすよ。ほら先輩、早く早く」
「お、お、おう」
風音さんと弓月が、普通に暖簾をくぐって更衣室に入っていく。
俺は挙動不審になりながらも、それに続いた。
ときどき目の前の二人のことが、まったく分からなくなる。
サキュバス姉妹の生まれ変わりか何かじゃないのか。
俺は今、淫夢の世界にでも引きずり込まれているのではないか。
更衣室に入ると、そこはさほど広くない個室だった。
コインランドリーぐらいの広さ、とでも表現すればいいだろうか。
その部屋の真ん中に、左右を分ける薄い壁があって、右手側と左手側にそれぞれ更衣用の籠が三つずつ用意されていた。
なお壁があるといっても、衝立のようなもので、部屋の空間自体は普通に繋がっている。
「へぇー、こうなってるんだ。じゃあ大地くんは、そっち使ってくれる?」
「あ、はい」
「覗いちゃダメっすよ、せーんぱい♪」
「……いや、どっちにしろこの後、全員で風呂に入るだろ」
「バスタオルは着けるっすよ? 真っ裸じゃねぇっす」
「わ、分かってるって」
俺の声は自分でも分かるぐらい震えていた。
二人の女子はくすくすと笑っている。
くそっ、遊ばれているのか、うちの妖艶なサキュバスたちに。
風音さんと弓月は壁の右手側で、俺は左手側で脱衣を始める。
何度も言うようだが、薄い壁で仕切られていることを除けば、普通に同じ部屋の中だ。
仕切り壁の向こうから、しゅるしゅるという衣擦れの音が、妙に艶めかしく聞こえてくる。
あと脱衣中の声も。
「それにしても風音さん、相変わらずおっぱいでけぇっすね」
「ほ、火垂ちゃん……! 大地くん向こうにいるってば」
「聞かせてるに決まってんじゃないっすか。ほれほれ姉ちゃん、ええ乳しとんのう」
「やっ、んんっ……! ちょっ、火垂ちゃん、やめてっ……!」
…………。
うちの後輩、本当に一度、再教育でもしたほうがいいんじゃないだろうか。
さておき、俺は衣服を全部脱いで、腰にタオルを巻いただけの姿になった。
グリフォンは肩に載せておく。
「こっちは準備できましたけど。そっちはどうです?」
壁の向こうに声をかけてみる。
「ん、こっちも終わったよ。火垂ちゃんのせいでちょっと時間かかったけど」
「ううっ、風音さんに本気でぶん殴られたっす……頭にたんこぶできて、HPが3点も減ったっすよ……」
「加減したってば。本気で殴ってたら20点ぐらい減ると思うよ」
「それ十発も殴られたらHPゼロになるやつっす。二十発であの世行きっす」
「そうならなくて良かったね」
風音さん、ときどき殺し屋になるよね。
まあ今回は弓月が悪いので、自業自得であるが。
さて、お互いに準備ができたので、合流して浴室へと向かうことにした。
合流して──
「……っ!」
まだ浴室に入る前、仕切り壁の向こうから現れた二人の女子の姿に、俺は思わず息をのんでしまった。
いや、別におかしな格好をしていたわけじゃない。
まったく完全に予定通りの姿だ。
風音さんも弓月も、裸の上にバスタオルだけを身につけただけの格好だ。
だがシチュエーションの魔力とでも言おうか。
俺の心音は、これまで以上にバクバクと跳ね上がっていた。
「も、もう……大地くん、そんなにまじまじ見ないでってば……」
そう言って、少し恥じらうように頬を赤らめるのは風音さんだ。
アスリート女子といった雰囲気の瑞々しい肢体に、バスタオルで隠されていながらも激しく自己主張するバストやヒップ、そしてウェストのくびれ。
恥ずかしがって身を隠そうとする様が、妙に艶めかしい。
さっきまで俺をからかって遊んでいたとは思えない恥じらい方を見ると、いったいどこに彼女の恥ずかしいスイッチがあるのか分からない。
いや、ひょっとすると最初から恥ずかしさを楽しんでいたまであり得る。
過去に心当たりがあるぞ。
「あー、先輩。風音さんのこと、やらしい目で見てるっす。やらしいんだ~」
一方でそう言ってからかってくるのは、ご存じの我が後輩、弓月火垂だ。
こちらは風音さんと比べてしまうと子供体型とも思えてしまうが、よく見れば、その体に巻かれたバスタオルには緩やかながらも確かな曲線が形作られている。
というか、さすがに子供体型と呼ぶのに無理があるぐらいには、弓月も女性らしい体つきに成長してきている。
こいつも何だかんだ言って、もう立派な大人の女性なのだ。
「べ、別にやらしい目で見てなんか……いるけど」
「ほら、見てるんじゃないっすか。でもうちのほうにはあんまり興味なさそうっすね」
「は? 興味あるが?」
「は? 興味あるんすか?」
「あるに決まってんだろ」
「決まってないっすよ。先輩いつもうちのこと子供扱いするじゃないっすか」
「この間のこと忘れたのか? 本当に子供だと思ってたら、そういう気持ちになんかならないだろ」
「……ま、まあ、それはそうっすね」
「はいそこ二人、私を無視してイチャイチャしない」
風音さんがずずいっと、噛みつき合いそうな俺と弓月の間に入って引き離してきた。
俺たちの前でパタパタと飛んだグリフォンが、「クピィッ?」と首を傾げていた。
だがこの淫夢のごとき現実は、なおも続くのである。