第175話 泥棒
都市ルクスベリーを出立してから、さらに一日半。
街道を進んできたエスリンさん一行と俺たちは、次の街へとたどり着いた。
市門をくぐると、賑やかな喧騒を浴びる。
ランデルバーグという名のその街の雰囲気は、これまでに見てきた二つの街のそれと大きな違いはない。
行き交う人々の中には異種族が混ざり、馬車が闊歩し、露天商の客引きの声と客の値切りの声とが交錯し……とまあ、そんないつもの様子だ。
夕方ごろに街にたどり着くと、ルクスベリーのときと同じく、エスリンさんは俺たちの分まで宿をとってくれた。
「それじゃ、今日もお疲れ様や。あとは自由行動でええよ。街の観光でも何でも好きにしてな。明日の朝、出発の時間さえ守ってくれればええから」
そうしてクライアントから自由行動の許可が下りたので、俺と風音さん、弓月の三人は、部屋で一休みした後、夕食の時間までしばらく街をぶらつくことにした。
屋台で串焼きやスープなど、あれこれ買い食いをしながら街の中央通りを歩く。
夕飯前にお腹いっぱいになりそうだなと思いつつ、それもいいかと達観していると、そこでちょっとした事件に遭遇した。
「あっ、このガキ、待ちやがれ! おい、泥棒だ! 誰か捕まえてくれ!」
そんな声が聞こえてきたかと思うと、道の先から一人の少年が、人々の間を縫ってこちらに向かって駆けてきた。
見たところ十歳にも満たない子供だ。
雑踏の中だというのに、するするとすばしっこい動きで、人にぶつからないように走ってくる。
お腹に抱えるようにした袋の端からは、赤いリンゴが見え隠れしている。
布を風呂敷状にして包んだ袋には、五、六個ほどのリンゴが詰まっていそうに見えた。
声を上げたのは果物売りの屋台の店主のようだが、その大柄な体が災いして、人ごみの中で少年を追いかけるのに苦労していた。
「へへっ、バーカ! 捕まるもんか!」
少年は後ろをチラ見して、店主が追いついてこられないのを確かめて、嘲笑うように言い放つ。
このままだと逃げ切ってしまいそうだ。
「むっ、万引きかな。子供だからって良くないよね。大地くん、これちょっと持ってて」
「え、はいっ──むぐっ!?」
風音さんが、食べかけの串焼きの残りを、俺の口に放り込んできた。
今さら間接キスにちょっとドキドキしてしまう俺、非モテの魂はいつまでも残っている。
「風音さん、あーいうところがあざといっすよね」
「むぐむぐっ……ごくんっ。だな。ときどき風音さんに魔性の女を感じるよ」
「じゃあ、代わりにうちは、先輩の串焼きを食べさせてほしいっすよ。あーん♪」
「なんのこっちゃ。まあいいけど。ほれ」
「はむっ♪ もぐもぐ。んー、先輩の味がするっす♪」
「猟奇的なことを言うな。まあ嬉しそうで何よりだよ」
俺と弓月がそんなやり取りをしている間にも、風音さんはスススッと少年の進路に向かっていた。
そして少年が目の前まで来たところで、通せんぼするように両手を広げてみせる。
「ストーップ! ここは通さないよ。盗んだものをお店の人に返しなさい」
「なっ……!? なんだよ、どけよこのブス! 変なカッコしやがって!」
「は……? ぶ、ブス? 変な格好……!?」
風音さんは激しくショックを受けた様子だった。
その隙をついた少年は、風音さんの横をするするっと抜けていく。
だが少年の言葉を耳にして、おそらく言われた本人以上に怒髪天をついた者がいた。
誰あろう、俺である。
「おいクソガキ」
「あっ……!」
そのまま逃げ去ろうとしていた少年を、俺は探索者のスピードと運動神経をフル活用して取っ捕まえる。
首根っこを捕まえられた少年は、袋を大事そうに抱えたまま、ジタバタと暴れた。
「な、何すんだよ! 離せ!」
「黙れ。事実と反する発言をしたことを謝罪しろ。さもなければこのままくびり殺す」
「ヒッ……!」
「……先輩、言葉が汚いっすよ。ていうか言ってることが完全に悪者っす」
「仕方ないんだ弓月。こいつが悪い」
弓月がやってきて俺をたしなめようとするが、そんなもので俺は止まらない。
やがてショックから立ち直ったらしき風音さんも駆け寄ってくる。
「だ、大地くん、どうどう。私は気にしてないから。ちょっとショックは受けたけど、子供が言うことだし」
「風音さん。たとえ子供だとしても、言っていいことと悪いことがあるんですよ」
「とにかく大地くん、ストップ、ストップだよ」
あやうく本当に殺しそうな勢いだったせいか、風音さんと弓月が二人がかりで俺から少年を引っぺがした。
俺は風音さんに羽交い絞めにされ、一方の少年は弓月が取り押さえる。
少年は俺の態度が怖かったのか、弓月に抱きついてガタガタと震えていた。
おいクソガキ弓月も俺んだぞやっぱり殺されたいのか、などと醜い独占欲丸出しの殺意が湧いたが、風音さんに羽交い絞めされていたせいでちょっとだけ落ち着いた。
人の温かさは、怒れる心をも柔らかく包み込んでくれるのか、などと詩人になった俺であった。
そんなこんなしているうちに、屋台の店主が追いついてきた。
少年は「あ、やべっ」と言って逃げ出そうとしたが、弓月に捕まえられていて逃げられない。
「あんたたち、助かったぜ。ありがとうよ。ったく、このガキが。おら、さっさと盗んだもん返せ」
店主の男は、少年が大事に抱えていた袋を無理やりぶん取った。
すると少年は、泣きそうな顔になってまた暴れはじめる。
「か、返せよ! それは先生に食べさせるリンゴなのに!」
「はあ? 盗っ人のガキが何言ってやがんだ。……つかお前、どこかで見たと思ったら、孤児院のガキか。一発ぶん殴ってから憲兵に突き出すつもりだったが……なるほどな、そういうことか。かと言って、盗みを働いたやつにリンゴをくれてやるわけにもいかねぇし……まいったな」
店主はその手でバリバリと、自分の頭をかく。
果物を盗んだ子供、先生に食べさせる、孤児院。
事情はよく分からないが、単語の破片を拾い集めるとなんとなく、どういうことなのかが見えた気がした。
俺は財布を取り出し、店主に問う。
「リンゴ、いくらですか?」
「ん? このリンゴなら、一個につき銅貨二枚だが」
「じゃあこの銀貨で、五個ください」
「あー……兄ちゃん、ひょっとして底抜けのお人好しかい?」
「いえ、今だけの偽善です」
「はははっ、気に入ったぜ兄ちゃん。サービスで六個入りだ。毎度あり」
店主の男は俺の手から銀貨一枚を取って、代わりに少年から奪った袋──リンゴが六個入っている──を渡してきた。
それから店主は、弓月が捕まえている少年の頭にげんこつを置いて、軽くぐりぐりとやる。
「おう坊主。今度やったら、次こそただじゃ済まさねぇからな。ほかの店でも盗みなんかするんじゃねぇぞ」
「…………。……でも、それじゃあ……」
少年は不服そうだった。
瞳に涙をためて、歯を食いしばっている。
それを見た店主の男は、顔をしかめた。
「ちっ、またやりそうだなこのガキ。どうしたもんかね。やっぱり憲兵に突き出すしかねぇか──」
店主の男がそうつぶやいて、再びバリバリと頭をかいたときだった。
「おい、どうした。何か事件か?」
革鎧と棍棒で武装した憲兵らしき青年が、人垣をかき分けてやってきたのだ。
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