夢日記
いつからだろう、私が夢を記録し始めたのは。
私、蔦江結愛の家は、一軒家だけど研究所でもあった。
当時5歳の私は、そんな研究をするお父さんが、絵本の魔女みたいで怖くて苦手だった。
そんな私を慰めてくれたのは、大好きなお母さん。
いつも優しい声で絵本を読んでくれて、そのおとぎ話に目をキラキラさせながら、憧れを抱いていた。
シンデレラ、白雪姫、人魚姫に眠り姫…。
お姫様に憧れていたわけじゃない。私はこの頃から既に『運命的な恋』に憧れを抱いていた。
そんな小さな頃の私は、それはそれは楽しい夢を毎日見る。
どんな夢かは、記録がないしもう忘れちゃったけど、楽しい夢だった、という気持ちだけは覚えていられる。
そんな夢を抱き続けて、小学5年生になった頃。
私は、普段ほとんど話すことのなかったお父さんに呼び出された。それも、地下室に。
今でも、緊張と恐怖で足が震えていたことを覚えている。
「お父さん…?それで、お話って…?」
「ああ…お前、夢は楽しいか?」
お父さんからの不思議な質問に、冗談かと思いそうになったが、どうもそんな様子ではない。
非常に真剣な表情で、ジッと私を見る瞳は真っ直ぐで…。
「楽しい夢が見れてるかってことなら…うん。」
内容こそ覚えてないが、楽しい夢が見られていることはわかる。
時折、寝る時間が待ち遠しく感じてしまうほどに。
「そうか…よかった。」
そう言って、お父さんは後ろにある大きな機械のスイッチを押した。
無機質で一定のリズムを刻む機械音、モーターの回る音。
何故か童話の歌の様なものも流れている、不思議な空間だった。
そんな起動音に呆気に取られていると、お父さんはどこから持ってきたのか、可愛らしいピンク色の手帳のような本をくれた。
「これは…?すごく可愛いけど…」
「結愛は女の子だからな、こっちの方がいいかと思って…。」
お父さんからものを貰うなんて初めてだったこと、そして、こんなに可愛い本を貰ったことがとても嬉しかった。
「ありがとうお父さん…!」
「ああ…上げるのは確かなんだが、結愛にはその日記帳に書いて欲しいものがあるんだ。」
「日記帳…?日記を書けばいいの…?」
「いや…」
日記帳に日記を書かないの?と首を傾げた。
咳払いをした後、お父さんは改めて真剣な表情で。
「結愛にはこれから、見た夢をその本に書いて欲しい。どんな些細なことでもいいから、なるべく覚えていることを鮮明に。」
「夢の…日記なの…?別にいいけど…。」
お父さんからのお願い、しかもとても真剣そうなお願いを、断るのは怖かったし、無理難題という訳でもない。
それに、"ゆめにっき"ってなんだか響きがかわいいような気もした。
私は二つ返事で了承して以来、1日も欠かすことも無く、その日記帳に夢を記していった。
友達なんかには、そんな日記があることは言えなかった。
バカにされてしまうのも嫌だったし、鍵のついた本だ、きっと秘密にしなきゃならない。
そう思っていた。
あの頃のことは思い出したくない。でも、思い出さなければ今の自分はない。
私が夢日記を描き始めて、4年…。
中学3年生の私は、夢と現実の境がわからなくなっていた。
確認方法である『頬をつねる』『お母さんに夢か聞いてみる』『飛びたいと願ってみる』など、色々とためしたのだが。
それら全てが意味をなさない、つまり。
『現実とほぼ変わりない夢』を毎日見るようになってしまった。
日付は何度も繰り返し、過去に戻り、かと思えばいきなり何日も進むこともあった。
当然、正気で居られるような状態ではなかった、ご飯はあまり食べられなくなり、いや、食べた時でさえ夢だったのかもしれない。
お父さんは地下室に篭りきり、お母さんはお父さんに呆れて家を出て言ってしまった。
当時の日記帳には、その恐怖と崩壊した世界のことが細かに書いてある。
どこまで夢なのか、どこまで現実なのかもわからなかったので、恐らくどちらも鮮明に。
字は震え、筆圧は濃く、乱雑に書かれたそれは、ホラーゲームさながらのリアルな精神崩壊を表現しているようだった。
そんなある日、1匹のバクにであった。紫色の綺麗なバクに。
暗い空間に、ポツンと1匹で立ち尽くしていた、紫色のバク。
すると、そのバクは私に語りかける。
「夢を現実にしたくはないかい?」
久々のわかりやすい夢だなぁと、死んだような目でバクを見つめる。
夢を現実に…。
皮肉にも、私の夢はもう現実と変わりないほどになってしまっている。
私自身に区別もできないほどに。
「もう既に…夢は現実と変わりないですよ…」
誰にも打ち明けられなかった愚痴を、夢という都合のいい状態を利用して、バクに告げる。
すると、私のその愚痴にバクは首を横に振る。
「違うさ、その夢じゃない。君の願う"夢"についてさ。」
「願う…夢…」
私の願う夢…。
最近は夢と現実の狭間に挟まれていて、そんなこと考えている暇もなかった。
現実に着いていくのに必死だったから…。
私の夢…夢…。
崩壊して、働かせてなかった頭を、久々に回転させる。
少しづつ、少しづつだけど、私の願った夢がゆっくりと近づいてきた…。
夢…私の夢…もし、叶うのなら…。
運命の…まるでずっと憧れてた、王子様みたいな…。
「運命的な…恋をしてみたい。」
久々に、自分の心に暖かいものを感じた。
私の、昔からずっと心に秘めていた願い。
狭間の分からなくなった私には、叶うことも難しい願い。
そんな願いをうんうんと頷いたあと、長い鼻をこちらに向けながら話してくる。
「その夢…条件はあるが現実に出来るって言ったら…どうする?」
バクは私にそんな夢のような話を聞かせてくる…って、まぁ夢なんだけど…。
そんな話があるわけもないし、明らかに怪しいお願い。
でも…もうこんな人生に希望なんてそれくらいしか…。
「もし叶うなら…戻りたいし…叶えたい…。」
夢と現実をしっかり理解して、またいつも通りの生活をして。
そして、運命的な出会いと恋をして…。
そう願ってパッと目を覚ますと、白く綺麗な知らない天井が、私を見下していた。
ここは…病院…?
後から話を聞くと、私はどうやら1年間もずっと植物状態…寝たきりだったそう。
つまり、ここ1年間の崩壊した世界は、全てが夢。
夢日記に1年間記した内容は現実には引き継がれてるはずもなく、真っ白になっていた。
1年前に書かれていた以前の夢は…読んだことがない。
もしかしたら、思い出すとまた1年間寝たきりになるんじゃないかと思ったから。
一体どんな夢を見れば、あんな無間地獄に悩まされることになったのか…。
私は日記帳に鍵をかけて、反対側から普通の日記を書き記すことにした。
今度は、楽しい現実の日記を…。
それから時が経って、入学式。
私はふとした拍子に、日記をどこかに落としたらしく、桜の舞い降る並木道を必死に探す。
あの夢日記を見て、被害者が出るのは避けたいから。
そんな時…運命はあった。
知らない男の子が、日記帳を拾っていてくれたらしく、それを持って並木道を歩いていた。
「あの…それぇ…」
「ん?…あぁ、これ?拾ったんですけど…もしかして…?」
「は、はい…!私のです…!ありがとうございますー…」
「いえいえ、気をつけてくださいね…鍵もついてますし、大切なものなんでしょう?」
渡された日記帳には、こんなに舞い散っている花びらが、1枚もつかないほど綺麗な状態で。
逆に、男の子の背中には沢山の花びらがついていた。
優しい人なんだなぁ…と思った途端に、日記帳は手渡される。
日記帳を手に取ると、その男の子は微笑んでくれた。
その画はまさに、漫画のワンシーンのようで…
私のウブで純粋な乙女心を動かすのには、十分過ぎるロマンチックさだった。
「あ、ありがとうございました!ではぁー!」
「あっ…うん…」
急に顔が暑くなり、鼓動が早くなるのを感じる。
離れたあとも、入学式も、その後も…あの人のことが、あの場面が、あの声が心から離れない。
こんな気持ち初めてで…。
思い出すだけでドキドキして、頭がクラクラする。
これは…これが恋…なのかな…。
ずっと憧れていた、私の心からの夢である、運命的な…。
ぼーっと夢心地のままの私は、その日に夢を見た。
あの日と同じ真っ暗な場所で、あの紫色のバクと出会う。
「どうだ、いい夢だったろう?」
と、バクは開口一番に私に告げる。
夢…?夢!?
「あの気持ちは…?あの人は!?あの現実は全部夢だったってこと…!?」
「ち、違う違う!ちょっとかっこつけただけ、ちゃんと現実だ!
だから落ち着いてくれ!」
思わずズンッと迫ってしまった…ということは。
私はそれほどまでにもう、あの人のことが…。
「あー…そろそろいいか?」
また夢心地に浸っていた私を連れ戻される。
「まぁ、そこまで楽しんでいただけたなら良かった。
これからも幸せに過ごせることを、私は願っているよ。
さて、今日君の前に現れたのは他でもない…」
「条件…だよね。」
精神的に参っていた私が、全てを諦めていた私がしてしまった、口約束の条件。
でも、私は後悔はしていない。
だって、私をあの世界から戻してくれた、現実の生活を送らせてもらって、あんなにも素敵な思いをさせてもらった。
もう…この人生に満足する程に…。
私の覚悟は、もはやこの命すら捧げるほどに固かった。
何が来ても、私は…。
「覚悟は…出来てるようだな。よし、じゃあ単刀直入に言おう」
こほん、と咳払い…バクって咳払いするの?
…まぁ、咳払いをして、本題に入る。
「君は、自身が寝てる間に『吸夢霊』として、人の夢を集めて欲しいんだ。」
「吸夢霊については長くなるので、端的に話しますねぇ。」
長い長い。まるで、蔦江結愛という1人の少女の人生の日記を、ひとつひとつなぞるように話された物語は一旦終わり、ようやく本題に入る。
「吸夢霊…。霊とは言いますが、実際に私自身が死んでいるわけではないんです。
夢を見ている間だけ幽霊になって他人の夢に干渉、いい夢の一部をいただいています。
そしてそれを…」
「私の養分とさせて頂いているということだ。」
急に、蔦江の後ろから例に聞く紫色のバクが姿を現す。
象のような鼻に、4本の足。
上半身は暗い紫色で、下半身は黒い色をしている…ん?
これって前に夢で見た…?
「今朝の夢以来だな、今朝の夢の質問については…まぁいずれわかることだ。気にしなくてもいい。」
聞きたかったことを先回りで回答される。
でも、気にするなと言われると、どんどん気になってしまうもので…。
あの質問は…。
「バク…御伽噺なんかでは『悪夢を食べる』なんて言われているらしいが、無味な上に対象は飛び起きてしまうから腹も膨れない…悪夢なんて食べるだけ損なのだよ。」
確かに。
怖い夢などを見た時は、大抵いつもよりも早く起きてしまうことが多いが、そういう事なのか…?
どこかのバクが、悪夢を食べてくれてると思うと、なんだかありがたく感じる。
「それに、いい夢を食べる理由は、なにも美味いだけじゃない。
多少ではあるが、魔力が補充出来るのでな。」
「さっきの話に出てきた、私の夢もその魔力で叶えてくれた…。
だから、その魔力を戻すお手伝いをさせてもらってるって訳なんです。」
なるほど、大体はわかったけど…。
「最初の昔話…いる…?」
「ふふふ…私のことを知って欲しくて…つい…」
そう言って少し照れてみせる蔦江の姿に、苦笑いが出る。
さて、まだ聞きたいことは残っている。そもそもの話がまだだ。
「それで、どうして俺の家に…?わざわざ変装までして…
あ、あと理由があるのはわかるけど、魔力を…多分だけど吸い取ったのか…?数字減ってたけど…」
俺の問いに、バクと蔦江の2人はキョトンとして…。
「えっとぉ…私、聖雅さんとはあの並木道以来、実際にはあってないですよぉ…?」
「えっ…?じゃ、じゃあ今日家に来てたあいつは…」
急に背筋が凍るように固まる。
じゃあ家に来た天堂は…蔦江は…あいつは誰だったのか。
すると、蔦江とバクは顔を見合わせて頷き合う。
「もうすぐ夢も覚めちゃいますか…。
聖雅さん…明日、放課後に会えませんか?その事について詳しく聞きたいですし…。」
「魔法…とまではいかないが、少しだけなら私も助力しようと思う。
君に今死なれるのは困るしな。」
…なんだか、ものすごいことになってきた。
今朝の玄関からさっきの謎の女性まで、何もかもがこの世ならざるものと言うか、なんというか普通じゃないことばかりだ。
まぁ今の状況もそうなんだけど…。
せっかくだし、この2人に相談しようかな。
天堂には三鏡の件でもお世話になってたし、あまり迷惑はかけたくない。
魔力とか、そういう話もこの2人…?は出来るようだし。
こうして、俺は2人と明日に会って話をすることを約束して目を覚ます。
…自分から目を覚まそうとするのも、なんだか変な感覚だったが、無事に何事もなく目を覚ますことが出来たようだ、時間は…。
「あ、秋野くん起きた。」
「…へ?」
俺が寝てたソファのすぐ側に、天使がいた。