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八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus  作者: 扶桑かつみ
Return Match 〜第二次太平洋戦争〜
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Phase 2-ZERO 閑話休題もしくは補習授業 其の弐 <とある造船技官の回想>

 あの船の話しか?

 まあ、ええけど、今更そんな話し聞いてどないするんや?

 「ひょーじゅんご」で話せ? アホ抜かせ、仕事の時以外であないなヤワな言葉で話せるかい。

 


 そうやなあ、あれの話があったんは、ナチとの戦争の終わった夏の頃、そうそうやっと「大和」が就役した頃やったわ。

 

 何や、ワケも話されんと秘密会議みたいなんに呼ばれてなぁ、行ったら海軍の偉いさんがぎょーさんおって、確か・・・上座には黄金仮面・・・やのうて宇垣提督と神の旦那が偉そうにふんぞり返っとったわ。

 

 でまあ、議事進行役やった神の旦那が、アメ公が計画している新造戦艦の事を、まあ鼻息荒ろう説明して、そのあと牧やんが丁寧に技術的な話して、そっからブレーンストーミングや。

 

 でまあ、アメ公がビビッて日本に手ぇ出せんように、こっちもアメ公よりデカイ戦艦作ろやないかって話しにもっていかれてんけど、堀井はんや牧やんはあんまり乗り気やなかったみたいやから、話し半分で聞いとったワイに話しが振られたんや。

 

 あの頃ちゅうか、ワイはずーっと窓際族やったさかい人数合わせに暇な技官で顔出したようなもんやってんけど、暇やったさかい戦争中に作った余分な資材の事詳しいてな、せやからその辺からボチボチ話したったんや。

 


 ホラ、「大和級」て4隻作る計画やったやろ。

 ・・・何や知らんのかいな、まあええわ。

 

 とにかく、戦艦用の資材は昭和19年のダンケルク作戦の頃には3分の2ぐらい揃っとったんや。

 特に、作るんが面倒な主砲とかぶ厚い装甲板とか、あとボイラーも半分は出来とった筈や。

 船にならんかったんは、組み上げる予算と人とドックの割り当てが付かんかっただけなんや。

 

 何でか知ってるか? せや、ダンケルク作戦が成功したから戦艦はもうお役ご免で、しかもその前の地中海の戦いで航母の方が使えるちゅうんで、戦争中にだいぶ出来とった「武蔵」が航母になりよったやろ。

 

 せやから戦争が終わった頃、大型戦艦用の資材だけは腐るほど、呉と大神の倉庫に転がっとたんや。

 何しろ戦艦専用の資材は、他に使い道探す方が苦労するさかいなぁ。

 

 まあ、戦艦の好きな連中も、それ知っとったんやろな。

 ワイが細かい数字をボソボソ説明したったら、もう出来とる主砲の数とかを何べんも確認しよって、その後でもういっぺんアメ公の戦艦の脅威ちゅうんを訴えて、その時の会議でワイらも新しい戦艦作ろやないかって方向に持ってったんや。

 

 で、しばらくしてお偉いさんの間で話が決まった昭和22年ぐらいに、ついに新造戦艦の建造決定や。

 

 まあ、知っとると思うけど、もちろんあの時は極秘やったで。

 上の連中は、出来るまで隠しといて完成したらアメ公に見せつけようって、イヤラシイ事考えとったからな。

 

 太閤さんの一夜城やないっちゅうーねん。

 


 せやけど、そっからが問題山積みや。

 

 もう「武蔵」がどうやっても戦艦に戻せんまで建造進んどったし、大型航母の建造計画が表だって公表されて、堀井はんや牧やんはそっちにかかりっきりで、まあそん時もけっこう暇やったワイにお鉢が回ってきたっちゅうわけやな。

 

 え、ワイに話し来たんが問題あるんかって?

 ソラあるがな。

 何しろワイは造船技官の中でもマニアが技官なったっちゅう事で通ってた問題児やったさかいな。

 ワイは単に研究熱心やっただけなんやけどなぁ・・・知ってるか? 「葛城」の図面書き直したんも、「武蔵」の傾斜甲板の設計指揮したんワイやねんで。

 堀井はんや牧やんは仕事丁寧なんやけど、ちょっと型にはまったところあるからなぁ。

 やっぱり金田さんみたいに、独創的やないとな。

 

 まあ、見とる人間やちゃーんと 見とるちゅーことやな。

 

 その証拠に「播磨」の出来は見事の一言に尽きるやろ。

 いくらワイでもあれ以上の戦艦作れ言うても無理やで。

 

 アレがアメ公の新鋭戦艦バカスカ沈めたって聞いた時には、胸がスーッとしたもんやわ。

 

 せやけどアレの妹は、問題だらけやってん。

 

 せや、資材が足らん事に、作り始めてから気ーついたんや。

 

 今から思えばアホな話しやでなぁ。

 調達できる主砲の数が足らんちゅうんやから。

 高炉と延圧機ぐらいちゃんとしとけっちゅうねん・・・いや、この場合予算の問題やったかな?

 まあともかく、「播磨」とあの海賊船用に準備できる主砲が、砲塔で数えてちょうど6つ分や。

 

 これが「大和級」やったら丁度ええ数やってんけど、「播磨」は図体デカイ分、砲塔が4つもついてるやろ。

 給弾システムも「大和」より新しいぶん複雑で、おいそれと量産できんヤツやったしな。

 

 しかもアメ公に対抗する為とかで、呉の「播磨」の工事がドンドン先に進んで、大神の2番艦は半分置き去りで、気ぃ付いたらもう後の祭りや。

 


 大砲が半分しか付いとらん戦艦なんか作ってどないすんねんなぁ、てワイはもうお役ご免と思って笑っとたけど、まあそこでもういっぺんワイに話しがきたんや。

 何とかしてくれってな。

 

 どアホ、て相談に来た連中怒鳴ったもんやで。

 

 でまあ、ワイはやけくそなって、代換え案を3日徹夜して書き上げてから東京に乗り込んだんや。

 

 けど、ホンマあの時は捨て鉢やったで。

 役人連中のアホな仕事に付き合ってられるかぁ、てな。

 

 けどまあ、その後は赤レンガに素案持っていたワイがビックリする番や。

 正直あんな案が通るとは、これっぽっちも思っとらんかったからなあ。

 

 イヤ、あれはあれでエエ船なんやで。

 もともと素性はエエさかいな。

 

 船体のほとんどと前半分は「播磨」やし、後ろのデッキも「翔鶴級」と同じぐらいの規模あったし、短艇格納庫後を臨時居住区にしたから、けっこう陸戦隊も使えたしな。

 

 まあ、「戦艦か?」て聞かれたらワイは「ちゃいます」て答えるつもりやってんけど、何や徹夜頭のワイの景気のエエ法螺話真に受けた海軍の赤レンガの連中と大蔵省から出向してた役人連中が、「何だ「播磨」より使えそうじゃないか」って関心してたん、妙~に覚えてますわ。

 

 ちゅうわけで、「海賊船」やのうて「強襲戦艦」の誕生や。

 


 で、そっからワイの苦労が始まったんや。

 

 なんせ計画が固まったんが戦争する半年ぐらい前で、とにかく早よお作れ言う上に、前が戦艦で後ろが航母でまともな船ちゃうやろ。

 しかも、後ろは改装始める少し前まで簡易空母構造にして、後で普通の戦艦に戻せるようにせっかくしとったのに、結局後ろを「武蔵」みたいな重防御構造にしろって朝令暮改になって、もう設計・監督するこっち側としてはてんやわんやや。

 

 ホンマ、あの時期は趣味の模型いじる暇もなかったわ。

 

 え、装備に特徴か?

 いや、最初はそないに変わったモン載せてへんで。

 

 さっきも言うたけど、前半分は「播磨」と同んなじやし、後ろも「武蔵」やそん時建造進んでた航母と部品揃えてたし、せやなぁ・・・少し変わっとったんは、上陸作戦にも使えるようにって、短艇格納庫と戦艦用の艦載機格納区画をいじり回したぐらいちゃうか。

 

 まあ、陸戦隊は鋼発、ああ上陸用舟艇やのうて、ヘリ・・・竹とんぼの大きいヤツやがな、あれに乗せるようになってたから、さすがに初期案にあった大型の舟艇用格納庫はなくなったけどな。

 

 まあ、大砲付いてへんて思たら、強襲揚陸艦の一種みたいなもんやな。

 せやから、ワイはあれのラフ図面に冗談ついでに「強襲戦艦」て付けてん。

 エエやろ、自前で艦砲射撃から航空支援までできる万能揚陸艦やで。

 子供の頃の夢満載や。

 まあ、航母の機能の方が大きいちゅうんで、艤装の面倒見てたヤツは航母機動部隊に掛けて「機動戦艦」とか言うてたわ。

 ま、どっちにしろ模型でも、あないな変なん作った事ないでぇ。

 

 あ、でもな、あとでアレの模型が出たら買うてんけど、出来が納得いかんかったから結局自作してん。

 アレの方が苦労しかたもしれんなぁ。

 

 あ、そうそう苦労言うたら、電気関係が「播磨」よりごっつ大変やったわ。

 「播磨」より後で就役するって分かったから、それやったらもっとエエ電探と電算機積も載せよやないかって話しになって、戦争が始まってからは対艦誘導弾落とせる迎撃装置載せろや、相手の電波妨害できるようにしろとか、揚陸指揮用のアンテナと無線室もいるってなって、もう艦橋周りの配電や大型の管制室の場所考えんの大変やったんやで。

 電探や電算機て案外かさばるんや。

 新型やから電気も食うし。

 

 ほんでな、数が少ない言うても主砲が「大和」の33%増しの発射速度やろ、一旦砲撃始めたら後ろはともかく前の方は衝撃や爆風がえろうゴッツかったから爆風対策も苦労したわ。

 何しろ、戦艦、航母、揚陸艦、指揮艦とまあ色んな事できるてんこ盛りやから、ホンマ大変やったんやで。

 

 最後に飛行関係の艤装担当しとったヤツも、甲板いっつもクリーンにせなあかんって、頭抱えとったしなぁ。

 


 せやけどまあ、苦労のかかる子供ほど可愛いってよう言うやろ。

 それと同んなじで、なんや気になって結局最後まで面倒見る事なって、一部装備の調整があるって説得して、最初の出撃まで付き合う羽目になったんや。

 

 で、ワイは仕事柄やたらと艦の事詳しいやろ。

 せやから、兵隊さんから影の副長とか技師長とか変な呼ばれ方してましてん。

 まあ、あの時のキャプテンが頭の柔らかいエエ人やったさかい、ワイが好き勝手言うても聞いてくれたからやと思いますわ。

 

 ワイが助手や言うて、姪っ子一緒に連れてきても文句一つ言いませなんだ。

 あ、姪っ子が助手言うんはホンマやで。

 ワイ電算の事よう分からんから、詳しかった姪っ子にさせとってん。

 

(中略)


 え、実戦どないやって? 別に何とも。

 形はともかく世界最強の戦艦に乗ってんねんで、しかもワイも設計に関わった船や、怖いワケあらへんやろ・・・言ゅうんは嘘や。

 戦闘中は、ほとんど振動の少ない指揮所の中に篭もってるか、どっかの装備と向き合っとったから、全然戦闘しとる実感あらへんかったわ。

 ワイは戦闘中、ずうっと他の事で急がしかってん。

 まあ、確かに地震みたいによう揺れてエライ音してたけどな。

 

(中略)


 はあ、何で海賊船て呼ぶやて?

 そら一目瞭然や。

 船の後ろの方が航母用の構造物で盛り上がってて昔の帆船みたいやし、陸戦隊もぎょうさん乗せられるやろ。

 せやから、図面書き上げた時からワイそう思てててんけど、見えまへんか?

 ところで、あの海賊船てホンマは何て言うとったっけ?

 ワイは仕事上「○○号艦」て呼ばなんだら、いっつも変な呼び方しとったから、全然覚えてへんのや。

 何やこう、日本刀みたいな名前やったと思てんけどなぁ・・・。

 


<1955年8月・雑誌「旭」第二次太平洋戦争特集号より抜粋>


戦艦「備前」


要目


備前  就役 1953年10月

全長:325.6m

全幅:44.1m(最大幅:64m)

基準排水量:124,500トン

機関出力:320000馬力 速力:28.5ノット

51cm(L45)3×4 

15.2(L60)2×4 

10.0(L65)2×10

艦載機数:固定翼機/42機・回転翼機/6機

舷側装甲:508mm(20”)

主甲板装甲:254mm

飛行甲板装甲:89mm+20mm



Phase 3-ZERO 閑話休題もしくは補習授業 其の参

       <日清・日露戦争> ▼


私どものホームページ掲載時はイラスト付きでしたが、転載に際しては省かせていただいています。

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