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八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus  作者: 扶桑かつみ
Return Match 〜第二次太平洋戦争〜
84/145

Turn 5:判定結果 Phase 5-1 回天

◆とある市民の回想9(瀬戸内在住の漁師)


 あの頃私はまだ尋常小学校に通ってたから、近所のどいつかが戦死したの負傷したのっちゅう話し以外では、戦争はどちらかと言うのを除けばとテレビやラジオ、映画の向こうの出来事じゃけえ、あの時の事はよく覚えてます。

 


 うちは漁師をしてまして、あの時は私は親父に連れられて、小舟で漁に出してました。

 

 あの日は、ちぃと靄がかかってましたが、まあそれなりの一日じゃったと思います。

 

 で、船も魚で一杯になったし、帰る頃には丁度朝市にええ頃じゃったけえ、親父が船のエンジンをかけた頃じゃった、靄の向こうに突然島が現れたんです。

 じゃから私は、「親父島じゃ! 避けろ」と叫んだんです。

 そしたら親父もそっちの方向いて、ちーと厳つい目を細めて眺めた後、満面に笑みを浮かべて「阿呆、島じゃねえ、ありゃあ船だ」と言ったんです。

 

 ただ、その船はこっちに向かってくるのが分かったので、慌てて避けようとしましたが、けっこうな速度出しているらしく、ドンドン近づいてきました。

 

 ほいで気付いたんじゃ。

 近づいて来よったのが海軍の戦艦だってことに。

 じゃから私はうれしくなって、「親父、海軍の船じゃ、戦艦じゃ」とそれはもうエライ騒ぎようじゃったと親父は言ってました。

 

 けど一緒にいた親父は、昔からよくこういう事はあるらしく冷静で、

「あらぁ、オリンピックで映っとった「大和」ちゅうやつじゃ。

 よう見とけ、喫水が深くなっとるじゃろ、油と弾をようけ積んどる証拠じゃ。

 今から戦にいくんじゃ。あれこそ、男の船じゃ」

 と私に教えるようにつぶやくと、突然防水袋の中をごそごそとかき回して、どこにしまっとったのか日の丸を取り出したんです。

 


 不思議なもので、それまでこっちにまっすぐ進んでいたと思った戦艦は、いつの間にかちぃと横にそれた進路を進んでました。

 小舟すら捉えられる電探なんてガキの頭には分からんじゃったから、親父の行動よりもそっちの方が不思議じゃったね。

 

 で、親父は人の顔が分かるぐらいまで戦艦が近づいて来ると突然日の丸を大きく振りだして、大声で呼びかけ始めたんです。

 

 「おーい! 頑張れよーっ!」とか「大日本帝国万歳!」てね。

 

 私もそれに釣られて、叫んだり手を振ったりしていました。

 

 ちーとしたら、甲板に居た白い服を着た水兵の何人かが気付いて、最後にはかなりの人だかりになってこっちに手や帽子を振り返してくれたり、士官らしい人の中には敬礼してくれた人もいました。

 

 うれしかったじゃね。

 海軍さんと言えば、あの頃のガキの憧れじゃったし、白い士官服着た将校さんともなると正義の味方って雰囲気が強かったじゃろからね。

 

 でもまあ、船の全体が把握できるようになると二人して唖然としました。

 てっきり大和だと思っていたら、船の後ろ半分が空母になっていたんじゃろから。

 

 二人して「何じゃぁ、アレは」とつぶやいて、顔を見合わせとったもんです。

 

 あの時は、まだ「備前」は海軍の秘密兵器で、一般には公開されていませんでしたからね。

 

 もっとも10年程あとに、私がそれに乗る事になるなんて、その時は思いもしませんでしたよ。

 

 ・

 ・

 ・


 戦後の兵器研究者の多くは語る。

 

 神重徳の大バクチ、連合艦隊の殴り込み、極北の大地を巡る攻防。

 人によって作戦に対する言い方は様々だったが、一つ共通していた事は、日本軍による新兵器の見本市会場だったと語った事だ。

 


 1954年5月1日~2日にかけての夜半、日米の戦力差の逆転から無力化されたアリューシャン列島基地群に代わり、事実上の日本軍との最前線となっていたアラスカ・アンカレジ基地群は、突然の空襲警報のあと、通常のTNT火薬とは異なる爆発に包まれた。

 

 とは言っても、核兵器が炸裂したわけではない。

 

 史上初めて「FAE(Fuel-air explosive 燃料気化爆弾)」が使用されたのだ。

 

 「FAE」を簡単に説明すると、液体状態で爆弾につめられている燃料を着弾寸前に空気中に放出、空気と攪拌させ最適な混合率になった時点で点火、大爆発を伴う急激な燃焼をおこさせる、いわば大規模なガス爆発を人為的に起こすタイプの特殊な爆弾で、通常のTNT炸薬を使った爆弾よりも数倍の爆発力があり、核兵器の次に威力があるとされている。

 ただし、液体を使用するため保存などに適して無く、また衝撃に強いとも言い難い。

 

 しかし、これによる破壊は通常の火薬とは違う破壊を振りまき、地上は火炎地獄になり、たとえ建物や塹壕に隠れていても全ての酸素を燃焼し尽くし酸素欠乏により窒息死、もしくは急激な気圧の変化により内臓破裂を引き起こし死亡に至るという、欠点を補ってあまりある破壊力を持っていた。

 


 同爆弾の開発の経緯は、第二次世界大戦まで遡る。

 

 同戦争終了時に日本軍は、ドイツ海軍より過酸化水素水を利用する画期的な潜水艦用推進システムを手に入れ、自らもこの兵器体系をモノにしようと努力したが、結局何度かの多数の死傷者を出した爆発事故の後開発は中止されたが、今度はその爆発威力そのものに興味が傾き、かつて酸素魚雷を開発した時のような熱意と努力により、新種の爆弾として結実したのが、この時日本軍が使用した兵器と言う事になる。

 

 もっとも、この時使用された「FAE」は、これより後に開発された後継者にあたる爆弾に比べれば威力の低い液体を使用しており、破壊力も小さなものだったが、250kgから800kg程度の海軍の一般的な爆弾、もしくはクラスター状の散布爆弾として大量に使用された事から大きな効果を及ぼし、点でなく面に対して使えるため、基地の表面施設の破壊には絶大な効果を発揮した。

 日本海軍は、艦載機による効果的な絨毯爆撃を行うためにこの爆弾を開発したのだ。

 

 そしてアラスカに襲来した空母部隊以外にも、これと似た原理の爆弾を使用した部隊があった。

 


 現地に襲来した日本海軍機動部隊による強襲と、両軍による制空権獲得競争がなされているとき、択捉基地から長駆「轟山」の編隊が飛来。

 

 この時飛来した1個大隊の「轟山」も、艦載機が使用した「FAE」と同様の原理の爆弾を搭載したが、その大きさが尋常ではなく、英国がかつて使用したダム・バスターほどもある大きさの巨大爆弾をそれぞれ2~4発抱えての飛来で、電波妨害に苦しみながら艦載機に忙殺され、ほとんど阻止攻撃できなかった米軍の頭上を悠然と通過しつつ、アンカレジ上空各所に侵入した怪鳥たちは、5トン型と8トン型の巨大なドラム缶のような超大型爆弾をアンカレジ各地の目標地点に投下する。

 

 この時破壊されたのは、防衛用の地雷原、機雷原だと日本軍が予測した地域と、平野部のタイガが殆どだったが、36機による100発近い投下が結果として殆ど全域に爆風を押し寄せさせた事と、限定的ながら爆発によるEMPパルスが発生した事から現地米軍の電子機器に障害をもたらし、米軍のその後の迎撃を混乱させる副産物ももたらしていた。

 

 もっとも、この時投下された大量の「FAE」を、米軍は小型の核兵器を大量使用したと誤認しており、後々まで問題を残す事にもなる。

 

 なお、以下が当時アラスカにあった両軍の戦力の概要だ。

 


■日本軍アラスカ作戦部隊序列


 第五艦隊(艦載機数:50)

BB:<備前>

BB:<高千穂><穂高>


 第三機動艦隊(艦載機数:約500)

CVB:<大鷹><雲鷹>

CVB:<飛鷹><隼鷹>

AC:<剣><黒姫>


 第二両用戦部隊(艦載機数:約250)

通信指揮艦:<むつ>

CVE:4隻

LPH:<本部><根室><由良><能登>

LST・LPD他:多数


兵力:総数5万3000人

海軍陸戦師団:1、空挺師団:1、

空中騎兵師団:1、(重)機甲旅団:1、他多数


戦略爆撃兵団:「轟山」:150、「富嶽改」:70

輸送機:

「富士」(富嶽の改修型・積載量40トン):80

その他長距離型輸送機:80、大型グライダー:約120



■アメリカ側アラスカ駐留部隊


 ダッチハーバー駐留艦隊

BB:<インディアナ><モンタナ><サラトガ>

CVL:2隻


 護衛艦隊所属

CVE:1隻


 在アンカレジ空軍戦力:約550機

 戦略爆撃兵団:約250機


兵力:総数8万5000人(付近駐留含む)

機甲師団:1、歩兵師団:3、沿岸重砲兵師団:1



 上記の編成を見て分かると思うが、米軍はともかく日本軍の編成の異常さが際だっている。

 

 艦艇の大半がほとんど新造艦と呼んでよい艦艇ばかりで構成されている点は、奇襲用の兵力を揃えるにあたり米軍の目を欺くためとある程度納得はできるが、アンカレジ攻略に使われた兵力が空中機動を旨とする兵力が多くを占めており、最初の奇襲(+強襲)攻撃の手段も異常だった事がその仕上げをしていた。

 

 これは、日本軍がアラスカという最前線にある最重要拠点をどれほど重視していたかの証とも言えるが、どちらかと言えば日本政府がこの場所に米軍の主要軍事拠点が存在する事を、どれほど恐れていたかの裏返しと見る方が自然だろう。

 

 では、新兵器ばかりなので、海軍から順に見ておこう。

 

 「備前」については、先に触れているので多くを語る必要はないだろうが、目立つ侵攻作戦に就役間もない新鋭艦を参加させる事に、日本軍中央が何らかの意義を見いだしていたのではと思われる。

 だが、その後の活躍からこの思いつき的な配置は、以後ある種の伝説すら帯びて語られるとは、誰も思っていなかっただろう。

 

 これ以外で注目すべきは、何と言っても就役したばかりの新鋭大型空母の「大鷹級」攻撃空母が4隻同時に参加している事で、全長330メートル、満載8万トンの巨体にサイド・エレベーター、アングルド・デッキ、スチーム・カタパルト、新型管制システムを搭載するという、その後半世紀近く技術進歩による改修だけで使われている技術の全てが凝縮された存在で、間違いなく日本のシーパワーの一つの完成点と言ってよく、「紫電改」、「震電」、「蒼山」など新鋭ジェット機を大量かつ効率的に運用する事で、強固であるはずのアラスカの防空網を一気に突き破った功績は高く評価してよいだろう。

 

 そして、この新鋭艦と新鋭機の組み合わせがあったからこそ、あとはレシプロ型の戦闘爆撃機だけを運用する旧式母艦をいくらかこの作戦に参加させれば制空権、航空支援は問題なかったとも言えるだろう。

 

 また、「本部級」強襲揚陸艦も今後同種の姉妹の先鞭を取る存在だけに注目したい。

 基準排水量で3万トンという往年の大型空母のような巨体に、完全武装の1個大隊の兵員とその装備を収納し、舟艇用のドック型格納庫と回転翼機を中心に運用を前提とした航空機格納庫を有した特殊な艦艇で、軍艦というよりは特殊貨物船という向きの強いものだ。

 当然、大量の新型回転翼機を搭載していた。

 


 だが、「備前」と並んで最も変わっていた船は通信指揮艦の「むつ」で、同船はもともと民間(三菱造船)の大型砕氷貨客船として計画された実験艦だが、その最大の特徴は往年の空母並の船体(満載3万トン)に試作型の大出力原子力タービンを多数搭載(3.5万馬力×4)している点にあった。

 また、砕氷船、原子力船として異常なまでの丈夫さは、昨今の巡洋艦以上に強固なものだった。

 もちろん、北極海を驀進すべく施された船としての自己完結性は軍艦以上だった。

 

 これに目を付けた海軍がまずは海上保安隊用の大型砕氷巡視船として建造中に買い入れ、能力を再確認した後に原子力タービンに付属する形で大出力の発電装置を増設、その電力により稼働する試作型フェーズド・アレイ方式電探を始めとする多数の電探、無線装置、各種電波兵器、高速電算機、試作型衛星通信装置などを搭載して、複合的な電子作戦用の通信指揮艦として就役させたものだ。

 

 戦闘艦としての最大の武器は、高度な索敵能力と広域管制能力、そして極めて強力な電子戦能力にあり、集められた全ての情報を高い演算速度を持つ電算機で算定し、そこで得られた情報に従い、原子力タービンが生み出す大都市を賄える発電所並の発電力から放たれる各種電波妨害は、付近地域一帯を電波制圧するには十分なもので、その制圧能力は当時としては破格の最大半径300kmにも達し、この時も前衛艦隊と共にアンカレジに接近して、その威力を遺憾なく発揮している。

 あまりの電波の強さのため、普段は船外に人が出る事が禁じられた程だから、その程度が分かるだろう。

 

 そして米軍の電子警戒態勢、無線通信網と航空管制を初戦の段階で崩壊させたのは、彼女あったればこそと言え、米軍からもアラスカ防衛計画を崩壊させるのに最も貢献したのが同艦だと言わしめ、極めて高価な艦艇ながら、後に日本海軍に同種の艦艇の整備を継続させることに繋がっている。

 

 だから、通信指揮艦というよりは、電子制圧艦とでも呼ぶ方が相応しいかもしれない。

 

 ただし、あまりにも実験的な試作品が多かった事から、本艦では試作品特有の工作レベルの高さと、日本トップクラスの高い技師、操作員により運用可能だったが、同レベルの運用を可能とする汎用型の同型艦の建造には20年近い年月を必要としており、特に理化学研究所の新しい玩具として作られていたものを転用した電算機の制御は通常では運用不可能とされ、初期型の半導体すら用いたとされる多数の高速電算機(宝石よりも貴重、金属シリコンの塊という二つの意味を込めて、「玉型高速電算機」と呼ばれる)による並列演算により、当時としては破格の処理能力を誇っていたが、この電算機の運用の為だけに数学的天才を必要とする事から、理化学研究所が世界中から探し出した数名の天才(未成年者、女性すら含まれていたと言われる)により制御されていた点も注目すべきかもしれない。

 つまり「むつ」は、科学的な物狂い達が玩具として作り上げた異常なシステムという事であり、それすら兵器として有効活用した日本の態度がこの点に集約されていると言え、こんな未来兵器と電子戦をしなければならなかった、当地の米軍将兵こそ哀れと表現すべきだろう。

 

 ちなみに、第二次大戦後の三菱の技術船・試験船には、カタカナで花の名前を付けるようになっており、この艦は実験艦としては破格の規模だったため、日本の代表的な花である「サクラ」もしくは「ナデシコ」が命名される予定だったと言われている。

 


 一方、突然の強襲を受けた米軍だが、彼らは第二次世界大戦型としては完成の域に達していた巨大要塞に、基地要員全てを含めると15万人近い数、アンカレジ全域の市民の数より多い軍人・軍属の数をもって守備にあたっていた。

 

 アンカレジ要塞群そのもは、気候さえ考えなければ北の大地の入り江の奥という地の利を利用した非常に防衛に適した場所に存在し、大量の航空機と防空兵器、沿岸砲台で守られた、古い言葉を用いるなら鉄壁、もしくは難攻不落と呼びうる規模と設備を誇っていた。

 

 核兵器でなければ破壊不可能と米軍が豪語していたのも、あながち嘘とは言い切れないと世界中の軍事関係者も分析していた程だった。

 

 そして、現地米軍そのものも、基地の防衛機能に慢心する事なく最前線の基地での任務に就いていたわけだが、戦闘当初から全く予想外の展開を味わう事になる。

 

 米軍にしてみれば、突然の電波妨害の後に霧の中から日本の大艦隊と大編隊が現れ、未知の兵器で攻撃したようなもので、これを感覚的に記すなら往年の火星人襲来放送を物理的に受けたようなものだった。

 


 先の兵器の紹介である程度察しが付くと思うが、難攻不落の城塞を相手に、日本軍は四半世紀は先を行くとされた理論と技術を用いた兵器群による攻略を行う事で、アンカレジを第二のセバストポリにする事を避けようとした。

 

 そして、大量に投入された「FAE」と電波制圧を実質的な基地群攻略の攻城槌とし、新鋭ジェット戦闘機群により確保された圧倒的制空権の下を、新時代の装備を持った兵士達が城門を越えていく事になる。

 

 もっとも最初にアラスカの大地に足跡を記していたのは、半月以上も前から隠密裏に現地に入り活発な破壊活動を展開していた「イエロー・デビル」こと陸海の各種特務部隊で、初期は偵察のためにごくわずかに、作戦開始直前には約1個特殊戦連隊規模で投入された彼ら戦闘のエキスパート達は、アンカレジ基地群の内外で破壊活動、陽動活動、偵察活動に従事し、自軍が本格上陸を開始するゼロ・アワーを待ちかまえた。

 

 そして、日本軍の最精鋭の兵士達が待ちかまえる兵団が、海からではなく遠く日本本土から飛来する。

 

 本格上陸の第一陣は、遠く、3000kmも離れたカムチャッカ半島の北衛市から飛来した、習志野の陸軍第一空挺師団のほぼ全力で、彼らは日本軍により占領されたばかりのアリューシャン列島西部のキスカ島の基地から、燃料補給機を使い無理矢理同伴してきた「紫電改」を露払いとした1個飛行連隊の「轟山」が行う、新型焼夷弾であるナパーム弾による陽動を兼ねた基地施設に対する絨毯爆撃の業火の照り返しを受けながら各地に降下する。

 

 ちなみに彼らは、退役した富嶽から爆撃に関するものと防御火器の過半を取り除き、挙げ句にエンジンを整備性の高いものにデチューンし装甲の多くを減らした末に積載量40トン(もしくは兵員300名)を達成した輸送機型の「富士」など合計150機の長距離輸送機と、同じく長距離輸送機に改修された「連山改」に曳航された各種大型グライダー約120機に分乗、ほぼ師団の全力でもって飛来し、合計で数千トンの物資、戦闘戦車や重砲すら持った状態でアンカレジ上空に至り、米軍が予期していなかった、「FAE」によって作り上げられた元タイガだった大地か、同じく「FAE」により地上施設が壊滅していた飛行場群に降り立った。

 なおこれは、空挺作戦としては史上最長の大規模空挺降下作戦となった。

 

 そして、空挺作戦とほぼ同時に海からの強襲上陸作戦も開始され、一気に展開した多数の揚陸用舟艇が水陸両用装甲車両を先頭にして、FAEの荒っぽい掃海により安全となった海を通って正面からの攻撃を開始し、また回転翼機を用いた空中機動による予期せぬ場所への奇襲攻撃で相手を翻弄した。

 

 なお、この時日本軍は三種類の回転翼機を投入しており、主力は4隻の強襲揚陸艦にだけ搭載された兵員20名もしくは3トンの貨物を運べる双発の輸送機型で、他に小型の偵察、連絡用の機体と、対地戦闘用に新たに開発された襲撃機型の回転翼機を使用していた。

 

 この中で特に変わっていたのは最後の襲撃機型で、小銃弾用の最低限の装甲が施された機体に重機関銃や小型の対地ロケットを装備したもので、危険地域での地上観測や強行偵察任務を兼ねて半ば実験的に1個中隊が投入されただけだったが、固定翼型の襲撃機や戦闘爆撃機にはできない働きを示し、以後日本陸軍の重要な兵器体系に組み込まれ、後に世界中に広がっていく事になる戦闘ヘリの先祖的存在だ。

 

 なお、空中騎兵師団というのは、回転翼機による空中機動を前提とした空挺師団の事で、この当時はまだ空挺師団と呼ばれていたものだが、回転翼機の果たした役割から後の改称をここでは使用している。

 


 そして、日本軍の主力上陸部隊を迎えた後、戦闘のクライマックスが北の大地で幕を空ける。

 

■Phase 5-2 決闘 ▼



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