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八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus  作者: 扶桑かつみ
Return Match 〜第二次太平洋戦争〜
75/145

Phase 2-4 戦力見積

 日本海軍で大規模な人事異動が行われ、攻撃的な人選が行われていたが、これは日本軍全体の質的な変化も同時に伝えている。

 

 なぜなら、全軍の指揮権や作戦は統合参謀本部、彼らが「TOHONN」と呼ぶ組織に委ねられており、陸海軍の実戦部隊はたとえそれが元帥や最高位の司令長官であろうとも、単なる現場指揮官の一人に過ぎず、だからこそ勇敢さや積極果敢さが重視されたと判断できるからだ。

 

 では、ここではその前線戦力の構成と個々の注目すべき幾つかの兵器について見ておこう。

 


 まずは、両国の正面軍事力の単純化した数字を見てもらおう。

 


◆軍備(1952年夏現在)


●海軍


・日:

BB:12(予備役5) BC:4

CVB:5(建造中4~6) CV:4(予備役3)

CVL:6 CVE:8(予備役54)

作戦機:1,500機(艦載機のみ・他:交代機500機)

(同盟国海軍として期待できる太平洋方面の兵力は、英連邦軍のみ)


・米:

BB:14(予備役5) BC:4

CVB:3(建造中4) CV:4(予備役2)

CVL:12

作戦機:1,200機(艦載機のみ・他300機の予備隊あり)


●空軍(予備部隊含む)


・日:5個戦術航空艦隊・1個戦略航空艦隊

作戦機:4,500機(うち戦略爆撃機:700機)

(別に満州国軍などから2個航空艦隊が存在)

(別に満州など近在同盟国には、各国軍合計約1,500機が存在)


・米:4個戦術航空艦隊・1個戦略航空艦隊

作戦機:3,800機(うち戦略爆撃機:550機)



●陸軍


・日:(常備70万人 即応予備役50万人)

機甲師団:4 機械化歩兵師団:4 歩兵師団:8

空挺師団:2 海兵師団:2 砲兵旅団:5

(歩兵師団の半数は未動員師団)

(別に満州など近在同盟国には、各国軍合計20個師団相当以上が存在)


・米:(常備40万人 即応予備役110万人)

機甲師団:2 機械化歩兵師団:4 歩兵師団:9

空挺師団:1 海兵師団:2 砲兵旅団:3

(歩兵師団の半数は州兵部隊で海外展開は短期間には不可能・即応予備の大半は州兵部隊用)



 一見この日米戦力比較は、両者の国力を考えると日本軍の方が多く見えるが、近代日本は建国以来10年から15年の周期で戦争を経験する、英国以外の世界レベルで見るとかなり特異な国で、しかも8年前に史上最大規模の戦争を経験しており、以後もその影響で海外に陸海空併せて30万人もの兵力を展開している事を思えばむしろ少ないぐらいである。

 

 一方のアメリカは、まともな近代戦争は米西戦争と第一次太平洋戦争ぐらいで、どちらも総力戦とは程遠く、この時期の軍備の過半は、第二次世界大戦で世界列強が巨大な軍備を建設するのに対し怯えるように揃えられたもので、さらに日本(もしくは英国)に対する強迫観念が継続した結果、肥大化したものである。

 つまりは日本軍は常に実戦を考えた軍事集団であり、アメリカ軍は単に肥大化した平時兵力の延長でしかないと言う事だ。

 

 そしてこの数量を見る限り、陸海空全てにおいて日本軍が有利に見えるが、しかも米軍は日本の同盟国たる英国などに対抗するため、陸空軍の最低30%は国境近辺から動かす事ができず、実質的に使える戦力は半分程度になる。

 もっともこの点は、満州やポーランドに軍団規模の駐留軍を置いている日本軍も同様で、海軍以外の半数はアメリカに向ける事はできない。

 

 つまり、日米が自由に使える戦力は、先ほども少し書いた通り、海軍が75%、空軍が半分、陸軍が30%程度になり、両者とも片手を縛られたまま限定的短期全面戦争を戦わねばならなかった。

 

 ただし、大規模な地上戦が太平洋で行える場所は相手本国以外ほとんどなく、ハワイ諸島以外ではアメリカがゴールと想定する沖縄本島か台湾島を除けば、小さな島に大量の陸兵がひしめき合うという以外では、大軍が対陣するという想定は考えられなかった。

 

 だから、米日ともせいぜい1個軍(6~9個師団)程度の陸軍部隊があれば十分と考えており、空軍戦力も防空用の部隊を除けば、戦略空軍以外は役に立たないと考えていた、言い換えれば海軍こそが太平洋での戦争の主役であり、彼らさえ十分に動員できれば良いと思われていたのだ。

 

 つまりは海軍の戦争、これが二度目の太平洋戦争での結論であり、結局のところここに帰りついてしまう。

 

 そこで次は、海軍の個々の兵器を中心に見たいと思う。

 


 さて双方の海軍戦力だが、今までも述べている通り正面戦力でも予備役兵力を加えてでも日本軍が優勢で、特に開戦から3~6カ月程度で第二次世界大戦末期に揃えたまま保持されている予備役艦艇・航空機が全て動員されてしまえば数量的に日本が圧倒的に優位になり、少なくともシーレーンの破壊で米軍が優位に立つ事はあり得ず、この事がアメリカ海軍を決戦主義に傾かせたとも言える。

 

 確かに米海軍は、1935年以後常に平時状態にありながらも豊富な予算と装備を与えられていたが、近代国家として総力戦を行っておらず、それを8年前に行っていた日本海軍との護衛艦艇、潜水艦など製造の簡単な艦艇での数量差は、アメリカの製造力が発揮される開戦約1年後までは計数的な差が開く事になる。

 

 しかも日本海軍は、ナチスドイツのUボートと呼ばれた高性能な潜水艦に散々痛めつけられた為、世界最高と言って良い海上護衛体制と組織、装備を持っており、新たなる敵のソヴィエト海軍も様々なファクターにより潜水艦重視だったため、さらに磨きをかけているという状態だった。

 

 しかもこれは日本側の格段の技術進歩により、潜水艦制圧という目的のもと、潜水艦戦力にまで海上護衛や制海権確保の任務が割り当てられるようになり、対潜のみならず潜水艦分野でもアメリカと日本の技術格差が最も開いている分野になっていた。

 

 なお、ここで日本の特筆すべき点は、第二次世界大戦中に建造され予備役もしくはモスボール状態の膨大な数の護衛空母、護衛駆逐艦、海防艦と呼ばれ戦後同盟国中に供与された簡易対潜専門艦艇や対潜哨戒機の存在ではなく、新たな力を与えられた潜水艦たちだった。

 

 これは日本が原爆を開発した翌年、1949年初夏に世界初の原子力潜水艦、彼らの言うところの巡洋潜水艦の開発・建造に成功したことに象徴されている。

 

 しかも、日本の潜水艦技術は、世界最高の技術レベルを持っていたドイツの技術を全て吸収することで次元の違うと表現して良い革新を遂げており、米海軍側では何隻存在するかハッキリと掴んでいない巡洋潜水艦(原子力潜水艦)と、主力となっている新型高速潜水艦に強い脅威を覚えていた。

 何しろ、これら鋼鉄の鯱たちはトランジスタを用いた部品を使う新型の誘導魚雷、音波探知機などの力により水中での三次元機動戦すら可能となっており、自助努力と日英からの技術奪取でどうにか世界レベルを維持しているに過ぎないアメリカ側の潜水艦とは、質が全く違う先進的な戦力となっていたからだ。

 

 また、米海軍の対潜水艦戦力も十分なものとは言えず、日英の戦い方を見ながらある程度揃えられた戦力も決して十分なものとは言えなかった。

 

 なお、米海軍の対潜水艦戦の主力は、旧式の重爆撃機を改造した対潜哨戒機で、この点は日本と並んでいたが、日本ほど高度なMAD(磁気探知装置)やレーダー、ソナーを有していない点からも、その戦力価値には開戦前から疑問符が付けられていた。

 

 そしてこれら米軍側が不利なのは、全てなりふり構わない戦争を体験しているか否かという事に帰結していた。

 


 だが、米海軍内の一般的な認識での最大の脅威は、日本海軍の誇る護衛艦隊と潜水艦隊ではなく、空母機動部隊といまだ八八艦隊のベテランを揃えている水上打撃部隊だった。

 

 確かに、米海軍は日本艦隊との決戦、第一次太平洋戦争の復讐戦を強く指向していたから、感情面では理解できなくもないが、どこか米軍の視点がおかしな方向に向かっていた象徴とも言えるだろう。

 

 なお、当時日本は大戦中に相次いで就役させた「大鳳級」大型空母、「鶴級」中型空母、そして就役したばかりの超大型空母「武蔵」を主力として、これに予備役・練習空母として数隻の母艦を保有し、新たに満載排水量7万トン以上の超大型空母もしくは大型戦艦が同時に4~6隻建造中で、1953年春の段階でそのほとんどが最終艤装工事に進んでいるとアメリカ側は見ていた。

 

 そして、これら全てが前線に出てくる開戦半年後、つまり双方の既定の作戦に従い決戦が行われる時には、最悪16~18隻もの正規空母、新たな時代の八八艦隊を米海軍は相手にしなければならず、なればこそ戦争初期の各個撃破が重要視されたと言える。

 

 対して劣勢に立つ米海軍は、日本の「大鳳級」大型空母に対抗して建造された「プレジデント級」大型空母を3隻、大戦中に日英の軍拡に併せて建造した「エセックス級」空母を4隻保有し、これに練習空母と予備役で各1隻の旧式母艦を運用しており、さらには日本の軍拡に対応した4隻の超大型空母の建造が進んでいた。

 

 しかも、対外的には公表されていなかったが、新造の超大型空母の全てが開戦までに海軍に引き渡されており、アメリカは「四姉妹」と呼ばれた新たな超大型空母を待ってこの時の開戦に及んでいた。

 当然予備役も全て開戦までには復帰しているので、米海軍は合計13隻の正規空母と12隻の高速軽空母を実働状態に置いており、正規空母のうち11隻を太平洋に配備し、日本海軍に一斉に殴りかかったと言う事になる。

 

 そして、それだけの数を投入しなければ、米海軍は日本海軍に対して劣勢だと自らを判断していた。

 搭載機の性能差が、米海軍を恐怖に追いやっていたのだ。

 


 第二次世界大戦末期に日本海軍はジェット機を実戦投入しており、これはドイツから奪取した先端技術と英国からの供与技術で著しい進歩を遂げ、戦後相次いでジェット機タイプの軍用機を開発し、実用的な対潜ヘリも常備させ、さらには双発レシプロの早期警戒機すら空母上に持ち込んでいた。

 

 つまり、20世紀後半の空母の主戦力の全てを、日本海軍は1951年の時点で揃えていたという事になる。

 このスピードは英国のそれを上回っており、当然米海軍の追随を許すところではなかった。

 

 もちろん米海軍も努力はしていた。

 

 日英機のコピーと言われた「F-9F-2」の名を与えられたジェット機は導入していたし、レシプロ最良とされる「F-4U」の改良型は戦闘爆撃機としては高度なレベルに達し、レシプロ最強と言われる「A-1H」攻撃機に至っては搭載量が3トン近くあり、攻撃力で他国を大きく引き離していた。

 

 このおかげで同じ超大型空母の総合戦闘力差は、攻撃力では米軍が上回っていたが、やはり戦闘機戦力では劣勢は覆せず、1:2以上というもはや考えたくないレベルにまで引き離されていた。

 

 だが、これは日本の戦闘機開発スピードが異常なだけで、この当時後退翼を持ったジェット戦闘機を生産・量産配備しているのが日本と、それをライセンス生産をしている英国だけで、これに輸入しているドイツ、満州など幾つかの日本の同盟国が有するだけで、彼らの天敵とされたソ連などいまだレシプロ機しか有しておらず、ここにドイツの技術を奪った日本の優位を見て取る事ができる。

 


 話が少し逸れたが、日米の母艦戦力差は米海軍をして空母を万能兵器でなく攻撃兵器として注目させ、これが開戦壁頭の空母艦載機による奇襲攻撃へと誘ったと言って過言ではないだろう。

 

 そして、米海軍の空母を攻撃力として認識させたもう一つの要因が、依然世界一の座を誇る日本の戦艦部隊だった。

 

 この頃日本海軍は、『18インチクラブ』と呼ばれる戦艦部隊を依然として表看板としていた。

 

 世界で唯一20インチ砲を搭載したモンスター戦艦「大和」を中心に、18インチ砲搭載戦艦8隻という他国が裸足で逃げ出すような彼女たちがその力の根元だった。

 しかも、アメリカの「ヴァーモント級」に対抗する形で、戦後キャンセルになった「大和級」の資材を流用した大型戦艦が建造されつつあるという情報が、「ヴァーモント級」の建造が始まった1947年頃からまことしやかに語られていた。

 

 もっとも、日本軍にとって戦艦を表看板とするのはあくまで「表向き」であり、実際はカーニバルの時の山車程度、もしくは念のための保険程度にしか日本海軍首脳部は見ていなかった、と第二次太平洋戦争中の用兵から現在では判断されている。

 

 対する米海軍は16インチ砲搭載の「ノースカロライナ級」4隻、「アイオワ級」4隻、「オハイオ級」2隻を有し、18インチ砲搭載の「ロードアイランド級」2隻と、「ヴァーモント級」2隻の新鋭戦艦ばかり合計14隻で主要な戦艦戦力を構成していたが、このうち軍縮条約に縛られず建造された「オハイオ級」以上の6隻だけが日本の『18インチクラブ』に対抗出来ると考えられていたが、英国も依然として有力な戦艦戦力を有している事からこれら全てを太平洋に差し向ける事も出来ず、米海軍自らをして戦艦同士による殴り合いは不利と判断させていた。

 

 そして、今までの戦力分析から言える事は、米空母の攻撃力のみが日本海軍に優越しており、これが米海軍の開戦当初の戦闘方法に強く影響したのだろうと言う事になる。

 

 もっとも日本海軍も、米艦載機の突破を許した場合の攻撃力の高さは十分認識しており、各母艦は戦闘機の搭載率を増やし、各艦艇は防空火器の更新を続け、新造艦艇の導入を積極的に行う事で対応しようとしていた。

 これが、日本戦艦の異常なまでの対空防御を指向させ、新世代の防空艦艇の就役を促したと言える。

 

 つまりは日本海軍も、鏡を見て自らの身だしなみを整える事に余念がなかったと言うワケだ。

 しかも日本軍は、約10年前ドイツ空軍機に散々痛い目に遭っている事から、米海軍よりも兵器の開発には熱心だったと言えよう。

 

 そして結論だが、アメリカ海軍は初期の奇襲に失敗したら、後は自らの損害を顧みない攻撃を行うぐらいの事をしなければ防戦一方に追いやられ、海が主舞台となる日本との戦いはまともな計算式の上では成立しない、という事になる。

 


 しかも、海軍以外の陸上や航空機材も、米軍優位とは言い難かった。

 

 何しろ日本軍は、第二次世界大戦で豊富な実戦経験を持っており、大戦中に世界中の技術を何らかの形で自国に導入し、ドイツの技術に至っては丸々全部持ち去っており、一人北米大陸に閉じこもっていたアメリカとの先端技術差が格段に開いていたからだ。

 

 海軍でも触れた後退翼を持ったジェット戦闘機、1952年に実戦配備が開始されたばかりの世界の全てをその翼下におさめる全翼式の不気味なジェット超重爆撃機、それらが搭載する各種のロケット式誘導兵器、5インチ砲と強固な鋳造式砲塔を持った第一世代主力戦車、それら日英独ソの技術が結合した新世代の兵器たちは、全てが米軍の同種のものより最低5年は進んでいるとされ、酷いものは10年以上の開きがあると言われていた。

 

 もちろん、アメリカも様々な努力はしていた。

 

 ただしその内容は自主開発ばかりではなく、日英からの非合法な技術奪取による同種の兵器の開発、ソ連との秘密裏の技術交換による陸戦兵器の開発なども含まれていた。

 そうしなければ、日本との兵器開発競争に全く遅れてしまうからだ。

 

 何しろ日本人達は第二次世界大戦前後ですら、英国から同盟関係ということで先端電波技術などを丸ごと手に入れ、ソ連とも彼らが当面使い道のない艦艇建造技術と引き替えに大陸の優れた陸戦兵器開発技術を受け取り、大戦後はドイツの広範な分野での技術、イタリアの優れた砲開発技術、チェコの持つ工業国としての得難い経験など、欧州の全ての技術を英国と共に一手に握り、それを土台として戦後数年間でまるで次元の違う技術を彼ら得意の技術応用で作り上げ、東京オリンピック以後は世界一の先端技術大国としても急速にのし上がっていた。

 

 その最も顕著な例が、世界の兵器シェアで知る事ができる。

 

 お目出度い有色人種たちは、同じ有色人種の作った兵器だからと喜んで購入していたが、彼らが受け取る旧式兵器の払い下げはともかく、それ以外のモンキーモデルとステイツで呼んだ日本が放出する新型兵器の低性能型ですら、ステイツのそれに匹敵する技術レベル程度で作られており、その最新型を装備するであろう日本軍が如何なるものであるかと考えると、ブルードレスを着る男達の頭をかすめるのは、今の日本と戦争する事はサタン率いる800万の悪魔の大軍団めがけて自殺志願に行くに等しいのではと考えさせた事だと言われている。

 


 この米軍の根底に流れる日本軍に対する恐怖が、開戦当初の攻撃を誘発し、戦端はアメリカ標準時の1953年5月26日に勃発する。

 

 第二次太平洋戦争の始まりだった。

 

 そしてそれは、新たな時代の戦争を世界の人々に印象づける戦いとなる。

 


■Turn 3:可能行動

 Phase 3-1 奇襲 ▼


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