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八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus  作者: 扶桑かつみ
Red Storm_亜欧州大戦
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Phase 15:1944年12月 クリスマス攻勢

 戦争はついに4回目のクリスマスを迎え、双方で同様の神に対する祈りが捧げられる中、1945年へと突入しようとしていた。

 

 第一次世界大戦と同様、誰もが予想もしなかった長期戦だった。

 

 特に前線に張り付いている両軍将兵にとっては、悪夢でしかなかった。

 自らの足下に数百万の将兵が眠っている事を考えると、そこが地獄とどう違うのか問いただしたくなる場所で、なおその状況を拡大しているのだから、悪夢は悪夢でも醒めない悪夢だった。

 

 だが、まだどの国の為政者も積極姿勢を崩していなかった。

 それは、総力戦3年目というのは戦時生産が最も活発になる時期で、当然税収も上がり、失業者も減り、戦争という大規模公共投資によりいびつではあるが経済が活況していたからだ。

 特に国土が戦場となっていないソ連以外の全ての国にとって、後方にあたる自国の活況はそれまでの不況に比べればずっと好ましい状況に思えていた。

 

 もちろん、戦争当事各国財政は膨大な債務の前に疲弊しつつあったが、まだ誰もが自らの戦争を失ったとは考えていないだけに、ヤル気満々だった。

 

 各国の作戦方針にもこれを見る事ができる。

 

 特に活発だったのは、いまだ世界を維持しなければならないという義務感を抱いていた英国だった。

 

 そして、彼らの外交戦略がこの時の戦争、第二次世界大戦もしくは第一次解放戦争の最後を演出する事になる。

 


 だが、この冬最初にアクティブな行動を起こしたのは、ソ連だった。

 

 1944年12月25日の聖誕祭の日、冬将軍の押し寄せたまっただ中、雪の中から突然ソ連の大部隊が連合軍戦線に襲いかかったのだ。

 

 ソ連赤軍最後の賭けと言われる冬季大攻勢の開始だった。

 時期が時期だけに連合軍側の俗称は「クリスマス攻勢」と呼ぶ。

 

 ソ連赤軍が新たな戦場として選んだ場所は、冬将軍の威力がやや低くなるウクライナ地方、明確にはドネツ=ハリコフ間の連合軍最精鋭部隊が陣取るウクライナ東部だった。

 

 作戦の骨子は、ハリコフから一直線にドニエプル川最大の要衝ドニエプロペトロフスクを陥落させ、連合軍の戦線を崩壊させる事にあった。

 

 好ましく表現すれば、野心的と言って良いだろう。

 

 しかし当然だが、この作戦は無謀と思われた。

 何しろこの当時、ウクライナ地方には4個軍集団相当、4個軍編成のドイツ南方軍集団、英第21軍集団、英第12軍集団、イタリア東方第二軍、チェコ第一軍、ルーマニア第一軍合計350万人が陣取っており、装甲車両の数も最低でも5,000両に達するとソ連側ですら予測していたからだ。

 

 だが、この方面には連合軍の最精鋭部隊が陣取っている事などソ連側も百も承知で、それだけに異常な作戦を採っていた。

 もちろん、ソ連側が何も考えていなかったわけではない。

 

 密度は濃いが装備が貧弱なルーマニア第一軍30万人に対して、何と10倍の300万人の兵力が殴りかかったのがその回答の一つだった。

 そして、もはや物量差など考えられない兵力差で、当然ルーマニア軍は一瞬で瓦解、戦線にほころびが生じ、その勢いのままソ連赤軍最精鋭部隊は強引に前進していく事になる。

 まさに、人の奔流だった。

 

 しかもこの時、ウクライナ地方は冬将軍の到来により厚い雲に覆われ、強い吹雪にこそなかったが当分この天気が変わりそうにない事も、ソ連軍の進撃を約束していた。

 

 また、突破してきたソ連戦力がトハチェフスキー戦術を最も実践していたジェーコブ上級大将率いる「レッド・ガーズ」の中でも最精鋭部隊であり、122mmカノン砲を搭載した「KV-13Cドミニオン」を主力とした重戦車大隊が全ての抵抗を無視するかのように前進してきたとあっては、ありきたりな防戦しか想定していなかった、連合軍戦線が突破される事は当たり前と言えば当たり前でしかなかった。

 

 これらの事から、ソ連赤軍が可能な限り自らの特徴を活かした作戦を実施したのは間違いないだろう。

 

 たとえそれが無謀であったとしても、だ。

 


 ソ連軍の強引な進撃はその後1週間続き、総数にして500万人以上が参加したと思われる冬季攻勢は、場所によってはドニエプロペトロフスク市を遠くに望むところまで前進する事に成功する。

 それまでに数十万の屍を作り上げていたとしても、それは軍事的には一定の評価を与えてよい状況だった。

 そして、この強引な進撃があと数日続き、連合軍の戦線が突破されるような事があれば、ソ連赤軍の作戦は一定の成功をおさめただろう。

 

 だが戦争には相手があり、連合軍も必死だった、もしくはそれ程甘くはなかった。

 

 赤軍の先頭を突進していた「KV-13Cドミニオン」戦車大隊が、彼らにとっての終着駅で見たものがその全てを体言していた。

 

 遅ればせながら本格的反攻に転じた連合軍は、この当時戦線に投入されたばかりの最新鋭車両を先陣としていたのだ。

 

 ドイツの新たな守護神「VII号重戦車(ティーゲルII)」、ゲルマンの狩人「ヤクート・パンター」、英国の新たな重騎兵「センチュリオンMk-I」、アメリカ生まれの騎兵隊「M-26」がその代表になる。

 

 これら、ソ連製の重戦車を撃破する為に生まれた鋼鉄の獣たちは、彼らが異常な程の砲兵支援を受け、重対戦車砲を中核とした「モンティ・ホール」に捕まり身動き取れなくなったまさにその時反攻を開始し、その圧倒的な攻撃力と防御力により、ソ連赤軍精鋭部隊を彼らの威信と自信ごとうち砕いた。

 

 だが、この戦いはそれまでとは一つ違う点があった。

 それまで反共連合軍の兵器の多くを占めていた日本製兵器が、特に新兵器というレベルにおいて姿を見せなくなっていた点だ。

 

 だが、前線のソ連軍将兵の多くは、そんな事気にしている暇はなかった。

 

 彼らは目の前の敵と戦う事に必死で、ソ連赤軍に至っては、そうした戦場での変化を伝えるべき人々すら丸ごと壊滅する部隊が続出したのだから、まさに些細な問題でしかなかった。

 

 そして、ソ連軍の冬季攻勢は一定の成果を残して、1945年1月半ばに自然停止を迎える。

 

 ソ連軍は、襲来した時と同様、もとの戦線に自らの意志で帰っていったのが、この戦いでの終幕だった。

 

 そして、血みどろの消耗戦で絶対数においてソ連軍と同レベルで消耗した現地連合軍にこれを追撃する余力はなかった。

 


 この時の戦いで連合軍は、ハリコフ=ドネッツのラインを文字通り死守し、少なくとも赤軍兵士150万人を撃滅したと判断され、ウクライナを依然保持する事にも成功していたが、同方面に展開していた350万人の兵力の30パーセントにあたる兵力を軍事的意味において消耗した。

 

 そして、この結果こそがソ連赤軍が望んだ戦果の一つでもあった。

 

 そう、ソ連赤軍は自軍の人的物量の優位を確信し、連合軍にあえて双方の消耗しかもたらさない大規模な戦いをしかけ、彼らの夏の攻勢能力を奪う事を目的にこの時の作戦を開始したのだ。

 つまり、ドニエプル川奪回はこの時点では彼らは本当には望んでいなかったと言う事だった。

 

 同時にソ連軍の消耗も激しかった。

 精鋭部隊を中心にした150万人もの消耗は、彼らにとっても大きなダメージで、連合軍側もこの年の夏に彼らの側から積極的な攻勢はないだろうと考え、半年後に何をするか相談する程度のゆとりを持たせる事になる。

 


 だが、この時ソ連軍はもう一年の猶予を稼ぐ事を第一にこの時の強引な作戦を発起しのたであり、彼らのタイムスケジュールからなら、それで戦争を一変させる事が出来る筈だった。

 

 しかし、英国外交がこの時一枚上手をいっており、この時の戦争の最後の幕を開ける事になる。

 


Phase 16:1945年7月 参戦そして終幕 ▼


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