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Phase 0-6

●冷戦崩壊から湾岸事変まで


 ドイツ第三帝国、欧州帝国の経済的崩壊により、国家社会主義陣営と自由主義陣営の対立が終り世界に突如平和が訪れた。

 

 しかも、アフガンもイラン・イラクでの戦火もおさまり、一見人類の21世紀はバラ色の未来のように錯覚された。

 

 これは当然軍備など平時にあっては無駄遣いの最たるものとされる支出の締め付けにつながり、しかも、表面的には宇宙開発のような国家事業でないとされる軍備における日本国内の世論の態度は冷たく、帝国海軍も大きな路線変更を余儀なくされた。

  

 艦艇整備で見ると、1988年に建造が開始された原子力空母「葛城」の建造ペースが倍の長さに伸ばされ、新規計画に上がっていた新機軸の大型防空艦の計画が中止になったのが象徴的だろう。

 

 幸いにして、「葛城」はその重要性の高さと旧式空母の代換艦の必要性から建造はローペースのままながら続行され1995年に無事就役できたが、「第三次八八艦隊整備計画」に従い整備されつつあった大艦隊は、その規模を80%程度への縮小を強いられていた。

 特に建造の遅れていた補助艦艇の減少は旧式艦の減少によってさらに大きくなり、個々の艦艇の精鋭化によってある程度代替されていたが、(ドイツを主敵と考える)運用者側からするとかなり不満の残るものとなっていた。

 

 このため「大和級」など強力な大型水上艦が、いまだに延命処置をされつつ現役艦艇として活躍しているのだ。

 


 だが、だからと言って帝国海軍の任務が無くなる事はなかった。

 

 それまで通り近隣には共産中華は存続していたし、それまで大国の軍事力に抑圧され身動きできなかった勢力が蠢動し始めたからだ。

 

 もっとも、日本帝国のアジア共栄圏政策のおかげでアジア一帯は政治的には比較的安定しており、日本軍は共産中華に対する以外では、さらなる遠方での活動が主なものとなった。

 

 つまり、遠方での展開が容易な海軍の役割は、よりいっそう重要になることはあっても軽くなる事はあり得ないと言う事だった。

 ただし、それまでのようなドイツ帝国海軍を仮想的とした贅沢な外洋艦隊の必要性は薄れ、より沿岸での活動を主眼においたものと各地への緊急展開能力の向上が重要視されるようになっていた。

 

 このため、それまで静粛性に優れているからと何となく維持されていた通常型潜水艦や陸上戦力の緊急展開のための強襲揚陸艦など各種輸送艦船の整備に重点が置かれるようになっていた。

 また、コーストガードたる海軍の一組織である海上保安隊の重要性もアジア海域の危険度の高まりに伴い順位を上げられ、予算配分の変更がされている。

 

 それらを受けて「呂号」通常型潜水艦の建造がそれまでの2年に1隻から年1隻のペースに変更され、5万トン級の「大隅級」揚陸母艦(LPH)は初期計画どおり就役するどころかさらに大型艦の新規建造(「祥鳳級」・全長300m、満載排水量6万トン、エアクッション艇4隻、艦載機50機、兵員2000名収容)が決まり、「三浦級」ドック型揚陸艦(LPD)と旧式戦車揚陸艦の後継艦の新規建造(「大鷹級」・全長250m、満載排水量4万トン、エアクッション艇4隻、艦載機4機、兵員2000名収容)が決定していた。

 

 また、重要度の低下したSSBNは半減させ、半減させた分のうちそのさらに半数を時代に対応して巡行弾を満載した「水中戦艦」にして、来るべき時代に対応させようともしていた。

 


 そうした急転換を現場レベルで始めようとした頃、「湾岸事変」が発生する。

 

 この時帝国は、アジアへの戦乱波及阻止と自らのエネルギー安全保障のため大規模な派兵を決定し、それに従い帝国海軍も大兵力をペルシャ湾一帯に送り込み、4隻の空母を中心とした冷戦時代の凶悪な編成のままの海軍の55%を展開してみせた。

 

 そこで、ドイツの艦艇を沈め、欧州各国の戦車を効率的に破壊する事だけに特化して爪を磨き上げていた海鷲達は、派遣された多国籍軍の中で最も高い爆撃効率を見せつけ、ペルシャ湾奥地まで進撃した常軌を逸したような水上打撃艦の群れは、自由主義陣営を恐れさせ続けていた巡航弾「死天使の槍」を全てへし折ってしまった。

 

 そして帝国海軍と日本政府は気付いた。

 

 自分達の槍としての戦力が、如何に強大になっていたかを。

 

 そして、この槍を怠る事なく磨き上げておけば、今後半世紀マトモな戦争をする限りにおいて中小の国々を恐れる必要は全くないと言う事にも同時に気付いていた。

 

 しかも、唯一恐るべき相手になりうるアメリカ軍は、感情面はともかく現実面・実際面としてこの四半世紀間になくてはならない盟友となっていて当面その方向にも変更はなく、ドイツにおいても今後四半世紀で似たようになるだろうと予測され、この強大な軍備の精鋭化を続ける事で、比較的安上がりに帝国の安全保障が約束されるだろうとその後の政府機関による研究も結論付けていた。

 

 そして、帝国に最大の安全保障をもたらしているものの一つとされる弾道弾潜水艦群と空母機動部隊、緊急展開能力を有する海軍陸戦隊を有する帝国海軍の未来は約束されたようなものだった。

 


●第二次中華動乱


 湾岸事変以後、世界は先進諸国間での大規模な、世界を一瞬で破滅させる規模の戦争が発生する可能性は少なくなったが、それまで大国が押さえていた中小の国々の間での戦争の可能性は、それに反比例するように高くなっていた。

 

 特にアジア(共栄圏)で問題だったのは、共栄圏内で最も異質な存在であるイデオロギー対立をしている中華民国と共産中華の対立と、危険度はかなり低くなるがインド、パキスタン、イランの宗教問題を抱えた三つどもえのにらみ合いだった。

 

 このため、日本を含めたアジア諸国の中核国である日満越は、同方面での軍事プレゼンスを展開し紛争と革命の抑止を図ろうとした。

 また、ペルシャ湾岸においても気息奄々とは言え依然軍事独裁を続けるイラク・フセイン政権が存続しているため、同方面にもアメリカと交代である一定量ブラフとしての軍事力を常駐させねばならず、これらを最も安上がりに、そして安全に行うため海軍にその役割が与えられていた。

 

 このため湾岸事変以前のイラン・イラク戦争の頃から、シンガポールを根拠地にしてインド洋常駐が続いており、これには1個空母機動部隊を中心とした艦隊が充てられていた。

 

 そして、インド洋・中東方面はこれで十分と日本政府は判断していた。

 中東に米英の軍事力が展開している事もあったが、特にイラクに対しては日本の存在を忘れなければよく、インド、パキスタン、イランの三か国はそれぞれいがみ合ってはいるが、基本的にどの国も親日国家(反露、反中、反白人国家)で、日本政府がしっかり舵取りをしていれば特に大きな問題にはならないとされていたからだ。

 


 それよりも日本を始めとするアジアにとって、二つの中華帝国の存在こそ大きな憂慮だった。

 二つの中華はどちらも事実上の独裁国もしくは全体主義国家で、しかも核保有国という手のつけられない状態だったからだ。

 

 このため、近隣諸国は同方面を指向した軍事力の展開を行い、せっかく冷戦が終了したというのに軍備のかなりの量をそのまま保持して自らの安全保障とするしかなかった。

 どちらも、理性的な話し合いの通じる相手ではなかったからだ。

 

 アジアの盟主たる日本もこの例外ではなく、海軍においてはその半数、場合によってはほぼ全力を対中華作戦に投入できる体制を作り上げていた。

 

 つまり、どうせヤルなら一撃で相手を叩きつぶそうと言う事だ。

 経済問題打開のための飴も腕力の誇示による恫喝すら通じない相手には、もはやこの手しかなかった。

 

 日本政府の決意は、その軍事力展開に如実に現れ、特に戦争の危険の大きいとされた1994年秋以後全軍事力の7割、海軍力の8割が天敵たる共産中華を指向し、中華民国が変な気を起こさないよう無言の圧力を加えた。

 

 これを単純な数で表すと、日本の有する固定翼機の8割に達する約2,000機が仮想目標を活動圏に入れ、うち海軍は7個空母機動部隊の艦載機を展開できる体制、つまり全力で殴りかかれるようにシフトを行っていた、となる。

 また、兵器のスマート化の中でも最もポピュラーな存在である巡航弾は、陸・海・空合計でこちらも最低約2,000発が共産中華を目標に定めていたと見られている。

 

 これに同盟国の満州国とベトナム共和国、韓国の軍事力が加わるので、その空軍力は湾岸事変で多国籍軍が展開したものを上回る規模となっていた。

 しかも、湾岸事変の戦訓が活かされ、さらに攻撃精度があがっていたので、実質的な攻撃指数は数年前の湾岸の3倍に達すると見られていた。

 


 そして、実際起こった「第二次中華動乱」と呼ばれる、極めて短期間の間行われた共産中華の内紛で、その予測数値が全く正しかった事を証明した。

 

 1995年4月初旬に発生した共産中華での二重クーデターの初期段階において、日本を含めたアジア諸国は核兵器を抱えたクーデター政権に正義はないとして珍しく強硬な武力介入をしたのだが、この軍事介入は全く陸軍力は使用されず、海空軍の航空戦力だけが用いられた。

 

 しかし、ここでの海上軍事力的に注目すべき点は、この時多数の航空機を運用した「メガフロート」と呼ばれる構造方式を採用した機動航空基地の存在よりも、4隻保有されているうちの2隻が実戦に投入されたと言われる「水中戦艦」の存在だ。

 

 この「水中戦艦」は、元々日本の第3世代にあたる戦略原子力潜水艦として建造された「薩摩級」弾道弾搭載巡洋潜水艦の戦力価値が冷戦崩壊により下がった事から、8隻建造されたうちの4隻の弾道弾サイロに多数の長距離巡航弾を搭載し直す改装を施した、大型の潜水艦の事だ。

 

 軍拡時代の1970年代に相次いで就役した「薩摩級」弾道弾搭載巡洋潜水艦は、水中排水量で15,000トンに達する大型の潜水艦で、同じく第3世代に属する潜水艦発射型の大陸間弾道弾を艦中央のサイロに16発搭載したものだが、1990年代初頭に改装が施される事で弾道弾サイロ1基あたり8発の巡航弾を詰め込んだ垂直発射型ランチャーとされ、1隻あたり128発もの対地・対艦用巡航弾を搭載した、地域紛争が多発するであろう次の時代を見据えて改装が行われ、圧倒的な対地制海能力を持つに至っている。

 

 もっとも巡航弾そのものは日本の全ての潜水艦に搭載されており、独露では1960年代から専門の潜水艦が建造・保有されているものだったが、この艦の存在価値はたった1隻で敵に対して奇襲的な飽和攻撃が可能と言う、その弾薬投射量にあった。

 その力は、小国相手ならこれ1隻で実質的な軍事力を封殺できるだけのものを持っているとされた。

 

 同クラスのうちすでに改装の完了していた2隻は、「第二次中華動乱」に際して他艦艇の巡航弾一斉発射を隠れ蓑として実戦に参加しており、その隠密性の高さを見せつけ、世界中の海軍で実施されている水上艦艇のステルス化の傾向にすら一石を投じたと言われている。

 潜水艦であるなら、コストと状況さえ合致するなら単なるステルス水上艦よりも有効、つまり潜ってしまえば人工衛星からの探知すら極めて難しいからだ。

 また、近年有効射程2,000km以上の新型巡航弾が量産配備される事で初期のSLBMを凌駕する戦力価値すら持つようになっており、本クラスの有効性はますます高くなるものと見られていた。

 

 そしておそらくは、このクラスこそが超大型空母と共に20世紀の日本海軍が到達した一つの究極の回答と言えるのではないだろうか。

 


 では、これより以下は日本海軍から離れ、しばらく政治を中心にここ数年の流れを追っていこうと思う。

 

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