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Phase 8-e1:日本人、火星に立つ?

 1985年夏、日本政府が送り込んだ宇宙飛行士が月面へと到達した。

 国家としては人類三番目の快挙と言う事になる。

 

 そして、月に降り立った宇宙飛行士の型通りの最初の報告の後の冗談が、全ての日本人、アジア人を熱狂させてしまった。

 その冗談とは言うまでもないが、「ところで、火星行きの乗り換えはどこですか?」と言う彼らの無邪気な心情を陽気に語ったものだ。

 

 

 日本人たちは、月計画を発表してからたったの5年でそれを達成してしまった。

 これは、それまでの低高度軌道に大量の物資をあげる計画を手直しして月面へその努力を傾ける為に必要な時間が5年間であり、世界の人々に日本の宇宙開発能力と技術力が米独になんら劣るところがない事を知らしめた。

 もちろん、幾多の失敗の上の成功であるという急速な方向転換ではありがちな経験もあったが、致命的な事故に至るまでに問題を解決できた事がこの足早な月への到達を実現していた。

 

 そしてそれは新たな計画を決定した日本人たちにとっては単なる第一段階に過ぎず、続いて米独が苦心惨憺している火星への有人探査をはた目には無邪気に発表し、同じイバラの道をまい進しく事になる。

 

 だが、地球近在の月と違い、火星への道のりは遠かった。

 いや、遠すぎた。

 

 しかもドイツが1989年、半ば無理矢理火星に到達してしまった。

 ドイツ人たちは彼らの帝国が実質的に崩壊したその時に、まるでろうそくの最後の輝きのような成果を達成したのだ。

 

 そして火星に到達したドイツ人たちは1991年に帰還。

 SFなどで使われるような重度の放射線の病気にかかっていたが、何はともあれ有人探査を成功させ、傾いた帝国の最後のヒーローとなった。

 いや、ドイツ帝国の宇宙開発においての神話となったのだ。

 

 当然、これをよく思わないのが、同じく火星を目指していたアメリカと日本だった。

 

 ドイツ人に先に抜け駆けされた事から、少しずつ醸成されていた国際協力による宇宙開発という気運は吹き飛ばされてしまい、日本もアメリカも自らの財布の許す限り宇宙に投資し、火星への歩みを強めようとした。

 

 だが、本気で取り組んでみて、堅実な歩みをしようとそれまで努力していた日本人たちは大いなる後悔を強いられていた。

 

 とある一派は、これでは金儲けもできないので事業団の名を返上し火星探検協会とでも変名しろと放言し、既に方向転換のできなくなった宇宙計画に全ての関係省庁が非難囂々で、政府も今更引っ込みがつかなくなった事で頭を抱えていた。

 

 それでも、一度決めた事だという動かせない事実と、夢を求めるという人間に活力を与える要素が多分にあったためか、計画はドイツ人のそれとは若干違ったが、それなりの順調さで進められた。

 また、ドイツが最初から火星を目指していたのと違い、日本は途中転向だという理由から20世紀中に火星有人探査を行うとされた。

 しかも、その規模はドイツ人の計画したもののおおよそ二倍だった。

 低高度軌道での実績が日本人に巨大なプロジェクトを編成させてしまったのだ。

 

 もっともこれは、10年という間の技術進歩を計算しての計画の大型化だったが、日本人たちは船を大きくする事で宇宙船に搭乗する搭乗員の安全性を少しでも高めようとしたに過ぎなかった。

 


 そして、1990年に入ると日本人の手による軌道基地をさらに拡張し、その拡張したエリアを火星宇宙船の建造ドッグにして、有史上最大級の宇宙船の建造が開始される。

 

 この頃アメリカは、ドイツ人に先を越され自分たちの投資できる資金とそれにより得られる安全基準から日本と同じタイムスケジュールでも計画が難しいと判断、その努力の先を今更ながら低高度軌道へと移してしまっていた。

 ちょうど、日米の位置がいれかわったと言う事だ。

 なお、帝国の崩壊したドイツは、最低限の宇宙開発は継続されたが、その経済的限界からそれまでのような気宇壮大な宇宙開発が行われることは、少なくとも向こう四半世紀は不可能だった。

 

 そして、世界も既にドイツが火星有人到達を成し遂げているのに今更何をするのかと、あまり見向きしなくなっていた。

 

 世界中の人々にとって日本の宇宙開発は、肉眼で見る事の出来る巨大ステーション建造の方が余程インパクトはあったのだ。

 

 つまり、火星へ目を向けているのは日本人だけとなっていたのだ。

 だが、日本人たちは歩みを止めなかった。

 

 先に書いたように、日本的理由により止めることが不可能だったからだ。

 


 そして、1996年に出発した日本の大型宇宙船は、8カ月の航海を経て火星に無事到達。

 その足跡を記すことに成功した。

 

 これが正しいことだったのか、そうでなかったのかは、100年後の歴史家や科学者が判断する事だったが、この計画の後日本は再び地球近傍の軌道上に興味を示し、そこでの歩みを再開させたのだから、火星有人探査は「宇宙科学」の発展という面では大いなる成果があったが、「宇宙開発」、日本の作り上げた宇宙土建屋集団たる組織の名からはかけ離れた行為ではなかったのかと考えざるをえない。

 


 ・


 ・


 ・


 Bad End


 ハ~イ、お久しぶりですねぇ~。

 あ、そうそう、ここまできてのバッドエンド、誠におめでとうございますっ!☆

 え、違う? ちゃんとしたエンディングの筈だ、また手抜きをしたんだろう・・・ですか?

 う~ん、たしかに「ノーマル・エンド」ぐらいには言ってもいいかもしれませんねぇ~。

 気持ち的には20世紀中の人類の火星旅行、大いに賛成したいです、ハイ。

 





 さて、20世紀の間に火星有人探査は可能だったのか?

 難しい問題だと思います。

 各国が提示している情報が正しいとしてそれを楽観的に考えるなら技術的には無理をすれば何とか可能だと推測できます。

 いや、思いたいです。

 もちろん、全ての宇宙開発を月、そして火星へ人類を送り込む事に傾注してという前提条件が必要で、それを行う国家が史実のアメリカや最盛時のソヴィエトほどの国力があり、アフガンやベトナムのような火遊びをしなければと言う付帯条件も必要でしょう。

 

 しかし、最近の宇宙の科学開発を見る限り、ごく順当な線としては、2050年ぐらいに人類は火星に到達すべきではないかと私的には考えています。

 もちろんこれは単なる素人目で見た場合の一つの私見に過ぎませんが、やはり20世紀の間の他惑星到達は、「無理」とは言わないまでも「無茶」だと思います。

 まあ、アメリカ並の大国が年間国家予算の10%を四半世紀投入し続ければという条件ならかなり変わってくると思いますけどね。

 

 そう言うわけで、ここもバッドエンドとさせていただきました。

 

 また、感情面の火星有人旅行として、ここで無理をして人類を火星に到達させたのは、フォン・ブラウン博士とコロリョフ博士の夢の実現をたとえ一面でも採り上げておきたいと思ったからです。

 


 では、今度こそ良きエンディングで会いましょう。

 

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