表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus  作者: 扶桑かつみ
New Horizon

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/145

Episode. 4:1980年10月  ニュークリアーウォー(欧州帝国vs海洋国家連合) Phase 4-1:大軍拡時代到来

 1979年12月、突如ロシア連邦共和国軍がアフガニスタン共和国に侵攻した。

 

 冷戦最後の長い夏の幕開けだった。

 


 この頃の私は、大平正芳内閣で国防大臣の要職に就いていてそれなりに忙しく過ごしていたが、次の鈴木善幸内閣を準備期間として、1982年11月27日、第71代内閣総理大臣として就任した。

 

 ついに、官位を極めたという事だ。

 

 ついでに言えば、家庭状況も順風満帆だった。

 長男は「家業」を継ぐべく政界入りを決意し、年齢に達するとさっそく地元からの圧倒的支持で衆議院議員となり、次男は私の影響か国防大学を経て海軍士官の任に就き、その上さっさと結婚してしまい既に子供まで作り、長女はもうこの年幼稚園だった。

 末の長女も学生時代に知りあった相性の良い男性と婚約し、数年以内に祝言の運びの予定だった。

 

 つまり、アメリカの某政治家一族などとは違い、全く以て人間的幸福にもつつまれた人生と言うべきだろう。

 


 私がこの時期首相になれたのは、私自身の努力や派閥力学などの影響ももちろんあったが、世界情勢が強く影響していた。

 

 それまで緩やかに対立していた日英米が徐々に連合することで世界が二極化の方向に進み、これを見た欧州の反応から世界中で大軍拡が進行、日本帝国もアジアの盟主にして自由世界第二の大国としての役割を強く求められており、かじ取りをすべき人物にも外交力もさることながら軍事に明るい人間が求められたからだ。

 

 そこで多少の年功序列を無視して、私が首相に就任する事ができたと言えるだろう。

 これは、日本の二大政党である「政友会」と「民政党」、そして唯一力のある野党である「社会党」をいれても(日本共産党は、存在は黙認されていたが正式な政治組織として認められていない。

 議員を送り出す事も1997年まで法律で禁じられていた点を念のため追記しておく)、私が政治家としてなら最も国際政治と軍事に明るい人物と見られていた何よりの証拠で、国民もこの時勢にあってハト派の穏健な調整型宰相よりもタカ派、それもとびきり戦闘的な鷹を望んでいたというのも私の後押しをしていた。

 少なくとも私はそう世間から見られていたのだ。

 

 英米もこれを好意的に受け止め、アメリカのレーガン大統領、英国のサッチャー首相共になるべく早期に首脳会談をしたいと打診してきていた。

 まあ、すでに高齢のドイツ第四代総統閣下は、表面的にはいつものようにご立腹のご様子だったが、それすらも私の地位を盤石としていると言えた。

 

 また、前線に立つ軍人達からも概ね好評を博していた。

 

 当然だろう。

 私は日本の権益のために常に国防族派と言われる議員の集まりに属し、国防相時代には軍備の増額に熱心に活動してやったのだから。

 特に海軍は私に感謝してもしきれないだろう。

 「龍」の名のつけられた海のモンスターたち4隻が比較的短期間に建造できたのは、私の援護射撃あったればこそと言っても過言ではないからだ。

 もちろん、国防相時代に予算通過した「中期国防大網『第三次八八艦隊整備計画』」については語るまでもないだろう。

 海軍にいった息子も、俺の将来のポストを増やしてくれてありがとうと、笑いながら語ってくれたものだ。

 

 ただ、連合空軍からはそうでもないらしく、同じく国防相時代に唱えていたドイツ軍と同様にわが国も宇宙での国防を統一組織として自立させ、宇宙開発共々一本化すべきだと訴え、私の首相の公約の一つにこれを掲げていたからだ。

 

 彼らにしてみれば、自分たちの組織を分割しようとしているようなものであり嫌うのは当然だったが、別にこれも趣味や好みでしている事ではなかった。

 もちろん軍拡の原則という不変の原則もあったが、宇宙開発というものが湯水のように予算を消費するものであり、連合空軍と宇宙開発事業団の予算が年々国庫を圧迫し、国防と公共事業として見ても予算編成から見ると非常にアンバランスになっていたからだ。

 特にいがみ合うことが年中行事となっている三軍の対立を思えばなおさらだった。

 日本はこういったことを特に重視する国なのだ。

 

 これは、1970年代の連合空軍が軍全体の四割の軍事費を消費し、宇宙開発を含めたへの投資全体を眺めれば実に国費の10%以上が消費されていると言えばこれが分かるだろう。

 しかもこれは、人口1億5000万人に達する世界第二位の国力を持つ超大国の国家予算の10%だ。

 低高度軌道上に展開する宇宙基地の増設・年間維持費だけで小国の国家予算など簡単に吹き飛ぶ額といえば、多少は理解していただけると思う。

 まあ、宇宙に関してはそれなりに利益も出ているから一概に評価できないが、それでも贅沢な商売をしている事は間違いないだろう。

 

 

 さて、つらつらと自分に関連する事ばかり書いていたらまたしても行数が増えてしまったが、ここでこの頃の世界の枠組みについて見ておこう。

 世紀の大軍拡時代となったこの頃には必要な事だ。

 

 1970年代半ばから1990年頃までの世界のスーパーパワーといえば、一般的な認識だと第一位がアメリカ合衆国、第二位がドイツ第三帝国、そして三位に日本帝国となると思う。

 そして、この三国の国力はそれ以下の国々を大きく引き離しており、これは三国のGDPと政治勢力、軍事力から明確に見て取ることができる。

 

 この頃(1980年頃)の国内総生産を世界を100として見た場合、比率は以下のようになる。

 


 アメリカ合衆国:32

 日本帝国   :19

 ドイツ第三帝国:11

 それ以外   :38



 これは、三国の単独での数字であるので、単純に人口の差が数字に影響しているので一人当たりという数字になるとドイツがかなり下になり日米がほぼ横並び、もしくは日本が若干大きな数字になる。

 

 なお、三国の人口は、アメリカが2億5000万人、日本が先ほども書いたように1億5000万人、ドイツが1億3000万人程度となる。

 この三国が先進国の中でも特に大きな勢力を保持できているのは、自らが勢力圏のオーナーであるというだけでなく、この人口の大きさに依るところが大きいとも言える。

 

 さらに、それぞれの国が抱える衛星国や同盟国、勢力圏を加えると、GDPによる比率は以下のように修正される。

 


 大西洋条約機構(米):39

 亜細亜同盟(日)  :30

 欧州条約機構(独) :24

 それ以外      :7



 この場合それ以外とは、南米とアフリカ、中東の国々の過半の事で、これらも経済的には概ね海洋国家連合である日英米側に属していると言え、これらを含めた日米が三分の二の国力を占める海洋国家連合と、ドイツ率いる欧州帝国との経済力差は2.5~3倍もの格差に持ち込んでいた事になる。

 

 つまり、ドイツは争うだけ無駄という事だ。

 軍事にも経済学にも用いられるランチェスター理論に従えば、ドイツが何をどうあがこうとも勝ち目はないのだ。

 

 だがこれが軍事力となると、2対1程度にまで縮まると専門家の間では見られており、しかも戦略的な攻撃手段の大半がニュークだと考えると、この時点でのドイツの対抗は十分可能と判断されていた。

 


 次に政治勢力だが、上記されている「大西洋条約機構」、「亜細亜同盟」、「欧州条約機構」がそれにあたる。

 

 これはそれぞれアメリカと英国・英連邦諸国と一部北アフリカで欧州と対立している国々によって構成される「大西洋条約機構」、大東亜共栄圏として発足した、日本、インド、満州、中華民国を主要構成国としたアジア全域を内包した「亜細亜同盟」、そして英国と一部中立国を除く全ての欧州とロシア、中東、北アフリカの一部を含んだ「欧州条約機構」と分類できる。

 

 そしてアフリカの一部を除けば、ドイツ勢力はほぼ完全にユーラシア大陸の北半分に押し込められているという事になる。

 アフリカや中東の発展途上国の中には、いくつかドイツ陣営の国家が存在していたが、実質はそれだった。

 

 また、これを単純に土地面積で見ると、世界の半分が日米の陣営に明確に属しており、残り半分の半分つまり世界の四分の一がドイツ陣営で、残りの四分の一はどちらとも言えないもしくは列強にとって半ばどうでもよい地域という事になる。

 だが、専有している海洋通商路となるとその90%までが日米の実質的コントロールの下にあり、日米双方共互いの海洋コントロールが欲しかったからこそ、1970年代に政治的な妥協をはかったとも言える。

 そしてこの効果は上記に少し例を挙げたように劇的だったわけだ。

 


 そして、この優位を使い日米陣営である、先ほどから使っている「海洋国家連合」もしくは「A-A連合」(亜細亜同盟と大西洋条約機構の頭文字からとられたもの。

 )は、ドイツ人に冷戦時代を象徴するような総力戦を挑むこととした。

 

 といっても、別に実際殴り合いやニュークのパイ投げ合戦をするわけではない。

 軍拡競争(+宇宙開発競争)で相手経済に大きな負担を強いて経済的に相手陣営を崩壊、戦略的な優位を獲得するのが目的だった。

 別に滅ぼそうとかいうつもりも全然なかった。

 経済原則に従い、そのさらなる優位を獲得するというのが第一の目的だった。

 

 そのスローガンが、1970年代から80年代の異常なまでの長期にわたり日米双方で推進される事となる、数々の軍備拡張計画と宇宙開発プランだった。

 特に1980年代初頭から開始されたラストスパートでの競争は凄まじい様相を呈する事になる。

 

 本来宇宙開発の方が重要なのだがこちらの事については後述するので、ここでは軍事面を見ておこう。

 


 1980年にアメリカ合衆国の大統領に就任したロナルド=レーガンは、それまでの政権特にカーター政権での弱腰外交(まあ、単にそれまで地方議員なだけに過ぎなかったカーター氏の政治的な経験不足(もしくは無能)によるものだと判断しているが)とは全く逆の、いわゆる『強いアメリカ』を実現するため、数々のプランが建てられた。

 特に象徴的なものとして有名なのが1984年に唱えられた『SDI』計画でこれには何と150億ドルもの開発費が投じられ、参加した企業900社、大学・研究機関は1000を超えているというとんでもないビックプロジェクトだった。

 これが、軍事的に直接の成果を挙げなかった事を思えば、まさに経済の破断界に達しようとしていたドイツを挑発するための軍拡競争の看板とすら言えるのではないだろうか。

 まあ、アメリカ人たちは始めた当初はそうは思っていなかっただろうが。

 

 また、アメリカの計画で数量的に分かりやすいのが海軍の「400隻体制」であり、これは1970年頃より我が国でも始められた超大型空母の大量建造の開始からその最大延長線上にある大型空母10隻を基幹とした艦艇を整備するという、アメリカでの1920年代の「ダニエル・プラン」、1950年代の「マーシャル・プラン」以来久しぶりの大海軍建設計画、という事になる。

 

 だが、アメリカ軍が重視したのはこれだけではなかった。

 しかも、これらよりもはるかに資金と労力を必要とするものにばく大な予算を投入した。

 その重視したものは、もちろんニューク、核兵器だった。

 

 いまだ正確な数は国家機密期間が解除されていないため判明していないが、最盛時米独日で地球上の全ての生物を数度死滅できるだけ存在していたと言われている。

 これらの国々では、大量の大陸間弾道弾、中距離・短距離弾道弾、新世代の巡航ミサイルなどの運搬手段と共に大型誘導弾用の多弾頭弾(MX)、潜水艦発射型の精密誘導と大陸間弾道弾化など、単なる熱核弾頭の威力増大と小型化だけでなく、それらの新兵器の効果の増大により飛躍的に戦力の増大に成功していた。

 そして最も大きな成果を挙げていたのが、最も大きな国力を保持するアメリカであり、これは日本と開発予算や技術を共有する事により、ドイツに対して圧倒的に優位に立つこととなっていた。

 ミニットマン、ピースキーパー、トライデントといえばニュースなどでも報じられている弾道弾の名前なので聞いたことのある方もいることだろう。

 


 そして、自由世界の敵、世界の敵とされたドイツ帝国だったが、基本的に日米の軍備とは若干違う整備体系を有していた。

 これはドイツが基本的に大陸国家であるという事に起因しているが、ドイツ人そのものの元来の性格が影響していると言っても良いだろう。

 

 そして面白いのがその軍備の優先度で、第一が空(宇宙)、次が陸で最後が海という点だ。

 まあ、過去半世紀の間君臨し続けている海洋帝国全てを敵に回しているわけだから、思い切りのよい選択と言えなくもないが、これがドイツの力の限界を表しているのだろう。

 そして、後述する空軍から分離した「宇宙軍」の存在も興味深い対象と言える。

 

 なお、ドイツのニューク・ウエポン・システム(熱核兵器体系)の根幹は、何を置いてもロケット兵器だった。

 ロケット先進国としては得意分野を伸ばす事で他者と対抗しようとし、アメリカ以上の弾道弾の数々の保有がこれを雄弁に物語っていた。

 また、空中発射型の巡航弾もこの頃になると多数開発されていた事も、米軍同様注目すべき点かもしれない。

 この点においては、基本的にこの分野に古くから多くの投資をしてきた日本に一日の長があったが、技術大国といわれるドイツのものだけに対抗側にとっては重大な脅威とされていた。

 

 そして、ドイツとアメリカを中心に短距離・中距離弾道弾の開発競争が白熱し、これに日本が双方の手打ちを持ちかけ、最終的には各種の兵器削減交渉を経てINF制限条約にまで結実する事となる。

 

 ただし、ドイツは弾頭の小型化に日米よりも遅れており、これは必然的に各種運搬物の大型化をもたらし、当然コストという面で日米に対して非常に劣勢に立たされていた。

 


 では、最後に日本の熱核兵器体系を見ておこう。

 

 以前も書いたと思うが、日本の兵器体系は米独とは若干の違いを見せていた。

 また、全体の兵力量そのものも国力から比較すれば低い比率で、米独のせいぜい60%程度しかなかった。

 そしてそれだけに特異な兵器体系へとある意味奇形化していた。

 

 まずは、大陸間弾道弾だが、日本では1970年代半ばに完全にこの手の兵器に見切りを付けていた。

 これについては実に皮肉な現実があり、日本の経済発展と人口増大により、北の大地の一部や辺境の島嶼、そして厳重自然保護区域以外で人の住まないところなどなくなり、弾道弾基地を建設する場所が事実上なくなってしまっていたからだ。

 なぜなら、敵が同種の基地を破壊するには基本的に大威力弾頭を使用するのが分かり切っているので、数キロ程度人里から離れたところに基地を建設することなどできず、半径数十キロメートルもの無人空間など日本本土には存在しなかった。

 また、潜水艦発射型弾道弾の高性能化という側面があった事も影響している。

 

 このため、日本軍ではこれを見越した事と一部軍部の暴走、そして兵器という性質上精度度・隠密度の高い状態での運用を好んだ実に日本的な性質から、当初から爆撃機や水上艦艇、潜水艦艇への搭載を極めて重視し、そちらへの傾倒をより強めていたのだ。

 つまり日本の弾道弾兵器体系は、最大のものが長射程潜水艦発射型弾道弾「76式潜水艦発射型多弾頭弾道弾(軍通称:76式セタ弾)」で、それ以下となると空中発射型、地上発射型、艦艇発射型の射程500~1500キロメートル程度の各種巡航誘導弾(BMGもしくはSLCM)、マニアやマスコミなどの言うところの「ヤブサメ・ミサイル」ばかりという事になる(正式名称は「74式巡航誘導弾」もしくはその改良型の「88式巡航誘導弾」などとなり、ヤブサメ(流鏑馬)という名称は軍広報部が民間向けに付けた愛称)。

 これらのキャリアーの方は、潜水艦が「76式SLBM」を24基も搭載した基準排水量18000トン、水中排水量20000トンもあるSSBNの最新型の「長門級」でこれは弾道弾の開発と軍拡の進行に伴い都合12隻の建造が予定され、最終的には8隻が就役している。

 また、この前の世代、第三世代に属する「薩摩級」が同じく8隻あり、各16発の弾道弾を搭載してその一翼を担っていた。

 

 ヤブサメ巡航弾の方は、地上型は他国と同様の地味だが敵からの発見捕捉が困難なタイプが選択されていたが(主に車両式の移動発射台)、空と海については米独よりも派手だった。

 これこそが、日本の抑止力としての表看板というわけだ。

 

 連合空軍は、もう1970年代当時ですら古びていた「飛鳥」重爆撃機の生き残りと、その後継機の超音速重爆撃機「轟天」搭載の空中発射型が主力となる。

 これらの怪鳥が長駆進撃し、飽和攻撃で相手を叩き潰してしまうのが目的だった。

 これについては、出撃に成功してしまえばかなり正確かつ確実に目標を破壊できると判断されていた。

 

 そして、日本の切り札が戦術型潜水艦を巡航誘導弾搭載により全て戦略兵器としてしまった点だ。

 これは米独などでも盛んに行われたが、技術蓄積の差と予算配分から日本が頭一つ以上抜きん出ており、最低でも常時24隻は就役しているとされる日本の艦隊型潜水艦である大型の伊号巡洋潜水艦(SSN)の存在はドイツ最大の脅威とされていた。

 ただでさえ発見と撃破が困難な日本製の巡洋潜水艦の全てに熱核弾頭を搭載した優れた巡航ミサイルが搭載されているという事は、それほど脅威だった(1980年代半ばから就役したクラスは専用の垂直発射装置すら搭載している)。

 これは、ロシアの「シエラ級」「シエラII級」、ドイツの「イーゲル級」など日本の巡洋潜水艦(6000~8000トン程度)と同種の任務についている潜水艦の排水量が1万トン以上であり、水中での機動性、隠密性など比較にならないという点から独露がどれほど恐れていたかを多少なりともご理解いただけると思う。

 

 また、駆逐艦クラス以上の全ての水上艦艇にも同種の誘導弾が搭載されており、これは欧州各国が現代の砲艦外交と呼び、特に旧時代の亡霊とすら言われ、いまだ主砲と呼ばれる巨砲を装備した「大和級」戦艦、「剣級」打撃巡洋艦の存在はその象徴として、日本海やインド洋では戦術的な事よりも政治的に大きな効果をあげていた。

 

 そしてこうした攻撃兵器の体系作りよりも、米独と違い防衛兵器体系整備に重点をおいていた事も異質だった。

 

 日本におけるこの種の防衛兵器は1950年代から熱心に開発が行われ、1960年代にはその初期型のニュークを使用した弾道弾迎撃弾や初期型のフェーズド・アレイ(位相配列)電探捕捉による通常型高速迎撃弾、重爆撃機や戦闘機搭載型の空中発射型迎撃弾などが多層に配備される事につながる。

 もっともこれらのシステムはまだまだ技術的に未熟だった事もあり実際はあまり有効なものではなかったが(軍事的には無意味とすら言える数値しかなかったものも多数あった。

 )、1980年代に入ると電算技術の発展など総合的な先端技術の発展がこれらを実用段階にまで持込み、異常なまでに強固な日本の防空網を作り上げる事となった。

 

 日本人たちは自らの国土がニュークに対してもろい事から、米独などのようにシェルターで一部の人間が残る事よりも、列島全てを守る方針を最初から選択し、それに向って努力した何よりの証だった。

 そしてこれは、米独が気づいた頃にはパワーバランスの関係から到底日本が迎撃システムに関する制限条約に参加しないだろうと判断せざるをえない状態になっており、ついにこの種の制限条約が締結される事はなく、アメリカに至っては日本との実質的な同盟関係が樹立されてからは、せっせとこれらの有償技術供与とライセンス生産を持ちかける始末だった。

 

 そして1980年代半ばに一つの形に完成させた日本の手による防空システムは、ドイツにさらなる熱核兵器の生産を急がせ、アメリカにSDI計画を始動させる事にもなる。

 

 また、これは1つの提案を米独に決断させる事となる、敵と味方ながら日本による自分たちとは違った兵器体系の構築はそれぞれに強い脅威と懸念として映ったのだ。

 

 そしてそれはニュークの軍縮会議についての提案だった。

 


 日本としても、いかに国家社会主義陣営と立ち向かう姿勢を示さなければならないとは言え、これに答えないわけにはいかなかった。

 それに各国とも軍備増強にそろそろ国庫が悲鳴を上げ始めている。

 多少は力を抜くところも必要だ。

 

 さて、我が国の方針としてはいったい何を提示し、交渉を運ぶべきだろうか?

 案としてなら、最も直接的で各国の均衡を取りやすい「弾頭数削減」、宇宙開発と共に加熱している「宇宙での軍備制限」、また日本が最大のアドバンテージを持っている「迎撃兵器制限」、そして弾頭の削減と共にいつかは歯止めをかけなくてはいけない「INF制限」があるだろうか。

 

 それまでに、数量的な調整にすぎなかったが大陸間弾道弾と潜水艦発射型弾道弾の軍縮は実現している事になっているから、それより進んだ提案となるとどうしてもこれらの項目となってしまう。

 また、「INF制限」は国もまだその気はなく、「宇宙での軍備制限」を語るなど日独が宇宙に投資した血税の額を考えると夢物語であった。

 

 そうした事もあり、アメリカは日独に遅れている「迎撃兵器制限」を、ドイツは「弾頭数削減」による均衡を図ろうと画策しているようだ。

 あとは我が国がどちらをしたいかと言えば、カードがそろい同じカードが場に二枚あればとりあえず三国は会議の席に着くことになるだろう。

 


 さて、この会議は首相としての私の大舞台の一つという訳だが、我が国の対応だが・・・


 

_________________


 1.「弾頭数削減」を提案する

   (Phase4-2 へ進む)

_________________


_________________


 2.「迎撃兵器制限」を提案する

   (Phase4-e1 へ進む)

_________________


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ