Case 06-00「ケース・レインボー」
「ケース・レインボー」。
今回、ドイツ軍参謀本部が決定した各種作戦案の水面下での通称がそれだった。
つまり、相手とする仮想敵が多すぎるため、多方面での作戦ばかり考えていると言う事であり、それまで以上に賭博要素の大きな戦争が始まることへの、堅苦しいと言われるドイツ人にしては珍しいちょっとした皮肉でもあった。
これが日本なら「玉虫色」などと揶揄して皮肉った事だろう。
だが、開戦を巡る議論は最後まで紛糾した。
確かにドイツは、1948年末にドイツ第三帝国首班の方針により海洋国家群に対する戦争を決意した。
だがそれは、自らの国家戦略をどこに置くのかにおいて、戦争相手、規模、予測期間などが大きく違ったものになり、当然その相手の思惑によってもそれらは大きく左右される事になると見られていた。
そうした混乱がピークに達した頃、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、総統会議を招集、首脳部の過半を総統大本営となっていた『狼の巣』に集めた。
最も奥まった位置に静かに座っていた総統は、いつになく落ち着いており、しかも半数も集まらないうちから自らの席で座って全員が揃うであろう集合時刻を待っていた。
なぜか? この、いつにない行動に何か意味があるのだろうか? この回答を知る者はなく、沈黙の中にあっても全体がそわそわした雰囲気に包まれていた。
このため、いつになく衣擦れや靴の音が部屋に響いているような気すら感じられた。
もし、このような雰囲気を作り出すことが総統の目的であったのなら、大成功と言うべきだろう。
稚気に溢れた人物だったなら、『我奇襲に成功せり』とでも感じて密かにほくそ笑んだことだろう。
しかし落ち着いた表情以外見せなかったドイツの統治者は、集合の5分前、全ての出席者とその随員が揃った時、静かに時計を見やった欧州の覇者は、向き直るとそのまま静かに語り始めた。
「フム、いつもながらドイツ民族の几帳面さには驚嘆せざるをえないな。
急な招集だったにも関わらず、全員が時間以内に揃っている。
実に素晴らしい」
その言葉は独白と言っても間違いない言葉だったが、出席者のほとんどはそうとは考えず、何か意味のある言葉、もしくは次なる言葉を紡ぎ出すための呼び水と考えていた。
そして出席者の予測は大きくは外れていなかった。
小さな沈黙をおいて、総統は全員にゆっくり目を配ると再び語り始めた。
「集合を命じた時間にはあと数分の時間があるが、今は一瞬の時間たりとも惜しいと考える者達もいるだろうから始めよう。
さて、諸君。諸君らの中には、いや恐らく全員が今回の会議の内容、余が議題としたい内容について知りたい事だろう。
もちろん、それは語ろう。だが、その前に現状の要約をもう一度解説してもらいたいが、良いかな?」
いつになく静かな語り方、声色に何か異様なものを感じたものすらいたが、為政者に問われた以上応えぬワケにはいかないと、参謀総長のマンシュタイン元帥が起立し、参謀本部、いや彼が立案した作戦の原案を説明した。
参謀総長が提示した全体の作戦は、全てを要約すれば段階的戦線の拡大というものだった。
まずは英本土近辺の制空権と制海権を奪い、限定的停戦なり降伏で英本国政府そのものの動きを封じた後、待機させていた陸軍部隊による中東制圧を敢行、この間海軍はインド洋で大規模な潜水艦作戦を展開して日本海軍を一時的に封殺、陸上での主導権を握ったまま中東全域を制圧して日本軍をインド洋の西半分に追い込んでしまい、直接攻撃されないアメリカはこの頃に出現すると見込まれるので、アメリカが大戦力を中東に派遣したその間隙を突く形で、全欧州の海軍力と空軍力を投入して米東海岸を攻撃、彼らの戦争意欲を奪ってしまい、そこで示された圧倒的軍事力により一気に停戦に持ち込もうと言うものだった。
なお、マンシュタインの草案では、この最終段階で大威力を持つ新型爆弾の使用が計画され、これを米海軍の本拠地と主造船施設に使う事でアメリカの動きを(政治的にも)完全に封じるとされていた。
そして、この作戦そのものは、戦争のイニシアチブを握るドイツ側が、常に自らの全力を相手の分力に叩きつける事で戦場での優位を維持し続け、体力に勝る相手が態勢を整える前に戦争を決してしまい、相対的優位によって戦争に幕を閉じようと言うものだった。
要するに、限定的総力戦を用いた短期決戦が、戦争の基本計画だ。
そしてこの戦争に勝利する事で、ドイツは欧州を統一、安定化し、中東の資源を手に入れて、今後の国家運営を円滑化して次へのステップにしようという、当初総統により示されたビジョンを実現するという主旨に沿ったものになっていた。
このため、政略のために戦略を限定されたマンシュタインにとっては不本意なものとなっていたが、アメリカが突然アクティブな行動に出ない限り、作戦の成功は大きな問題はないだろうと大方の出席者も考えていた。
これを聞き終えた総統は、しばらく瞑想するように目を閉じていたが、やはり静かに目を見開くと、今度は立ち上がり全員を見回して再び語り始めた。
「ウム、既に採択した事だが、実に堅実な作戦案だと余も了解する。
だが、余はこれにいささか修正を加えたい。
一つは、新型爆弾を本戦役においては使用しない事、もう一つはこの新型爆弾の代りとなるアイデアを提示する事だ。
またもう一つは、この変更に伴う作戦の段階的発動ではなく全面的発動としたいと言う事になる」
この言葉に、それまで沈黙していた全員から様々な気持ちが篭もったうなり声が漏れ、俄に場内が騒然となった。
戦争の切り札であり、また戦争を際限ない無限戦争に誘う恐れのある兵器の使用を行わないと明言したのだから、その驚きも致し方ないだろう。
また、作戦そのものをこの段階で大幅に変更するというのだから、参謀や将軍達のうめき声も致し方ない。
どちらもインパクトは絶大であり、一種のショック状態に追い込まれ思考停止してしまった者もかなりの数に上っていた。
その点では、ドイツ総統の奇襲攻撃は成功だった。
また、新型爆弾に匹敵する『アイデア』を持っていると言うのだから、二重に驚いた者も少なくなかった。
たまらず一人の将軍が尋ねた。
親衛隊の徽章が目に付く衣装を纏っていた。
「総統、そのアイデアとは如何なるものでしょうか? 愚才なる小官にお教えいただけないでしょうか」
恐らく彼は弾道弾に何らかの形で関わるのだろう、その言葉や態度には焦りのようなものが見られた。
だが、爆弾発言を投げかけた当の総統は落ち着き払っており、彼の言葉を手で静かに遮ると言葉を続けた。
「当然の質問だ。だが、今少し余に話す時間を与えて欲しい。
さて、諸君はなぜ余が新型爆弾を使わないか、疑問に思う者もいただろう。
もちろん理由がある。しかも大戦略レベルでの理由が、だ。
それは、我が国ばかりでなくアメリカ、日本が共に同じ兵器を保有しているのが第一の理由であり、こちらが使用しなければ相手も疑心暗鬼に陥りこの新型爆弾を手にすることをためらうだろう。
つまり、使用しない事こそが、無限戦争への歯止めとなる唯一の手段であるという結論に達したからだ。
確かにあの爆弾の破壊力は魅力的だ。だが、そうであるが故に使用には非常に高度な判断が必要だ。だからこそ、最後まで為政者たる余の手にあの兵器を保持するものとする。
これは、総統命令だと解釈してもらって構わない。関係部署には、近日中に正式に文書でも示されるであろう。
そして、これを取り上げられる参謀総長に対しては、余が海軍と空軍の関係者との会話の中で得たヒントを元にした斬新なプランを提示して、その代換としてもらいたい」
最後に、軍部に対して皮肉とも取れる言葉を添えた事、自らがいつも通りだと言いたげな言葉で締めた後で、代換プランを提示してその作戦に対して「ワルキューレ」という作戦名まで付け、開戦に間に合うよう関係各位に直に通達した後に、高らかに宣言した。
「征くぞ諸君、ドイツ民族千年の栄光に向けて」
Case 06の一部ですが、ここからは今まで未発表だったものの掲載になります。
書いた当時から手を入れてはいません。また、未執筆部分を追加で書く予定もありません。
あと数回、おつきあい下さい。




