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八八艦隊1934 第三章・F.R.S plus  作者: 扶桑かつみ
BudDream

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Case 04-03「第二次世界大戦とその後のアメリカ」

 1939年9月よりドイツの手によって開始された第二次世界大戦は、ドイツによるポーランド侵攻、西欧大侵攻、東欧制圧、対ソ連戦開始と信じられないペースで拡大の一途を辿り、ドイツにより欧州の旧勢力全てが力を失ったのを千載一遇絶好のチャンスと捉えた日本が、万民平等・人種差別撤廃、王道楽土の建設という彼らの新たなドグマを実現するため、植民地帝国主義撤廃をシンボルに西欧諸国に対して宣戦布告し、東南アジア、インド洋へと駒を進める事によって世界規模の戦争へと拡大する。

 

 そして、結果として連携した形になったドイツと日本の勝利という形で1944年に列強間の間で講和が成立し、イギリスを除く全ての欧州がドイツの傘下に入り、ソヴィエト・ボルシェビキ政権は事実上崩壊し、アジアが日本の手に転がり込む結果をもたらした。

 

 この中でアメリカが果たした役割は、即金決済、バーター取引による無尽蔵な貿易の拡大と、植民地帝国主義撤廃や人種差別撤廃を掲げる日本の政策の尻馬に乗った、義勇軍派兵という形での事実上の参戦だった。

 


 このアメリカの行動は、「裏口だけの参戦」、「おんぶにだっこの戦争」など国内外を問わず散々な言われようだったが、アメリカ国内においては軍の復権という重要な内政的効果を発揮し、外に対してはアメリカの覇権主義の拡大と警戒されると同時に、それなりのゲームプレイヤーである事を印象づけ、特に先年国運を賭けて戦った日本との関係進展は大きな成果となった。

 

 なぜなら、1944年までに日本が手にした勢力圏は、西は日付変更線から東はアラビア半島にまで及んでおり、米日友好関係の成立は、アメリカもこの市場を使えることに他ならず、ドイツのおかげで欧州列強が同地域での覇権を全く失った事、日本の潜在的経済力が依然としてアメリカの三分の一程度な事は、アメリカの唱える自由主義をアジア・太平洋全域に広めるため有効に機能するからだった。

 

 また、本来なら市場を半ば横取りされた形になる日本との関係が悪化すると考えられるが、この時アメリカは日本に最恩恵待遇の貿易条件を提示して態度を軟化させ、日本が持つナチス・ドイツに対する恐怖心がアメリカとの連携を日本の側から強く望ませる事になった。

 

 そしてこの日米の経済的連携は、自由貿易体制の整備・確立を進めつつ欧州での戦争特需に後押しされながら良性の変化をもたらし、戦乱で完全に荒廃した欧州が経済的に大きく減退したのと引き替えに飛躍的な発展を実現、第二次世界大戦が実質的に終了した1944年には日米とその経済圏のGDPは世界の半分以上に達し、その5年後にはさらに拡大して、ドイツにとっての敵を潜在的な自勢力と考えると世界全体の7割を越える勢いを見せていた。

 

 つまり、欧州の過半と地中海沿岸を中心にしたドイツの勢力圏に対して、2.5倍の国力を持つことができたわけで、そのうち6割をアメリカが占めているという事は、これ以後世界を目指すアメリカにとって何よりの大きな援護射撃となっていた。

 

 しかも、人口の差や資源や社会資本、生産施設の質と量の差、世界規模での貿易体制を持っているか否かか、そして数年前に戦争をしているかそうでないかというファクターを加味して考えれば、実際1950年代に形振り構わない戦争を行った場合の戦争遂行能力差は3倍以上に開くと見られていた。

 

 もちろんそのまま戦争がなかった場合、経済競争でどちらが勝利するかは向こう四半世紀という事ならば考えるまでもなかった。

 そして、金儲けでアメリカ人達は敗北するつもりなど毛頭なかった。

 だからこそ新大陸に来たのであり、むしろ20世紀に入ってからの躓きこそが自分たちにとって大いに不本意だったのだ。

 


 だが、アメリカが他列強に対して有利と言えない要素ももちろん存在する。

 

 特に軍事においてそれが顕著で、中でも問題とされたのが正面戦力の劣勢と実戦経験の有無だった。

 

 近代に入ってからのアメリカ合衆国は、南北戦争、米西戦争、太平洋戦争とおおよそ30年に一度大規模な戦争を自ら経験しており、それ以外にも帝国主義的な政策を実行することも多々あり、19世紀の尺度で考えるなら十分な戦争経験を持つ国家と言えた。

 

 だが、競争相手のドイツ第三帝国、日本帝国、大英帝国は、その全てが激動の20世紀前半を自らを原因とする戦争によって勝ち抜いてきた暴力的な国家ばかりで、その戦争経験も極めて豊富なものだった。

 

 これら三国全ての歴史年表を並べて眺めれば、戦争ないしはそれに類する行為をしていない時期を探す方が難しいだろう。

 

 特に1930年代から第二次世界大戦が終わるまでは、途切れることなく軍事力を行使し続けている程だ。

 

 もちろんアメリカも、手をこまねいていたワケではない。

 特に武器開発については、他国へ武器を輸出する事で技術の開発と獲得が熱心に行われており、第二次世界大戦中盤以降アメリカ兵器が多数戦場で見かけられるようにもなった。

 また他国への輸出が難しい海軍については、国防の要と言うこともあり例外的に努力が傾けられ、1920年代後半には「ダニエルズ・プラン」と呼ばれる大艦隊を洋上に出現させている。

 

 第一次世界大戦に入るまで全くおざなりにされていた陸軍についても(驚くべき事に戦略単位である師団規模の部隊がこれまで継続的には存在しなかった)、旧大陸やアジアでの状況を見据えつつ少しずつではあるが整備が進められていた。

 


 そして軍事力を持てばそれを行使したくなるというが世の常でアメリカもこの例外ではなく、膨脹主義的な大統領が就任した時その力は積極的に行使されている。

 この象徴が二人のルーズベルトによる戦争になるだろう。

 

 だが、前者はアメリカを大きな成功に導き、後者は大きな挫折を呼び込んだ。

 特に挫折を呼び込んだ敗北は、自国の10分の1の国力しかないとされる有色人種国家に対する敗北であるだけに、メンタル面での挫折は大きなものとなった。

 

 後者の時期のアメリカは、1920年代の「ダニエルズ・プラン」によって世界一の海軍を建設し、オポチュニズムとロマンチズムに満ちあふれた一方的なチャイナに対する親近感を後押しにチャイナ進出を掲げ、自国本意であるがチャイナエリアを何とか安定化させようと努力していた日本と激しく対立した。

 

 そして満州・上海での争乱を経て太平洋戦争へと発展したのだが、この戦争において開戦当初30隻という世界最大規模の戦艦部隊を擁した大海軍の筈のアメリカ海軍は、当時世界第二位、24隻の戦艦を擁する日本海軍と真っ正面から激突、そして日本側の異常なまでに徹底した艦隊決戦ドクトリンの前に結果として戦術的に各個撃破されて、中部太平洋のマーシャルで大敗を喫し、アクティブな制海権を喪失したそのすぐ後に日本軍のハワイ侵攻を誘い、さらにハワイの戦いで拭うことのできない敗北を重ね、約1年経過してアメリカの側から日本に講和を請うた時、主力艦の数は三分の一以下の9隻にまで激減していた。

 しかもこの数字は、大西洋に置かれた旧式艦を数えた上での数字で、この戦争で15%の損害しか出さなかった日本海軍との実質的な戦力差は、4倍以上に開いていると見られていた。

 

 つまり、当時最重要の戦略兵器である戦艦戦力で、これだけの差がつけられてしまえば、抗戦すること自体が無意味で、だからこそアメリカは日本との講和テーブルに着かざるを得なかったのだ。

 


 太平洋戦争後、アメリカでは敗戦の研究が行われた。

 

 そこで得られた第一の結論は、日本は自らの近代国家建設以来一定の時期をおいて実戦を経験している点に集約されている事だった。

 

 つまり、実戦経験に裏打ちされた軍事力と軍事組織を持つかどうかの差が、これほど一方的な勝敗を現出させたのだ、という事になる。

 

 それ以外の点で問題とされたのは、戦争の帰趨を決したとされる大艦隊同士の大規模戦闘で、どうひいき目に見ても確率論上の問題、もっと言ってしまえば「運」が日本に向いていたと結論されてしまった事だろう。

 

 特に主砲塔の構造からアメリカ艦より爆沈する可能性の高い日本海軍の戦艦が、一隻もそのような撃破をされていない点は、のべ100隻近い双方の戦艦が真っ正面から戦った太平洋戦争の実状を思うと、運命の神が依怙贔屓したとしか思えないと数学者が匙を投げたほどだった。

 

 如何にアメリカ海軍の戦艦が、局地的な戦艦数と個々の主砲威力の差から上部構造物を無惨に破壊され、そこを魚雷でトドメをさされたとしても、事実として受け入れがたいと言われた。

 

 だからこそ、実戦経験の有無が重視されたのだろう。

 

 実戦経験の有無こそが勝敗を決したのだ、と。

 

 また、陸軍においても問題は多いとされた。

 

 特に第一次世界大戦に参戦しなかった事は致命傷とされた。

 なにしろ、フィリピンでもハワイでも陸軍部隊の多くが第一次世界大戦での列強のように機関銃の十字砲火に真っ正面から突撃して、見るも無惨に日本軍に敗退したからだ。

 しかも対する日本陸軍は、1904年の日露戦争と1914年からの第一次世界大戦で「総力戦」と言う名の近代戦をイヤという程経験しているので、その装備の差と戦術は歴然としたものがあり、この差が日本軍の侵攻を大いに助けた事は間違いないだろう。

 かつて南北戦争において、ガトリング砲を最初に大量実戦使用した軍隊にしてはあまりにも無惨な結果だった。

 

 だがアメリカ陸軍と対照的だったのは、常に装備が限られた状態で遮蔽物の少ない戦場に送り込まれる事が前提とされるアメリカ海兵隊で、彼らは戦争全体の流れの影響で侵攻作戦をする事はなかったが、ハワイ諸島などでの防戦において陸軍以上の活躍を示し、日本陸軍、日本海軍陸戦隊をして米軍で最も強敵だったのは海兵隊だったと言わしめていた。

 しかも、もし海兵隊が軍団規模いや師団規模で太平洋の島嶼に展開していたら、戦争そのものの様相が大きく変わっていただろとすら褒め称えたほどだった。

 


 そして、得られた結果と経験を無駄にしないのがアメリカという社会だった。

 軍隊も例外ではない。

 いや政府組織の最たる集団である軍隊において、結果と経験は他よりも重要視されていた。

 また、アメリカに欠けているのは、他者の教えや間接的な教訓から学ぶという姿勢がやや低いことだろうが、この敗北はさすがに堪えたらしく、この傾向もこの時は大きく是正されていた。

 

 つまり太平洋戦争以後、アメリカ軍全体の大幅な改革が始まったのだ。

 不景気の中の財政緊縮という状況もこれを後押しした。

 


 陸軍においては、郷土防衛軍や予備兵力としての州軍制度が実践的な態勢に整備され、大規模攻撃戦力となる連邦陸軍の機械化と重武装化が進められ、アメリカ海軍から独立した海兵隊が緊急展開戦力・短期攻撃戦力として整備された。

 

 一方、二つの大洋を挟んだアメリカ防衛の要である海軍の再建も進められ、それまでの戦艦偏重のややアンバランスな編成から大きく改善されたバランスのとれた兵力の整備が急がれた。

 

 もちろん、新時代の軍事力となる空軍戦力も陸海双方で整備が進められ、自国の優れた工業力を使った優れた機材がいくつも生み出される事になる。

 

 そして、この新アメリカ合衆国軍とでも呼ぶべき軍隊が最初に経験した戦闘が、日本軍に対する義勇兵という形での中東侵攻になる。

 

 そしてそこで得た実戦経験のデータをもとに、さらなる改革と改良が進められ、ドイツの強大化という脅威と、戦時特需による好景気を後押しとした潤沢な予算を使い大きな軍備の整備が進められていく。

 

 それがある一定の段階を越えようとしていたのが1949年であり、他国から見ればまるで雨後の竹の子のように急成長するアメリカ軍に対する恐怖が、ドイツの行動を誘発したと言えるのかも知れない。

 


 以下が1949年5月15日時点でのアメリカ軍の概要になる。

 


●陸軍(50万人)


 ・連邦陸軍(動員状態は半数程度)

  機甲師団   :2

  騎兵師団   :2(編成は機甲師団と同じ)

  機械化歩兵師団:4(書類上は歩兵師団)

  空挺師団   :1

  歩兵師団   :7(自動車化師団)

 ・州軍

  歩兵師団   :14(過半が未動員)

 ・陸軍航空隊

  航空艦隊   :5(平均400機編成)



●海兵隊(10万人)


  海兵師団:3(ほぼ自動車化師団と同じ編成)

  航空隊 :3(平均200機編成)



●海軍


(太平洋艦隊、大西洋艦隊、インド洋艦隊に分散)


新型戦艦(10隻)

 ・<オハイオ><ニューハンプシャー>

 ・<アイオワ><ミズーリ><ニュージャージ><ウィスコンシン>

 ・<ノースカロライナ><ワシントン>

 ・<サウスダコタ><マサチューセッツ>


戦闘巡洋艦(4隻)

 ・<アラスカ><サモア><プエルト・リコ><ウィーク>


旧式戦艦(5隻)

 <インディアナ><モンタナ><サラトガ>

 <コロラド><カリフォルニア>


空母(8隻)

 <エンタープライズ><ホーネット>

 <インディペンデンス><ワスプ>(軽空母)

エセックス級空母

 <エセックス><ハンコック>

アンティー・タム級装甲空母

 <アンティー・タム><オリスカニー>


巡洋艦:6個戦隊

駆逐艦:8個水雷戦隊

潜水艦:10個戦隊



  母艦航空隊   :約1000機(交代機含む)

  基地航空隊   :約400機(対潜航空隊が主)


 では、これ以後は第三次世界大戦と呼ばれる未曾有の戦いについて見ていきたいと思う。

 



◆第三次世界大戦へ


 ■Case 06-01「奇襲攻撃」 (以後のルートはありません。)


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