4.ティアリングエタニティ
◇
疲れた……。
エイリの頭の中は目下、それだけだった。
城の外はいろいろなことが起こりすぎる。かといって城の中より悪いことは全くないのだが。
裸の男がうろうろしていると思いきや、自分より年上の落ち着いて見える女は終始おろおろとしている。進む先にはむきむきの男が睨んでいるし、フチには薬を盛られるし。
疲れた……人間って難しい……。
エイリが再びそう思ったところで、目の前に座るカイがとんとんと黒板を鳴らした。
『疲れてる?』
「貴方のせいでね」
エイリはじろっと目の前の男を睨んだ。
「露出癖でもありますの? 貴方。何でわざわざ裸で寝てますの?」
『だって服が濡れたら困るじゃない。身体は拭けばいいけどさ』
「うん、正論だな」
余計なことを言ってフチが頷いた。
カイは目を細めて笑って、興が乗ったように黒板に文字を連ねていく。
『意外とお姉さんたち、僕が裸で寝るの、喜ぶし。神秘的でえっちだって言ってさ』
「え、ルルさんってそういう……」
『ないしょ』
「ええ……」
引いたエイリに対して、フチは相変わらず冷静である。
「エイリ、カイはルルのような女性に養ってもらって生計を立てる、俗に言う『ヒモ』だ。こういう人間もいる」
「どうでもいいですわ……」
そこでルルが戻ってきて、エイリの視線に怪訝な顔をした。
エイリ達は30分ほど足止めをされていた。
馬車でニール渓谷に架かる橋を渡ろうとしたところ、やばそうな男達にに通せんぼされ、ルルが御者と共に話を聞きに行っていたのである。
戻ってきたルルは相変わらずおろおろと背を曲げ、落ち着きなく指をいじり倒していた。
「よ、呼ばれちゃいました」
「?」
フチがぐいと形の良い片眉を上げた。
「呼ばれた?」
「ええ。お医者さんを探していたんですって。……橋を通りたいなら、一度屋敷に来なさいと」
「ずいぶん脈絡のない話だ」
フチがばっさり言った。
エイリもフチの言葉に同感だ。何故、橋を渡るのに誰かの許可がいるのだろう。
「この橋……ポッツ橋というんですが、代々、ポッツ家という家が管理しているんです」
ルルは自分が悪いわけではないのに、申し訳なさそうに肩を落として言う。
話によると、このニール渓谷に架かる橋は2つあり、大きな馬車が通ることができるのは、このポッツ橋という橋の方。だが、管理は国ではなくここに居を構えるポッツ家が行なっており、わりと高めの通行料を通ることで有名だったらしい。
「お医者さんを探しているなんて、初めて聞きました。どうやら、相当困っているようです。治せる自信はありませんが、……診てきたいと思います」
ルルは自信なさげにしながら、それでもきっぱりと言い切った。医師の誇りが垣間見え、エイリは少し、彼女に対する認識を改めた。
「そして、お願いなのですが!」
ルルはぎゅっとフチを握った。
「助けてほしいのです。貴方のお薬の知識が活かせるかもしれません」
フチは半目になった。義理堅い彼に、断るという選択肢はないのだろう。エイリも同じ顔になった。
ポッツ家の屋敷はニール渓谷の崖っぷちに建っており、屋敷の半分が渓谷にせり出している、変わった構造だった。玄関から廊下まで、荒っぽい木が剥き出しになっており、シナンの城やイースの王宮のように、繊細な装飾などは一切見られない。
そして、そのささくれ立った壁の前には、必ずと言っていいほど壁のような大きな男達が立って、エイリ達を威嚇していた。どうやら、ポッツ家に雇われている男達らしい。皆、顔に傷があったり指がなかったり、目つきがやばすぎたりと、尋常じゃない雰囲気をまとっている。
「肩の筋肉が発達しすぎて俺は乗っても滑り落ちそうだな」
「……フチ、貴方って意外とユーモアがありますのね」
耳元でお気楽に聞こえる声に、エイリは溜め息をついた。もともと彼は修羅場慣れしているのだろう。普通はこんな怖い男たちに囲まれたら怖くてたまらないはずだ。
案の定、ルルはビビリまくってエイリの背中に隠れている。
そして何故か、その後ろにカイがのっそりとした様子で付いてきていた。
「何で来たんですの?」
『みんな行っちゃったら寂しい』
「貴方何才ですの?」
「エイリ、口が悪いぞ」
「ひっ! こ、こっち見ましたよ!」
ひそひそ喋りながら屋敷の奥の一室に入ると、パイプを咥えた小柄な老人が、大きなソファに腰掛けてエイリ達を待っていた。
「……数が多いな。全員医者か?」
眼光が鋭く、いの一番にフチを見つけて驚いた仕草に、エイリはこの老人はただ者ではない、と唾を飲み込んだ。
案の定、ルルはガタガタ震えて喋れなくなっている。
「老翁、貴方がポッツ家当主か?」
ルルを気遣ったのか、フチが話し出したので、エイリは慌てて彼を手の平に載せた。
老人は目を丸くしてから笑い出した。
「なんと! 小人がまともに話し出すとは思わなんだ。いつのまにか世間は変わったのだな」
「ちょっと!」
憤慨したエイリを手で制し、フチは自分達を紹介し、ルルは医者であること、自分は薬に精通していることを簡単に説明した。
老人は胡乱げにエイリ達を見やっていたが、しばらくしてから「わかった」と手を振った。
「まあいいだろう。ハナから期待はしていない……お前達のような怪しいのに頼むのも、また一考だ」
「……ずいぶんな言い草ですわね。ご自身の立場を分かっていまして?」
エイリはイライラしながら言い返したが、フチが首を振って留めてくる。
老人はエイリをしばらく見て、疲れたように溜め息をついた。
「……私の名はナーシル・ポッツ。診てほしいのは私の妻、ダリアだ。ついてくるが良い」
杖をつきながら、老人ーーナーシルは部屋の奥の扉を開け、さらに奥の部屋に4人を案内した。
大きなベッドだけが置いてあり、生活感がない。まるで空気が固まっているような、固い雰囲気の部屋である。
そして、そのベッドに、1人の少女が仰向けに横たわっていた。
固まっているエイリ達の横で、パイプをしまったナーシルは低い声で言う。
「ダリア・ポッツ。私の妻だ。何人もの医者に診せても、まるで役に立たん」
生きているのかと疑いたくなるような美貌の少女だった。肌の滑らかさから、年の頃はまだ20にも届いていないように思わせた。ブロンドの長い髪と揃いの長いまつ毛が、よく見ると時折思い出したように揺れている。
エイリは青ざめた。
「……サイッテーですわね……貴方、一体何歳ですの? ……こんな若い人を妻って」
「ほんとだな……身の程を知れというか……」
今度ばかりは小さな声でフチが同意し、ナーシルは顔を真っ赤にして床に石突を叩きつけた。
「黙れ! ダリアは私と同い年だ! ……歳を取らないんだ、50年前から!」
「……」
どういうこと?とエイリは眉をひそめる。
ルルがびくっと身体を揺らした。
ナーシルは苛立ったように吐き捨てた。
「そして、眠ったまま50年、起きない。……どんな著名な医者も匙を投げるばかりだ」
ナーシルの妻、ダリアの眠りを覚ましてほしいというのが、ポッツ家当主の依頼だった。
ナーシルが咳をして部屋から出て行くと、代わりにガタイの良い男が4人現れ、それぞれ部屋の隅で仁王立ちをする。エイリ達の見張り役らしい。
「うーん……」
ルルはベッドのそばの椅子に腰をかけ、難しい顔をしながらダリアの脈を測っている。フチはといえば、ダリアの枕元で背負っていたザックを引っ掻き回していた。
『何か分かりそう?』
カイが見せた板を数秒眺めてから、ルルは首を振った。
「この方自体からは正常に眠っている、以上の情報は分かりません。脈も安定しています」
「試しに着付け薬を打ってみた。そろそろ変化があっていい頃だが……ないな」
いつのまにか薬を打っているフチにエイリは呆れてしまった。仕事が早すぎて周囲がついていけないタイプではないだろうか。
「……薬なんか効かねーよ」
ぼそっと声が聞こえて、振り向くと部屋の隅の男が話し出した。初老に見えるが、鍛え上げられた身体は年齢を感じさせない。
「ダリア様は絶対に目を覚まさない。……だってナーシル様が生きてるからな」
「オイ!」
「……どういうことだ?」
フチが鋭く言い、止めに入った他の見張り役達は、舌打ちをしながら最初の位置に戻る。
喋り出した男は、吐き捨てるように言い募った。
「だって結婚してからすぐだ、ダリア様が目を覚まさなくなったのは。きっとナーシル様との生活が嫌だったんだ」
「……そ、その、目を覚まさなくなったと同時に、年を取らなくなってしまったのでしょうか、ダリア様は」
「はっ、年を取らなくなったどころか!」
男は鼻で笑った。
「ダリア様はその頃から何も食べようとしないし、髪も爪も当時のままだ。まるで時間が止まっちまったみたいに!」
「……」
エイリは男の言葉を反芻しながら、ダリアにゆっくりと近づいた。
ベッドに深く沈む身体。密やかに上がっては落ちる胸は、最低限の呼吸だけをしていることを示していた。
……本当に、時間が止まっているみたい。
エイリはおかしいな、と思う。
「エイリ?」
「……私は、理解できませんわ。嫌なら、逃げれば良かったのに」
男が激昂した。
「逃げられるわけないだろ! ポッツ家はこの辺りで一番の資本家だったんだ。ダリア様は破格の金と引き換えに嫁いだんだぞ。逃げられるわけがない」
「……では、ナーシルか自分の命を断てば良かったのですわ。手を尽くして、この状況から逃げ出せば良かったのです」
「なんだと……!?」
それなのに、彼女はここでどこにも行かずに眠っている。
ということは、つまり。
急に頭が重く感じて、エイリはふらふらとダリアのベッドの端に腰をかけた。
「だから、違うのでしょう」
「?」
「彼女は多分、この状況が嫌で眠っているわけではないと思いますわ」
ダリアの閉じられたまぶたに、いつのまにか涙が浮かんでいる。
その雫が目尻から滑り落ちる頃、エイリは頭を抱えてベッドに倒れた。
「……え!? 皆さん?」
ルルの焦った声を意識の上澄みで聞きながら、エイリは穏やかに意識を失った。眠りに落ちるように。