3.混乱極める馬車の騎士
◆
時は、少し前に遡る。
フチはソファに寄りかかって寝始めたエイリを見て、溜め息をついた。
「……効き目の良い睡眠薬ですね」
ルルが感心したように言い、フチはさすが医者だな、と内心驚いた。
「すまない。貴女の出してくれたお茶に、勝手に薬を盛った」
「それは構わないですが、なぜです?」
フチは目を伏せた。
「こいつは疲れているだろうが、警戒を解けない性質だから……」
終始、拾われた猫のように辺りを警戒していたエイリは、実は相当に疲労を感じているはずだ。肉体的にも精神的にも。
「すみません、なにやら事情があるようですね」
「お気になさらず……貴女も、事情があるようだな。ルル・セイリーン?」
フチの返事にルルは目を見開いた。
「失礼。ネックレスの刻印がセイリーン家のものに見えたので。それもあって、俺は貴女を信用した」
ルルが声をかけてきた時から、フチは察しがついていた。この女性は、マカドニア唯一の自治区を治める、セイリーン家の出自の者だ。マカドニアの中で知らぬ者がいないほど有名な資本家である。
「セイリーン家の紋を示したまま、悪事は働かないだろうと思った」
「……」
「そして、エイリを眠らせたように、貴女にも簡単に薬を打てる。信用しきれなくて申し訳ないが、ちょっと込みいった事情があるんだ。……もし、おかしなことを考えていたのだとしたら、諦めてほしい」
フチはルルをじっと見つめた。
おそらく彼女は悪意を持っていない。だが、それを見た目だけで判断できるほど、フチは楽観的ではなかった。
「心中、お察しします。ですが、私は潔白と言いきれます。信用していただけるよう、振舞います」
ルルはたどたどしくもそう胸を張る。
真面目な女性だとフチは思い、再び溜め息をついた。
「……申し訳ない」
「気にしないでください。あ、あの、さっきのお話の続きをお伺いしても良いですか?」
フチは頷き、部屋を変えてもらうよう頼み、ルルはそれを快諾した。
ルルの手の平に乗せてもらう直前、フチはエイリを振り返って見やる。
……ちょっとは休めると良いんだが。
エイリの華奢な身体には、フチが思う以上の重圧がかかっていると、フチは考える。その原因は、今の状況でもあるし、生来から人を信用できないエイリの欠点でもあると思うし、自分にもあるのではないかと、思っている。
強めの薬だったから、おそらく朝方までは目を覚まさないはず。せめて朝まではゆっくりと休んでほしいと、フチはエイリから視線を外した。
「では、貴方は12歳の頃まで、全く普通の人間と変わらなかったのですね」
ルルの研究室は本だらけだった。よくもまあこれだけ積んで馬車の揺れで崩れないなと、フチは揺れ始めた馬車にわりとビビっている。
ルルはドレスの上から白衣を羽織り、椅子に腰をかけて興味津々にフチに身を乗り出していた。フチはといえば、硝子の容器の後ろに身体を半分隠している。
「な、何故でしょう……何故、急に小さくなったのでしょう」
「すまない、昔のことなので俺もあまり記憶が定かではないんだ」
「思い出してください。……どんな心理でしたか? ……はあ……」
ちょっと待て。なんかこの女変だぞ。
フチが隠れているのは、ルルの様子がおかしいからだ。
「初めてのケースですね。これは……負の進化と考えて良いものか……きっかけは……強烈な外的環境の変化が……」
ルルはぶつぶつと何がつぶやきながら、羊皮紙に単語を書き募っている。瞳孔が完全に開ききり、呼吸が荒い。
「フチさん」
「な、なんだ」
「その他に、貴方の身体に何か変化はありませんか?」
フチは首を振った。
ルルは納得がいかないのか、目をらんらんと輝かせながら、フチに手を伸ばしてきた。
「おい!」
「おかしいですね……シフォア人の変化は通例2つあるはずなのに……はあ……カイさんといい、……私の仮説は間違って……?」
「おい、離せ!」
素早く身体を掴まれ、フチは目を白黒した。ルルの目にフチを傷つけようという害意はない。だが、ひん剥かれそうな雰囲気がある。
「おい、やめろ! おい!」
「……はあ……」
そこで、扉の向こうからエイリの悲鳴が聞こえた。
「ぎゃあああああっ!」
「エイリ!? ……っ!」
「っつ!」
フチは素早くルルの手の平を蹴り飛ばした。
ルルは仰天して手を離し、フチは身軽にテーブルに着地する。
ーー何があった!?
「エイリ!」
大声を出すと、エイリのいる馬車の方が勢いよく開いた。
顔を真っ青にしたエイリが、何があったのか髪を振り乱しながら、フチを見とめて走ってくる。
「この!」
「ーー!?」
気づけばエイリの手の中におり、フチは目を白黒した。
エイリは血走った目で、座ったままのルルにナイフを突きつけている。
「この、詐欺師!」
エイリが叫んだ。すごい声だ。
ルルは身体を固めて、ナイフとエイリを交互に見ている。完全に腰が抜けているらしい。
「エイリ! 大丈夫か!?」
「詐欺師! フチも生きたまま標本にする気!?」
なんだって?
フチが驚愕した瞬間、扉の向こうから男がぬっと現れた。
全身から水を滴らせ、口元は完全にマスクのようなもので覆われて、素っ裸である。胸から首筋にかけてびっしりと細かな黒い痣。何か板のような物を持っている。
一言で言えば、異常だった。
「ぎゃあああああっ!」
「きゃあああああっ!」
エイリは振り返って再び叫び、ルルはエイリの叫び声につられて叫ぶ。裸の男はゆっくりとこちらへ歩いてくる。
……落ち着け、落ち着け!
フチは心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。
エイリの手の中から抜け出し、剣を構える。装填した毒がなんだったか思い出せない。
そんなの知るか、エイリだけは守らなければ……!
「ま、待って! 待ってください!」
ルルが間に入ってきた。
「カイさんは、い、生きてます! ふ、普通の人間です! あ、シフォア人ですが……!」
エイリはルルの言葉など聞こえていないらしく、いよいよ寄ってきた男から逃げるように距離を取る。
男はといえば、持っている板に何かを書きつけ始めた。
「す、すみません、黙っていて、か、カイさんは、す、水中でしか、息が、……だから……」
泣きそうなルルを差し置いて、男は、困ったように眉尻を下げながら、書きつけた板を見せてきた。
『初めまして。カイと申します。怖がらせてしまって申し訳ない。ルルさんのお世話になってる者です。水中でしか息が出来ないので、水槽の中で寝てました』
達筆の書き込みを見ながら、フチは口をパクパクした。
「か、カイさんは、私の研究に協力してくれて、いて……」
ルルの研究の協力者。
そこで、エイリの全身からぷしゅう、と音を立てて力が抜けた。
「エイリ!?」
首元のフチを庇うように倒れたエイリは、気絶していた。
ルルがついに泣き出した。男はガリガリと板に書きつけている。
「す、すみません! すみません! 私が黙ってたから……ご、ごめんなさあい〜」
『どうしよう、死んだの? 僕のせい?』
「うわあああ〜」
混乱を極める場に、フチはくらくらしながら、騎士としての意地で背筋を伸ばした。キッと2人を睨みつける。
「ルル・セイリーン! 泣くのはやめてエイリを診てくれ。あと、お前! ーーまずは服を着ろ!!」
「ほ、ほんとにすいません……」
ソファのある馬車の中、腰かけたルルは深く頭を下げた。その隣にはカイと名乗る青年が、なにやら厚ぼったいローブを身につけて、ぼーっと座っている。
エイリはしばらく経ってから目を覚まし、フチが声をかけるまでぷるぷると震えて収まらない様子だった。ようやく落ち着いて、無言のまま2人に対面している。
フチは頭を抑えていた。
「……つまり、ルル嬢、貴女は2人連れだったのだな」
「は、はい。カイさんとは道すがら出会って、彼も旅をしているので、一緒に各地を巡ってたんです。私は、研究のために、色々話を聞きたくて……」
『僕は、ルルさんが良い感じのベッドを提供してくれるからついてってました』
曰く。
カイという男は水中でしか息が出来ない人間なのだという。マカドニアの小川で沈んでいた彼をルルが発見し、そのまま連れ立って旅をしていたらしい。ルルは彼の話は自身の研究に役に立つと喜んだ。
そして、カイのことをフチ達に紹介するつもりだったが、なかなかタイミングが掴めなかった……とのこと。
そしてそして、目を覚ましたエイリが水に沈んだままのカイを発見し、先程の大混乱へと繋がる。
カイは大きなマスクをはめていて、その中は水で満たされている。呼吸をするためには、喋ることを犠牲にするしかなかった。だからカイは筆談が出来るよう、いつも黒板を持っているらしい。
当の本人は、悲観的な様子など一片も感じられなく、ぼけーっと窓の外を眺めていた。
「び、びっくりさせてしまってごめんなさい……」
「いや……」
ルルはただでさえ小さくしている肩をさらにしぼませていた。エイリは黙ったままだったが、やがてぽつりと言う。
「……フチ、私に薬を飲ませましたの?」
「!」
フチはテーブルの上でぎょっとしてエイリを振り返った。
彼女は能面のように無表情である。
「睡眠薬、ですわね。私、効きが良くありませんの。昔からよく飲んでいたので。お茶に入っておりましたわね」
「……」
「フチ、私は迷惑をかけていますか?」
思ってみなかった言葉に、フチは後ずさった。
「すみません、私。本当に誰も信用できなくて。でも、そういうのは一緒に行動するのには疎ましいのでしょうか」
「い、いえ、仕方ないと思います。わ、私、多分どう見ても怪しいので……」
おろおろとするルルの前で、フチは言葉に詰まった。珍しいことだった。
「いや、……違うんだ。お前が休んだ方が良いかと思って、……疲れているだろうから……」
違う、多分そうじゃない。
フチは色のないエイリの目から逃げるように俯いた。
「……ごめん……勝手に薬なんか飲ませて」
エイリの身を案じていたのは確かだった。でも、それで彼女の身体に好き勝手に手を出して良いわけがない。強制的に眠らせる方法を選んだのは、他でもないフチの怠慢だった。
これでエイリは多分、フチが自身にいつでも何かをする人間だと認識するかもしれない。フチを好きだ、役に立ちたいと言ってきた彼女が。
「フチ、顔を上げてくださいませ」
「……」
見上げるとエイリは微笑んでいる。温かい表情に見えた。
「睡眠薬は……やめてほしいですわ。頭が痛くなるの」
「……わかった」
何かもっと言わなければならないが、言葉が出てこない。小さい頃に忘れた感覚に、フチは戸惑っていた。
気まずい空気に、終止符を打ったのはカイである。
『ニール渓谷に着いたみたい。でも何か変?』
とん、と置かれた黒板に、皆は揃って窓の外を見た。
何故か、いかつい男達が一列に並び、渓谷に架かる橋を封鎖している。
不穏な空気にエイリが溜め息をつき、フチは思わず、彼女の腕に手をついた。