4.無限こどもと夕暮れ街道
リコと呼ばれた12歳くらいの少女は、何度も何度も裏シトロで賭けに興じ、おおよそ勝って元手を何倍にも膨れ上がらせるという、ちょっと信じられないことをやってのけたらしい。
「ごべんなざい。ごべんなざい……」
泣きすぎて埒が明かないと踏んだらしいエイリは、裏シトロを出て、彼女とフチを連れ立って小径の一角にリコを座らせた。小ぶりな花が咲く木の根元は、リコの状況とは裏腹に穏やかな空気を纏っている。
「リコ。私の質問に答えられそう?」
「こっ……孤児院には、帰らないの?」
「リコの話を聞いてからね」
リコは泣きべそをかきながら頷いて、エイリは優しく微笑んでから彼女の頭を撫でた。
フチは幹に寄りかかりながら、その様子を見守ることにした。
「怖かったね」
「ゔん……センセ、迷惑かけて、ごめんなざい」
「うん」
リコは訥々とこれまでのことを話し出した。時々つっかえるが、非常に分かりやすい。賢い子供なのだろうと、フチは思った。
「シュリセンセも、院長も、お金がなくって大変だって、ずっと言ってたから、役に立ちたくて……。でもこんな身寄りのない子供、雇ってくれるところ、どこにもなくて」
「うん」
「最初はシトロに行ってたの。表の方。でもそんなんじゃ全然足りなくて……裏シトロに行き始めたの。勝てるようになってきたら、借金もどんどん返せていってね。院長もシュリセンセもほっとしてて、良かったと思ったの」
「……院長もシュリさんもリコが行くことを止めなかったの?」
リコはしばし逡巡した。
「知ってたのかも、知らなかったのかも、よく分からない……」
リコが言うには、子供だとバレないようにシュリの外套を拝借するようになってから、シュリは外出に外套を用いなくなったらしい。元手の資金はサイガの机の上にあった金を勝手に拝借し、手に入れた金は同じようにサイガの机に置いておいた。よってサイガとシュリはリコがどうやって金を手に入れたのかも、金を置いたのがリコであることも、恐らく知らないであろうとのこと。
「そう……」
それを聞いたエイリの背中から暗い怒気が立ち昇ったのを見て、フチは出会ったばかりの彼女を思い出した。何もかもに怒っていたエイリは、きっと今、サイガとシュリに怒っている。
「センセ?」
「リコ。……それで、さっきの奴らは?」
「あ、うん。あのね、」
そこからは、おおかた予想通りだった。
イース騎士の監査に怯えたリコは、慌てて足りない分の金を補充するために裏シトロにやって来た。いつもだったら手を出さない、法外なレートの勝負に乗ったところ、イカサマをされてあの男に負けて、危うく身売りされかけたとのことだった。
「本当に、迷惑をかけてごめんなさい……」
反省の意を示すリコに、エイリはしっかり目を合わせた。
「私、リコの気持ちはすごくよく分かる。誰にも相談できなくて、でも自分がやるしかなかったんだよね」
「……」
「気づけなくてごめんね。私、ナイカ孤児院の借金がそんなに大きかったなんて知らなかったし、リコが出かけてることにも気づかなかった。ごめんね」
「……ううん」
「でも、貴方を失わなくて、良かった。ジョウもリンネも皆、貴方を頼りにしてるから、いなくなっちゃったら、困るよ」
エイリは子供を相手にするとき、必ず目を合わせてゆっくりと話す。真摯に向き合う姿勢と言葉を選ぶ慎重さに、フチは彼女の尊敬すべき側面を垣間見た。こうやって子供と接する彼女のことを見ることができて、良かったと思う。
「貴方はもっと貴方を大切にすべきだった。賢い貴方だから、普段はそう考えられたと思うけど、焦っちゃったんだよね。今度からは、私を頼ってくれる?」
「……うん」
リコはぶわっと涙を流しながら、エイリの胸元に飛び込んだ。ごめんなさいと何度も言う姿に、エイリは彼女を強く抱きしめ返した。
フチは寄り掛かったまま、その姿をただじっと眺めることにした。
ややあってから、鼻をすすったリコは泣きはらした目をエイリと後ろのフチに向けて来た。落ち着いて、周囲のことを見られるようになって来たらしい。
「……ごめんなさい……あの、院長とシュリセンセには」
「もちろん全部話します」
「!」
リコは絶望した顔をした。対するエイリはきゅっと口元を引き締めた。
「め、迷惑かけたって嫌われちゃう……」
「リコ、そんなことは絶対に有り得ない。私も一緒に行くから平気だよ」
力強く頷くエイリを見てから、リコは恐々とフチを見上げて来た。
「い、イースの騎士様。あの……院長とシュリセンセを、怒らないであげてください。悪いのは全部私なんです」
震える声に困ったフチは考えあぐねて、結局そのまま言うことにした。隠し事はかえって良くない気がしたからだ。
「というわけで、補助金が裏シトロでの賭事に使用された事実がある以上、予定通り補助金は減額する」
ナイカ孤児院の応接間で告げたフチに、サイガとシュリは土気色の顔をして頷いた。ついでに同じ台詞を先に聞いたリコは、すでに応接間の端っこで消えてなくなりたいような顔をしている。
あんまりにも自分が酷いことを言っている気になったフチは心配になって隣のエイリを見たが、エイリは厳しい顔で頷いていた。
「リコを庭に連れてってもらっても良いかな」
「うん」
「ありがと、フチ」
ガタガタ震えるリコを部屋から出した瞬間に、背中からエイリの白熱した声が聞こえて、フチは昔の彼女を再度思い出した。
「リコに選択をさせたこと、おかしいと思います。責任を彼女に押し付けたのと同じです」
エイリはサイガとシュリに対して怒っている。おそらくあの老夫婦が、リコが賭場で金を荒稼ぎをしていることを知っていてなお、リコを止めなかったことに対して。それは子供に選択させ、責任を押し付けたのと同義であるとエイリは考えたのである。
フチも同じく腹の底では憤っていたが、エイリは多分、自分より正しく真摯に2人に対して怒りを伝えることが出来るだろう。
問題はこっちだな。
フチはか細く震えるリコの肩に、どうしたものかとため息をついた。
「わ、私のせいで、お金が……」
リコはぽろぽろ泣きながら、芝生に降る階段に座り込んだ。細長い足を抱え込めば、そこにいるのはただの小さな、追い込まれた可哀想な子供だった。
「リコ」
隣に座ると、リコは膝頭におでこを当ててさめざめと泣き続けた。
「泣くな」
「……すいません。でも、涙が、止まらないです」
「うん、でもな」
「……?」
「泣き止んでくれないと、こいつらの頭にたんこぶが出来る」
「???」
ばっと顔を上げたリコは、隣のフチにしがみついた数人の男児に目を丸くした。
「リコを殺す気か!」
「その前にお前をぶっ殺してやる! 死ね!」
「くたばれイースの犬野郎!」
「きゃああああ」
ナイカ孤児院の庭は大騒ぎになった。
……しばらくしてから、庭には泣きべそをかく子供たちの山が出来上がった。
フチはその山の前で詰襟の埃を払ってから、子供たちに対して説教を開始した。
「口が悪いのがいるな。直せ。品性は口調に出る。下品な奴には良い出世は見込めない」
「うるせーバーカ! 売国奴が! いだっ!」
「使い方も間違ってる。お前は吊るす」
「ぎゃあああああ」
「わああああああ」
何故だ、とフチは思った。子供たちを放り投げている内に向かってくる子供たちの数が増えている。無限に続く気がする。
「いい加減にしなさい!!!」
リコが細い身体のどこから出したかと思うほど怒鳴ると、やっと子供たちは泥だらけの顔を上げて、拗ねたようにフチから離れていった。
「あの、ご、ごめんなさい」
「いや、リコは悪くない」
真っ青になっているリコを再び階段に座らせると、彼女は幾分か落ち着いたように見える。
隣に座ったフチを、再び恐々と見上げてきた。
フチはちょっと考えながら、リコをまっすぐ見て、エイリがしたようにゆっくり話をすることにした。
「ほら」
「?」
「俺が昨日ここに来たときは怖がって動けなかった子供たちが、今はあんなに俺に向かってきただろう。それって、リコを守りたいからだろう。……慕われてるんだな」
リコは泣きそうな顔になった。
フチはちょっとビビりながら言葉を重ねる。
「リコはちょっとやり方を間違えただけだと思う」
「?」
「確かにナイカ孤児院の経営は苦しいし、これからもずっと苦しい。予算もそこまで一つの孤児院にかけられるほど余裕がないし、他にもたくさん同じ状況の場所がある。打開するには考えなきゃいけない。……リコが、子供たちが、ここを守りたいと思うなら」
リコはきゅっと口元を引き締めた。
怯えが消えた表情に、フチは関心したし、安心した。
賢い、強い子だ。
子供はすごいと改めて思う。勇気を持って、真摯に自分の可能性を模索する力がある。それが出来る大人は実はほとんどいないというのに、子供はそれを軽々とやってしまうのだ。
「……騎士様。わ、私、この孤児院があったから生きてます。皆のことが大好きで、守りたいんです」
「うん。じゃあ、勉強しないといけない」
「……」
「一人立ちしてここを助けてあげられるようになるには、稼げる仕事に就かないといけない。何になるにせよ勉強は必須だ。俺が手伝う」
リコは目を瞬いて、フチは頷いた。
「リコは賢い。賭場で元手を10倍にするなんて、普通に出来ることじゃない。勉強すれば良い職に就ける」
「で、でも、私、もう12歳です。今から勉強なんて、遅すぎる……」
「勉強に遅すぎるも早すぎるもないと思う。エイリだって俺だって勉強中だ」
本当に。まだまだこれからたくさん学ぶことがある。
リコはしばらく手をもじもじさせてから、フチを見て、それから逸らして意を決したように口を開いた。
「あの、やりたいことがあるんです」
「うん」
「裏シトロで賭けているうちに気づいたんです。これ、一番儲かってるの裏シトロじゃない? って」
「うん?」
フチは首を傾げた。
「すごい取り分なんですよ。例えばマンタっていうゲームがあるんですけど、一番少ない取り分でもディーラー……つまり裏シトロは賭け金の3割を持っていくんです。一番少ない取り分で! 参加者は一番買って7割、負けたらマイナス5割なのに!」
「……うん」
「計算したらどうやっても一番手っ取り早く稼げるのは親元、裏シトロなんです! 他のゲームも大体そうなんです。これってずるい、と最初思いましたが、反対に私がこの立場になればぼろ儲けです」
急にまくし立てたリコは赤面した。
「あ、あの、裏シトロはなくなっちゃうんですよね。分かってます……。でも、表なら、これほどまでとはいかなくても、私の技量でそこそこまでいけると思うんです。だ、だめですか?」
フチは破顔した。この早熟さが、昔の自分に良く似ている気がしたからだ。
「だめじゃないと思う」
「! やった」
「でもきついぞ。どうやってシトロのディーラーになるか知ってるか?」
「……いえ」
「資格がいるんだ。公正な賭けを常に行うために、シナンが直下で管理している。合格率は正直低い。この状況でもあるし」
「……」
落ち込みそうになっているリコに、フチは唇に手を当てて考え込んだ。
「大丈夫だ。手伝うって言っただろう」
報告のために城に一旦戻ると、アンリがご機嫌で声を掛けてきた。前々から廃止したがっていた裏シトロの件に決着をつけることができたからだろう。
「飲み行こ! エイリも誘ってね! ジルと4人で!」
ジィリアとフチ以外と食事を取ることも珍しいアンリが、エイリを誘うなんて、フチにとっては少なくない驚きだった。でもエイリを根っから信頼してくれたことが嬉しくて、フチは二つ返事で了承して、エイリを迎えに再びナイカ孤児院を訪れた。
「フチ! ……何かあったの?」
相変わらず腰に子供を引っ付けたエイリはパタパタと走ってきて、フチの持っていた大量の本に目を丸くした。孤児院の門先にわらわらと子供が集まり始めた。
「城から廃棄されそうになってた本……の中で子供も読めそうな奴。あとこれはリコに」
「騎士様!」
リコに渡した本は、資格試験のさわりだけが記載されている。これを読んで、やる気を出せるかどうか、またしばらく経ってから様子を見に来ることにしたのだ。
「ありがとうございます……!」
リコが目を潤ませているのを見て、エイリが花が咲いたように微笑んだ。
帰り支度をする、というエイリの向こうにサイガとシュリがいる。普通に話が出来ているように見えて、フチはほっと息をついた。今はまだぎこちないかもしれないけど、多分それは時間が解決してくれるだろう。
「あの、騎士様」
「うん?」
門先でやることがなくて雑草を引っこ抜いていたフチに、リコが声を掛けてきた。
「あの、騎士様は、センセ……エイリセンセの言ってた婚約者ですか?」
「うん」
「そうですか」
リコは変な顔をしたので、フチはちょっと落ち込んだ。そんなにエイリと自分は似合わないだろうか。まあ、自分はイースの騎士だし、エイリは綺麗で可愛いし、まあ、無理もないのだろうけど。
「何で腕輪してないんですか?」
「……うーん」
「雑草、明日、子供たち全員でやるのでいいですよ」
「……うん」
「次、いつ来てくれますか?」
「5日後だな。次来るまでに分からなかったところを挙げておけるか?」
「はい!」
座り込みながらリコと雑談していると、エイリが走ってやってきて、ぴたっとその場で立ち止まった。なんだか顔がむずむずしているし、頬が染まっている。
「エイリ、帰ろう」
「んふふ」
「?」
「エイリセンセ、また明日」
リコは何度も2人に向かって頭を下げて、礼を言った。
思ったより大きな騒ぎになったが、思ったよりずっと丸く収まってよかった。
フチがそう思いながら、エイリと共に孤児院の見えなくなる角を曲がった瞬間。
「フチ! ありがと! 今日は! 好き! 大好き!」
「!?」
背中になかなかの衝撃を受けた。エイリが子供みたいにくっついている。
「あのね、院長とシュリさんとちゃんと話せたよ。今度からちゃんといろいろ教えてくれるって!」
「うん、良かった」
「あとね、リコが、イースの人も良い人だって言ってたの。勉強、教えに来てくれるの? 忙しいのにありがとう! ありがとう!」
「手伝うって言っただろう。俺だって将来的にはエイリと一緒に孤児院を経営するんだし」
何でエイリはいつも背中にくっついてくるのか。抱きしめたいのはフチだって同じなのに。
エイリはいつものようにちょっと変な笑い声をあげながら、いつもと違うことをした。
「ね、好きだよ、フチ」
背伸びをして耳元にキスをされ、フチは街道で転び掛けた。
「えへへへへ」
ちょっと待て、とフチは固まった。すごい速さで頭を回転させて、ちょっと待て、と言いながら後ろでにこにこするエイリの手を握る。
「……や、待て」
「何が?」
「行かなきゃならないところがある」
エイリはフチの手を握り返して、指でフチの手の甲をこしこしと擦ってきた。おまけに首を傾げて見つめてきた。長い睫毛がしぱしぱしている。
「アンリとのご飯? まだ時間あるよ?」
「み、」
誘ってる!
フチはそれは、それはもう気が動転した。凄まじい速さで頭が回転して、結果、目の前の婚約者を今すぐ抱き締めろと意味のない本能を叩き出した。
だって、あの、エイリが!
「蜜パン」
「ん?」
「蜜パンを買いに行かないといけない」
「い、今じゃなきゃだめなの?」
フチは今生の意思の力で持って頷いた。それから慌てて頭を振った。
別に蜜パンはいつでも買いに行けばいいけど、エイリと過ごすには、アンリとの約束の時間までは短すぎる。エイリと違ってフチには全然、時間が足りないのだ。