15.「また会おう。願わずとも!」
「よかった!!!」
エイリは飛び跳ねた。シータもルルもジィリアも、泣きながらフチに飛びついた。
だがフチは、丁重に彼らを引き剥がしてから、急にエイリを両手で持ち上げた。
「わっ!」
「良かった……!」
何故か1人でエイリの重さを確認しているフチは、エイリと目を合わせるとぎくっと動きを停止した。そしてそのままぱくぱくと口を開けた。なんだか動きと声があっていないような、ぎこちない感じである。
「あー、エイリ」
「……フチ?」
「先刻のことなんだが」
「おい」
「よく考えたんだが、やっぱり俺の」
「おい!!!」
フチの口が、動いているのに声が聞こえなくなった。
「いい加減にしろ! 扉の施錠に間に合わなくなったらどうしてくれるんだ!」
「アイソ、やめなさいよ、相手は『死』の体現者よ!」
声の出所はベリィの隣、未だに残っていた男女のストーリィだった。怒鳴った男性は物々しいローブを着ており、それを止める女性は短い髪で、肉感的な肢体を薄いベールで隠している。
フチは彼らを横目に見てから、エイリに甲板に下ろして説明をしてくれた。
「……ライアとガクのストーリィだ。多分、俺が彼らを殺した際に俺の中に移行し、俺の記憶を食っている」
「……それが契約だったからな。悪いことをしたとは思っていない」
男の方が鼻を鳴らし、エイリは目を丸くした。
では、彼らがライアに動物と話せる力をもたらし、メルンとガクには笛を吹くことで生き物を操れる力をもたらした存在なのだ。
「『契約破りの3人』のうちの2人だよ。よしよし」
ベリィが赤ん坊をあやしながら、シータの肩口でふよふよと浮かんでいた。
シータがしかめっ面をする。
「なんだそれ」
「ストーリィはね、本来は"語り部"によって依代に宿らされるんだ。そういう契約になっている。ボクも先代の"語り部"から命じられてシータを依代としたんだけど……」
「私たちは自身の力で依代を決め、その人に宿ったのよ」
女性のストーリィが胸に手を当てて、美しい声音で囁いた。
「"語り部"の自覚のないエイリは、永遠に誰の願いも叶えないだろうと思ったのよ。契約を破ったことを、今でも後悔しているわ」
アイソと呼ばれた男性のストーリィは、厳しい表情で頷く。
「後悔しても始まらんが、俺たちはまだ良い方だった。"親指"はカイという依代から逃げ出してフチに宿り、最終的に死んだからな」
「……」
エイリは察した。
先代の"語り部"が亡くなってから、ストーリィ達は新たな人間を依代とすることが出来なくなった。ルールを破って自ら勝手に人間に力を与えたストーリィは3人いて、残りの1人であるフチに宿っていたストーリィ……"親指"は、おそらくストーリィとして初めて死んだのである。
言葉もなく思い馳せていたエイリとは反対に、眉根を寄せたフチは低く言い募った。
「何の用だ。契約解除によってお前達も俺の中から出ていくんだろう」
言葉を挟んだのは、怖いもの知らずのベリィである。
「フチはほんとに欲がないねえ。アイソも素直に言えばいいのに。貴方が怖いから記憶を返しにきましたって」
「!」
エイリは思わず、びっくりしてたたらを踏んだ。
「そ、そんなこと、できるの!?」
「可能よ。そもそも私たちの食事は貴方達と違って消化ではないから」
目の前に"笛吹き"のストーリィである女性が飛んできた。彼女はエイリの前髪を分けて、切なそうに微笑んでから、額にそっとキスをした。
「私のせいで、メルンは死んだわ。ごめんなさい。謝って許されることではないけど……貴方の恩人であるメルンは、確かに貴方を愛していたと思うわ」
エイリはなんと言ったらいいかわからなかった。
メルンは確かに彼女の力でシナン王に見初められてその力を振るっていたが、同時に孤独でもあった。すでにこの世にいない彼女は、この状況に何を思うだろう。
「ふん、断じて恐怖からではない! 単なる厚意だ。感謝するがいい」
「押しつけがましい」
「……本当にいらないのか? え? 後悔するぞ」
「いいから早く返せって言ってる!」
フチと、アイソと呼ばれた男性が小競り合いを始めていた。
だが、決着はわりと簡単に着いた。結局のところフチに睨まれたアイソは、咳払いをしてから頷いたのであさる。
「そもそもお前の記憶には俺の好むようなぐずぐずした苦悩がない。まっずい記憶だった」
「……黙らないと『異界』とやらに帰れない身体にしてやる」
「……ごほん、」
アイは急に顔の真下に手をやって、げろげろと音を立てながら、七色に光る流動的な吐瀉物を吐き出した。
「おい最悪だろ……」
人間側全員がドン引きしているなか、女性のストーリィまでもが同じものを吐き出した。
「食え。記憶が戻る」
「……嫌がらせか?」
フチが暗い顔をする中、男女のストーリィは異界へと飛び立った。
残ったのはベリィと赤ん坊のストーリィだけで、すでにシータは半泣きである。
「の、残れないのかよ」
「ううん、残れるけど、でも帰るよ。なんだかこのコの世話係になっちゃったみたいだし」
ベリィはからっとしていて、シータとは対照的だった。
なんだかエイリも寂しくなって、思わず彼に声をかける。
「あの、ベリィ、本当にありがとう。貴方がいてくれたから私、無事に生きてられる。味方をしてくれて、本当に、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとう!」
ベリィはぱっと輝くような笑顔を見せた。
「エイリはよく頑張った! キミの選択の重大さが分かるのは、きっとこれからだ。でも絶対に間違ってないって、ボクが保証する! シータと仲良くしてあげてね」
「うん……!」
頷いたエイリを見上げてから、ベリィはシータに向き直った。
見たことのないほど暗い顔に、エイリは驚いた。
「がっかりしてるでしょ?」
「……」
「親友だなんだと言っておいて、ボクは結局キミが苦しんでる隣で美味しい思いをしてたんだよ。寄生虫よりタチが悪いよね」
「……」
「でもね、キミのこと、ほんとに好きだよ。今までも、これからもずっと」
シータが急に怒鳴った。
「どーだっていいよ!」
「!」
「楽しかったよ、俺! お前がいてくれでよがっだし! 今ざらぞんなのどうだっでいいよ……!」
ルルのハンカチはすでに意味を成していない。
シータはぼろぼろ泣きながら地団駄を踏んでいて、ベリィは変な顔になった。
「ベリィ、俺、」
「……泣きすぎだって」
「お前に会いに行くがら!」
「!」
目を丸くしたベリィは新鮮だったが、彼はすぐに空を仰いで笑い出した。
「なんで笑うんだよ!」
「だってそれは、異界の扉を開けてって願うことだろ? せっかくエイリが苦心して断ち切ったっていうのに」
「ちげーよ! ぞんなこと願うかよ!」
「……」
「俺は俺の力でベリィに会いに行くって言ってんだよ! 待ってろよ!!!」
顔を真っ赤にして怒鳴るシータ。
ベリィは眉尻を下げて刹那の瞬間、寂しそうに微笑んだ。
「そうだね。うん、そうだね。待ってる。いつか絶対会おう、親友。キミにはその力がある」
「……ベリィ……」
「シータ、ボクはキミに会うまで人間が嫌いだったんだよ。素直じゃないからね。……でも、キミを好きになって人間も悪くないって思った。そういう意味では、この場で一番の英雄は間違いなく、シータだよ。ボクと出会ってくれて、ありがとう」
またね。
エイリが涙を拭う頃には、号泣しているシータの肩口にはもう、ベリィの姿は見当たらなかった。
「だから早いんだよ!」
泣きながら怒号を飛ばすシータの周りに集まって、エイリとルルも涙した。だがすぐに、泣きすぎたシータが過呼吸を起こして大変なことになったので、慌てて涙を引っ込めた。
シータが落ち着いたところで、来賓用の客席の隅から、バスク・セイリーンがパイプを加えながら顔を出した。
皆を見ながら愛想良く笑っているし、ルルの父ではあるのだが、なんだかエイリは近寄りがたい。
「合同祭典はおそらくしばらく中止です。この騒ぎですし、何よりレニア家が崩壊しましたからね。ネドの宰相の方に話は通してありますが、どうなることやら」
エイリの隣で、フチが首を傾げた。
「そろそろ効果が切れるところだと思うが」
「?」
皆が揃ってその言葉に首を傾げて、フチを追ってもう一つのメインの客船……レンズとアイシャが乗っていた船に目をやった。
「レンズ!」
アイシャが金切り声を上げて、レンズを抱きしめている。
レンズは何が何やら分からないといった顔で、アイシャにされるがままになっていた。
「カイの目の前で死んだと思わせれば良かったから……。一時的な仮死状態に陥らせる薬だ。レニア家が領地の統治から離れることになっても、求心力は必要だと思ったから」
「こ、殺してなかったのですね。それはまあ……助かります。ネド側の統治が始まるとしても、引継ぎがあるとないでは大違いですから」
「じゃ、じゃあ、あの2人は……」
エイリが慌ててバスクに聞くと、彼は首を竦めた。
「私からは何とも。どちらかにしてもネド王家に裁かれるのはやむなしでしょう。カイの脅威をどれだけネド王家が知っていたかどうか、ですな」
「……」
バスクはあっさりと言って、自警団に客船から脱出出来るように動くよう、指示を飛ばし始めた。
その合間に次々と今後の進退の話を投げてくるので、エイリとシータは目を回しそうになった。
「え? レニアの遺産、私に?」
「レニア家の遺産は莫大で、あの姉弟にはそれは引き継がれませんから、必然的に貴方のものになります。決定はネドが行いますから私からは何とも言えませんが、まあ、一度レニアの姓に戻った方が賢明とは思いますね」
「???」
「え? 俺がセイリーン自治区に?」
「一連の流れを見ていて思いましたが、シータ・シーカーシニア、貴方がストーリィと協調したことによる功績は非常に大きい。一度我が自治区に来て頂けると嬉しいです。それに貴方は娘の命を何度も救ってくださった」
「???」
そうこうしているうちに客船が傾き始めた。ギシギシと不穏な音を立てる客船に、小舟が何艘も駆けつけて、要人から載せて次々にアマンテスの岸に向かう。
カイの遺体も収容され、残るのはバスクとエイリ達と、何故か駄々を捏ねて残ったアンリ達だけになった。
「とりあえず、アマンテスにて会議を開きます。この場の方全員に出席して頂きます。ネドの宰相の方にも来て頂くことになってますから、あの姉弟についても、そこで正式な決定が下されるでしょう」
バスクはてきぱきと言ってから、取ってつけたようにみんなに向かって「お疲れさん」と小声で呟いて、機敏に小舟に乗り上げた。
「エイリ」
エイリは目を回していた。一度に起こったことが多すぎて、エイリの頭の中では処理しきれない。
というか、最初、レニアの家に戻らないと決めたのは何故だっただろうか。
「エイリ」
「わっ!」
エイリはふらふらしていたらしい。
フチは見兼ねたらしく、彼女を横抱きにして心配そうに見つめている。
「寝不足だな。会議は休んでとりあえず寝たほうが良い」
「え! 出るよ!」
「そんなんじゃまともな判断は出来ない」
「でも、だって、フチもこれからどうするか決めるでしょ? 私だって参加したいよ」
……そうだ、私は、レンズとアイシャじゃなくて、フチと一緒にいたいから断ったんだった。
エイリが眉尻を下げると、フチも同じ顔をした。最近彼は、エイリと同じようにころころ表情が変わる。
「俺は、エイリとシナンに行く。でも、孤児院については、しばらくは手伝いをするだけになる」
「え?」
「僕が誘ったんだ」
にやにやしたアンリが手を挙げた。
「僕、シナンの統治改革でしばらくというが、わりと長い期間シナンにいることになったから、フチを誘ったんだ。フチがいれば大分助かるからね、色々と!」
「そ、その代わりもちろん、私達もエイリさんのサポートをさせてもらうわ。フチの手を借りるんだもの」
ジィリアも慌てたように手を挙げて、エイリは目を回しかけて……そうはいくかと、きっとフチを睨んだ。
だからレンズとアイシャと話をしたとき、フチはなんだか焦っているように見えたのだ。エイリがレニアに残って孤児院を開くとしたら、フチがいたいシナンには遠すぎる。
フチは騎士を続けたいのだろう。エイリも何となく、フチにはその方が合っているようにずっと思い続けていたから、それに特に反論するつもりはなかった。
でも。
「何で言ってくれなかったの! 私だってそれ聞いてたら、レンズとアイシャにあの場ですぐに断ったよ」
「だ、」
「わ、私が、フチのしたいことに反対するように見えた?」
「あ、」
エイリは悲しくなったが、今度はフチが目を回していた。
「その時はレニアの兄妹が、エイリを必要だって言うと思ってなくて。エイリが、俺の姓、いらないって言うかもしれないと思ったから」
またさっきの話だ。
エイリは眉をひそめてフチの話を聞いていたが、やがて思い当たって挙動不審になった。フチのシーザウェルトという姓がエイリにとって、必要か否か。それってつまり。
「ぜ、絶対に必要だと思う。シナンは敗戦直後でネド人のエイリにきっと不利になるから、イースの騎士の俺の地位があれば多少やりやすくなると思う。あと俺の貯金だって、レニアの資産に比べたら少ないが、多少は足しになると思う」
フチは洪水のように言葉を吐き出して、そのままぷっつりと沈黙した。
エイリはと言えば、話の途中で耳まで赤くなった。
「わ、私がフチの、お嫁さんになるってこと?」
「なった方がいいと思う」
食い気味に返答したフチは、急に歩き出して甲板の手すりにエイリを載せた。そしてそのまま手すりに両手をついて、間にエイリを閉じ込めた。
「あとエイリは休んだ方がいいと思う。会議は俺が全部やっておくから」
「え、でも」
「さっき、何でも言うこと聞くって言った」
「い、言ったっけ」
「!」
フチはかなりショックを受けた様子で、そのまま息を吐くのまで止めてしまった。
エイリは気づいた。
どうやらフチは今まで見たことがないくらい気が動転していて、今だってすごい速さで頭を回しているのだ。
と、思いきや。
「……!」
急に唇に唇を押し付けられて、エイリは後ろに落ちそうになった。背中を支えてきた大きな手の平が、ドレスに覆われていない部分の肌を直に撫でる。びっくりするほど熱かった。
「ひゃっ!」
「こういうこと、するぞ。いいのか」
怒っている低い声音に、エイリは耳まで赤くなって泣きそうになった。何が何だか分からない。
でも、フチがエイリを触ることをどうやら彼は戒めとして捉えているらしい。何故だか。
エイリはまた、フチを睨んだ。
フチは1人で考えすぎて、いつもエイリが追いつかないまま先に行ってしまう。今だって多分勘違いをしている。
「な、何が駄目なの?」
ポーン。
どこかから謎の音が聞こえた気がして、エイリは辺りを見回した。音の出所は分からなかったが、アンリとジィリアがお互いの目をお互いで覆っているのを発見して、閉口する。
ルルとシータはすごい勢いで退出しており、一向に降りてこない面々に苛々したバスクがもう一度甲板に顔を出した。
「何してるんです?」
「えへへへへへ」
笑うアンリに今度こそエイリが泣きそうになった直後、今度は頬にキスをされた。
「フチ!」
ガタン!と傾いた船にエイリの身体も傾いた。
慌てて彼女を抱きしめたフチは、耳まで真っ赤になっていた。
「あー、エイリ」
「?」
「愛してる、ほんとに」
不意に耳元で囁かれて、エイリはけっこう、いや、かなりうろたえた。




