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親指ナイト  作者: 真中39
◇5章:親指は踊る
60/67

14.

 



「ボクらはね、いろんな名前があるの。あとフチの腕は元に戻せるから大丈夫。エイリが願いさえすれば」


 言葉を止めたベリィは、かすかにエイリにだけ分かるように、ウィンクをしたような気がした。


 ……私が願う? フチの腕を、元に戻して欲しいと。


 わずかな、しかし確かな違和感にエイリは立ち尽くす。


「御伽噺では狂言回しの妖精。どこかの宗教では悪魔。あるいは神さま。ボクらはこの世界とは全く別の次元に存在する異界の住人だよ」

「……それが何で人間に寄生しているんだい?」

「むかーしむかし、干渉してきた人間がいたからね。初代"語り部"のストーリアだよ。……ボクらはね、『矛盾』から産まれて、『矛盾』を食べる生き物なの」

「???」


 シータが首を捻った。

 ベリィが足を組み直して楽しそうに言う。


「ベリィの言っていることは難しい……」

「そうかな。キミは空を飛びたかったでしょ?」

「……」

「でも大人になってエイリを守りたかったでしょ?」


 シータは少し言い淀んでから頷いた。


「それが矛盾だよ。両方同時に叶わない願いを抱えることで、人間は苦しんで葛藤するの。それが美味しいんだよ」


 ベリィは急に、よだれを垂らしそうな顔をした。ぎょっとする面々に向かって、頬を染めながら微笑んで「失礼」と続ける。

 唯一、それに何の反応もしなかったアンリが、確認するように首を傾けた。


「つまり君たちが依代と呼ぶ人間の願いを叶えるのは、その苦しみを糧とするため?」

「そうだね。そんな感じ」

「じゃあ、ストーリアを殺害した人間の人格を破壊するのは何故?」


 ベリィは薄く微笑んだ。


「そういう奴は純粋な、身を焦がすような願いなんて持ってないからだよ。ただ力が欲しかったから殺しただけ。対価となる矛盾の苦しみが彼らからは得られない。だからその人間の根幹を食べるんだ」

「……」

「そうすれば,そういう奴はだいたい早死にして、僕らは紛い物の依代から解放されるしね。……そういう意味では"親指"の力は唯一絶対、僕らに対抗しうる人間となる力だ。カイがああなったのもまあ、必然的だったんだよ」


 アンリが合点がいったと言う風に頷いたが、エイリは身震いしながらフチを仰ぎ見た。

 話の詳しい内容はエイリにはよく分からない。だが、フチが今こうしてここにいられるのは、決して当たり前のことではなかったことを強く思い知った。

 そして目の前の小さな存在たちは、人間とはまるきり違う生き物だということを改めて実感して、背筋が粟立った。


 ティターニアは苛ついたように剣を振った。


「ウェンディ! いつからそんなに人間に肩入れするようになった! 我らの情報をこんなに多勢の人間の前で開示するなど、言語道断だ! ストーリィの存続そのものを脅かす事態につながるかもしれないんだぞ!」


 ベリィが何と打ち返したか分からないほど、エイリは考え込んでいた。


 ……フチが私の隣にいてくれることに、私は何が返せるかな。


 フチの腕をもとに戻したい。エイリの願いはそれだけだ。でもそれで、本当に良いのだろうか。


「……エイリ、何を考えてる?」


 声をかけられて、エイリははっと顔を上げた。

 存外に近くで、フチがエイリの顔を覗き込んでいる。

 彼はいつも、エイリの様子を伺っているような傾向があることに、エイリは今さら気づいて眉尻を下げた。


「……フチ、腕、平気?」

「それが平気なんだ。痛くもない。不便ではあるが、まあ、何とかなるだろう」


 フチは垂れてくる黒い液体が鬱陶しかったのか、いつの間にか詰襟の肩口を残った腕で縛っている。そしてエイリが胸の前で組んでいる手を、憮然とした顔で見つめ返した。やめろ、と言いたげに。


「俺は願わないぞ」

「えっ?」

「エイリは俺が自分の腕を元に戻したいって願いに共感して、俺の願いを叶える気だろう。いやだ」


 例によって例の如く、彼は理屈っぽい。


「それはつまりストーリアに借りを作ることと同義だ。この状況でそれはあまりに危険だ。そんなことを願うよりもっと他にやるべきことがある。ティターニアの論理は破綻している。どうにかなるはずだ。ちょっと考える……」


 唇に手を当てて考え込み始めたフチを見て、彼はいつもそうだと、エイリは思った。

 この人は逆境にくよくよと悩んだりしないのだ。メルンの教えにあったような、いつも現状をより良く変えるために、真摯に考えている人なのだ。


 違和感が形をなして、エイリの中で確かに正しいと思える選択に変化をしたのは、この時だった。


「んふふ」

「な、何かおかしいか?」


 急に笑ったエイリを心配そうに見てきたフチを、好きだと思う。単語がぽろぽろ、口からこぼれ出てきて止まらない。


「好き、フチ。……フチ、あの、好き、相談があるんだけど」

「う、ううん? なにかあったか?」


 おろおろしながら踵を伸ばして、エイリはフチに耳打ちをした。

 フチはそれを腰を折っておろおろしながら聞いてから、即座にきっぱり賛成した。






 アンリとベリィとの舌戦に嫌気が差したティターニアは、剣を構えて吐き捨てた。


「やかましい人間め。邪魔をしたのはフチだ。私に戻す義理はない。そこを退かねば、貴様の存在も抹消してやろう」

「いいよ。やってみなよ。僕らだって黙ってやられる筋合いはない」


 対してアンリは眼鏡を額まで引き上げて顎を引いた。

 それを合図にするかのように、ジィリアが剣先をティターニアに向け、後方でも同じくイースの騎士たちが身構える。


「ベリィ! 何とかならないのかよ」

「無理かな〜。相手は妖精女王だし、原始のストーリィだから。まともにやり合ったらボクも死んじゃうかも」

「な、何か手はないのですか?」

「きっかけさえあれば大丈夫。ボクらはもう、準備は出来ている」

「?」


 ベリィにつられて、シータとルルがエイリを振り返った。

 エイリの胸がかつてない緊張に締め付けられる。


 うまくいかなかったら、どうしよう。


 フチの腕のようにどろどろに溶けた自分を想像して、エイリは唾を飲んだ。だが、隣にいるエイリの騎士は、そんなことをさせる人ではない。きっと大丈夫だ。


「はい!!!」


 エイリは挙手をして大声を出した。

 その絶叫に驚いたティターニアとアンリは、一緒のタイミングでエイリを顧みる。


「話があります!」

「……いったい何だ? まさかまだ屁理屈で契約違反ではないとか駄々をこねるつもりか? くだらない」


 ティターニアの威圧感に、エイリは全身が粟立った。でもここで、負けるわけにはいかなかった。


「わ、私は、誰かの願いを叶える力なんて、もう、いらない」

「!」

「私はもう、誰のためにも願わない。に、人間は、自分で願いを叶える力を持っていると思います! ……貴方たちストーリィは、もう私達には必要ない!」








 言っちゃった!


 エイリはギュッと目を瞑った。この言葉が何を意味するのか、エイリ自身にだって分かり切れていなくて空恐ろしい。だが、これまで出会った人、思ったことから出した彼女の結論は、これだった。


「自分が……何を言っているのか分かっているのか?」


 ティターニアの静かな声とは裏腹に、その浮かんだ足元から真っ黒な液体が垂れている。それは甲板に落ちて広がって、底のない大きな穴が開いたように見えた。


「!」


 エイリとフチを除く全員が身を引いた。

 ティターニアを起点に広がっていくその大きな穴は、転がった来賓席の椅子を飲み込んでばきばきと音を立てる。


「これだから人間などという下賤な生き物は嫌いなんだ。我々を散々利用したくせに、浅はかな考えで反故にするだと? 今まさに我々の力を享受している人間のことも考えられないとは。……つまり自分が死にたくないだけではないか。愚かな」


 エイリは怒鳴った。


「それの何が悪いの! カイに願わせたのは、自分が生きたかったからだよ! 大切な人たちがいて、やりたいことがあるの! まだ死にたくないんだもの!」


 いつのまに、自分はこんなに生きたかったのか、エイリにはよく分からない。恩人を殺したシナンの王を殺して、自分も死のうと思っていた。何もかもがどうでもよかった。

 でもフチと会えて、ケーキが美味しくて、子供を助けたいと思った。今のエイリはやりたいことばかりで、そんな自分も素直に受け入れられる。


「……よく言った、エイリ!」


 驚くことに、重なった声はフチとベリィのものだった。

 フチは破顔しながらエイリの背中を力強く叩いて、ベリィは大笑しながら大手を振り上げた。


「"語り部"のストーリアから契約解除の申し出があった。ーーというわけで、永遠の名の下に、全員集合! 審議入りまーす!」


 その瞬間、ぶわっと光が辺りに舞い降りた。





「……何が起こっているんです?」


 ルルが目をしょぼしょぼさせた。

 眩い光はやがて大きな輪となって、ティターニアを中心に広がる黒い穴の縁に留まっている。

 輪っかの中央にいるティターニアと言えば、眉間に青筋を立ててベリィを糾弾した。相当に怒り、そして焦っているのが目に見える。


「ウェンディ! 貴様、自分が何をしたか分かっているのか! ……これは……」

「うん百年ぶりの『王冠会議』だね。さすが、前の時より大きい輪だね!」


 ベリィはシータの眉間の皺を伸ばしてから、可愛らしくウィンクを残して輪に加わった。

 次第に明度を落としていくその輪は、よく見れば羽根のついた小さな人間が円になっていると分かる。


「はーい、会議始めまーす」


 どよどよと騒ぎ始めた彼らは、共通点は親指ほどの小さな姿と、背中についたつるりとした半透明の羽根だけである。老若男女入り乱れ、服装もバラバラだ。


 彼らがストーリィなのだろうか。

 首を傾げるエイリ達人間も、彼らの様子にざわめいた。何が始まるのかと皆、興味津々、あるいは戦々恐々に覗き込んだ。


「えー、結論が出ました」

「は、早くない?」


 エイリはずっこけそうになった。同じくフチも。

 何だか間の抜けた声は、簡潔にこう告げる。


「賛成90、反対18。契約解除の申し出、受理に賛成します」

「お前たち!」


 悲鳴に近い声を上げたティターニアは、初めて冷や汗をかいていた。周りを囲むストーリィ達を頭を回して睨みつけ、ベリィを見つけたのか歯ぎしりを始めた。


「謀ったな、ウェンディ! 最初から結託していたな!」


 輪の中から、ベリィのものではない、かくしゃくとした老爺の声がした。


「それは違いますよ、妖精女王さま。ウェンディは何もしておらなんだ」

「では、何故……!」

「ーー私たちも、死にたくないんですよ」


 ティターニアはヒュッと息を飲み込んだ。


「な、なんだって?」


 今度は男の子の声がする。


「だって"親指"は死んじゃったもん! 死がこんなに怖いって、女王さまは教えてくれなかったから、僕たち、安心してたのに!」

「それは、」

「死ぬぐらいなら美味しいものなんか要らないよ! 僕たち、人間とはもう関わりたくない!」


 輪のストーリィが全員、こちらを怖々と眺めた。

 エイリは仰天したが、どうやら彼らはエイリの隣のフチを見ている。


「"親指"はそこの人間に存在意義を否定された。それによって我々にもたらされたのは『死』だ!」

「『死』の概念を女王さまは一言も説明してはくださらなかった」

「あな恐ろしや。人間は我らを生み出し甘美なる食事をもたらすが……同時に殺すこともあるとは……」


 口々に言うストーリア達を黙らせるためか、ティターニアは剣を一振りする。


「静粛に! 『死』はそうそう滅多に起こることはない! 恐るるに足らず!」


 フチが一歩、「そうは思わない」と前に進み出た。


「なんだと……!」

「俺が"親指"のストーリィを殺したことは、別に珍しいことじゃないと言っているんだ。きっと今も誰かが逆境なんて気にせずに、叶った願いが本当に自身の力では叶えられないのかと、ひたむきに努力をしている」

「……!」


 ストーリィの輪が震え、ティターニアは押し黙る。

 フチはよく光る目で射抜くように、強い視線を投げた。


「恐れたほうがいい。人間はそこまで下賤でも浅はかでもない。お前達を殺す力がある!」

「ーーひええええ!」


 ストーリィ達の輪はぎゅっと中心に集まって、ティターニアはそれに飲み込まれて見えなくなってしまった。


「あいつやべーぞ。『死』の体現者だ!」

「うわーん」

「早く帰ろうよ! やだよ!」


 喚き立てるストーリィ達の塊の中から、ベリィが飛び出して手を叩いた。


「はいはいはい、じゃ、正式な対応は確定後に後日追って連絡するんで! その時までなるべく死なないように祈っていようね! じゃ、今回の『王冠会議』はこれで終了! 解散!」


 そこからはわりと一瞬で、光の塊は次々と姿を消していった。

 残ったストーリアはベリィと、ベリィに抱えられた赤ん坊と、呆然とするティターニアと、若い男女だけだった。


「……」


 嵐が去ったように静まり返った甲板の上で、シータがその場に膝をついた。


「……結局、どうなったんだ」

「あとはティターニアの了承だけだね。よしよし」


 ベリィは赤ん坊をあやしながらティターニアを見やり、ティターニアは頭を抱えて溜め息をついた。


「なぜ、こんなことに……」

「思ったんだが」


 唇に指をあてながら考え込んで言うのは、フチである。


「ティターニア。お前がそこまで人間との契約にこだわるのは、先代の"語り部"の影響か?」

「……なぜそう思う」

「契約にこだわるお前が自身で契約を破ったのは、相当の理由があったと思うから。あとは勘だ」

「……よくそう出まかせを言えるものだ」


 ティターニアはややあってから力を抜いたように微笑んだ。

 不思議に空気が和らいで、騎士ではなく確かに女王に見えると、エイリは思った。


「先代は久しぶりに……初代に、生まれ変わりのように似ていたんだよ。私たちを何よりも価値のあるものだと考え、レニア家に私的に利用されるものではないと、自身の危険を顧みずに願いの依代を探すことに生涯を費やした。そのせいで、あの男に心を折られるほど苦しめられたが」

「……」

「そんな先代の純粋な願いを叶えてあげたかった。勝手に契約を破ってエイリを依代にするほど」


 だが、とティターニアは首を傾けて長く息をついた。


「考えてみれば、綿々と受け継がれてきた"語り部"について、なにも知らない唯一の"語り部"であるエイリ……君は、ストーリアを我々から解放することはあれど、新しくストーリアを生み出すことはなかったな。その時点で気づくべきだったのかもしれない。私たちが人間に対してもたらす影響は、もはやそこまで大きくはないのだろう」

「ちょっとちょっと、忘れないでよ」


 ベリィが慌ててティターニアに近寄った。

 ベリィ曰く、腕に抱える赤ん坊こそがエイリが唯一生み出したストーリィなのだと言う。


「可愛いくせに『絶対に死ねる』力を持つストーリィだよ。……この子は、人間の苦悩がどれだけ美味か、知らないまま育つんだ。何せ依代がすぐに死んじゃうからね」


 ティターニアは笑みを深くして「なんだそれ」と眠る赤ん坊を撫でた。


「それはまるで、私たちこそ、人間がいらないと思わせてくれる子供だな」

「最先端だねえ」


 ティターニアはややあってから、深い深い溜め息を一つついた。


「……エイリ、今この時をもって、契約解除の申し出、受理しよう。君は誰の願いも叶えられなくなる代わりに、普通の人間と同じく死ぬことができる。忘れないように」


 エイリは背筋を伸ばした。


「はい!」

「フチの腕も戻してくれるんだよね? もちろん」


 アンリの確認に、ティターニアは頷いた。


「良いだろう。というかあの様子だと、フチ、君を丁重に扱わねば皆の顰蹙を買いそうだ……」

「『死』の体現者だからね!」

「……何か嫌な感じだから、その通り名みたいなのは訂正しておいてくれ」


 憮然としたフチを少しだけ眺めたあと、ティターニアはみんなに向かって優雅に礼をした。


「では、私は異界に帰ろう。全員の帰還が確認できたら扉を閉じるから、連絡をしてくれ」

「はあい、じゃあ、また後でね」

「……フチ」


 ベリィはひらひらと手を振って、ティターニアはフチに視線を向けた。


「君は私たちの仲間を殺している。それだけは、ゆめゆめ忘れてくれるなよ」

「分かっている。ストーリィの情は深いんだな」

「……」

「お前が契約を破ったのは、カイに苦しめられる先代を解放してあげたかった面もあったんだろう。そういう意味では、この契約の負の影響について誰よりも理解していたのは、お前だったのかもしれないと思う」

「……本当に、恐ろしい男だな、君は……」


 呟いてティターニアは消えた。

 光の粒子が舞い落ちて消える頃には、フチの腕が何もなかったかのように元に戻っている。


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