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親指ナイト  作者: 真中39
◆2章:眠れる屋敷の美女の夢
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1.スリーピングエンプティ

 

 ◇


 マカドニアの気候は1年を通して温暖である。豊富な水資源、豊かな土壌は質の良い作物を実らせ、基本的に食糧難に陥ることはなく、国民の気風も穏やかである。イース・シナン・ネドの東の三国がしょっちゅう戦争を行い、疲弊していくのを横目に、この国は着々と発展を遂げていった。

 だが、広すぎる領土は管理の不行き届きを招き、マカドニアの端にある地域では、最近、自治を独立して行いたがる街も出てきていた。


 エイリとフチは森を抜け、マカドニア領土の端の、そこそこ大きな街に到着した。

 フチがすかさず「まずは身支度!」と言い、騎士らしい雰囲気にエイリは背筋を伸ばす。

 確かにエイリとフチは着の身着のまますぎた。持っていた荷物はフチが背中に背負っていた小さな小さなザックのみで、2人が旅をするのには少なすぎる。

 エイリに至ってはヒラヒラのドレスと絢爛なアクセサリーで、完全に悪目立ちをしていた。


「全部売って丈夫な服に替えましょう」

「いいのか?」

「お金も必要でしょう?」


 それなら、とフチに案内され、エイリは旅行者が良く訪れる質屋と雑貨屋を兼ねる店に入った。

 フチはあっという間にエイリの肩から飛び降り、雑貨の棚をちょこちょこ移動している。その様子は、エイリのことを特段気にしているそぶりはなく、エイリはほっとした。


 ……気持ち悪いとは思われてないみたい。


 先程、思わず吐露した心情に、フチが驚いているように見えたのは最初だけだった。胸中は分からないが。

 エイリとしては、このままどうか忘れて欲しいと願うばかりである。


「え! そんなに頂いてよろしいのですか?」


 ニコニコと笑う店主に、エイリは驚いた。エイリの今着ているドレスやらアクセサリーやら、エイリが今まで目にしたことがない値がついたのだ。


「ええ、ええ。よろしければお買い上げの服と変えてきてください」

「分かりましたわ。……フチ、ちょっと待っていてくださいませ」

「……」


 フチは曖昧に首を傾けたので、エイリは少し気になったが、フチをテーブルに置いて着替えることにする。

 かっちりとしたワンピースとブーツで、動きやすく、町娘に見えやすいと店主に太鼓判をもらったものだ。なんだか着たことがない素材に包まれて、エイリはわくわくした。今まで経験したことのない、何かが始まるような気がする。


「……フチ?」

「終わったか?」


 戻ると、テーブルには何故か先程の店主の言い値の5倍の金貨が積まれている。フチはその一山に腰をかけ、頬杖をついてエイリを待っていた。雰囲気が刺々しいように感じる。


「すみません、鑑定ミスが、あったようで……」

「そうなのですか?」


 手をこまめに擦り合わせてくる店主は、なんだか焦っているようだった。チラチラとフチを横目にしている。


 ……何かあったみたいだ。


 エイリは溜め息をついて、鞄に金貨を詰めて店を後にした。


「腹減った」と呟いたフチに再び指さされるまま、エイリは良い匂いのする店に来ていた。キラキラ光る果物や甘い匂いのクリームが並ぶ、菓子屋らしい。


「まあ、美味しそう!」

「うん」


 エイリは相当にテンションが上がった。フチが1人分のケーキを頼んでもすぐには違和感を覚えないくらいに。


「それ、食べますの? ……」


 白いナプキンが引かれたテーブルの上に、見た目にも美味しいケーキが2つ並んでいる。カボチャのプディングとバターケーキ。

 フチはバターケーキの方の皿の上で、覗き込むエイリを不満げに見上げてきた。


「悪いか?」

「え? いや、だって、そのケーキ、貴方より大きいですわ」

「食べ切れるぞ」

「本当に!?」


 仰天したエイリを尻目に、フチはさくさくとケーキを平らげていく。なにやら手製のスプーンなどを持って。

 その様子にエイリは少し引いてしまった。スピードが早すぎる。胃袋のどこに消えていくのだろうか。

 周囲は夕方の賑わいで華やかだった。若い女性が談笑しながらお茶を飲んでいる。こうしているとエイリも溶け込んでいるように見えて、彼女は少し嬉しくなった。


「フチは甘いものがお好きですの?」

「……好きだな」

「私もたぶん、好きですわ! 初めて来ましたが、楽しいですわね」


 城の中しか知らないエイリには新鮮なものばかりだ。

 そこで、エイリはさっきの質屋での出来事を思い出した。


「あの、フチ」

「?」

「先程……私、ぼったくられてました?」


 フチは崩しているスポンジを飲み込んでから頷いた。


「察しが良いな」

「やっぱり!」


 エイリは自分が恥ずかしくなる。ドレスの相場など分からない。危うく大損をするところだったのだ。


「イースの意匠を凝らしたデザインだったし、ネックレスの石はマカドニアのナウア火山近郊でしか採れない石だからな……ぼったくりもいいところだ。ちょっと言ったら正しい金額をすぐに提示してきた」

「すみません……」

「仕方ないだろう。世間知らずの良いところのお嬢さん、みたいなのは格好の標的だからな」


 しゅんとした。まさにその標的通りの行動をしてしまった、自分の世間知らずさに。

 ちょっと闘えたり覚悟を決めたからって、簡単に世間で1人で生きてはいけないのだ。


「私、反省しましたわ。もっといろいろなことを学ばなければなりません。フチ、よ、よろしければ教えてくださいませ」

「……」


 フチは首を傾げた。何かまずいことを言ったかと、エイリは不安になる。


「それしなきゃいけないのか?」

「えっ」

「お嬢様みたいな話し方、面倒くさくないか?」


 思っても見なかった言葉に、エイリは口に手を当てた。


「え、あの、これは……」

「動揺すると普通になるのに」

「う……そう、ですわね」


 実は、エイリのこのコテコテの喋り方はここ数年で身につけたものである。深窓の寵姫っぽく振る舞うには、これぐらいやったほうが効果があったのだ。


「俺達はおそらく、今のところ死んだことになっている。身分とか敬語とかあまり意味がないと思う。何より面倒だ」

「はあ」


 ライヌ川の渡し船は沈み、生存者でもいなければ、乗っていた人間は全員死んだことになったと皆は思うはずだ。

 とはいえ面倒臭いのが本分では、と思う反応の鈍いエイリに、フチは「いいか」とスプーンを掲げた。


「言葉遣いは意外と大切だ。なにせその人間の人となりが一番早く、そして良く分かる。例えば身分がバレると面倒な俺たちのような場合でも、一発で分かってしまうこともある。先刻がまさにそれだ」

「……そう、ですわね」

「というわけで身分が分かるような言葉遣いはやめた方が良いと考える。強要するつもりはない」


 なんだか遠い昔のエイリの恩人と似ていて、理屈っぽい。思わず困ったように笑ってしまった。


「おいおい直しますわ。……それならば、フチ、私もお願いがあるのだけど」

「?」


 首を傾げたフチに、エイリはぱん、と手を合わせた。






 地図の上で旅順の確認をしているフチの前髪は、ばっさりと短くなっていた。エイリが散々に頼み込んだのである。表情が見えないと。

 買っておいた小さなハサミで切ると申し出ると、フチは脳味噌がなくなる、と猛烈に嫌がったが、最後は根負けエイリに任せてくれた。実はエイリは手先が器用である。


 やっぱりかっこいい! やっぱり!


 エイリは頬がひとりでに上がる。


「聞いてるか?」

「もちろん!」


 フチは眉をひそめて溜め息をついた。彼はちょっとぎょっとするほど明るい緑の目をしていて、それは彼が純粋なイースの人間ではないことを示していた。


『騎士の立場もあって面倒くさいから隠してたんだが……まあでも、もう関係ないか』


 ちょっとしんみりしたフチに胸が痛んだが、それはそれとして、エイリは自分の選択に大満足していた。

 意外と表情が変わるだとか、よく周りとエイリを見ているところとか、そういったことを知れて、よかったと思う。


「とりあえずまずは馬車を捕まえないとな」

「ええ。……じきに日が暮れますわね。夜通し走ってくれる馬車ってありますの?」

「あるが値段が高いと聞いている。宿をとってもいいが、どうする?」


 エイリは困った。手持ちのお金がネドに帰るまでに足りるのか分からない。ここで宿を取ったせいでお金が足りなくなったらどうしよう。

 おそらく宿をとればベッドで寝られる。馬車だったら揺れながら、慣れないエイリはたぶん寝付けない。


「す、すみません」


 そこで、カタンと音がしてエイリとフチのテーブルに女性が近づいてきた。


「ば、馬車をお探しですか? よろしければ、ご、ご一緒にどうですか? つ、ついでなので、お金はいらないです」

「……」


 背の高い、すらっとした若い女性だ。明るい灰色の髪を背中に流し、身体のラインが目立つ黒いドレスが目を引いている。だが、そんな見た目の割に彼女は背を丸めておろおろとしているように見えた。


「なぜですの?」

「え」

「……なぜ、わざわざ私に声をかけてきたのですか?」


 エイリは生来からの癖でピンと意識を尖らせた。急に声をかけてくる人間にろくな奴はいない。


「に、ニール渓谷に向かうと、聞こえて……私の馬車もそちらに向かうので、良かったらと思って……」


 都合が良すぎて怪しすぎる。エイリは眉間に皺を寄せてフチに向かって手を広げた。

 早々に席を立とうとしたが故の行動だったが、フチは首を振った。


「エイリ。話を聞くぞ」

「……」

「レディ。失礼だが、金銭以外の目的があるとお見受けする。教えていただけるとありがたい」


 女性は驚いたことに、フチに対して驚いた素振りを見せなかった。それどころか、少し頬を染めて、テーブルのそばに腰を落とし、フチを視線を合わせる。


「……も、目的は、貴方なのです。小さなお方」


 フチ自身よりも、エイリは素早く身を強張らせた。


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