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親指ナイト  作者: 真中39
◇5章:親指は踊る
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12.シミュレートと王子様の雑な作戦会議

 

 ◆



 カイが、シフォア教信者をまだ隠し持っていたら。

 ーーアンリが控えのイース騎士を動かすはずだから、すぐに無力化できる。

 カイが使ったことのない力を見せて、エイリを拐ったら。

 ーー可能性は低い。その手段があるなら最初からそうしていたはず。だがまた忘れているだけかもしれない。最大限の警戒を。

 カイが再び自身の力を使って、この場から逃走したら。

 ーーソル達に捜索を依頼する。今度は俺達がカイを捕まえる番だが、協力者も時間も有限だ。ここで殺すべき。


 フチの頭は際限なく問答を繰り返す。


 目の前の男は水の球の中で髪とローブを揺らしながら、鬼のような形相でフチを見下ろしていた。

 腕の中のエイリが震えながら、何かを考え込んでいるかのように、カイを見上げている。


 エイリ、何を考えてる?


 教えてほしいと思う。エイリの身体は華奢で柔らかく、そのままフチの腕の隙間から水のように流れ落ちていきそうな、嫌な予感がした。


『僕が、僕の生きる目的が思い出せないから、お前のストーリィを欲しがってる? ……』


 カイの方から再びぶくぶくと音が聞こえ、フチはそちらを睨みつけた。

 さすがしぶとい男だ。簡単に折れない。


 フチは絶望を叩き込むことでカイを諦めさせようとしている。完全にこの男を力でねじ伏せ、その上で殺すことは不可能に近い。

 だから全ての方法を封じて無駄だと分からせなければ、この状況は簡単には覆らないと、フチは推測していた。


『笑わせるな。違う、全然、全く、何もかも違う!』


 カイは瞳孔が開き切った目で、狂ったように笑っている。


『僕がお前のストーリィを欲しいのは、唯一、ストーリアを殺しても自我を喰われなくなるからだ!』

「……!」


 フチはある程度察してはいたものの、やはり、驚いて息を飲んだ。


 ……"親指"の依代ね。じゃあ貴方は、きっとこれからも貴方でいるのね。……そもそも貴方は、この力が欲しくてこの人を殺したのではないみたいだけど……ルールはルールよ。頂戴、貴方を。……少しでいい。


 透き通るような美しい女の声は、どこか怯えていたようだった。

 ノイ砦でガクを殺した直後に聞こえてきたこの声を、フチは全く無視した。理由は単にその時はそれどころではなかったからだが、後から思い出してみると、色々なことが推論立てられた。

 シフォア人を殺すと、頭の中で誰かが喋りだす。そしてそいつは決まってフチの大事な記憶を奪っていくのだ。

 きっとこの声をストーリィと呼ぶのだろうとフチは考えて、おそらくそれは正解である。


『"親指"のストーリィの力は『誰かのために生きる』力。それは究極の自我の放棄だ。ストーリィはその人間の自我を食うことはできなくなりーー記憶だけを奪っていく』

「……」

『世界で唯一、ストーリアを殺してその力を奪うことのできるストーリアなんだ。僕にはこの力が必要だった……!』


 フチとカイの共通点は、ストーリアを殺しても変わらずにいられることだった。

 そしてカイはその力を手に、これまで数多のストーリアを手にかけ、その力を奪ってきたのである。


『なのにお前が奪ったから……! 僕はストーリアを殺せなくなった!』


 カイは額に手を当てて四方八方に視線を行き来させていた。

 どうにも狂気じみたその様子に、その場にいた全員が身を引いた。


『まだ……まだ手はある……。僕の願いは絶対に叶う』


 カイはぶくぶくと口から泡を立ち上らせながら、周囲に水を纏い始めた。

 それを見たバスクはセイリーン自警団に警戒を促し、ジィリアは皆の前に一歩、剣を構えて歩み出た。


「気を付けろ! 来るぞ!」

『あいつの言うことは間違ってる、"語り部"を別の依代に宿らせろ、"親指"を手に入れろ……』

「ーー分かってるくせに」


 緊張に張り詰めた空気の中で、その声は響き渡った。

 いつの間にか目を覚ましたルルが、シータの肩を借りて、見たことのないほど冷たい視線をカイに注いでいた。

 カイがのっそりとそちらを顧みた。


『なんだって?』

「分かっているんでしょう? カイさん。……もうフチさんのシフォアが失われたことを。だって理解していないのだったら、エイリさんを狙う必要がない。真っ先にフチさんを殺してその力を奪えばいいのですから。……私の母のように」

『……』

「今の貴方は、子供が駄々をこねているようなものなんですよ」


 バキン!と言う音がした。

 シータとルルがいたところに巨大な氷柱が生えている。

 シータは慌てて来賓用の客船にルルを引っ張って逃げており、フチもその場から河に飛び込んだ。

 エイリが目を白黒しながらフチにしがみついた。


「きゃあああああっ!」

「なんで煽るんだよ!」

「やっばい死んじゃう! 逃げろ!」

「アンリ! 早くこっちへ!」


 一気に騒がしくなった船上から離れて、フチは滑走する勢いで河を走る、空いた小舟に着地した。たわめた膝のまま、強風を避けるために腰を落とした。


『お兄さん、良いタイミングだね!』


 小舟を牽引する黒い影は、とりあえず大騒ぎが好きなようで、水を弾き飛ばしながら機嫌が良さそうにしていた。


『この魚野郎やるじゃねえか』


 同時にフチの肩にソルが着地する。


 ーー本当に、子供みたいだ。

 フチは唇を舐め、カイを振り返った。

 大砲の音がする。

 カイの周囲に黒煙が立ち上っていた。だが彼は鬼気迫る表情でフチやエイリ、そしてルルを睨みつけながら水柱を立ち上げて船を追いかけていた。


 どうにかしてカイに近寄って、カイの諦めるきっかけを作り出さなければ。制服の裏に隠している毒は即効性のあるものばかりだが、カイのことだ。すぐに自身の異変に気づいた瞬間に()()()()()()()()()()()、なかったことにしてしまうだろう。ノイ砦の際のように。


 やっぱり、俺が一度殺されるしかないか。


 フチがそう思った時だった。


「フチ、あの、あのね」


 エイリが足をぱたぱたしながら、強引にフチの腕の中から逃げ出して、木の床に膝をついた。


「カイと話がしたいんだけど」

「やだ」


 フチはきっぱりさっぱり即答した。

 まさか断られると思っていなかったのか、エイリは大きな目をさらに大きくした。







「危険すぎる。絶対にやだ。デジデリ遺跡のときみたいになるのはいやだ」


 本当にそれは正真正銘フチの本心だった。もう二度と、エイリが目の前で傷ついて死ぬなんてあってはならないのだ。

 エイリは眉尻を下げたあと、きっと顔を引き締めてフチを上目に見つめてきた。

 それを受けて、同じくフチもきっと彼女を見下ろした。


「その手には乗らない」

「何の手も使ってない! ……どうしてもだめ? わ、私なら、今ならカイを殺せると思うの」


 いきなり物騒なことを言い出したエイリに、フチは逡巡した。

 エイリのことだから何か考えがあってのことのだろう。でもこればっかりは聞き入れることはできなかった。


「……絶対大丈夫! お願い、信じて。フチ。なんでもするから」

「絶対いやだ。……なら、俺も行く」

「え」


 エイリは口を開けて驚いてから、フチの顔に気付いて青くなった。


「やっぱりか」

「……」

「自分だけが危険に晒されるなら別に構わないと思ったんだろう。どうせ死なないし、とでも思ったか?」

「……だって……ごめんなさい」


 続けて一瞬で真っ赤になったエイリに、フチは悩んでから溜め息をついた。結局、フチがエイリの意思を無視することなんて、出来はしないのである。


「分かった。でも一緒にいる。お前が死んだら俺も死ぬってことだ。……嫌なら絶対、無理はするな」

「ううう……」

「……」


 俯いて唸るエイリの赤い耳たぶを引っ張った。どうにも腹が立って仕方がなかった。

 いつだってエイリはフチのことばかりで、フチが彼女のためにできることを減らしてしまうのだ。


「……フチ」


 エイリは何を思ったか、耳を掴むフチの手を両手で取って、頬にあてて祈るように囁いた。

 閉じられた長い睫毛と息の当たる感触に、フチはそんな場合じゃないのに総毛だった。


 ちょっと待て。俺、まだ何にも準備してない!


「……まず来賓用の船に乗って、話が出来るくらいカイの近くに行きたいです。カイが逆上したら、守ってくれる?」

「……」

「でも危なくなったら逃げてね。私も逃げます。何を話すかって言うと、私に出来るか分からないし、この世界がどうなるか分からないけど……カイの願いを……」

「普通に作戦を話す感じなのか」

「え?」


 きょとんとしたエイリに狼狽したあと、フチは何だか肩の力が抜けてしまった。


 ……エイリはきっと本当に、うまくいくと思っているんだろう。


 不意に、目の前の彼女を愛していると強く思って、フチは急に泣きたくなった。ぼやけた視界を誤魔化すために、その柔らかい頬を撫で抜いた。






『ひえええ! イカれてるって! やめとけって!』

『ぜんそくぜんしーん!!!』

『……クッソ! よしきた! 俺も腹を決めたぜ。ニンジンと心中してやるわ! オラア!』


 がたがたとひどく揺れる小舟の上で、フチは行儀悪く腰を落として、うるさい動物たちに半目になっていた。

 カイの立ち上げる水柱によって起こる荒波にも負けずに、頼りない小舟は彼を目指して進んでいる。

 船べりに掴まるエイリも揺れに顔を引きつらせてはいるが、とりあえず落ちる心配はなさそうだった。


 対して、アンリとシータ達の乗る来賓用の客船は大破しかけていた。カイが来賓用の客船の近くで彼らに向かって滅茶苦茶な攻撃を行っているからだ。

 鬱陶しい大砲の攻撃から、まずは片付けるつもりなのだろう。

 セイリーン自警団はバスクの指示によって的確にカイへの反撃を行っているが、船体にはいくつも穴が開いており、傾き始めていた。沈むのも時間の問題である。


『問題ないよ! 沈んだら僕たちが陸に押しやってあげる! 君たちは泳げないんだもんね』


 ありがとう、とフチが礼を言うと黒い影はキュウと鳴き声を上げた。


『そろそろだね。ここからは僕らはほとんど何もできないや。がんばって!』

「ぎゃああああっ!」


 凄まじい音と共に小舟が客船に突っ込み、エイリが船から落ちそうになった。

 フチが慌てて彼女を抱き上げて船底付近に乗り上げると、よろけた身体を誰かに引っ張られた。


「何で戻ってきた!」


 シータがブチ切れており、後ろでルルが揺れに目を回している。びしょびしょの彼らは、脱出用の小舟を用意しているところだったらしい。

 すごい音のせいで普通に話をしても聞こえにくい。必然と怒鳴り合う形となり、エイリが大声を出した。


「カイと話がしたいの!」

「無理だろ!」

「手伝って、シータ!」


 シータは押し黙ったあと何故かフチを見てきたので、フチは彼の背中を思いっきりぶっ叩いた。そしてそのまま、エイリと共に階段を駆け上がる。


「カイ!!!」


 息を切らしたエイリは、傾いた甲板の上で腰を折り曲げて、今までで一番大きな声でカイに向かって呼びかけた。


「何しにきたんです?」


 セイリーン家先代当主ーーバスク・セイリーンが呆れたようにこちらを振り返った。ポケットに手を突っ込んで指示を飛ばす様子は、いかにもキレ者そうな雰囲気を纏っており、さらに怒っているらしい。以前話をした時より数段尖った雰囲気である。


「フチ! エイリさん! 危ないですよ!」

「まあ、エイリじゃなきゃ話を聞いてくれないかもしれないし、ちょうど良かったよ。健闘を祈る!」

「アンリ!」


 剣を構えたジィリアの背中を押して、アンリはさっさと船内に引っ込んだ。そろそろ船の限界が近いことを、聡い親友は理解しているらしい。


 ーーそして、彼らを飛び越えた船首の向こう側にいる男は、目を底光りさせながらフチとエイリを見下ろした。


「カイ!!!」


 何の迷いもなくエイリに向かって飛んできた氷の剣を、フチは鞘のままの剣で弾き飛ばした。

 ソルが辺りを飛び回り、カイはイライラと手を振った。


『邪魔をするな!』

「カイ! 貴方の願いを叶えるよ!」


 斜めになった床に、フチを除く全員がよろめいた。


『出来損ないの"語り部"が』


 カイは攻撃をやめたようだった。

 エイリは立ち上がりながら、胸の前で手を組んでカイを見上げる。


「カイ、貴方の願いは何なの?」

『何度も言わせるな。全てのストーリィの力を手に入れることだ』


 エイリの空色の目が炯々と輝いた。


「手に入れてどうするの?」

『は?』

「もし、『誰かのために生きられる』力を手にしたとして、どうするの?」

『……話を聞いてなかったのか?』

「思い出せたとして、その人はもういないのに。貴方に何も残さずにいなくなったのに」


 ぶく、とカイの口から大きな泡が出てきた。


「いるのかもしれないけど、生きているかもしれないけど、きっとカイのことを応援はしてないよ」

『……』

「だってカイはこうやって自分の生きる目的が分からなくて悩んでるのに。何にもしてくれないでしょ」

『……』


 エイリは煽るような口調でもなく、ただ子供に言い聞かせるように言葉を紡いでいく。


「カイのことを大切にしてくれない人のために生きてどうするの?」

『……だまれ』

「誰かのために生きる力なんて、本当に必要なの?」


 バシャ、と言う音とともに甲板に大量の水が降り注いだ。

 フチは思わず後ろのエイリを引っ張ってその場に転がる。周囲の悲鳴と息を飲む声は、意外にも一瞬でおさまった。


「……エイリ!?」

「大丈夫! フチ、見て」


 水の滴る彼女の指の先を見て、フチは目を瞬いた。

 カイが船首の近くで頭を抱えてうずくまっている。ドームのように彼を覆う厚い水の膜が、ぶよぶよと蠢いていた。


「何度も貴方が夢に出てくるようになって、なんとなく貴方の考えてることが分かったの」

『……』

「何がしたいかって聞くといつも消えたでしょ。それって、答えられなかったからだったんだね。いつも苦しそうだった」


 エイリはドレスを伸ばしながらぶつぶつと呟いて、背筋を伸ばして立ち上がった。


「ずっと苦しいんでしょ。もうこの世界に貴方のいるところはどこにもないって、貴方も分かってる」

『……やめろ』

「私なら貴方の願いを叶えられる。……消えちゃいたいんでしょ。この世界から」

『やめろ……』

「分かる。私も貴方ならそう思うから」


 エイリは初めて、自覚をしてその力を使ったのだと、フチは思った。



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