7.不毛メダカ、秘密集会にて
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あーあーあー、ですよ。
ルルはエールを呷りながら、クダを巻いていた。
エールの空き瓶の向こうには、シータとアンリとジィリアが目を細めて、ルルの醜態を引きに引いた様子で眺めている。
レニア領に到着し、夕食後の夜。
やけっぱちになったルルはシータを誘って、充てがわれた部屋でめちゃくちゃに荒れていた。普段酒など飲まないルルは加減が分からずに、シータが止めるのにも構わずに、とんでもないペースで飛ばして早々に酔っ払っていた。
そうしていたらアンリが大量の酒瓶を持って現れて、その直後にブチ切れたジィリアが殴り込んできたという訳だった。
「本当にご迷惑をおかけしてすみません」
「僕が悪いの?」
ジィリアはルルの様子に良くないものを察したらしく、アンリの首根っこを引っ張って退出しようとしたが、ルルがそれを止めた。
「アンリ様。ちょうどよかった。お話があります」
「はあい」
「アンリ!」
「俺、帰る……」
コソコソ退出しようとするシータはアンリが引っ張り、ジィリアは酒瓶をコソコソと隠そうとしている。
そんなに見た目ほど酔っ払っていないと憤慨したルルは、空き瓶をドン!と机に置いて、アンリを睨みつけた。
「アンリ様。何故フチさんを疑うような真似をされたのです?」
「説明したでしょ? 信じられなかったんだって、フチが本人かどうか」
「本人に決まってるじゃないですか!」
イライラしているルルを尻目に、アンリは手際よくシータとジィリアの分のエールを開封していく。
「ルル・セイリーン。君はお父上に従ってフチとエイリを引き離そうとしたんでしょ。それが何故今、フチのために怒ってるわけ?」
「それは、父が間違っていると認識を改めたからです! ……ふ、フチさんとエイリさんはあんなに想い合っているじゃないですか。引き離すなんて、可哀想です」
……ルル。このドレス、似合うかな? フチの隣にいても変じゃないかな? 緊張するなあ。
……ルル嬢。もしエイリの身支度中に何かあったら、この鳥を遣わしてくれ。すぐに駆けつける。
そう言って、結局お互いを見てほっとしたように息をつくフチとエイリ。誰も排除しようなんて思っていないだろうけど、お互いのことだけしか考えていない。
「飲み過ぎじゃない?」
ルルは酒臭い溜め息をついて、アンリをじろりと睨めつけた。この青年のことを、ルルは未だに掴めない。
フチの親友だと誇らしげに言うくせに、危険に晒して糾弾する。
疑われたフチは、どれだけ心が傷んだだろう。
「フチはそんなタマじゃないけどね。それに他人にどうされたって、本当に欲しいものなら手に入れるのが男ってもんだと思うけど」
「アンリ、貴方が偉そうに語るなんて珍しいわね」
「うふふ。それに関しては僕はフチの先輩だからね。ほら実際、手に入れたし。……ね、ジル」
アンリが早々に一つ酒瓶を開け、目元を赤くして笑う。
嫌味を言ったジィリアはアンリの微笑みに動きを止め、ちょっと俯いてから頬を赤く染めた。
「お二人の話は今正直どうでも良いです」
「攻めすぎだろ……」
シータはルルに突っ込みながらも、ルルが伸ばした手に次のエールをパスしてくれた。もうどうにでもなれと思っているのかもしれない。
「まあ、変わってもフチはいい奴だって分かったから、僕は満足したんだよ」
「……」
アンリはにっこりと笑った。
「何より有能だし。フチがいればわりとほんとに百人力だからね。……あ、シータ、君もいてくれれば僕はとっても助かるんだけど」
アンリに顔を向けられたシータは、苦虫を噛み潰したような表情になった。
どうやらアンリはフチだけでなくシータも配下に引き込もうとしているらしいが。
「それは嫌だって言ってんだろ」
「ケチ。良い待遇にするって言ってるじゃない。僕は君のエゴっぽいところが気に入ったんだよ」
「その話もどうでも良いです」
「……せ、攻めすぎじゃないですか」
おろおろするジィリアも、フチとエイリのことは応援しているらしい。
「フチは小さかった頃から何でも我慢するのが当たり前の人でしたから。そんな人が変わったのだから、私も応援したいと思っています。ただ……」
ルルは頷いた。彼らの前にはどうしようもなく大きな障害がある。その悪意の塊である男が息を潜めているように沈黙していることが、ルルには不気味で仕方がない。
そこで急に、アンリが膝に肘をついて、ルルの方に身を乗り出してきた。
「ルル・セイリーン、貴方の母上の命を奪った男、カイでしょう。君と君のお父上が掲げる目的の、その最たる理由だ」
「!」
ルルはびっくりして肩を跳ね上げた。
アンリはフチによく似て、だがもっと容赦なく追い詰めてくるやり方の男だった。
「彼の目的は正直狙われている張本人のフチでもよく分かっていないみたいだけど……。ルル・セイリーン。貴方は最初、カイと2人旅をしていたんでしょう? 見上げた根性だね。利用してフチとエイリを見つけたんでしょ?」
「……父ですね。そこまで詳しくお話ししたのは」
ルルは酔いが醒めるほど緊張した。
アンリは舌を出して首を傾げた。酔っぱらったままこんな話をしてくる彼は、本当はとてつもなく底の知れない男なのかも知れない。
シータもジィリアも、いつのまにかルルの緊張が伝染したように目を丸くして拳を握りしめたままである。
「君のお父上に僕の研究の内容の一端をお話ししたら、えらく気に入られてね。貴方のことも教えてくれたよ」
「研究?」
「本業は研究者なの、僕。この髪もね、研究途中の試薬を被ったら脱色されちゃって。フチは薬学だけど僕はもっとどぎつい、虫とかそっちの方……。話をしたのはある『寄生虫』あるいは『寄生体』について」
「寄生虫?」
シータがきつく眉間に皺を寄せた。
「それ、俺たちに話しても意味あるか?」
「君にはあると思うよ。何せ経験者だし……僕から言わせれば非常に稀有なサンプルだ」
「……」
押し黙ったシータを楽しそうに眺めたアンリは、ルルに視線を戻して首を傾げた。
「ルル・セイリーン。貴方の研究は『あり得ない事象が起こった人間』……通称、シフォア人だね」
「は、はい」
「僕の話した内容が、貴方のお父上はそれに該当すると思ったみたい。僕もそう思う」
アンリは酒によってよく回る口をぺらぺらと回し、ルルはそれに聞き入った。
アンリによると、アンリがその研究を始めたのは、先代の王カミルが戦争の際に収容した他国の兵士たちと出会い、その兵士に興味を持った時とのことだった。
「どんな特徴なのかって事とかは割愛するけど……とりあえず、そいつらには一部の共通点があって、心臓の上に蝶の痣があること、一部の記憶を失っていること、急に独り言を言い始めて気絶すること、だね」
「それは……」
シフォア人を殺してシフォア人となった人々の特徴だった。それはフチにも当てはまる。
だが、アンリの興味を持ったところは違うところだと言う。
「1人だけ違った人がいたんだよね。その人間は蝶の痣もないし、記憶も失っていなかった。そして老婆に願い事を叶えてもらう代わりに、代償として長くは生きることができない身体になったと言っていて、本当にそうだった。明らかに前者と違っていた」
「……」
「……外部の何かが人間の内部または外部に寄生して、自己の食事をせしめる。それが寄生虫の定義であって、僕はそれを兵士達に当てはめて考えてみることにした。あくまで概念的な意味で考えて欲しいんだけど……」
シータの顔が見る見るうちに青くなった。
「ちょっと待てよ。俺はその寄生虫とかって奴に寄生されてたってことかよ。もしかして、今も?」
「僕の立てた前提ではね。今は正直どっちか分からないから、君の身体も後で調べさせて欲しいんだよね。……あ、その寄生虫は身体の中に物理的に存在しているわけじゃないから安心して。どこにも確認できなかった」
アンリは頷きながら腕を組んだ。そこからアンリの研究とルルの研究における重点が分かたれたと、アンリは言葉を続けた。
「貴方の注目した点はシフォア人の発生とその要因だけど、僕の注目した点は、その寄生虫は一体何を餌としたのかってことだ」
「?」
「人間の願いを叶えることによってその寄生虫は一体何を食べているんだろう、と。蝶の痣がついた方はわりと簡単に仮説が立てられたんだけど」
「……記憶、ですか」
「そうだね。というより、人格かな」
アンリは人格の構成要素云々……と語り始めて、ルルは頷いたが、他の2人にはそろそろ理解が追いつかなくなってきたようだ。
シータはさっぱり意味がわからないようで首を傾げ、その正面でジィリアがそれを見て安心したように溜め息をついている。
アンリはそんなジィリアを眺めてにこにこしたあと、つまりね、と大幅に端折って結論を述べた。
「蝶の痣がついた方はその人格がぶっ壊れるくらい、記憶と性質を食われてる」
「……」
「事実、痣のついた兵士は全員漏れなくまともに話も出来なかった。だから前線に送られて使い捨てられたんじゃないかな。痣のついてない方は一体何を食べられているのか、僕にはまだ仮説が立てられない。……そこまでが、僕の立てた推論。……例外はあるけど」
「フチさんですね」
「あとカイだね」
アンリは言い終わってから急に欠伸をした。相変わらず感情の起伏が唐突な人だ。
「というところまで貴方のお父上に話をしたら、すごく気に入っていろいろ話をしてくれてね。どうやら貴方の研究に新しいアプローチになりそうだ、と喜んでいたよ」
「……そうだったのですね」
「この話はフチにもしてあるの? アンリ」
「うん。というかフチはフチでいろいろ考えてるみたい。何せ実際に記憶を失っているしね」
ジィリアは泣きそうな顔になった。
「私、フチの記憶がなくなっているなんて全然知らなかったわ。相談してくれればよかったのに……」
「そういう奴じゃん。心配かけたくなかったんだと思う」
ジィリアに答えたのはシータだった。
彼は意外と周囲をよく見ている男であるというのを、ルルは最近やっと理解したばかりだ。
シフォア人。超常的な力を手に入れる代わりに人格と記憶を奪われる人間。それになるきっかけは願うこと。もしくはシフォア人を殺すこと。
ルルはゾッとした。もしアンリの立てた仮説通りに彼らの身体に何かが寄生して、彼らに影響を及ぼしているとするならば、……なんて恐ろしいものなんだろう。否応なく自分が壊されていくなんて、そんなこと、あってはならないことだ。
「それでね!」
「それやめろ。びっくりするだろ!」
アンリが急に手を叩いて、ソファーから飛び跳ねたシータが歯を見せて怒った。
が、アンリは構わずにルルとシータに身を乗り出してくる。
「僕が貴方に会いに来たのはね、頼みごとがあってきたんだ。それはお父上の望みでもある」
「……レニア領にまつわる伝説に関して、ですね」
「なんだそれ」
ルルは喉を鳴らした。父に聞き及んでいたことだ。
ルルがレニア領まで来たことには、実はもう1つ目的があったのである。
「……セイリーン自治区アマンテスとネド国レニア領には、昔からある伝説が伝わっています。それはシフォア教の起源となるものとみなされていて、明日の祭りの由来となっています」
「そう。レニア領はシフォア人発祥の地と貴方のお父上は考えている。つまり詳しい資料が残っているんじゃないかってね」
そこで、とアンリは指を立てた。
「僕の代わりに屋敷をいろいろ嗅ぎ回ってみてよ。僕らはあくまでイースに遣わされてる立場で、一応、明日の祭典にも公務として出席しなきゃならない。暇がないんだよね。それに比べて貴方たちはエイリの友人って立場で、わりと自由が効くでしょ」
「え!? 俺たちが!?」
「……レニア家は拒否したのですね。詳細の資料の提出を」
慌てるシータの隣でルルが言うと、アンリは口をへの字に曲げて頷いた。
「うん。ぜーんぜんダメ。というかあの兄妹、なんか変だと思うよ。目の色を変えて応接間から追い出されちゃった」
「異様な怒り方でした。まるで何か隠しているみたいで、……」
「怪しかったよね。態度もヘンだし。僕、一応イースの王弟なんだけど!」
「見えなかったんだろ」
シータがからかうと、意外にもアンリは気にしていたらしい。しょんぼりと肩を落とした。
それを見たシータは慌て始めて、男性陣は少しだけ話を脱線した。
「……あの、ルルさん。アンリはこう言っていますけど、あくまで貴方の意向に任せるべきだと、私は思います」
ジィリアが彼らを放っておいて、ルルに心配そうに言葉を投げかけてきた。
「ここはマカドニアではなくレニア領なのですから。勝手に調べること自体、私は良くない事だと思うのです。何かあったら心配です。……そう思うくらい、何か、あの兄妹は異様でした」
「そうなのですね。……いえ、でも」
ルルはアンリに頼まれずともレニア家を探ってみるつもりだった。ルルの父は数年前からレニア家に対して不信感を持っていて、それは最近のレニア家当主の事故死によって一層強まったようだった。レニアに伝わる伝説如何に関わらず、調査をしてほしいと依頼されていたのである。
……一体何が、エイリさんの生家にあったのだろう。
エイリはルルの大切な友人であり、シフォア人を唯一、普通の人間に戻すことができる力を持つ人間である。彼女がなぜそんな力を持つことができるようになったのか、レニア家は何かを知っているかもしれない。
幼かったルルは何度も何度も母の背に呼びかけていた。
だがルルの母は鏡の前から動くこともなく、時折熱に浮かされたように『ごめんね』と謝るだけだった。振り返らずに。
……ごめんね、ルル。母さんの力があれば、父さんもサイも幸せになれるって、父さんが言ってくれるの。こんなどうしようもない母さんだけど、出来ることを尽くしてみんなの力になりたいの。
ルルはおかしいと思った。それは違うと思った。
でも家族の誰もがそれを聞いて胸を打たれたのだから、間違っているのは自分だと、ルルはずっと思っていた。
でも。
フチさん。
『そんな力、必要ないと気づいたんだ』
ルルの積年の思いを肯定してくれたのは、彼が初めてだった。そして彼は言葉通りに、シフォア人の象徴であるその小さな身体を捨て去って、背筋を伸ばして凛と立っている。
フチさん。
ルルは自分に嫌気が差して、やけ酒なんて馬鹿みたいなことをやっていたのだ。何で始まる前から終わっている恋なんて、無駄なことをしたのだろう、と。
好きですよ、なんて言えるわけがなかった。よりにもよってあの彼に。




