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親指ナイト  作者: 真中39
◇5章:親指は踊る
52/67

6.

 



 レニア領は潮騒の観光地と呼ばれるだけあって、常に潮の匂いがする、白亜の街だった。海に流れ込むライヌ川の向こうに、マカドニアのアマンテスの街が見えて、お祭りだということで多くの船が行き来していた。

 レニアの屋敷は宮殿と見紛うような大きさで、大量の使用人に迎えられたフチ達は、あっという間に豪華な部屋に案内されていた。


 アンリ達は手を振って一旦退出し、シータは海を見てくると出かけ、ルルはエイリの身支度を手伝うと部屋にこもりきった。

 フチといえば屋敷の中をぐるっと一周散歩をしてから、エイリの支度が終わったのを見計らって、再び部屋に戻ってきた。


「ルル、手伝ってくれてありがとう。あと、ここまで連れてきてくれて、本当にありがとう」

「いえ、いえ、いえ。本当に綺麗です! 上手くいくといいですね」


 エイリがドレスの端を持ち上げて丁寧にルルに礼をして、ルルは涙ぐみそうにハンカチを持って頷いている。


 今日のエイリは濃紺のドレスを身に纏い、肩までの髪も丁寧に結い上げていた。曰く、綺麗であれば綺麗であるほど資金をたくさんもらえるはず!ということだった。

 フチとしてはあんまり綺麗だと自分の作戦に支障をきたす気がして、気が気ではないのであるが。


「俺、隣にいても大丈夫か?」

「え、いて欲しいよ。作戦会議したでしょ?」

「いや、……釣り合わない気がする」


 フチはうなじに手をやった。本当にそう思った。もともと綺麗なエイリだけど、今日は本当に綺麗だ。

 エイリは頬を薔薇色に染めてから、首をぶんぶんと横に振った。


「そんなことないよ! 不安だし、いて欲しいよ」

「……うん」


 たしかに不安だろうと、フチはエイリの胸中を慮った。小さい頃に敵国に連れていかれ、ろくに育てられた記憶のない生家に勘当されたエイリ。これから会うのはその判断を下した彼女の両親だ。どんな言葉をかけられるか、不安でしかないだろう。


「エイリ、これからお前の両親に、心ない言葉をかけられる可能性もあるだろう。そばにいるから、気にするな。エイリに落ち度は何もない。何を言われても胸を張れ」

「うん、……んふふ」

「?」


 いつも通りきっぱりさっぱり言い切ったフチを見上げて、エイリは頬を押さえて微笑んだ。


 対面の時間が来て、迎えにきた使用人達に従って、フチはエイリについて部屋を出た。


 ーーさあ、踏ん張りどころだ。


 エイリ達と立てた作戦とは別に、アンリと立てた作戦がまさに今、勝負所だ。深呼吸して気合いを入れた。






 フチは実は、ずっと違和感を覚えていた。

 普通、厄介払いと勘当した娘が来たら屋敷中が警戒して、最低限のみの対応で済ませるはずではないだろうか。なのにレニア家の使用人ときたら、にこにこしながらまるで待ってましたと言わんばかりに丁寧にフチ達を接待した。

 何かが変である。


「エイリイイイイイイ」

「ぎゃあああああああっ!」


 どういうことだ?


 そしてその予感は的中し、フチは大柄なネド人の女性を組み伏せながら、屋敷の応接間で混乱していた。


「いてててて! 痛いって! 離しなさい!」

「アイシャが悪い……」

「わかってるわ!」


 応接間の扉を開けた瞬間に、赤毛の若い女性がエイリに飛び込んだのである。

 相変わらずのエイリの悲鳴にフチは慌てて対応したが、女性はフチの腕をバシッと払ってから、ドレスの裾を叩きながら起き上がって、鼻白んだ様子でフチから離れた。

 応接間の向こうには、同じく燃えるような赤毛の男性が、無愛想に眉をひそめながら椅子に座って、女性に対して苦言を呈している。


「ま、……失礼したわ。久しぶりに会えた従姉妹に嬉しくなっちゃった」

「ほんとに失礼……」

「レンズ兄こそ、ちょっとくらい嬉しそうな顔をするべきよ!」


 女性は自身をアイシャと名乗り、奥の男性をレンズと紹介した。

 およそエイリの両親とは思えない若さであるが、フチは納得した。おそらく彼らはエイリが昔遊んだと言っていた、従兄妹であるに違いない。


「久しぶり、エイリ……」

「ほんっとに綺麗になったわ! お人形さんみたい!」


 エイリはぽかんと口を開けていたが、気を取直してドレスを持ち上げ、膝を折って2人に礼をした。


「お久しぶりですわ。レンズ様、アイシャ様」

「堅苦しいわよ、エイリ」

「アイシャ、ネド人ぐらい……こんなに豪快なのは」

「わかってるわ!」


 何もかもが大きな造りのアイシャは、長い髪をばさっと払って、フチに短く挨拶をした。


「貴方ね? エイリからの手紙にあったイース騎士。遠路はるばる、エイリの護衛をありがとう」

「いえ。こちらこそ、急に失礼をして申し訳ない」


 ぴっと頭を下げたフチを、アイシャは全く無視をした。

 レンズが面倒臭そうに低い声音で取り繕った。


「イース騎士よ。アイシャは脳が筋肉で出来た戦闘狂だから……やられたのが悔しいんだ……」

「ちょっと! さすがにハナからイースの騎士様に張り合えるなんて思ってなかったわよ」


 エイリは圧倒されているらしいが、咳払いをして口元を引き締めた。

 フチもその隣で雰囲気を尖らせ、アイシャとレンズに相対した。


「レンズ様、アイシャ様。今日はお会いして頂き、感謝いたします。お話があって参りました」

「レニア家が貴女を勘当したお話?」


 アイシャがあけすけに言ったが、エイリは表情を崩さずに頷いた。


「ええ。……それについて、認めないと、表明しに参りましたの」

「ええ、ええ。そういうことよね」

「代わりに、資金提供をお願いしたく」

「……その必要はない」


 エイリは聞き流してから、数秒後に目を丸くした。

 レンズは椅子の肘掛けに寄りかかり、そのまま頬杖をついて怠そうに、海のように青い目をこちらに投げかけた。


「レニア家は貴女の勘当を撤回する。……貴女はここで生きていくんだ。エイリ・シェリア・レニア」

「……どういうことでしょう」


 見る間に凍りついた雰囲気に、エイリが目を細めた。

 だが目の前で手を振るアイシャは、その空気が至極面倒臭そうである。


「状況が変わったのよ。貴女の籍をレニアから消す判断をしたのは、私達の叔父、つまり当時のレニア家当主……貴女のお父様よ。あんまりにも非道い対応だと、私、憤ったわ!」

「……つまり、その決定はレニア家の総意ではなかった。叔父上と叔母上は、決定からしばらくして事故で亡くなった」

「え……」


 エイリは身体を揺らし、フチも眉をひそめた。

 では、エイリの両親は奥で控えている訳ではなく、すでにこの世にない。ということは。


「現当主は私こと、アイシャ・ナイン・レニアとーー兄、レンズ・ハイ・レニアよ。改めまして!」

「……そして俺たちは、エイリ……貴女を再びレニア家に迎え入れる……どうか、レニア家のために尽力してくれないだろうか」


 フチは全く予想外のことにぐいと片眉を上げた。何かがおかしいと、フチの優れた洞察力が警鐘を鳴らす。

 エイリも戸惑いに言葉が出ていない。

 そんな2人を尻目に、アイシャがパンと手を叩いて、エイリに対してにこやかに告げた。


「明日、マカドニアのセイリーン自治区と合同で1年に1回のお祭りがあるのよ! レニア領の皆さんの前でエイリの帰還をお祝いする予定よ!」

「ちょ、」


 エイリが慌てて口をはさみ、つっかえながら本来の目的を説明した。もともと復縁を望む気はなかったこと、シナンで孤児院を開くために資金提供を願い出たいこと。

 レンズとアイシャは顔を見合わせてから、苦笑をした。


「難しい話だわ。だってエイリ、貴女はレニア家の人間で、生粋のネド人よ。どうやってシナンで孤児院を開くっていうの?」

「そもそも絶縁したい、金も欲しいというのはいささか道理の通らない話……」

「それは、」


 エイリはぐっと拳を握り締め、それを見たフチは唇に手を当てて一歩前に出た。


「……道理の通らない、というのはおかしいと考える。もともとそちらが一方的にエイリの籍をレニア家から消したのだろう。エイリがそれを受けて自立し、生活の目処を立てたいと考えるのは合理的だ」

「……」

「そもそも絶縁の判断そのものが、エイリがレニア家に対する不信感を持つのに十分値する」


 アイシャはちょっと驚いたようにフチを上から下まで眺めたあと、後ろを振り返り、それを受けたレンズは溜め息をついた。


「もっともな言い分……では、どうだろう。妥協案……」


 レンズは驚くべき内容を提示した。


「資金提供ありで、レニア家に復籍?」

「ただし場所はネドのレニア領の中! どう?」


 アイシャは大仰に頷いている。


「レニア家が直接経営を行う孤児院とあれば、評判もあってまず経営に難は出ないわ。ネド王家からの心証も良くなって良いこと尽くしよ!」

「……俺たちもすぐに会いに行ける……」

「そうそう! ……私たち、せっかく会えた同じ家の子供だもの。幼馴染よ。これからも仲良くしたいの」


 アイシャは急にエイリを抱きしめた。

 

「会えて良かったわ。エイリ。ずっと昔、屋敷の砂浜で私達と遊んでいた頃のこと、覚えてる?」

「……アイシャ」

「私達の両親も、叔父さんと叔母さんと一緒に亡くなったの。私達、急に2人きりになってしまったのよ」

「……正直、急な環境の変化に戸惑っている最中……エイリが手伝ってくれると、とても嬉しい……」


 レンズが額に手を当てて悩ましげに言い、アイシャは鼻をすすってからエイリから離れた。

 エイリは眉尻を下げて、戸惑ったようにフチを見上げた。


 ……まずい。


 フチはここへ来て初めて冷や汗をかいた。フチの作戦にこんなシナリオは想定していなかった。


「ちょっと良いだろうか」


 声をかけると、レンズだけが胡乱げにフチに視線を投げた。


「貴方達はなぜ、エイリへの当主の権利の話をしない? 当主の子が復籍したなら、基本的に権利はそちらに移るはずだ」

「……フチ」


 エイリは眉尻を下げ、レンズは首を傾げた。

 まるで動揺を見せないレンズの様子に、フチは苛立ってさらにまた、一歩前に歩み出る。


「エイリに当主を務める力はない。……それに、エイリ本人が望んでいない……」

「では、わざわざ、エイリの籍を復活させる意味が分からない。それに、エイリの両親が亡くなってすぐ、エイリの扱いを変更しなかったのは何故だ? なぜ今、このタイミングになって急に手の平を返したように、」

「ーーもう!!」


 アイシャが大声で叫ぶ。

 フチとエイリはその声量に、揃って肩を跳ね上げた。


「エイリはレニアの人間で、私たちは幼馴染と一緒にいたいって言ってるのよ! それに、エイリはずっと事故で亡くなったと聞いてたのよ! 連絡など取ろうと思うはずがないでしょ!?」

「……」

「イース騎士。貴方がエイリを無事にここまで送り届けてくれたことには感謝するわ。ーーでも! これは! レニアの問題よ! 貴方はただの一介の騎士でしかないわ! 余計なことに首を突っ込むのはやめなさい!」


 ど正論である。

 でもフチはなかなかどうして、珍しく動揺していたのである。いつにも増して、撃てば響くようにアイシャに対して主張した。


「だが、エイリはシナンで孤児院を開きたいと言っている!」

「だから! それは! エイリが決めることだって言ってるのよ! 貴方は一体何なワケ!?」

「だ、大事な人なの!!!」


 え。


 間違いなくエイリの声だ。

 頭を掻きむしっていたアイシャと、いつの間にかエイリより前に出ていたフチは、同じように目を丸くした。

 レンズだけが、相変わらず怠そうに頬杖をついたまま、怒鳴ったエイリを眺めている。

 エイリはみるみるうちに真っ赤になりながら、それでもはっきりと、この場で言い切った。


「フチは私の大事な人です! だからフチが気にしてくれるのは、おかしいことじゃないの」

「……エイリ」

「でも、フチもアイシャも、……ちょっと私に、考えさせて欲しいの。明日までにはどうするか、決めます」


 フチは毒気を抜かれたようになってしまった。


「それは、レニア家で生きるってことか? ……」

「考えて、相談する」

「それは、……」


 困る。だって、そうしたら、エイリは。


 アイシャがキッとフチを睨みつけ、鼻息荒く腰に手を当てた。


「鬱陶しい! イース騎士! ただの騎士は黙ってなさい!」

「アイシャ、口が悪い……。だが、同感……。イース騎士。……エイリに任せるべき」

「……」


 フチはぐっと堪えて身を引いた。

 というか猛反省し始めた。そうだ、これはエイリが決めることだ。勝手にフチが話を進める問題ではない。

 エイリは難しい顔をして、唇に手を当てながら黙り込んでしまった。

 レンズがエイリ達を屋敷に泊まる手筈を整えてくれ、それをボソボソと喋るのを、フチは上の空で聞いていた。






 その夜。


「エイリ!」


 夕食の場に出てこなかったエイリを、フチは探し回ってやっと見つけることができた。

 広い屋敷の廊下で出くわしたエイリは、先刻までのドレス姿のまま、なんだかぼーっとして上の空である。


「エイリ?」

「フチ?」


 どこへ行っていたのかとか、さっきの話についてもう決めたのかとか、聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず、フチは彼女には見えないように深呼吸して、エイリを海のすぐ見える共有スペースに連れ出した。夕日が落ちて、橙色が地平線のすぐ上にだけ伸びている。あとは濃紺が広がって、レニア領の夜を艶やかに変えていた。


「え、エイリ、先刻の話についてなんだが」

「あ、あのね、フチ」


 フチとエイリはお互いに椅子にも座らずにおろおろしていた。前にもこんなことがあって、それは2人が進退を決める際で、今回もそうだった。


 フチは考える。

 エイリのことはエイリが決めるべきで、自分が余計な口を挟むべきではない。でも、フチがこの先やりたいことをエイリのそばでするためには、レニア領は余りにも遠かった。だが、資金は大切だし、エイリの気持ちも尊重したい。


 だが、でも。でも。


 とどのつまり、フチは考え過ぎて混乱していた。


「エイリ、とりあえず、座って、座れ」

「は、はい」


 エイリはカクカクしながら、フチの引っ張った椅子に座ろうとして、ふらついた。


「わっ!」


 身軽なエイリには珍しいことで、斜め前にいたフチは反射的に、前のめりに倒れてきた彼女を抱きとめた。


「あ、ありがと、フチ。……」


 エイリの柔らかい身体に、簡単に身を任された事実に、頭の中でポーンと音がする。

 そのまま抱きしめて、バランスを取るために伸ばされた腕を沿って、その手を握りこんだ。


「へええ!?」

「ーーエイリ、手、小さい」


 何の意味もないことを言うしか出来なかった。フチはこの時だいぶ、相当にキていたのである。


「ふ、フチ?」


 エイリはこれからどうするんだろう。このまま一緒にいられなくなったらどうしよう。……俺のものにならなかったら、どうしたらいいんだろう。


「フチ?」


 キスをしたら分かってくれるかと突拍子もないことを思って、フチは俯いた。

 その時だった。


「カイなの?」

「……え?」


 虚ろなエイリの目に映るフチは、酷く間の抜けた顔に見えた。


 それって、どういう。


 フチは驚いたままエイリから離れたが、エイリはそれにはっとして、見たことがないほど赤くなって、その次に青くなった。


「え、あの、ちがうの、フチ、あの」


 額に手を当てながら、エイリはぽろぽろと言葉をこぼした。

 フチは何にも言うことが出来ず、呆然と立ち尽くしたままだった。


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