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親指ナイト  作者: 真中39
◇5章:親指は踊る
50/67

4.失くした記憶と花の国の王子様

 

 ◆



 うーん、やっぱりか。


 馬車から降りた瞬間に、フチはこんなことになりそうな予感はしていた。

 小径から大量に湧いて出てきた黒づくめの集団は、なんだか妙に気を遣いながらフチとルルと距離を詰めてくる。囲まれたが、あまり敵意を感じない。


「な、な、な、わ、こ」


 だが、怖がりのルルは卒倒しそうになり、教会の方にじりじりと後退した。

 フチは黒づくめの先頭にいる男を睨み、彼は挙動も怪しく怒鳴り散らした。


「教会に入れ!」

「何故だ」

「な、何故もクソもあるか! 入れ! おら!」

「ひいい! は、入ります!」


 泣きながら叫ぶルルに引っ張られ、フチは歩いた道をまた元に戻ることになった。なんだか脱力してしまうが、その雰囲気も、教会の扉を開ける頃には雲散霧消している。


「願うは悪ぞ、努力を断つな。願うは悪ぞ、他に委ねるな。願わば、失うものと心得よ……」


 中から大勢の、不気味な歌声がする。

 足を踏み入れた瞬間に、フチは腰元に手を伸ばした。外の雰囲気とは余りにそぐわない、明確な敵意が充満している。


「きゃあ!」


 バタン、と背後で扉の閉まる大きな音。

 飛び上がったルルの横で、フチはすっと背筋を正した。


「願うは悪ぞ、努力を断つな。願うは悪ぞ、他に委ねるな。願わば、失うものと心得よ……」


 陽光の透けない古ぼけたステンドグラスには、荘厳な絵が描かれていた。立派な冠を被った女が、地面に長い槍を突き立て、うずくまった天使を踏みつけている。

 そして埃の積もった椅子には誰も座っておらず、代わりに、壁際にずらりと並んだ黒いローブの人間が、全員こちらを仰ぎ見ていた。数は30は降らないだろうか。


「し、シフォア教信者……?」


 ルルは蒼白になって、ふらふらしながらフチの背中に隠れた。


「ああ、じゃあこれは『願いの戒め歌』か?」

「え?」


 フチが確認すると、何故かルルが目を剥いた。

 そのとき、黒いローブが一斉にフードを取り去った。


「!」


 その様相に、フチも警戒心を最大限にまで引き上げた。

 老若男女、みな一様に憎々しげにこちらを睨みつけ、男は剣を、女は槍を構えている。そして全員が、耳を覆って防音する黒い耳当てのようなものをつけていた。


「ま、まさかフチさんのことを……」


 いよいよ青くなったルルが囁いて、フチは辺りを見回した。この状況、一体何がどうなっているのか測りかねる。


「教祖様は仰られた」


 黒ローブの男が1人、ひっそりと前に進み出て言う。


「お前こそはシフォア教に伝わる『災厄』であると。殺さなければならないと」

「?」


 フチは胡乱げな顔をしてそれを聞いていた。なんだかとても、その言葉の意味も、虚な様子もおかしいと思う。

 考え込み始めたフチに、ルルが嘘でしょ、と言いたげに愕然と視線をやって、今度は出口に引っ張り始めた。


「!」


 だが、木製のドアにルルが手をついた瞬間、そこに火矢がかかった。


「逃げる事は許されない!」


 狂ったように黒ローブ達は笑い始めた。


「本望である! 教祖様のお望みを叶えられるとあれば! 殉教者である我々は本望である!」

「……」


 本当に狂っているらしい。


「ひいい! フチさん! シフォア教狂信者です!ち、父がいません! 騙されました!」

「落ち着け、ルル嬢」

「ひいいいいいいい」


 フチは素早く腰のホルダーを解放した。ちょっと手荒くなるが気にしていられない。

 焦げ臭い匂いが辺りを漂い、フチとルルは教会の中心に寄って行かざるを得なかった。

 必然的に黒ローブ達との距離は縮み、彼らは武器を構え直す。


「ルル嬢、あんまり叫ぶと毒が回る」

「!」

「出来る限り呼吸は抑えて離れないように」


 手短に説明したフチに、ルルは泣きながら何度も頷いた。

 それを確認したフチは、小瓶をホルダーから取り外し、中央の床に放り投げると同時に抜剣する。

 パリン、と軽い音。


「わあああああ!」


 喚きながら襲いかかってきた男を、フチは睨みつけた。





 シフォア教信者たちは、ものの数分もしないうちにバタバタと倒れ伏した。フチが剣で捌いたのが数人で、あとは割れた小瓶から立ち上る毒の空気に気を失っている。


 ……意味が分からない。


 フチはそこそこに混乱していた。


「……ふぐ……」


 パチパチと火の爆ぜる音が大きくなり、ルルは額に汗を滲ませて口元をハンカチで覆っている。

 火のついた扉はすでに消し炭のように真っ黒になっており、炎は周囲へ燃え移っていた。とりあえずここから出なければ、なかなかに危険な状況だ。


「……な、何故シフォア教狂信者たちがフチさんを? あ、あとなぜ、私達はここへ……?」


 震えるルルに首を傾げた瞬間、返事は背後から聞こえてきた。


「それは僕が手配したからだよ」


 フチは瞠目した。

 ステンドグラスの前に、へらへら笑うアンリがいる。


「揮発性の毒はある程度の量が必要だったから、今までの君は携帯できなくて使えなかったんだよね。手際が良くて相変わらずだね」

「アンリ?」


 照り返した炎の光は、不健康そうなアンリの顔に濃い影を作っている。


「何故、お前がここに」


 フチは驚きの余り、上がる教会内の温度に反して冷や汗をかいていた。

 何故と聞いてはいるが、フチはおおよそを察していた。何しろバスク・セイリーンとコンタクトを取りたかったフチが一番に頼ったのがアンリである。彼がバスクから聞き及び、馬車を手配していても何らおかしな事はない。

 そして教会の外にいた、なんだか育ちの良さそうな黒づくめの集団も、おそらくはイースの騎士たちだろう。


「君のことを確かめたくて、ちゃんと腹を割って話をしようと思ってさ」


 知らない親友の顔をしたアンリは、壇上から降りて後ろ手を組んだ。


「火は大丈夫。そのうち僕の部下が鎮火するから。だから落ち着いて教えてくれない?」

「……なにを」


 アンリは微笑んだ。ゾッとするほど、この空気に不釣り合いに。


「『願いの戒め歌』も、僕のことも、本当はあんまり覚えていないんでしょ? 君は、本当にあの、僕の親友でイース騎士の、フチ・シーザウェルトなのかな」





 バキ、と音を立てて教会の扉が崩落した。わずかながら開いた隙間から空気が入り込み、火の勢いが増していく。

 苦しくなってくる呼吸に、ルルが咳き込んだ。


「シフォア教はもともと『願いの戒め歌』に代表されるように、シフォア人の撲滅を謳う教えだ。『災厄』とはシフォア人の中でも特に一般人に悪影響を及ぼす者を言う。……シフォア教信者にとってはある意味『救世主』だ。そいつがいることでシフォア人を消す理由が出来るからね」

「……」


「だからね」とアンリは視線をフチから外し、ステンドグラスに手を伸ばした。


「『災厄』という存在を真っ先に殺そうという動きは、狂信者達の中にも今までなかったんだよ。……僕はね、疑問だったの。おそらくだけど、シフォア教はすでに破綻している」

「……」


 アンリの見立ては正しいと、フチは思う。


「そもそもがあまり信者の数のいない教えだったけど、今ではもう、主要な拠点はほとんどが機能していない。その代わりに最近、不穏な動きがある。一貫しない教理をさも当然のように掲げて、シフォア人達を狙い、一般人への被害も厭わない……まさにここにいる『狂信者』達だね」


 フチは頷いた。意味の分からない彼らの言動に理由はなくて、最初から狂っていたのである。


 であれば、とフチは思う。

 彼らはフチがガクから力を手に入れ、笛の音で彼らを操れることを知っていた。どうやって知ったのだろうかという疑問に、フチは1つの可能性を見つけた。


「カイだな」

「!」


 ルルがぎくっと肩を跳ね上げ、アンリは頷いた。


「僕もそう思う。いつのまにか頭がすげ替わってるんだ」


 鬱陶しい。何もかも筋の通らない男だ。


 フチは床を睨みつけた。マスクを嵌め、目を細めて笑う男が思い出される。

 狂信者達の虚な様子も納得出来た。おそらくカイは、人間の夢に侵食して、精神的に支配できる。都合の良い手駒として作り替え、ガクのこともそそのかして壊したのだ。


 アンリは急に振り返って、フチを眺めてきた。


「だからね、お手並拝見ってことでここに君たちを誘導したの。フチ・シーザウェルトはこんなところで死ぬ人間じゃないでしょ? 死んだらそれまでってね」

「……」

「相変わらず君は色んな手を用意する男だっていうことは分かってよかったかな。……それだけじゃ、信じきれないんだけどさ」


 青黒色の瞳は深く、なにを考えているのか掴みきれない。


「ふ、フチさんが、フチさんじゃないってどういうことですか」


 震える声のルルが、いよいよ意識が怪しくなってきたのか、教会の椅子の背もたれに手をついた。

 問いかけられたアンリが溜め息をつく。


「記憶もない。身体も普通。騎士としての矜持も捨てた君を、僕は確信を持ってフチと断言出来ないんだ」

「……」

「フチ、君は今、誰のために生きてるの? あの、イカれたエイリ? それとも未だに、死んだ前王カミルの面影に縋り付いているのかな」

「そんな言い方……!」


 言いながらルルが椅子に座り込んだ。

 ばちばちと音を立てる火が、ついに教会の古ぼけた絨毯に燃え移った。


 フチは急に、ここではない石の教会に座り込んで、頭を抱えていた夢のことを思い出した。幸せな夢ばかり追って、生きるのを放棄しそうになったことを。


 エイリ。


 迎えに来てくれた彼女こそ、フチにとっての救世主だった。

 そう。これからきっとこんな風にいろいろなことを忘れてしまって、本当の自分のことを誰からか疑われてしまっても、フチにはエイリがいる。


「俺のために」

「?」


 フチは真正面からアンリに向き直った。

 アンリが怪訝な顔をすると同時に、教会の扉がギギ、と音を立ててしなり始めた。


「デジデリ遺跡でエイリが死んだとき、気付いたんだ」

「……」

「誰かのために生きることなんて必要なかった。俺は俺のためにエイリが欲しかったんだと」


 デジデリ遺跡で気づいた時にはもう遅かった。でも奇跡に奇跡が重なって、今、エイリは生きてくれている。

 だからこそフチは、彼女が幸せになってくれさえすればいいとは思わない。

 エイリが自分のものにならなければ、フチの隣で幸せにならなければ、絶対に意味がない。


「だから、アンリ」

「……」

「俺は俺のために生きている。俺が幸せになるために。それにはエイリと、生きていく方法と、邪魔な存在を消す力が必要なんだ」


 アンリが目を瞬いた瞬間に、大きな振動が教会を襲った。





「鎮火しました!」

「アンリ様が濡れてる……!」

「すんません」


 ワーワー言いながらイースの騎士たちが、破壊した扉から雪崩れ込んできた。どうやら、鎮火するために大量の水をわずかに開いた扉の隙間から流し込んだため、一気に床に水が吹き散らされたのだ。

 フチはぽたぽた水が滴る裾を引き上げて、雑な仕事っぷりに眉をひそめた。おかげで一気に火は止んだが。


「……」


 清澄な空気が吹き込んだ。

 アンリは唇を尖らせ、ルルは何故か真っ赤になって、それぞれフチを見つめていた。


「君、騙されてるよ」


 拗ねたようにアンリが言った。

 不思議と、先ほどまでの鋭い雰囲気が消え去って、薄暗い教会の中には光が満ち始めた。


「エイリってシナン王の寵姫で、あの外見だろ。なんか初心っぽく君のことを話してたけどさ、そんな女じゃないだろ」

「……」

「君は将来有望な戦勝国の騎士だ。君に気に入られればとりあえず将来は安泰だから、打算だよ。演技だよ。それっぽく好きだ惚れたと振舞ってさ。君、エイリに騙されてるんだよ」


 彼は子供のように床に視線をやって、悔しそうに拳を握っている。穴だらけの記憶にない、新鮮な姿だった。

 自分を心配してくれている、本当は誰よりも捻くれた男の態度を察して、フチは腕を組んだ。


「エイリが俺を本当に好きだと考える理由は4つある」

「……多いし。なにその感じ……」


 フチはナイオの街で、酔っぱらったと見せかけたエイリに口説かれたことを説明した。あのときは彼女が酒に強いだなんて思いもしなかったから、つい本音だと思って動揺した。騙されたのだ。

 でも、それってつまり、本当に本音だったのだろうけど。


「本当に俺が好きなんだ、エイリは」


 そこまで言って、アンリが青い顔をしていることに気がついたフチである。


「君、相変わらず理屈っぽくて……キモい……」

「!?」


 結局あと3つの説明を終わった頃には、アンリはフチを冷たい目で見ながら、用意された馬車に乗ろうとしている。


「よーく、よーく分かったよ。エイリが君を好きなことは。でもエイリがこれを聞いたら恥辱に憤死するよ。それは考えてあげられなかったの?」

「……」

「今更気づいて落ち込むって本当、君ってポンコツだね」

「だ、大丈夫ですよ、フチさん。エイリさんには絶対に内緒にしますから」


 ルルがフォローしてくれるのを上の空で聞きながら、フチは馬車に乗り込んだ。


 シフォア教狂信者達の処理は、イースの騎士たちが行ってくれるという。

 アンリは、狂信者達の不穏な動きに目をつけていたバスクに、相談を持ちかけられていたと言った。


「イカれた奴らに市民だけで抵抗するのはなかなか難しかったんだって。マカドニア直下の騎士隊は忙しくて対応が遅れ気味だし。片付けてくれれば助かるなあって……食えないおじ様だよ。あ、これは失礼」


 ルルに謝ったアンリは揺れ始めた馬車で天井を仰いだ。

 これから向かうサロンで、再びバスクに会うことに何となく気が乗らないらしい。

 フチはと言えば、考え込んでいた。


「まだ落ち込んでるの? そんなんじゃあの人に良いように利用されちゃうよ。あ、これは失礼」

「いや……アンリ、頼みがある」


 フチは考える。

 エイリはシナンで孤児院を開きたいと言っていた。であれば、金がいる。レニア家から資金を借りるにしても、あまり額は大きくしない方が良い。手っ取り早く稼ぐには、単純に、フチがその分を稼げるようになれば良いのだ。


「俺を騎士にしてくれないか。シナンで」

「えっ?」


 ルルはフチの隣で目を丸くし、真正面にいるアンリは組んだ指の上に顎を乗せて、再び薄く微笑んだ。

 馬車の中がピリッとした空気に震えた。


「僕が君のお願いを叶えてあげる人間に見える?」

「……見える」

「僕が君の親友のアンリだってこと、君に証明出来るのかい? 何にも覚えてないくせに」


 フチは首を傾げた。


「どんなにくだらなくても、最後まで話を聞いてくれる男だったっていうのは、覚えてる」

「……!」


 アンリは目を丸くしてから、ややあって俯いた。


「君って本当……。騎士学校時代、君が小さくってよかったよ。僕、何もかも君に取られちゃうところだった」

「……」

「……いいよ。僕もおんなじこと考えてた。君が手に入るなら、何でも協力するよ」


 ルルが目をぱちぱちとしながら、フチとアンリを見比べた。


「ありがとう。……まずは、カイを何とかしないとな。アンリ、今から作戦を立てる。ルル嬢とバスク・セイリーンの目的も果たせるようにしないと。交渉も優位に進めたい」

「盛りすぎじゃない?」


 フチは唇に手を当てて、難しい顔をした。


「いや、少ないくらいだ。エイリを手に入れるなら、もっといろいろ考えて対策しないと足りない」


 アンリは呆れて、ルルは再び赤面して、フチを見つめてくる。

 それを放っておいたまま、フチは再び思考の渦に突っ込んだ。


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