1.正論ツバメ、夜に泣く
☆
ルルに誘われて、結局荷物持ちをしたシータは、アマンテスの街が妙に華やいでいることに目をとめた。ルルに聞けば、どうやらこの街にはそれは大きな河があって、向こう岸の街と共同で進める祭りが3日後に迫っているとのことだった。
「でも向こう岸って……」
「そうです。ネド国ですよ。この時ばかりは国はあんまり関係ないんですよね。それよりも伝統を祝う気持ちの方が強いです。さすがにネドとシナンが戦争の佳境に入っていた時には、行われませんでしたけどね」
「何を祝う祭りなんだ?」
「1年に1回、願い事をする祭りですよ。天使がいっぱい街に溢れます。本を抱えた天使に会えれば願い事が叶うという伝統が、この街と向こう岸の街には古くから伝わっているんです」
天使ねえ、とシータは当たりを見回した。確かに天使の羽根を模したワンピースやらベストやらが店先に溢れかえっている。
ルルが「と言っても」と含み笑いをした。
「最近はもっぱら天使の格好をしたカップルが結婚の申し込みをするお祭りになってますけどね。『願い事は?』、『貴女と結婚することです』って」
「うえー」
「シータさんはそういうのは嫌いですか?」
「なんか馬鹿みたいだろ」
「……意外とシータさんって、ドライですよね」
なぜかルルにちょっと引かれたシータは、彼女とともに帰路についた。
帰るとエイリが目を覚ましていてルルと喜んだが、そのままというわけにはいかず、面倒臭いことも待っていた。
「どうもアンリです。イース国王弟で宰相で、イースからネドへの親善のために派遣されて、ついでにマカドニアのセイリーン自治区にも挨拶に来てます。どうもどうも」
「……」
不健康そうな白髪の男がアマンテスの屋敷で待っていた。
ニコニコしながら一息で色々説明をしたアンリという男に、シータはうわあと目を細める。フチと同じ匂いがしたからだ。
腹黒そうで面倒臭そう……。
シータの勘はこういう時、だいたい正しい。
それを証明するように、早々にシータとエイリだけが、彼の客室に呼び出された。
「急に悪いね」
ふかふかのソファーに掛けたシータは、全くくつろげずに、目の前の王弟とその妻になる予定の女性騎士……ジィリアに対面している。
エイリもシータの隣で警戒心をバリバリに滲ませていた。
病み上がりの身体に緊張は良くない。早く切り上げて、アマンテスの街で買ってきたお土産でお茶でもしたいのに、とシータは半目になった。
「フチを抜きで、というのは何故でしょうか」
エイリが前置きは要らないとばかりにぴしゃりと言った。久しぶりに聞いた口調に、シータも襟元を直して姿勢を伸ばした。
「聞かせたくないから。……それよりまずは、エイリさん。謝罪をさせて欲しい」
アンリはまず、イース現国王、マシューがエイリにした非礼を詫びてきた。
急に机にくっつくくらい頭を下げてきた王弟に、エイリは目を瞬いた。続けてアンリが懐から取り出した手紙を見て、ソファーから飛び上がるくらい慌て出した。
「それ!」
「マシュー国王が貴女に乱暴をしようとしたことが書いてある、貴方が作った嘆願書だね。結局僕は国王になるのはやめたし、フチは騎士をやめちゃうらしいけど。……僕の見立てでは、これは多少、大げさに書いてあると思うけど。違う?」
「ち、ち、違いませんわ。あのそれ、どうやって」
「フチに借りたよ」
「借りたあ?」
「?」
顔を抑えたエイリと首を傾げたシータを放っておいて、アンリは粛々と謝罪を述べた。
「これを読んで呆れたよ。我が兄は最低のクソ野郎だとね。人間性は政治に出ると思う。今度から僕が陰からしっかり手綱を握ることにしたので、もうこんな事は起こさないよ。本当に、申し訳なかった」
「……そんなこと、もうどうでも良いですわ」
エイリはぶつぶつ言いながら手を握ったり開いたり。
そこで軽い音を立てて、目の前に紅茶が淹れられる。
シータはお茶を淹れたのがあのジィリアだというのに驚いた。女性というのはみんな、澄ました顔が上手いのだろうか。
ほっとしたように息をついたアンリは、急に「お気に入りの銘柄これ!」と紅茶を指差した。困惑するシータとエイリをよそに、またまた急にこれからが本題だと言わんばかりに顔を引き締める。
「ちょっといいかい?」
感情の切り替えが急すぎて、慣れないうちにはついていけない種類の人間だと、シータは思った。頭の回転が早すぎるのだ。
「君たち、フチが元の身体に戻った理由を知っているかい?」
エイリとシータは顔を見合わせた。
「……いや、何も。……ルルなら聞いてるかも」
「そうですわね……」
「……君たち、フチに興味ないの?」
シータは縦に、エイリは横に強めに首を振った。ちょっと意外そうにアンリが目を丸くする。
シータはアンリという男にどこまで話をしていいものか測りかねていた。フチの親友というのは間違いなさそうだが、だからこそ、シータとエイリに何もしてこないとは限らない。
「うーん……あのね、ちょっと長くなるけど聞いてくれる? フチの話」
「……何故ですの?」
「フチに何が起きてるか知りたいんだ」
アンリはそう悩ましげに言ってから、後ろで控えていたジィリアを振り返って、ぽんぽんとソファの隣を叩いた。
「座んなよ、ジル。話が長くなるから」
「いや」
ジィリアは閉じていた目を開けた。氷点下の眼差しでアンリを見下ろすそのさまは、お世辞にも王弟に対する態度とは言えない。
「いやよ。本当は貴方のそばにいるのもいや。セイリーン家先代当主とまで通じていたなんて知らなかった。秘密だらけで楽しいわね」
「……え、だって。君が心配だったから……」
「……私は! 何にも知らされないまま貴方のそばにいるだけなんて、絶対に耐えられないの! ……なんで何も教えてくれなかったの?」
「いやー、色々あってさ。君ってほら、顔に出るじゃない。バレちゃうとまずいからさ、」
「もういい!」
ジィリアはその場でダン!と足を踏みならし、アンリはしょぼくれてから、「というわけで」と話を始めた。
「僕たちはイース騎士養成学校で出会いました」
「貴方は本当はそんな教育なんて必要のない人間だったけどね、アンリ」
「……そんな感じで話をされても困りますわ」
「ほんとだよ」
めんどくさい。
シータはそればかりを頭に、話し始めたアンリと冷たく突っ込みを入れるジィリアを見て、溜め息をついた。
アンリはまず、フチの生い立ちを簡単に説明した。
「気づいてると思うけど、フチはイース人ではないんだ。彼はもともとイースのもっと北のアンプ区というところの孤児院出身で、そこは現在イースの領土になっている」
「戦争により荒廃し、最近まで人も住みつかない場所でした」
「そうなの。フチのいた孤児院はすでに無くなっていて、そこから引き取ったのがフチの養父、貴族であるサンク・シーザウェルトだ。彼はミシェルという薬学の研究者の女性と夫婦だったが、子供がいなかった」
通常、貴族が養子を取る事は珍しいことではないが、サンクは変わり者で有名で、その時も、親指ほどの大きさしかないフチを養子として引き取ったことでかなり批判を浴びたらしい。
フチにどう考えても騎士が務まるとは思えないこと、子供が残せる身体ではないことが原因であった。
アンリは額に指をさして、難しい顔をした。
「どうやらフチは、サンクに引き取られた時にあの大きさに小さくなってしまったらしいんだけどね。明確な理由は分かっていない」
「もともとあまり自分のことを話したがらない人ですからね」
「で、まあ、批判も跳ね返すようにしてフチは騎士学校の入隊試験に特例で合格し、優秀な成績を修めて鳴り物入りで騎士となったわけ。僕の父の前王カミルは、サンクと友人だったのもあってフチをとっても気に入っていてね。仲が良かった僕たちと合わせて『王のお墨付き』という地位を与えて、特別な権限を認めたんだ」
シータにはその辺りがいまいちピンと来ない。彼は空を飛べる力を買われて特例中の特例で騎士としての地位を与えられたからだ。なんだか面倒臭そうな仕組みだなあ、と腕を組んだ。
アンリは膝に肘を当て、シータ達に身を乗り出した。
「それで、ここからが本題。前王カミルは、フチについての遺言を残していたんだ」
「えっ」
「えっ!?」
エイリとジィリアが同時に声を上げた。
「アンリ! 聞いてないわ!」
「言ってないもん」
「ーーこの!」
怒ってアンリを羽交い締めにしたジィリアに、エイリとシータが呆れて、少し間が空いた。
「ごほん。失礼」
「進む話も進みませんわ」
「ほんとだよ」
咳払いしたアンリを、エイリとシータは冷たい目で眺めた。
「えー、まあ、前王カミルの遺言の内容はこうだ。僕あてに、『フチの良き王になるように』って」
「……どういうことですの?」
「それがねえ」
僕もよく分からないの、とアンリは続けた。なんだか地位の高い人間らしくない、気の抜けた態度である。
「フチはどうやらね、仕える人間がいないと駄目な人間らしくてね? 最初はたぶん、養父であるサンク、次に前王カミルと仕えてきたらしいんだけど、その次は僕になる予定だったんだって」
「???」
意味が分からない。
「騎士という職業柄、フチはずっと誰かのために生きてきたんだと思う。それが彼の存在意義だったんだと僕は思っていて、でも、現王マシューには彼は父の時みたいに忠誠を誓っているようには思えなかった。まあ、真面目なフチのことだから、ちゃんとマシューのために生きようとしたんだろうけど……」
「マシュー様はエイリ様の護衛の任務を騙って、フチを裏切って殺害しようとしましたからね」
ジィリアは苦虫を噛み潰すような表情をし、エイリも頷いた。
ライヌ川での一件のことはシータも良く分かっている。今思えば、全ての始まりである事件だった。
アンリが溜め息をついた。
「……マシューに代わってフチの王になる……僕は遺言通りにしてやろうと思ったけど。でも、マシューがまさかそんなことをするとは思わなかったんだ。気づけばフチはライヌ川でエイリさんと共に行方不明。終わったと思った」
だが、フチとエイリが生きているらしいことを大規模な調査の上で知ったというアンリは、1つの疑問に辿り着いた。
「だったらフチは、今、一体誰のために生きているんだ?と」
シータはあの、びしっとしたフチの背中を思い出した。どんな時にも揺れることのない立ち姿は、嫌いだけど格好いいと思う。
「疑問に思って会いにきたと思ったら、身体まで元に戻っているじゃないか。フチに一体何があったんだ?」
「……私も詳細の状況まではフチに教えてもらっていません」
「君たちはずっとフチと行動を共にしてきた。何か知っているんだろう?」
アンリとジィリアはじっとシータとエイリを見つめてきた。2人の話の核心はこれらしい。
だが、シータは思いっきり首を振った。
「知らねーよ!」
長々と話をされて結局これか、とシータはイライラしていたのである。
「どうだっていいいよ! フチがデカくなったで終わりだろ!」
「……そうなんだけどね」
「そう言われるとそうなんですけどね」
アンリとジィリアはお手上げとばかりに首を竦めた。
だがそこで、エイリが急にカクカクしながら手を上げた。何故か、頬が真っ赤である。
「フチは、わ、わ、私のために生きてるかもひれません」
「……噛むなよ」
反射的に突っ込んだシータとは別に、アンリが片眉を上げて「へえ」と微笑んだ。
その目線に剣呑なものが混じったのを瞬時に感じ取ったシータは、彼の本性を垣間見た気がして、嫌な予感がした。