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親指ナイト  作者: 真中39
◆4章:廃墟と笛吹き、断罪と消滅
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14.川辺と物知り、復讐と宣言

 

 ⚫︎



 ーー鏡よ、鏡。ほら、見えた。ポッツ橋を渡りたければ、この先の店にいる2人に声を掛けなよ。……そうそう。綺麗なレディと親指サイズの騎士だよ。困っているから助けてあげたら。


 何度この、水面に浮かび上がった文章を思い返しただろう。そして何度、この男を殺してやろうと思ったことだろう。そのためにどれだけの人間を踏みにじったっていいと、利用してやると思ったことだろう。


 でも、エイリさん。フチさん。


 ルル・セイリーンは胸に手を当てて、もう何度目かも分からない、月夜のデジデリ遺跡を思い出す。

 遠いところに行ってしまったエイリと、深淵を覗き込むようなフチを見た瞬間、ルルはもう、強く心を持てなかった。

 気づけばフチを死なせないように、シータをノイ砦に向かわせ、エイリの身体を治療していた。治療をしながら涙が止まらなかった。自分は一体、何てことを期待していたんだろう、と。





 ルルは眉尻を下げながら、自身の研究室で頭を下げるフチを見ていた。

 グレーの詰襟を折り目正しく着こなした青年は、姿勢までびしっとしていて堅苦しい。

 てこでも引かないフチの強い意志を感じ取って、ルルはどうそれっぽく理由をつけて説明しようか、頭を悩ませた。


「……しばらくこの屋敷から出ていくって、本気ですか?」


 フチは顔を上げて頷いた。明るい緑の瞳がじっとルルを見つめてきて、二重の意味で困ったルルは慌てて視線を下げた。

 普通の青年になったフチは、人より少しだけ背が高く姿勢が良くて、人目を引く華やかさがあった。小さかったが故にあった僅かな愛嬌は消え失せ、近寄りがたい潔癖さが増した。

 その割にどんなところにも現れて何でも手伝ってくれるものだから、近頃屋敷の使用人の女性達の化粧は濃くなった。分からないでもないルルは、ついついため息をついてしまう。


「ノイ砦とデジデリ遺跡の件で、マカドニア直下の組織が調査を始めるだろう。痕跡を残したつもりはないが、貴女に迷惑をかけるわけにはいかない。しばらく身を潜めようと思う。だが……エイリはまだしばらく怪我が治らない。貴女の屋敷で治療をお願いしたいんだ。……金なら、用意する」

「お金が欲しくてやっているわけではありません」

「……分かっているが……」


 ガクの襲撃から、5日が経とうとしていた。

 エイリは未だに昏睡状態ではあるが、命に危険はない状況まで持ち直すことが出来た。全く以て予想ができない治癒の早さである。ルルからしてみれば、エイリの身体は通常の人間の物差しで全く測ることが出来ないということを分かっていたが、それにしても予想外なことだった。


 デジデリ遺跡とノイ砦で起きた事件は、ズールの街に大混乱を引き起こした。街周辺で出没していた悪党の集団がデジデリ遺跡で大量に死亡していたという事件は、近隣の住人に多大な恐怖をもたらした。だがそれ以上の情報が全く出てこないので、巷では過去の凄惨な歴史の事件が再現されたという噂が、尾ひれがついて飛び回り始めているらしい。

 マカドニアに全く縁のないフチの元にまで調査の手が伸びるとは考えにくいが、慎重な彼はそれでよしとはしないだろう。

 事実フチはこうやって急にルルの部屋を訪ねてきた。自分だってまだ怪我のせいで本調子ではないというのに。


 ルルは仕方なく、フチの情に訴える作戦に出た。


「エイリさんはどうするんですか? 目が覚めたときにフチさんがいなかったら寂しがりますよ」

「エイリなら分かってくれると思う。たまに会いにきたいんだが……許してもらえると嬉しい」

「……」


 ルルは頭を抱えた。さすがになかなか簡単には頷いてはくれないのがフチだ。


 ……こうなったら。


「フチさん、気づいていますか?」

「うん。シータがエイリの部屋にどうやって侵入しようか企んでいることか?」

「えっ?」


 出鼻を挫かれたルルはずっこけそうになった。

 気を取り直して、ルルはこれからの自分たちの進退について、ある提案をした。






「アマンテスの街?」


 ベッドの上で、ルルに包帯を巻き直されているエイリが首を傾げた。

 ルルの提案からさらに5日が経った。

 エイリは1日の中で数時間ずつ目を覚ますようになり、その時間は日毎に伸びた。機微はゆっくりしているが、会話も問題無く行えるほど回復した。

 エイリの大きな怪我はあの時に治ってはいるが、腕の骨折や全身の打撲等々、未だに治療が必要な箇所がいくつもある。


「そうなんです。エイリさんはネドを目指していらっしゃるじゃないですか。それなら、父の治めるセイリーン自治区から国境を越えるのが一番です」

「セイリーン自治区の端っこにある街ってこと?」

「ええ。穏やかでいい街ですよ」


 えええ、とエイリが難色を示した。


「そんな、悪いよ」


 ルルはエイリ達を連れ立ってアマンテスの街に移動することを提案した。ルルが同行するならエイリの治療をしながら移動できるし、もともと馬車ならそれほど離れている距離ではない。なんとかなるだろう。

 対して、ズールの街のほとぼりが冷めるのはまだしばらく時間がかかる。エイリ達はさっさと次の街に移ったほうがいい……というのがルルの言い分だった。


「私もそろそろ父に戻って来いと言われていまして。ちょうど良かったんですよ。フチさんもシータさんも、エイリさんさえ良ければと承諾してくれています」

「でも……」

「それに、ここではエイリさんも嫌な思いをします」


 エイリは少しだけ俯いた。やっぱり気づいていたらしい。


「それは……仕方ないと思う」


 屋敷の使用人達は、エイリの部屋に入ることを拒否した。死の間際から蘇ったエイリを見て、恐怖を覚えたのだろう。

 ルルは叱り付けたい気持ちにもなったが、反面、理解できるとも思っている。ひとりでに元のかたちに戻されたエイリの身体、聞いたことのない音、シーツの下のぐにゃぐにゃとした蠢き。

 エイリという人間をよく知っているルルでさえ、不気味だと思った。初めて彼女の身体を触るときには悪寒がした。


 あのとき、エイリの内臓はほとんどが破壊されていた。それは通常の人間が生命を維持することができない状態である。


「ルル」

「……」

「私も、シフォア人だったんだね」


 ルルは返事をしなかった。本当はずっと前に気づいていたことを、悟られるわけにはいかなかった。





 エイリはルルの提案を渋々ながら承諾した。白湯を飲んでいる彼女の長い睫毛が、湯気の向こうで震えている。

 ルルはこういうときいつも、どう頑張っても勝てない人間はいるのだという事実に打ちのめされる。


 ……こんなに綺麗なのに、この子は、それに頼って生きてはいないんだ。


 フチを守るために自分を犠牲にし、痛みに朦朧とする状態で、まず心配をかけたことを彼に詫びた。その生き方に惹かれる人間はいても、真似できる人間は少ない。だからきっと、あの2人もエイリを大切に思うようになったのだ。

 ルルの思考はいつもそこで胸を掻き毟るほど暗くなり、強引に中断させるのが常だった。今回もそう。


「……フチさんとシータさんはお見舞いに来てくれますか?」


 フチもシータも積極的にルルに手伝いを申し出てくれ、力仕事も何のそのだった。屋敷は未だかつてないほどに過ごしやすくなった。反対にたるみきった使用人達は2人に色目を使うようになり、これも最近のルルの悩みのタネだった。

 エイリは曖昧に微笑んだ。


「シータはよく来てくれて、なんかよく扉で事故が起きてる。この前は上から桶が落ちてきたってキレてた」

「……フチさんですね……」


 子供かと思ってしまった。相変わらず仲良くできない2人である。

 エイリは続けて溜め息をついた。フチとはなかなかちゃんと話ができていないとのことで、どうにも機会が合わないとのことだった。


「……フチさん、素敵な男性になりましたね」

「そ、そうかな?」


 エイリは言ってから少しだけ眉をひそめた。

 意外な反応に、ルルは首を傾げる。エイリがフチを何よりも大切に思っているのはルルもよく分かっていて、頬を染めてフチに笑いかけるエイリは、どう見ても恋をする少女だったからだ。


「ちょっと怖いような気もするの。私にとってのフチは、ずっと、小さいフチだったから」


 難しい感情だと思う。フチだけでなくエイリも、一筋縄ではいかないらしい。

 それでも、とルルは思う。屋敷の前で再会したエイリとフチの姿は、お互いを強く必要としていることを痛感させた。きっと一時的なものだろう。


 彼らと一緒に過ごした期間は短いが、ルルの心はもう折れていた。


 私と父さんは、馬鹿だったなあ。


 事務的に切り替えたルルは、出発の日を3日後と決めて、エイリに伝えてから部屋を後にした。






 ルルは最後に、ジィリアのいる地下室を訪れた。

 デジデリ遺跡に1人取り残されたジィリアはしばらく錯乱した状態のままで、最近、やっと事件の全容を理解して自身のしでかしたことに深く反省をしているようだった。今もまた訪れたルルに対して、深く頭を下げてきた。その様子はかなり消耗していて、同情を誘う。

 フチも何回か訪れているらしく、落ち込み続けるジィリアを心配する内容を何回か話していたことがあった。それでも、ルルはジィリアを屋敷から出すわけにはいかなかった。


「本当に、ご迷惑をおかけしました」

「体調はどうですか? 良ければ普通のお部屋に移っていただいてもいいですよ」


 ジィリアは首を振った。


「体調は全く問題ありませんが……。早くイースに帰ろうと思います。ズールの街にいる小隊に合流させてくれませんか」


 ルルは緊張しながらも、はっきりと拒否を示した。


「だめです」

「……何故です?」

「貴方は私たちと一緒にアマンテスの街に来てください。小隊も一緒に。()()()()()()()()()()()()()

「……」


 ジィリアは喉を鳴らしてからゆっくりと睨みつけてきた。

 一線を切り抜けてきた女騎士の威嚇に、ルルは足が震えてしまう。丈の長いドレスで隠れていて良かったと頭の片隅で思った。


「どういうことですか?」

「……貴女のことを、意外と私は知っているんですよ」

「……何故」

「……今はまだ、秘密です。敵に操られてしまった貴女を、軽々しく信用は出来ませんから」


 ルルは震えながら微笑み、それを見たジィリアは床を睨みつけてから頷いた。


「分かりました。従います。……ただし、貴女がイースに仇なす者だと分かったら……私は、迷いなく貴女を斬ります。覚悟を」


 ーー怖い!


 ルルは泣きそうになった。もはや足どころではなく全身が震えている。

 本当はこんなふうにジィリアを責める資格はルルにはないことを、他でもないルルが一番分かっている。それでも、エイリがあんなに酷い傷を負って、フチがあんなに自分を蔑ろにしたのは、この女騎士に原因の一端があることは、間違いなく事実だった。


 自分のしたことを棚に上げて、それでもルルは言わずにはいられなかった。みんな、自分勝手にエイリさんとフチさんを傷つけないで欲しい、と。


「……わ、わ、わ、私も、」

「……」

「私も、貴女がこれ以上勝手な行動をして、え、エイリさんとフチさんのじゃまをしたら、き、き、きき、」

「……」

「……斬りますから!」


 ジィリアは急に冷静になったようだった。


「あ、貴女には無理じゃないですか?」



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