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親指ナイト  作者: 真中39
◆4章:廃墟と笛吹き、断罪と消滅
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10.

 


 メルンがエイリの代わりにシナン王の寝所に訪れた日から、エイリは半狂乱になりながらユエや城の人間に詰め寄るようになった。


 メルンに会いたい。

 メルンはどこにいるのか。

 自分がメルンの代わりになる。


 ぼろぼろになったエイリにまともに取り合ってくれたのは教育係のユエだけで、彼女においてもメルンには会えないことをキッパリと告げてくるだけだった。

 耐え兼ねたエイリは、戦争から帰還したシナン王に直接メルンを返してくれるように掛け合うことに決めた。

 最初からそうすれば良かったのだと、エイリは心から思った。愚かな自分がメルンを身代わりになどしなければ、彼女は今も自分の役目の近衛を果たしているだけだったはずだ。


 しかし、シナン王が大広間に城の皆を集めて戦争の様子を報告する場を開いた間際に、そこに忍び込もうとしたエイリは隙を突かれてユエに捕まった。


『離せ!』


 数人の兵士に抑えられて暴れるエイリの、怒りの声量を上回る声で、ユエは老いた身体を震わせた。


『馬鹿者!! 分からんのか! そんなことをすればメルンのしたことが全て無駄になるだろう!』

『……!』

『メルンが守った貴方の身体を! 自分から捨てるなど、私は許さないぞ!』


 ……それからエイリはまともに取っていなかった食事を取るようになり、それを待ちわびたかのように成長期の身体は大きくなり始めた。


 エイリはただ、メルンに会うことだけを目的に生きるようになった。夜は眠れずに、薄い眠りの中であの寵姫のように痛めつけられたメルンを夢に見た。見兼ねたユエに処方された睡眠薬も、長期にわたる服用でろくに効かなくなってしまった。

 ただひたすらに、エイリは自分のしたことの懺悔とメルンへの謝罪を胸に、1年を過ごした。






『近衛騎士メルンは、病気で死んだ』


 宰相の一人がエイリの部屋を訪れて急に言った言葉を、エイリはにわかには信じられなかった。

 呆けたように固まるエイリを放っておいて宰相は部屋を後にしたが、その後に目元を腫らしながら訪れたユエは、ゆっくりと首を振った。


『まだ死んでいない。……エイリ様には死んだと伝えろという命令だが、……私は従えない』

『……』

『きっと……貴方に、エイリ様に会いたがっているだろうから』


 そう言ってユエに導かれて、エイリは1年ぶりにメルンと再会した。

 陽の当たる小さな部屋で、メルンは無表情のままベッドに横たわっていた。

 あまり見ない方が良いと告げる女中を押し除けて、エイリはベッドに倒れかかるように詰め寄った。


『メルン!!』


 メルンは見る影もなく弱っていた。

 豊かなハシバミ色の長い髪は細く枯れるように、血色の良かった厚い唇は乾いて砂色に。そして、顔の至る所に打撲痕と小さな引っ掻き傷。

 あまりにも酷いその様子に、エイリは涙を抑えることができなかった。


『メルン!』

『……』


 メルンは何も答えない。赤味の強い茶色い瞳はエイリの方に動くこともなく、部屋の天井をただじっと見つめている。

 エイリは嫌な予感に背筋をピンと伸ばした。


『メルン? ……』

『……』

『うそ、うそでしょ……』


 まさか。わずか1ヶ月前に訪れた自身の変化に思い当たり、エイリはぞっとした。


 もしかして自分は、“大人”になってしまったのか。

 ーーメルンと話せない身体になってしまったのか。


 問いかけてもメルンは何の反応も示さない。


『ダメですよ。どこが痛いのかも分からないから治療のしようがないんです』


 疲れたように溜め息をついた女中をユエが外に連れ出し、部屋にはエイリとメルンの2人だけになった。

 エイリは長いこと信じられない気持ちでベッド脇に膝をついて、メルンを食い入るようにじっと見つめていた。まるで見つめ続ければメルンの小さな反応が見つかるかのように。


『メルン……』

『……』


 枯れ枝のように細くなってしまったメルンの腕を取って、エイリはひたすらに、ただ願った。


『おねがい……話して……』

『……』

『おねがい……!』


 メルンはエイリを憎んでいるかもしれない。こんなことになるなんてメルンにだって予想できなかったに違いない。身代わりになるなんて言わなければ、エイリさえいなかったらこんなことにはならなかったかもしれないと、思っていいるかもしれない。

 それでもいいとエイリは思った。

 ただ、メルンがエイリに伝えたいことを伝えて欲しかった。メルンの願いを叶えたかった。


『……あ』


 その時、ひらりと光るものがメルンのからこぼれ落ちたような気がした。それは蝶のような形をしている。


『……メルン?』


 無表情だった女騎士に、変化が訪れていた。


『……エイリ』


 ああ。本当に。

 顔を傾けながらエイリと目を合わせたメルンは、掠れた声でエイリの名前を呼び、微笑んだ。


『メルン……!?』

『エイリ……よかった、願ってみれば叶うものだな』


 エイリはメルンの胸に縋り付いた。涙が溢れて止まらなかった。


『ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!』

『……』

『私のせいで! 私がダメだったの! 私が……!』


 胸が苦しくて苦しくて堪らなかった。喉が引きちぎられるように傷んでも、エイリは何度も何度もメルンに謝罪を述べた。それだけしか、エイリにはできなかった。

 メルンはエイリの頭を撫でてから、ゆっくりと頭を振った。


『違うぞ、エイリ……。謝らなければならないのは、わたしの方だ』

『……』

『きみに酷いことをした。きみを守るためにはああするしかなかったとしても、きみがどれだけ悔やむか、わたしには予想できていたのに。……ほんとうに、すまない』

『……メルン』


 メルンは微笑んだ。


『きみに伝えたいことがあって、ずっと願っていたんだ。人を操る力などいらないから、ただ、きみと言葉を交わしたいと』

『……』

『大きくなった。きみはもう子供じゃない……』


 そう言って急にメルンは咳き込んだ。血がシーツに飛んで、エイリは青ざめた。

 医者を呼ぼうとすりエイリを押し留め、メルンは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


『メルン、きみは友人だ。わたしの……大切な……』

『……メルン』

『きみは、自分がわたしに守られているだけだと、ずっと思っていたけど、それは違う。……わたしだって、きみに守ってもらっていたんだよ。こころを……』


 メルンの目がエイリを見つめたまま、だんだんと閉じていく。眠りに落ちる前兆だと思いながら、エイリは必死にメルンの言葉に聞き入った。


『きみと出会えて本当によかった……。わたしを大人にしてくれてほんとうにありがとう。良い生き方をさせてくれて、ほんとうにありがとう……』


 何度も何度もありがとうと言いながら、メルンは静かに眠りに落ちた。

 エイリは急いで医者を呼びに部屋を後にしたが、メルンがその後、目を覚ますことはなかった。

 その日の夜、小さな部屋の中で深い眠りについたまま、メルンは静かに息を引き取った。






 エイリはメルンの言葉を胸に生きることを決めた。常に前向きに、目標をもって日々の中でできることを一つ一つ。

 決められた時間にきちんと食事をとり、ユエの教育にも熱心に取り組んだ。あんなに嫌がっていた性教育でさえ真面目に聞き入るようになったエイリを、ユエは気味悪そうに見た。

 エイリはこの環境が全て目標のために役に立つことに気づいたのだ。


 メルンを殺した男を、シナン王を殺して死ぬことが、エイリに新しくできた目標だった。






『死んだ? ……』


 3ヶ月後、訪ねてきたガクに、エイリはメルンについての事の顛末を説明してから、床に頭を擦り付けて謝罪した。

 ガクはしばらくしてからエイリに頭を上げるように言ったが、落ち着きなく頭を掻き毟りながらエイリの部屋をうろうろした。


『そんな、まさか、死んだなんて、うそだろう? ……いや、すまない』

『……』

『決して君のせいじゃない。……でも、』


 ガクは何かを言いかけ、結局何も言わず、抜け殻のようになってからエイリの元から立ち去った。


 それから見た事のない、年若い純朴そうな女性が訪れた。聞けば、仕事を辞めるユエの後任の女性で、ユエの血縁者だと言う。


『おばちゃんに……いえ、ユエに、聞いていたのです。貴方に過去、何があったのか……。大変な思いをされましたね』


 リンと名乗った彼女は、まだ20を過ぎたばかりで、慣れない仕事に動揺しているようだった。おまけに、相手は厄介の塊の寵姫であるエイリに対して、少しだけ怯えているようにも見えていた。

 エイリはちょうど良いと思った。若くて自信のない者ほど簡単に欺けると、エイリは本能から知っていた。

 おまけにリンは、ユエほど賢くはなかった。


『あの、とてもお辛いでしょうけど。……シナン王もお辛いのだけは、わかって差し上げてくださいね。彼は1人で、シナン国民全員の命を背負っているのです。重圧に負けそうになるのも……理解できます。どこかにぶつけなければ、壊れてしまうほどに』


 エイリは泣き出した。それがこの馬鹿な女には効くだろうと思った。


『泣かないでください。とてもよく分かります。……でも、メルン様は、きっとエイリ様が復讐に駆られることをよく思わないと思うのです。健やかに穏やかに暮らされるのを、お望みだと思うのです』


 全く心に響かない言葉を言いながら、リンはエイリの頭を優しく撫でた。

 エイリはぽろぽろと涙をこぼしながら、リンの琴線に触れる言葉を選んでこぼし、自分には彼女しかいないのだということをリンに分からせた。


『私、ずっとずっと悲しくて。でも、そうですわね。メルンはきっと……シナン王への恨みなど、忘れて元気に生きなさいと、言うでしょうね』

『そうです、そうですよ』

『ねえ、リン。私はずっと1人でしたの。……貴方しか頼れないの。分かってくださる?』

『もちろんですよ』


 これからだ、とエイリは思った。誰も彼もに、この目標を知られてはいけない。


 シナン王がどんな苦しい状況にいるかなんて知ったことか。そんな情けが通用するなら、メルンの苦しみは誰にぶつけてやればいいのだ。

 それにエイリには、もはやメルンがどう思おうかなど関係がなかった。だってメルンはもう死んだのだ。エイリが何を考えているかなんて分かるわけがないのだ。

 そして例えメルンがエイリの考えを知ることができたとして、彼女は笑って応援してくれるだろう。


 ーーだって私はメルンの言う良い生き方をしているんだから。そうでしょう、メルン。






「……そこからはね」


 雨が降り続けるデジデリ遺跡で、エイリは片方の腕で残った腕を押さえながら、俯いたまま話を続けた。


「訓練したの。どうやったらシナン王が過去のことを忘れて今度こそ私を抱こうとするのか、考えて。……手始めに、シナン城の騎士から誘って油断したところを殺せるように、訓練したの」

「……」

「殺すところまではいけなかったんだけど。やっぱりみんな殺気には目敏くて。……シナン王は戦争で忙しくて、なかなか城には帰ってこなくて、チャンスはなかった。あっという間の8年だったよ」


 そう。

 そしてシナン王は、敵地で勝手に死んだのである。メルンをいたぶって殺しておいて、シナンの城の人間に惜しまれながら、あの男は死んだのだ。


「生き返らせる方法があったら迷わずにやると思う。そして殺す」

「……エイリ」


 シータが顔をくしゃくしゃにしていた。

 フチは険しく顔を歪めながら、何も言わずにただじっと、エイリを見つめている。

 エイリは無理矢理、口の端を持ち上げた。


「だから、メルンを間接的に殺したのは私なの。メルンは最後、私を友人だと言ってくれたけど、もしメルンが私を恨んでいないとしても、その事実は変わらない」

「……」

「だから、私を人殺しだと言ったガクは、嘘つきじゃない」


 本当のことなの、と語尾が尻すぼみになるのを抑えられなかった、フチとシータに、過去のことを話す気はなかった。

 彼らが……特にフチがこの話を聞いてエイリをどう思うのか、頭では分かっていても気持ちが恐怖に浸食されている。未だに心のどこかに、恐怖に負けてメルンの言葉をシナン王に伝えた愚かなエイリがいて、大人になっても殺せないでいる。


「いや」


 フチは急に喋りだし、エイリは露骨に身体を跳ね上げた。


「ガクはおかしいぞ。エイリ」


 フチの落ち着いた低音の声はいつでもきっぱりさっぱり、エイリの予想を裏切った。


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