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親指ナイト  作者: 真中39
◆4章:廃墟と笛吹き、断罪と消滅
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6.

 


 雨が降ってきた。屋敷の窓から見える空には、曇天の暗闇が広がっている。

 わずかに開いた窓の隙間から、ソルが嫌そうな顔をしながら部屋に入ってきた。


「気にしなくていい」


 ソルの方に一瞬だけ気をやったエイリに、フチが鋭く言う。


「座って、エイリ。俺の言ったことは分かったか?」

「は、はい」


 大人しく机についたエイリから、フチは一瞬たりとも目を離さなかった。

 その目にはやっぱり引力のようなものがあると、エイリは思う。


「……フチ」

「うん?」

「騎士って、そんなに簡単にやめられるものなの?」

「簡単だ。手続きは面倒だが」


 エイリの聞き方が悪かったのだと思うが、フチは腕を組みながらあっさりと頷いた。

 フチ曰く、手続きのために一旦イースに戻って色々とやらなければならないことはあるが、急ぐことはないのでエイリと一緒にネドに行ってから、ゆっくりと戻るとのこと。土地の売却等でまとまったお金も入るので当面の生活はそれで問題ないとのこと。


「あとはまあ、また考えればいい」

「えええ?」

「どうした」


 エイリは混乱した。彼女にはどうしても思い浮かばない未来だったのである。


「フチ、騎士を辞めちゃうの?」

「俺が騎士でなくなったことによるエイリへのデメリットはないと思うが」

「そうじゃなくって! ……そうじゃなくって」


 なんだろう。

 エイリは手をわたわたと動かしながら、何が言いたいのか分からなくなって結局机に頭を伏せた。

 フチのちょっと落ち込んだような声がする。


「……迷惑か? 俺はエイリがこれから何をしたいかなんて考えていないと思っていた。なんにせよ、エイリについていこうと思っていたんだ、が……」

「……」

「……サイズ的には邪魔にならないと思うんだが……」


 エイリは机に顎をつけたまま、フチをじっとりとした目で見た。

 珍しく、フチはその視線にいずらそうにうなじに手をやって目をそらす。


「……アンリもジィリアも大事な仲間だが、俺は今、一番エイリを手伝いたいんだ。お前のことを尊敬している。気持ちの強さとか、誰かのために自分を顧みないところとか、自分で生きていこうとする姿勢とか。孤児院だって、良い案だと思う。大変なこともあるだろうが、エイリならできると思う。……そばにいたい理由にはならないか?」

「……んふ」

「?」


 滔々と語るフチに、エイリは頬を染めた。

 好きな人に自分を肯定してもらうこととは、こんなに嬉しいことなのだろうか。

 エイリは急に悩んでいた自分が馬鹿らしく思った。エイリはフチと一緒にいたいと思っている、フチもエイリと一緒にいてくれたいと思っているらしい。

 これってこれ以上ないくらい嬉しいことなのではないのだろうか。


 どうしよう笑っちゃう!


「からかったか?」

「んふふ。……いたい」


 耳たぶを引っ張られてもエイリは笑うのが止められなかった。

 そんなエイリを見て、フチは急にその場で腰を落として顔を手で隠すように抱えた。どうやら、気が抜けたらしい。


「良かった。エイリのことだから、レニア家に勘当されたのを黙っていたのは俺のためだったんだろう? ……そのままシータとネドに行ってしまったら、置いていかれたら……どうしようかと思って、焦った」

「そんなことしないよ。貴方のこと、そんなに簡単に諦めない」

「……」


 本当によかった。今ならなんでも出来そうだとエイリは思う。

 フチはそのままの姿勢でしばらく固まり、エイリは余韻に浸って鼻歌でも歌い出しそうなのを我慢するのに必死で固まった。

 その時間がしばらく続いたあと、エイリはそうだった、と思い出して、ルルがジィリアから受け取ったという手紙を、ベッド横の棚から引っ張り出した。


「フチ、あのね」

「……」

「フチ!」

「なに」

「る、ルルさんから、ジィリアさんから手紙を預かったって、もらったの。……ほんとは、誰にも見せちゃダメだったんだけど」


 エイリは手紙を再度開封した。フチにもシータにも見せるなと書いてある手紙だ。


『エイリ様

 フチ・シーザウェルトが失くしたものを知りたければ、今夜10時にデジデリ遺跡へ

 ジィリア・テスタナンク』


 フチの目がゆっくりと見開かれた。

 エイリは俯き、手紙を広げて机に置く。

 誰にも見せちゃいけないと言われても、エイリには信用ならなかった。エイリはジィリアが好きではないことを、その時に自覚した。理由はいろいろあって、イースの騎士であることと、エイリを糾弾したことと、まあ、これが大部分ではあるのだけど……フチと仲が良さそうなこと。つまり嫉妬である。

 だが、ジィリアの行動指針について納得がいかなかったのも、彼女を理解できない理由の1つだった。


「ジィリアさんが、私にこうやって接触を図ろうとすることが、意味が分からなくて……だってもう、ジィリアさんはフチを連れて帰る予定だったんでしょう? 私なんかどうでもいいはずだよね」

「……」

「ごめんね、フチ。気に障る内容だったら。……でもどうしても、フチに相談しないで勝手に行動しても、悪いことが起きそうで」


 フチはしばらくしてから「いや」と頭を振った。


「エイリは悪くない。むしろ相談してくれて良かった。デジデリ遺跡とは、この屋敷の北にある遺跡だな。昼間、ルルが言っていた」

「う、うん」

「……2点、おかしなことがある」


 フチは唇に手を当てながら、いつものように考え込んだ。


「1つ目だが、これが間違いなくジィリアの筆跡であるということだ。エイリの言った通り、ジィリアがエイリに個人的に接触を図ることはあり得ない。そして、先程までのジィリアの様子におかしなことはなかったように思う。変だ。嫌な予感がする」

「……」

「2つ目だが、現時点で俺の『失ったもの』は俺しか知らないはずだ。ジィリアが存在すら知っていることがおかしい」


 フチの失ったもの。

 エイリは喉を鳴らした。なんだか急に、悪寒に背筋がぞわぞわする。

 フチは薄暗い部屋の中でエイリを見上げている。その姿が、急に心許ない様子で揺れたように見えた。


「失ったものは俺の記憶だ」

「え……」

「ライアの力を手に入れてから……俺は、この姿になった時から最近までの記憶を一部分、失ったみたいだ」


 驚きに言葉を失ったエイリに、フチは冷静に説明した。

 ライアに手を掛けた直後、どこからともなく不気味な声が聞こえ、フチの大切なものを奪っていく、そしてフチは気が狂って死ぬと告げられたこと。ジィリアと話していて、過去に思い出せない箇所があること。どうやら、一部の記憶を失っているらしいということ。


「いつから失ったのか、実際は断言出来ないんだけどな。覚えていないからあくまで推測だが」


 フチは眉根を寄せて笑う。あまりにも平静に見えるその様に、エイリは再度、言葉を失った。

 辛くはないのだろうか。普通の人間に比べて、フチの失った記憶の重要性は計り知れない。だってフチが今の身体になった理由を、今のフチは分からないのだ。


「辛くない?」


 思わず聞いてしまったエイリに、フチは微かに微笑んだ。


「うーん、よく分からないな。でも、俺にはエイリがいるだろう? ……お前は俺を、たぶん必要としてくれている。それで俺は大丈夫だ」


 ああ、とエイリは理解した。フチはきっと、本当に誰かのために生きているのだ。今までも、これからも。だからフチは、自分のことはそれほど大事ではないのだ。


「重いか?」


 茶化した口調とは裏腹に真剣な面差しで見上げてきた彼に、エイリは泣きたくなった。

 エイリがフチを思う気持ちと、フチがエイリを思う気持ちは違う。彼がエイリに求めているのは、文字通り生きる理由だ。


「……ううん。思い出せるといいね」

「そうだな」


 欲張りになっちゃったなあ。


 エイリは他人事のように頷くフチに、笑みを返した。

 最初は彼のためにネドを目指し、今は自分のためにネドを目指している。そしてさらにフチの気持ちを欲しがっている。どう考えてもエイリという人間は強欲に思えた。






 とりあえず約束の夜中の10時までにはまだ時間がある。エイリは、デジデリ遺跡へ向かいたいとフチに告げた。

 フチは渋面を作ったが、エイリの決意は固かった。


「どう考えても危険だと思う。エイリは屋敷にいた方が良い。俺が1人で隠れて見に行ってくる」

「でも、見つかったときに、もしかしたらジィリアさんが危険になる可能性があるでしょ」


 フチの口ぶりから、おそらく、ジィリアは強制的に手紙を書かされたらしい。であれば、彼女にそうさせ人間がエイリを呼び出したくて、ジィリアを使っているのである。

 その状況の場合、エイリが約束に従わない場合、ジィリアの身に危険性が及ぶと考えられた。


「私に会いたい人なんか、見当がつかないけど……。とにかく、ジィリアさんが危ないよ。私、行ってみる」

「……こんなやり方をする人間がまともだとは思えない。危険だ」

「でも、このままここにいても、ルルの屋敷に何かあるかもしれないでしょ? 困るよ」

「……」


 平行線である。

 しかし結局、折れたのはまたしてもフチだった。エイリだって危険なことは自覚している。けれど、フチの大切な人を放ったらかしにして、あとで何かあったとき、それを知ったフチの後悔する姿なんて、エイリは絶対に見たくなかった。


「……分かった」


 渋々頷いた彼は、ややあってから準備が必要だと言い、エイリに作戦を提案してきた。


「俺は隠れてエイリについていく。だが、協力者が必要だ」

「協力者?」






 フチの説明を頭の中でぐるぐる反芻しながら、エイリは頷いた。


「ーーじゃあ、私はまず、ルルのところに行けばいいかな」

「うん」


 よし、と気合いを入れたエイリに、フチが踵を上げた。

 これは彼が移動したいときの癖で、エイリはこれを見るといつも手の平を差し出すようにしている。

 だが今回、フチは頭を横に振った。


「違う、反対」

「? ……こう?」


 エイリは特に何も考えず、手の甲を向けてフチに差し出した。

 フチは頷いてから、急に腰を折って前屈みになりーー。


「へ!?」


 エイリの中指の先に口づけをした。騎士が忠誠を誓う姫にするように。


「へ!?」


 一気に動転したエイリに、フチは唇を尖らせる。いつか夢で見たよりもずっと、あざとい仕草だ。


「……決意表明。なんだか、あっさりしてて気に入らなかった」

「な、なにが!?」

「エイリの反応が。……お前、ほんとに、俺を置いてシータと一緒にネドに行ったりしないよな?キレるぞ」

「しないよ!」

「まあ、それでも地の果てまで追いかけるからな」

「……」


 な、なんという。


 エイリは真っ赤になって口をパクパクしながら、上目遣いで怒ったように見てくるフチに何も言えない。代わりに、やっぱりフチは面倒くさい男だということを、再度頭に思い浮かべた。


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