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親指ナイト  作者: 真中39
◆4章:廃墟と笛吹き、断罪と消滅
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5.エイリと騎士の誓い

 

 ◇



 エイリはあてがわれた部屋で1人、手紙をしたためていた。

 窓から見える夜空は濃紺で、雲が出てきたのか、半月が暗い灰色に隠れては現れてを繰り返している。

 文章を考えながら、エイリはイースの王宮でマシューという男に迫られた際を思い出していた。


『普通、イカれたオッサンのお手つきの女なんていらないって。軒並みひどいことになってるらしいじゃん。……アンタはどうなんだよ。顔ばっかりは良いけどさ。ほら、見てやるから脱げよ。ついでに愛妾とやらの手管を見せてみろ』


 ワインをエイリの口に突っ込んで馬乗りになってきた男は、エイリを同じ人間としては見ていなかったと、彼女は思う。メルンも同じ気持ちを味わったのかと思ったら、気づけば股間を蹴り上げていた。殺してやると思ってワインの瓶を掴んだ瞬間、部屋の扉が開いて、近衛の騎士に縛り上げられていたのだ。未だに殺してやれば良かったと思っている。王座から引き摺り下ろされて錯乱だなんて甘すぎる。


 エイリは生家にほとんど思い出がない。物心つく前にシナンに連れてこられたからでなく、幼い自分は自己防衛のために忘れてしまったのだと、エイリは最近になって気付いたばかりだ。全く接点のない家族ではあったが、やっぱり絶縁されていたとは。


 ジィリアというイースの騎士が現れた時、エイリは終わったと思った。彼女がエイリの本当の身の上を知っていたら、もうフチの護衛の命は意味をなさない。

 ……もう、終わりが来てしまったと。

 嘘をついてまでフチにネドまでついてきてもらおうと思ったのは、彼の騎士としての矜持を叶えさせてあげたかった、というのが綺麗な理由。本当はただ一緒にいたかっただけだ。添い遂げたいなど思ってないなんて嘘だ。苦しい時も、助けてもらった時も、甘いケーキを食べている時も、フチが肩にいたから何よりも大切な思い出になった。死ななくて良かったと、心からそう思った。


「よし!」


 エイリは手紙を書き上げた。手が震えて文字がうまく書けなかったけど、きっとちゃんと目を通してもらえるはずだ。





 エイリは屋敷の中をキョロキョロしながら歩き回っていた。

 フチとジィリアのいる部屋にはすでに彼らの姿がなくて、屋敷の使用人たちに聞いても見かけていないとのこと。

 パニックになりかけたエイリに、歩いていた廊下の窓がコンコンと鳴らされた。


「エイリ!」


 窓の外にソルに乗ったフチがいる。顔が真っ青だが、多分同じエイリも同じ顔をしているはずだ。


「フチ」

「部屋に行ったんだが見当たらなくて……部屋に戻ろう」


 エイリの部屋で合流したフチは、嘘をつき続けていたエイリに怒っている様子はなく、ただただ焦った顔で彼女を見上げてくるだけだ。

 心臓が口から飛び出しそうで、エイリはフチの乗っている机に掛けることも思い浮かばず、ガタガタ震えながら用意をした。

 手紙と、先ほど街の本屋で買った本と、あとは……覚悟を決めるだけ。


「ふ、フチ、い、今まで嘘をついていて本当にごめんなさい」

「え、エイリ」


 こんなに緊張したことなんてない。こんなことを言ったら嫌われるかもしれない。

 でも、でも。


「フチ、お願い、私と一緒にネドに来て……。来てください」

「……」

「私はエイリ・シェリア・レニアじゃないけど、ただのエイリで、淑女でもなんでもないけど、おねがい、一緒に来て」

「……」


 フチは目を丸くしてエイリを見上げている。その顔は、フチに初めて告白した時と同じだった。


 あ、これだめだ。


 エイリは自分の涙腺が大決壊するのを何処か遠くで気づいたような、そんな気がした。


「ふ、ふぐ」

「!?」

「うわあああああ」

「エイリ! 泣くな! 分かった。分かったから!」

「わがってない!」

「!?」


 ぎょっとしたフチはマントを構えたまま固まっている。

 エイリは涙を滝のように流しながら、どうせなら最後まで聞いてもらおうと、半ばヤケクソになりながらしたためた手紙を指さした。


「これ! 新しいイースの王への嘆願書! 脅しとお願いが書いてあります。マシューって奴が私にどんな仕打ちをしたかと、その代わりにフチをネドまで貸してくださいって」


 フチが何かを言う前に、エイリは買ってきた本をめくりながら弾丸のように言葉を吐き出した。


「わたし、ネドのレニア家まで行きます。復縁を望むんじゃなくて、お金を借りに!」

「か、金?」

「そう! 一方的な絶縁なんか認めないって、その代わり、望み通り縁を切ってやるから金を貸せって言いに行きます!」

「……」


 目当てのページを見つけ、エイリはフチの眼前に本を開いて突きつけた。


「これだけあれば孤児院が開けるって、書いてあるもの!」


 本のタイトルは『ゼロから始める孤児院経営』である。


 ライアたちの一件から、エイリはある思いを胸に抱えるようになった。

 大人たちに振り回される不幸な子供がなんと多いことか、彼らがどれだけ追い込まれるのか、頼りにしていいと分かった人間に会えたとき、どれだけ心強いと思うのか。

 フチを慕うグローアとトルクは、幼い頃のメルンを慕うエイリとそっくりだった。エイリの身の上なんか珍しいことではない。世界にはもっと不幸でかわいそうで、でも必死に生きていこうとする子供達がいる。そんな子供たちの力になれればどれだけいいかと、エイリはルルの屋敷に来てからずっと考えていたのである。


「せ、世間知らずが何言ってんだって思うかもしれないけど、まずは元手を借りて、勉強して、……やってみたいの」


 エイリは自分の思考がひどく短絡的なことを恥ずかしく思っている。子供たちの力になるためには孤児院を開くだけではなく別のやり方があると思うし、もっとうまいやり方だってあるはずだ。でもそれを、エイリは知らない。だが、例えば孤児院を開くにしろ、他の方法を採るにしろ、まず金と勉強が必要だと考えたのである。


「エイリ」


 エイリの涙を受け止めきれなくて、フチは全身がびしょ濡れになっている。

 でもエイリは止められず、子供のようにわんわんと泣き続けた。


「で、でも、フチが新しいイースの王様の手伝いをしたいのなら、我慢する……! でも、」

「エイリ」

「ネドまでそんなに時間はかからないと思うの! ちょっとだけでいいから……おねがい」

「エイリ!」


 ビシッと空気を捌くような声に圧倒され、エイリは思わず背筋を正した。

 机の上のフチが、怒ったような、厳しい顔で仁王立ちをしている。「泣くな」と先を越され、エイリは口元を食いしばった。


「分かった。エイリ」

「……」

「騎士はやめた」

「……」


 エイリはぽかんとした。


「ジィリアはイースに帰った。俺の分もアンリのサポートをしてやってくれとお願いした。……俺はイースには帰らない」

「えっ?」

「……良かった。……エイリがどこかに行ってしまわなくて」


 フチはぼそっと呟いたあと目元を緩め、一瞬だけ笑ってエイリを見上げてくる。

 この男はこんな顔で笑うのだと、エイリはぼんやりと思った。

 その刹那の間に、気づけばフチは真摯にエイリを見上げている。


「俺はずっと、誰かのために生きている。昔はイースの前王だったけど、今はエイリのために」


 エイリはさっきと打って変わって言葉が出ない。身体だけがさっきと同じくひどく震えていて、言うことを聞かない。

 フチは一体、何を言い出したんだろう。


「ネドまでなんて言わないでほしい。その先もそばにいる。……エイリが、迷惑でなければ」


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