4.エンド・ゴスの先読み妖精
☆
クソが!
シータは最高潮にイライラしていた。思わず昔の口の悪さで内心罵っている彼のそばには、号泣しながらしゃくり上げる女騎士と、彼女の話を真摯に聞いてあげる小さな騎士がいる。
「あのね、私がね、『王のお墨付き』になったのはね、アンリがカミル様に頼んだからなんだって、」
「うん」
「アンリはね、騎士学校時代から私のことを奥さんにしたかったんだって。だから、いつでも一緒にいられるようにって、」
「うん」
「わ、わたしは、もちろん貴方やアンリに比べて特別に優れてることなんてなにもなくて、同期のみんなに言われるようになんで私が、って、ずっと思っていたけど、それでも、カミル様はわたしの何かを認めてくださっているんだって、ずっと思っていたの、お、……今思うとおこがましいことだったんだわ」
気丈に見えたジィリアというイースの騎士は、今は見る影もなく目を真っ赤にしてぼろぼろと涙をこぼしている。
「ジル。今だから言うが……カミル様はたしかにお前を評価してたぞ。彼女ほど騎士らしい人間はいないとずっと言っていた。真面目すぎて融通が利かないところも、ある意味大切な資質だって」
ジィリアの手を摩りながら言うフチは、普段の様子から見ると幾分優しいように見えた。フチとジィリアはかなり仲の良かった同期の仲間らしく、お互いの挙動から信頼し合っている様子が伝わってくる。
「で、でも、」
「ジル。そんなことを急に言われて混乱する気持ちはとてもよく分かる。アンリは昔から自分のことをあまり話したがらなかったし、機微も特殊でなにを考えているか分かりにくいところもあったからな」
「……」
「だが、うーん、今だから言うが、アンリはずっと確かにお前に惚れていたぞ。研究室で相談されたこともあったし。……ジル」
「は、はい……」
「アンリの妻になると言うことは好きだ嫌いだの感情だけで決められることじゃないと思う。国を大きく背負う立場になるわけだからな。俺からは正直、アンリがずっと確かにお前を好きだったとしか言うことはできない。おそらく、そういう意味で俺を頼ってきてくれたこともあると思うんだが、ジルが決めるしかない」
シータは舌を巻いていた。フチの静かな声は彼の飾らない真っすぐな言葉も相まって、残酷に状況を理解させてくる力があるとシータは思う。
分かりやすく突き放されても、ジィリアは鼻をすすって頷くだけだ。
しかも、そんな人間の気持ちを汲めるのもフチの出来すぎて気味がわるいところだ。ただ話を聞いてもらいたいときというのは往々にしてよくある。
「まあ、でも、なかなか決められることではないな。……俺がジルだったらアンリを殴るかもな」
「ボコボコにしてしまったわ。ニール長官にクビだって、王の妻なんて向いてないって言われて、それでここまできたの。アンリが私に無理矢理護衛をつけてきて、ズールの街に滞在させているけど」
「壮絶だったな……」
対応がイレギュラーすぎてびっくりだが、シータは仕方ないかと思うことにした。どこぞに、王になる予定の男を殴り、王妃に向いていないと言われ、家出ならぬ国出をしてくる女性がいるのだろうかと思う。イースもなかなか大変なことになっているらしい。
でもな、とシータは苛立って踵を揺らした。
エイリはどうするのだろうと、シータは先ほどからそればかりが気になってしまって仕方がない。
フチはおそらくイースに戻るだろう。話を聞く限り、イースの王宮は表向きは問題無く見えるだろうが、内部はきっと大混乱の渦中である。そして次の王となる予定の男と王妃になるかもしれない女騎士と、フチは親密な関係にあったようだ。……というかずっとフチは彼らの間を取り持ってきたのではないだろうか。彼の性格からして。
……じゃあ、エイリは俺と一緒にいればいい。
シータは単純にそう考えた。エイリがどこに行くにしろ、ずっと寵姫という立場だった彼女が1人で生きていくという選択肢はまず出てこない。支えて一緒に生きていけばいいと、シータは思っていた。
というかエイリが心配で心配で仕方がない。
エイリがエイリの生家から勘当されていたなんて。
エイリがシナンに連れてこられたのは今から15年以上前のことで、エイリにはおそらく生家といってもピンと来ないはず。だが、だからといって唯一の身寄りから拒絶されるなんて。もともと家族という意識の希薄なシータには、その胸中を推して測ることはできないけれど。
だが先程、部屋を去ろうとしたエイリに思わずついていこうとしたシータを、彼女はきつく睨みつけた。
『自分の部屋に戻る。ついてこないで。ついてきたら嫌いになる』
えっ、今は嫌いじゃないの、とか馬鹿なことを思っているうちにエイリは背中を向けていた。
というわけで、拒絶されたシータはここでジィリアの相談に乗るフチにイライラしているわけなのだが。
「あの時は楽しかったわね。ほら、騎士学校時代の、覚えている?貴方も私も尖っていて、貴方に文句をつけてくる同期たちに殴り込んだことがあったじゃない」
「……」
「フチ?」
「……いや、なんでもない。なんだっけ」
「……あれだったのよね。アンリが私たちとつるむようになったのって」
「……そうだな」
クソ程どうでもいい。
シナンの騎士という立場を捨てたシータにとって、今やイースの内情などどうだっていい。おまけにフチの過去なんてますますどうだっていい。
やっぱりエイリのそばに行こう。
フチと仲間の昔話なんて聞いていても何の意味もない。嫌われたっていいから近くにいようと思って、シータはフチたちを一瞥してから部屋から出た。
『好きな女ができたからって、ちょっと仲良くできそうだからってボクのことを捨てるなんてさ。ひどいよ』
ゴス村から出る際に、シータのそばにはいられないと言い出したベリィは、ルルの馬車の中でそう言った。
『ひどいのはそっちだろ! お前もいなくなるなんて思うわけないだろ!』
シータは馬車の中で泣きながらブチ切れていた。身体が大人になったんだからすぐに大人らしくなんて振る舞えるわけがなかった。
ボロボロ涙をこぼすシータの眉間の皺をいつものように伸ばしながら、ベリィはちっとも悲しくなさそうに笑う。
『ごめんごめん、でも、もうキミは大丈夫だ。エイリもフチもいい奴だよ。イカれてるけど』
『……もう会えないのかよ』
シータは自問していた。シータは空を飛べなくなったことを後悔していない。でもベリィに会えなくなると分かっていたら、大人になることをやめただろうか。
……いや、やめてないはずだと、シータは思う。彼にとってすでに、大人になることは生きていく上でなくてはならないものだったのだ。だって、それでエイリを助けられたのだから。
でも、頭では分かっていても、無二の親友との別れにどうしても涙は止まらなかった。
そして、この飄々とした、いついかなる時もシータの味方をしてくれたこの親友も、それを分かっている。
『もう会えない? そんな馬鹿な。ボクはいつもキミを見守っているよ。キミがエイリを守り続ける限り』
『……なんでそんな、』
『……』
『なんでそんな死ぬみたいなこと言うんだよ……!』
『あはは!』
馬鹿野郎、笑うな、とシータは目元を覆い隠した。
そんなシータの耳元でベリィは囁いた。
『キミは素直で単純でエゴだらけだ。……でも、それでいい。迷ったら自分が正しいと思うんだ。それがきっと、あの2人の不文律になる』
『……?』
『きっとこれからフチは、ライアの力を手に入れてますますイカれていって、エイリは自分を犠牲にするはずだ。ーー死ぬほど。だから……支えてあげて、シータ。ボクのただ1人の親友』
理解できない言葉に顔を上げた瞬間にベリィは消えていた。小さな手を振って。
あまりにもひどいとシータは思う。最後だって言うのにエイリとフチの話ばっかりだ。
『もっと色々あっただろ……!』
返事はない。
シータは馬車の窓を開けて、ルルが心配をして扉を開けてやってくるまで、ベリィを大声で罵っていた。泣きながら。
「……」
エイリの部屋の前で、シータは立ち往生しながらベリィのことを思い出していた。
エイリの部屋の中から話し声がする。どうやら、ルルが診察に来ているようだ。すっかりおくびにも出さないエイリの様子に忘れていたが、彼女は肩と背中にひどい怪我をしていたのである。
「……傷跡も綺麗に塞がるなんてびっくりです。それにしても本当に綺麗な背中」
「ルルのおかげだよ。ありがとう」
「いえ、本当によかった」
ちょっとよくないことを想像したシータは、廊下の壁に背をつけて2人の話が終わるのを待つことにした。
エイリの声がいつも通りのように聞こえて、ほっとする。泣いていたら、シータも大人の対応が出来ないかもしれないからだ。
ルルの声が続く。
「そうでした。ジィリアさんからエイリさんあてに手紙を預かっていたんです」
「え?」
「誰にも見せないで、内密にして欲しいとのことでした」
シータは首を傾げた。今までのジィリアの様子に、エイリだけに伝えたいことがあるようには見えなかった。
何か変だと思っているうちに、扉が開いてルルが顔を出した。
「あ、シータさん! ちょうど良かった、探していたんですよ。屋根の雨漏り、鳥に突っつかれたみたいでまた穴が開いていて」
「え? あ。お、俺、エイリの様子を見に来てて。……」
部屋の中では、エイリが背を向けて手紙を開いていた。上半身だけドレスを脱いだその背中は想像よりずっと白く、華奢だった。
「シータさん?」
シータがそこにいることを気づいているはずなのに、エイリは微動だにしない。
シータが言葉を失っているうちに、ルルが怒って腕を引っ張り、シータをその場から連れ出した。
「全く、もう! 女性の背中に断りもなく見惚れるなんて、失礼ですよ!」
「……」
「屋根の修繕、もう一度やってもらいますからね! 今からですよ! 夜中から雨が降りそうですからね!」
「……」
「……シータさん?」
シータはエイリの白い華奢な背や、そこにあった治りかけの薔薇色の跡に目を奪われていたのではない。手紙を握るその白さに驚いたのである。
まるで、渾身の力で握りしめているような血の気のなさ。
シータの頭の中で、ベリィの声が再びこだまするような気がした。
……支えてあげて、シータ。
「ルルさん、やっぱり俺。……」
「ダメです。エイリさんはしばらく休まなきゃ」
「でも、」
「ダメです!」
珍しく押しの強いルルに押し切られ、シータは廊下を歩き出した。
なんだか、とてつもなく嫌な予感がした。




