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親指ナイト  作者: 真中39
◆4章:廃墟と笛吹き、断罪と消滅
34/67

3.

 


「久しぶりね。フチ」


 セイリーン家の屋敷の一室で、フチとエイリの対面にジィリアが席につき、安堵したように言った。ルルが人払いをしてくれ、この部屋にはフチとエイリとジィリア、そしてシータしかいない。そのシータは扉付近の壁にもたれかかってこちらをじっと見ており、ジィリアはそれに忌々しそうに見て舌打ちをした。


「シナンの騎士に内情を漏らすことになるとは思わなかったけど」

「……元はと言えば、私だけでなくフチまで裏切って暗殺しようとした貴方方が、全ての元凶ではなくって? 私、驚いておりますわ。どうしてイースの騎士って身の程を弁えない発言しかできないのかしら。フチ以外」


 冷たく言って優雅にお茶を飲むエイリは、控えめに言っても殺してやるぞとばかりの禍々しいオーラを放っており、気の強い方であるジィリアもこれには怯えているように見えた。

 だがフチはどうにも先程のエイリの様子に引っかかるものがあって、気になってしまって仕方がない。

 しかし、そうとばかりも言っていられない。フチは机に降りて、弱って見えるジィリアをじっと見つめた。


「状況が状況だからな。俺は正直、現時点でイースの元騎士のシータより、ジィリア……お前の方が信用できないんだ」

「……」

「本題に入る前に、俺とエイリの状況の理解について一通り話ををしても良いか。誤解があるのであれば、その後に」

「……分かった」


 フチは丁寧にこれまでの経緯を説明した。

 ある日急にシナン王の寵姫であるエイリを祖国であるネドまで護衛しろと命じられたこと、同じく護衛のエダにライヌ川で殺されそうになり、逆に船もろとも川に沈めたこと。エダはイースの王マシューによる指示で、2人を殺そうとしたこと。

 話している間ジィリアは顔色を変えなかったが、フチの説明が終わると目を瞑って頭を抱えた。全て正しいとのことだった。

 フチは分かってはいたが、足元が落ち窪んでそのままどこまでも落ちていくような感覚に、再び陥った。

 だが、頭を振ってジィリアに説明を求めた。もう、あの時とはフチの心構えは違っている。


「では、なぜジィリアはここに?」


 聞くと、ジィリアは眉をひそめて険しい顔になった。


「状況が変わったの」

「……」

「王宮内の権力争いが勃発し、現王のマシュー様は王座から引き摺り落とされることになるはずよ」

「何だって?」


 フチだけでなく、エイリもシータも目を丸くした。

 現王のマシューは前王カミルの正式な子息であり、それ以外に王位に就ける資格を持つ人間など、カミル本人からも聞いたことがない。

 ジィリアは深く深く、魂そのものを吐き出すかのような長い溜め息をついた。


「アンリよ。アンリ・サンクルート。私たちと同じく元『王のお墨付き』の」

「……?」


 アンリ。

 フチの頭の中に、研究室から滅多に出てこない引きこもりの、分厚い丸眼鏡の青年が思い浮かんだ。


「アンリはね、表向きサンクルート家の跡取りで騎士として王宮に勤めていたけど、本当はカミル様がわざと外で産ませた隠し子だったの。カミル様もアンリも、最初からそれを全て承知でサンクルート家に養子として引き取らせ、騎士にして、カミル様のそばに置いておいたんだって。カミル様直筆の書面も出て来て、王宮はもう、それはそれは大混乱だったのよ」


 フチは驚きで声も出ない。エイリもシータも多分同じだろうが、アンリという男を知っている分、フチの驚きはとんでもないものだった。

 ジィリアは真顔のまま淡々と説明を進めていく。


「宰相も何人かはそれを知っていて、マシュー様をどうやって王位から引き摺り下ろそうか、アンリと一緒に狙ってらしいのだけど……」

「……」

「発端となったのは、フチ……貴方の処分について」

「えっ?」


 目を瞬いたフチを、ジィリアは姿勢も崩さずにじっと見下ろして来た。


「アンリが、貴方が任務に就いてネドまで出発したと知ったのは、騎士エダ・ノートンが這々の体で王宮に駆け込んで、任務が失敗したと報告してきたのを目撃したのが始まりよ。その時まで私たちは間抜けにもフチ、あなたに何があったのか全く知らなかった」

「……まあ、口外するなと命じられたからな。あと、エダは生きていたのか?」

「その時は。その後秘密裏に暗殺されたわ。犯人は分かってはいないけど、マシュー様が口封じに誅殺したって、アンリは考えてる」


 サイテー、とエイリがぶつぶつ悪態をついた。フチも胸が悪くなる思いである。

 あのエダ・ノートンという騎士は特筆した成果のない女騎士であったものの、マシューに気に入られた、生涯をかけて仕えると随所で声高らかに宣言していた。潤んだ目で忠誠を誓う彼女を、マシューはおそらく何とも思っていなかったのだろう。


「そこで初めてマシュー様は、シナン王寵姫であったエイリ様及び、護衛騎士フチへの対応について漏らしたわ。誤魔化してはいたけど。内偵に探らせたアンリは激怒してた……あんなアンリは初めて見た」

「……俺もアンリが怒ったのは見たことがないな」


 いつも口元を覆い隠してうふふと笑う、穏やかだが変人のアンリを思い出して、フチはあれ、と首を傾げた。

 何か違和感がある。

 ジィリアはそんな様子に苛立ったように、「軽口を叩いている場合じゃなかったわよ」と吐き出した。


「そこから始まったの。アンリの作戦が」

「?」

「宰相及び有力貴族への根回し、公約の取りまとめ、騎士たちへの説明と、マシュー様を不支持とする勢力の拡大……。まあ、割愛するけど、アンリにつく王宮内の人間は意外と多かったの。元々がマシュー様への不満が溜まる頃でもあったしね」


 フチは仕方がないと特にその点については疑問は持たなかった。マシューのやり方が全て間違っているとは思わなかったが、前王のカミルが偉大すぎたのだ。

 そしてマシューはもともと母親である前女王の言いなりの部分が多く見えて、かつ前女王は海を挟んだ国から輿入れした存在でもあったため、王宮内の不満が日に日に大きくなっているのはフチも感じ取っていた。


「そう……アンリは多数の味方を抱えて、今まさに王座へと就こうとしている最中よ。マシュー様は錯乱して公務どころではない状態になってしまった」

「……正直、びっくりしてなんとも言えないな。アンリが王だなんて」


 フチが思ったままの単純な感想をあけすけに言うと、ジィリアも頷いた。


「ええ、私も未だに信じられない。イース建国以来の出来事と言っても過言じゃないと思うわ」

「……」

「それでね、フチ」


 ジィリアの青黒色の目が鋭く輝き、フチを射抜くように見つめてきた。


「おそらく十中八九、アンリは次代の王となるはずよ。そして、フチ……貴方の力を欲してる」


 フチはそれを正面から受け止めた。話の内容から察していた。

 おそらくジィリアが遠路はるばるここまでフチを探してやってきたのも、このためだろう。


「間違いなくマシュー様は貴方を裏切り、手酷い方法で殺そうとしたわ。だが、アンリには貴方の力が必要よ。……虫の良い話だけど、どうか、戻って騎士として彼のそばで、再びイースのために働いて欲しいの」


 かちゃ、と音がした。隣でエイリがお茶のカップを机に置いたが、その手がぎょっとするほど震えている。


「……俺はまだ任務を果たしていない」


 エイリをネドまで護衛する。それがフチに命じられた王命である。少なくともそれが完了するまでは、フチにイースに戻るという選択肢はなかった。

 ジィリアは首を振り、居住まいを正した。まるでなにかを糾弾するような不可解な態度だ。


「それよ、フチ。その王命はもともと意味をなしていなかったの」

「どういうことだ?」


 フチは嫌な空気に身を強張らせた。さっきから一体この空気は何なんだと、半ば怒りを感じる。

 シータは腕を組みながら片眉を引き上げて、フチと同じくジィリアとエイリを交互に見ていた。


 何故、ジィリアはこんなことを言う。

 そして、何故。エイリはそこまで思い詰めた顔をしている。


「今回の王命は肝心なことがフチにもエダにも伝わっていなかったのよ。何しろマシュー様が故意に伝えなかったの。どうせ全員殺す予定だったから、と」

「……」


 ジィリアは、死刑を宣告するかのような厳しく事務的な口調で、エイリを見た。


「そもそも、シナン王の元寵姫であるエイリ様は、ネドに帰る必要がない」

「……」

「エイリ様の生家であるレニア家は、シナンが敗戦した時点でエイリ様の身元がレニア家に戻ることを拒否したの。つまり絶縁したのよ。ーー彼女はエイリ・シェリエ・レニアではない。よって生家に籍もない。戻っても、ネドに彼女の居場所はないのよ」


 ジィリアが言い終わってからフチは口が乾いているのに気付いた。頭がぐらぐらしている。


 エイリがネドに戻る必要がない?

 ……つまり俺は、いったい、今まで、何を。


 呆然とするフチに向かって、エイリはしばし経ってから、最初の頃のように愛らしい顔に作り物の笑顔を貼り付けて言った。


「存じておりましたわ。……フチ、今まで黙っていてごめんなさい」






 鉛のように重い空気が降りたテーブルで、ジィリアは溜め息をついた。


「やはりご存知だったのですね。エイリ様」

「ええ。マシュー様が夕食の席で伝えてきましたから。信じたくはなかったのですけど」


 では、となにか言いかけたジィリアを制して、エイリは可憐に微笑んだ。


「まあ、今後のことはフチと相談になってお決めください。その前に、積もるお話もおありでしょう。私はしばらく席を外しますから、また呼んでくださいますか?」

「……」


 誰もなにも言わないのを承知と取ったのか、エイリは一礼してさっと部屋から退出していった。


「……エイリ、」


 そのあまりの引き際の速さに、フチは彼女を止める言葉が出てこない。その代わり頭の中には疑問がぐるぐると回っている。


 じゃあ、エイリは本当にどこへも行くところがないのか。なんで黙ってたんた。

 なんで教えてくれなかったんだ。


 混乱するフチは思わずエイリを追いかけようと、机から椅子に飛び移ろうとした。

 がっと掴まれる。


「フチ」


 ジィリアだった。

 だがフチはエイリを追いかけようと、離してくれと言おうとして彼女を振り返ってーーぎょっとした。


「フヂイイイイイ」


 ジィリアは、大号泣していた。


「えっ、えっ、ふ、フヂイ……どうしよう……」

「じ、ジル?どうしたんだ?」

「わたしね、アンリの妻になるんだって……えっ、えっ、どうしよう……」

「はあ?」


 またどうしてこんなことに。

 フチはどうにもしようがなくて、ぼろぼろ涙をこぼすジィリアの話を聞くことしか、出来なかった。


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