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親指ナイト  作者: 真中39
◆4章:廃墟と笛吹き、断罪と消滅
32/67

1.セイリーンの謎追い女

 

 ☆



『願い事はありますか?』


 そう聞かれた。確かにこの言葉だった。


 シータが空を飛べるようになり、同時に成長しなくなったのは、彼が7歳か8歳の頃だった。シータは物心ついた時から、シナンの貧民街で食いつなぐ多くの子供達のうちの1人で、親など存在するのかどうかも分からない荒れた環境で生きていた。


 同じ子供達はお互いに助け合い、時に騙し合いながら空き家や廃墟に身を寄せていたが、ある日、シータ達のいる廃墟の老朽化が進み、何かの弾みで壁や屋根が崩落し、シータ達は瓦礫の中閉じ込められるという事故が起きた。

 運悪く巻き込まれて死んだ子供がほとんどで、シータを含む子供達も瓦礫の下から抜け出せず、閉じ込められた環境の中で少しずつ衰弱し、死んでいった。


 シータも例に漏れず死ぬ運命にあると悟ってあり、はるか上に一角、正方形にくり抜かれたような隙間から青空が見えるのを、ボーっとしながら眺め、その時を待っていた。そこにいて息があるのは、シータだけだったのだ。


 そんなとき、その正方形から顔を出したのがフードを目深に被った老婆で、シータに一言、願い事はあるかと聞いてきた。

 シータは助けてほしいと言うでもなく、疑問に思うこともなく、ただ、見える正方形の空を飛びたいと言った。どんなにか自由で気持ちいいだろうと、ずっと思っていたからだ。

 老婆は了承したと言い、姿を消した。シータはそのときやっと、自分が空を飛んでそこから飛び出せると気づいた。


 ベリィが現れたのは、空を楽しんでいる最中である。


『キミ、なかなかぶっ飛んでるね。友達になってあげる!』


 シータはその時自分が死んだと思っていたので、特に何も言わずに頷いた。ああ、迎えが空から来たんだな、としか思わなかった。思ったより小さいな、とかも考えた。

 ベリィはそんなシータを不満に思ったのか、急に彼の高度を下げながら、シータが空を飛べるのは自分の力のお陰だとのたまい、下に降りろと説教をしてきた。


『楽しいのは分かるけどご飯食べたら?死んじゃうよ』

『……え、俺、生きてるの?』


 ベリィは大笑して、シータの眉間の皺を伸ばした。


『生きてるさ! 超生きてる! ねえ、キミの名前を教えてよ。ボクはベリィ。多分、ボク達きっと大親友になれるよ!』


 そこからずっとベリィはシータのそばにいて、2人は喧嘩も多かったけど、きっと確かに親友だった。





「……」


 ルルの屋敷の研究室の中で、シータは話しながら思い出して鼻をすすった。この屋敷を所有するセイリーン家当主の娘、ルルがハンカチを持って周りをウロウロしていたので、シータは謝りながら好意に甘えることにした。

 最近問題なく動けるようになってきたエイリは遠くからシータを見ており、もっと手前ではフチが冷めた目でこちらを見ている。

 相変わらずの冷たい2人に、シータはハンカチで目元を覆い隠した。


「つ、つまり、シータさんの力は空を飛べる、というより、空を飛べる存在を手に入れた、ということでしょうか」


 ルルの焦りが見える言葉に、シータは首を振る。


「いや、俺も間違いなく力を使うことは出来ました。ベリィは、俺が危ない時とか、気づいていない時とかにだけ、力を使ってたと思います」

「なるほど……」


 今日の昼下がり、シータとエイリとフチは、ルルの研究室に呼び出された。ルル曰く、研究のために話を聞かせてほしいとのこと。

 訪れた後、ベリィのことを詳しく聞かせてほしいとのことで、話が終わったのが現在。

 こんな話のどこが参考になるのか、シータには全く分からなかったが、ルルは資料が山積みになった本棚から本を取り出し、羽ペンでガリガリと書きつけている。


「ルルさん、何か役に立ちますか?これ」


 ルルはパン!と本を叩いて指を立てた。


「立ちますとも! ……さて、皆さん、少しよろしいでしょうか。研究の途中成果をお話しします。……興味は多分ないと思いますが、御三方に関係がある話なので、聞いていただきたいんです」


 エイリが首を傾げた。


「私たちに?」


 ルルは頷き、本を広げながら大きな黒板に文字を書き始めた。


「どう関係があるかを語るには、根本のところから。……まず、私の研究対象である『あり得ない事象が起きている人間』……シフォア人ですが、そもそもの語源はマカドニア建国以前に遡ります。『願いの戒め歌』に代表される古い教え、シフォア教ですね。そこから取っています」

「その歌なら知っている」


 フチが言い、ルルが振り返って首を傾げた。


「フチさんはイースの人ではなかったですか?」

「俺の生まれはイース王都のもっと北で、今はイースの土地になっているアンプ区というところだ。そこはシフォア教を根強く信仰していて、俺のいた孤児院でも歌わされた」

「どんな歌なの?」

「……」


 フチの歌の解読にちょっと時間がかかり、気づけば夕食の時間が過ぎていた。ルルが部屋に持ってきてもらっている間に、フチは不機嫌になっている。


「みんな知ってたじゃないか。俺が歌う必要はなかったと思う」

「……ごめん……あまりにも……私が知っている歌とかけ離れてて」

「音痴ってはっきり言ってやれよ、エイリ」

「黙れ……」


 夕食を摂りながら、ルルが話を再開した。というか彼女は完全に食事に興味を失っていた。


「そう、そうなんですよ。歌の歌詞にあるように、シフォア教は『願うこと』を戒めています。願えば何かを失うと」

「願うと失う……」

「私はこれを、シータさんやフチさんのような人に当てはめて、シフォア人と呼ぶようにしました。特別な事象が2つ起きている人。シータさんだったら、『空を飛べる』と『大人にならない』ですね」


 シータは首を傾げる。

 フチは確かに小さくなっているが、代わりに何かが出来ているようには見えない。有能っぷりには目を見張るが、あり得ないとまでは言えるだろうか。

 シータがそれを聞くと、何故かフチに睨まれた。

 ルルは困ったよう頭を抱えた。


「フチさんのような人がもう一例だけ、実はいらっしゃいます。彼らの方が特例と考えるしか、研究が進みません」

「……」

「そしてここからが皆さんに関係するところなんですが、」

「ルル嬢! 溢れてる、溢れてる!」


 ……という訳で話はなかなか進まない。

 エイリは飲んだ薬の影響かうとうとしだし、フチは1人でエイリの腕に寄りかかりながら考え込み始めた。エイリはあまりこういった話に興味はなく、フチはルルでさえ知らない情報を掴み、きっと自分だけで推論を立てている。

 とどのつまり、熱心なのはシータとルルだけであった。


「シータさん、貴方が廃墟で出会ったという老婆が鍵を握ってきます」

「え?」

「最近、あるシフォア人の方に出会って、その方もある人物に『願いはあるか』と聞かれ、その後シフォア人となりました。……60年ほど前のことになりますが」


 ルルはお茶をすすりながらシータを見つめてきた。


「そして、その方もシータさんと同じく、シフォア人ではなくなっています」


 シータは目を丸くした。自分の身の上に起きた不可思議な現象は、あの場にいた人にしか信じてもらえなかった。まさか同じことが起きている人間がいたとは。


「その方とシータさんは、シフォア人でなくなった際の状況が酷似しています」

「……?」

「『逆を願う』ことだな」


 フチがふと言い、シータは思い出す。確かにシータはあの時、空なんて飛べなくてもいいから大人になりたいと願っていた。

 しかしルルは「それだけではありません」と首を振った。


「フチさんとエイリさんです」

「えっ?」


 エイリが眠たげな目を丸くした。


「両者とも逆を願うことは以前からしていました。2人がいる状況で逆を願って初めて、シータさんとダリアさんはシフォア人ではなくなったのです」


 ルルが目を細めた。いつのまにか、誰もがルルの話に聞き入っている。


「その詳しい状況から……確信はないですが、私はエイリさんには、シフォア人を普通の人間に戻す力があると、考えています」

「え、私の方?」

「……俺もそう思う」

「フチも?」


 シータは思い出していた。ゴス村で泣きながら、シータは確かに、エイリの背中で願ったのだ。空を飛べる力などなくていいから、大人になってエイリを守らせてください、と。


「ゴス村でシータが大人になったとき、俺は気絶していて意識も記憶もなかったからな。俺の方に何かあるとは考えにくい」


 フチがエイリを見上げ、エイリはしばらく考え込んでから顔を上げた。思いのほか暗い顔に、シータは驚く。


「うん……そうかもしれない。実感はないけど、昔、同じようなことがあったの。ずっと昔のことだけど」

「……」


 それより先を言わないエイリを察して、フチがシータとルルに目配せした。

 エイリはそれに気づいたのか、後頭部に手をあてながら明るく笑う。


「うん、やっぱり私だと思う。確かに、ダリアさんがナーシルに会えたらいいなあと思ったし、シータも大人になったらいいなあとも思ったの、思い出したよ」


 シータはちょっとどきりとした。


「え、エイリも、俺に大人になって欲しかったのかよ」

「今その話はどうでもいい」


 フチがばっさり言い切り、ルルも頷く。


「実例が少なすぎて断言できないのが痛いですが、これで1つ、私の研究は進んだと言えます。かといってエイリさんにとってはどうでもいいことだと思いますが……」

「うーん、確かに、どうしようもないよね。役に立つ場面がなさすぎるよ」


 全員が微妙な顔になったところで、壁掛けの時計が就寝時間が近くなったことを告げた。ルルはまだ何か言いたげだったが、エイリの身体はまだ万全ではない。医師の彼女がエイリを無理させるはずがなく、また機会が揃えば、ということでその場は解散になった。

 シータはもともと物事を深く考える立場ではないので、エイリに関して判明した不思議な力について、何かに活かせればそれでいいんじゃないか、としか思わなかった。それよりも、エイリが言わなかった過去はおそらくシナンにいた時のことで、きっとメルンという女性が関係しているんじゃないかと思い当たった。






 ルルの研究室から帰る途中、暗い廊下を歩きながら、シータは先を行くエイリにぶっきらぼうに声をかけた。


「体調大丈夫なのかよ」


 エイリは短くなった髪を揺らして振り返った。こっちの髪型も、肩のあたりでふわふわ揺れるのがとても良いとシータは思っている。


「大丈夫。自由自在。ほら」

「嘘だろ……まだ怪我してから少ししか経ってないぞ」

「エイリの回復の速さには、俺も驚いている」


 フチが、シータの肩に腰掛けながら頷いた。この男は格好つけて「怪我をしたエイリの肩の上になんか乗れるか」と最近はシータの肩に乗ることを要求してくる。シータとしては、何で嫌いな男の声をこんな耳元で聞かなきゃいけないんだと非常に面白くない。

 エイリが顔をしかめた。


「速い方がいいよ。いつまでもルルのお世話になれないもの」


 エイリは最近こればっかりである。

 ルルはゴス村の件で3人を巻き込んでしまったから、好きなだけこの屋敷に滞在してくれと言ったが、シータはそんな世話をかけることは出来ないと固辞をした。どこか近くに宿でも取って、エイリを説得しようと考えていたのである。

 頑ななシータにルルは困り、実は男手の足りない屋敷の手伝いをするのはどうかと言ってくれ、引き受けたシータは今日も屋根の雨漏りを修繕して、実を言うとへとへとである。

 フチもルルに同じことを申し出ていたらしく、彼はシータとは違って、ルルの研究の手伝いやら薬の調合などで駆け回っていると聞いた。

 エイリはきっと、そんな2人と違って何も出来ないのが歯がゆいのである。


 頼ってくれればいいのにと、シータは思う。


「お前の分も俺が働くから、エイリはゆっくり休んでればいいよ」

「あのね」


 拗ねたように言うと、エイリは怒って距離を詰めてきた。その身体の小ささに、シータは未だにどうしようもなく気持ちがはやって、落ち着けないでいる。


「借りを作ろうとしないで。私はあんたがここにいるのもどうかと思ってるんだから」

「だ、だって、ネドまで付いてくって言っただろ!」

「……シータはどうやって生活する気?」

「へ?」


 詰め寄られて真っ赤になったシータは目をそらした。最近大人になった身体は、まるでシータの言うことを聞いてくれない。今だって廊下の床じゃなくて、エイリの白くて細い足首から目が離れない。


「どうやってお金を稼いで生きてくの?」

「そ、それはネドに行ったら考える……」

「それまでは?」

「ちょっとなら、騎士時代に貯めた金があるし」


 エイリは首をすくめて溜め息をついた。呆れているのではなくて、説き伏せられなかった敗北の溜め息だ。

 シータはここぞとばかりに反撃に出た。


「俺、絶対についてくからな! 俺の行き先をエイリが決めるなよ。勝手にさせろよ!」

「……」

「あと、好きだから。エイリに嫌われてるのは知ってるけど、俺それ全然効いてないから!ほんとに!」

「……な、」


 詰め寄ると、エイリはちょっと頬を染めて睨んでくる。

 この表情に、シータは弱い。弱いというか、興奮するというか。冷静な思考が出来なくなるのである。キスしたらどうするだろうとか、なんだこいつ凄い良い匂いがする、とか。


「シータ、そもそもお前の部屋はあっちだろう」

「……」


 そして、フチがいたことをすっかり忘れていた。

 いつの間にかエイリの頭のてっぺんまで登ったフチは、ご丁寧に方向まで指差して、シータを冷たい目で見ている。

 シータは正直に言ってめちゃくちゃ気がそがれたが、めげずにエイリを睨みつけた。


「なめんなよ、エイリ。好きだ。絶対お前の役に立つから」

「部屋あっちだが」

「うるさい!」


 抱きしめようかと思ったが、フチに顔面を蹴られそうだったのでやめて、シータはおやすみも言わずに踵を返した。

 エイリが後ろで怒ったように唸り声を上げるのを聞きながら、口元が上がるのが抑えられない。シータは、エイリが少しずつ自分に対して口調が普通になっていくのと、素直に気持ちを示してくれるのが堪らなく嬉しかった。この状況を誰よりも楽しんでいるのは自分だという自覚もある。それどころかいつまでも続いてくれてもいいとさえ、密かに思っていた。


 だが、ルルの屋敷に思わぬ来訪者が訪れたのは、その3日後であった。


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