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親指ナイト  作者: 真中39
◇3章:嘘つき子供の涙と決意
30/67

13.ロイエ騎士

 

 ◇



 ルルがローリアンの屋敷を訪れたこと、道すがらグローアとトルクに出会い事情を知ったことは、一連の事件の中で数少ない幸運だったと、エイリは思う。


 目覚めた時には、見知らぬ部屋。温かいベッドの中で、エイリは痛みに呻き声を上げた。


「エイリ!?」

「エイリさん、ゆっくり深呼吸してください」


 ルルの声に従うまま、エイリは息をゆっくり吸い込み、目を開けた。

 ルルが心配そうにこちらを見ながら、ベッドの側の机の上で薬湯を淹れていた。

 その側にフチが立ちながら、焦ったようにルルとエイリを交互に見上げている。ルルよりずっと、彼は慌てているようだった。


「え、エイリ、大丈夫か? る、ルル、それは効くのか? イースでは実は経口摂取の痛み止めはあまり信憑性がなくて……」

「効きますから、大丈夫ですから」

「ふち……」


 自分のガサガサの声に驚いた。

 フチがぴょんと枕元に飛んでくる。


「どうした?」

「大丈夫? 身体は……」

「俺は何ともないぞ、ほら」

「よかった……」

「エイリさん、身体を起こしますよ。いいですか?」


 ルルはエイリの世話をしながら、色々なことを話してくれた。ゴス村から出るときに馬車に乗った瞬間、エイリは昏倒して、その後の記憶が全くないからだ。


 ここはセイリーン家が所有する別荘の1つで、ルルがよく訪れるわりと大きめの屋敷だという。ユクの街から東に半日ほどの距離で、彼女は昨日、ポッツの屋敷からここへ呼び出されて到着をしたところだった。


「父に言われたのです。ユクの街へ向かい、ローリアンと話をしてきてくれないかと」


 事の発端は、半年前まで遡る。

 ローリアンからの、再三のユクのセイリーン自治区への編入のお願いに、セイリーン家先代当主であるルルの父は不信感を抱いていた。もともと自治区への編入を決めるのはマカドニアであり、セイリーン家にはどうしようもないことだが、ローリアンはしつこかった。

 根負けしたルルの父はマカドニアへの打診と引き換えに、氾濫が多発するニオウ川の上流にて、治水工事を行えるようにすることを依頼したのだという。


 しかし、いつまで経っても完了の報せはなく、相変わらずの怪しい夜会は開催されている様子。多忙になるはずなのにおかしいと思ったルルの父は、ちょうど近くに留まっているという報せを寄越したルルに、様子を見に行ってくれないかと頼んだという。

 カイと別れて再び気ままな旅を再開していたルルは、その依頼を二つ返事で了承した。


「そこで、グローアさんとトルクさんの姉弟に出会ったのです。馬車に乗せてくれと言われることは珍しくないのですが、あまりにも様子がおかしかったので、事情を聞いてみたら、ローリアンの屋敷で開催される夜会に行く途中だと……」


 異変を感じたルルは急いで馬車を走らせ、そこで、怪我をしたエイリと遭遇したという訳だ。


 エイリは多少緩くなってきた痛みに耐えながら、ルルに再三の礼を述べた。本当に、彼女がいなかったらどうなっていたか。

 ルルはおろおろして手を振った。


「いえ、いえ、いえ! 本来ならセイリーン家が解決するはずの問題でした! 巻き込んでしまったのは私達だったのです。このような大怪我までさせてしまって、不幸な子供も出てしまって……」


 エイリは顔を歪めた。力なく横たわるライアの身体を思い出す。

 彼女の遺体は、セイリーン家が責任を持って埋葬してくれることになった。グローアやトルク、そしてアリアも、今はまだこの屋敷で静養しているが、近いうちにセイリーン自治区への孤児院へと引き取ることになったという。


 フチが沈んだ声で言った。


「ゴス村にはもうしばらく人は住めない。唯一の水源の確保の井戸が汚されたからな。ゴス村の地主……グローアとトルクの両親は、彼らの親権を放棄した。土地がなくなり、養える金がないと」

「……ゴス村の人々は、大部分が近隣の農村へと流れました。これほど大きな村民の移動は初めてなので、しばらくは食糧難などの問題が多発するでしょう。対応はマカドニアが行いますが、どこまでカバー出来るのか心配です。……一連の事件の原因となったローリアンは、全ての資産をマカドニアに回収され、処分を決められるところです。被害は甚大ですから……」


 ルルは鼻をすすり、すみません、と謝った。


「本当に、本当に、皆さんがいてくれてよかったとは思っているんです。でも、大人の身勝手に巻き込んでしまった子供達が可哀想で、申し訳なくて」


 グローアとトルクは気丈で賢く、すぐにルル達を気遣うよう、屋敷で何か手伝えることはないかと聞いてきた。

 しかしアリアは、グローアとトルク以外の言葉に応えることはなく、今もまだ屋敷の中で、ベッドから起き上がることが出来ない。唯一彼女が反応を示したのが、シータがネックレスを手渡した時だけで、彼女は大粒の涙をこぼしながら、ひたすらに姉の名前を呟いたと言う。


「とりあえず、エイリさん。貴女は怪我を治すことに集中してください。治るまで、しっかりとこちらで治療させて頂きます」

「それは……」

「申し訳ない」


 エイリを遮るようにして、フチが深く頭を下げた。

 ルルはそれを見て、また昼食の後に来ます、と立ち上がった。


「何かあれば使用人を呼びつけてください。あと、……治ったら、一緒にケーキ屋さんに行きましょうね」


 ルルは微笑んで退出した。

 エイリも笑って返したが、彼女の姿が見えなくなった途端、力が抜けてベッドに伏せる。


「エイリ!?」

「ごめんなさい」


 フチがぎょっと身体を強張らせた。

 エイリは目頭が熱くなるのが抑えられない。後悔してもしたりない。エイリは、判断を誤った。


「私が行けって言ったから。……私が怪我なんかしてたから」

「……」


 あの時、フチとシータだけでゴス村に向かわせるべきではなかった。大人のエイリが向かい、村人達を説得するべきだったのだ。

 それか、怪我などしてなければ、もっと早くルルと合流して馬を駆ってゴス村に、ライアが死ぬ前に到着できたはずだ。

 涙が溢れて止まらない。エイリは自分の判断で、人を死なせるのは初めてではない。でもどうしても、この感情に慣れることはできないし、慣れてはいけないとも思っている。でも、どうしようもなく、隣の男に申し訳が立たなかった。


「ごめんなさい、フチ」

「……」


 フチはややあって、エイリの顔を抑える手に乗り上げた。


「エイリ」


 指が持ち上げられる。隙間から、辛そうな顔をしたフチが見えた。


「違うぞ、エイリ」

「……」

「謝るのは俺だし、俺が子供達に詫びるんだ。助けきれなくて申し訳ないと。だってエイリは、俺のために判断してくれたんだろう」


 フチは全て知っている。

 でもエイリは、ここで頷けるほど理性的にはなっていなかった。子供みたいに首を振った。


「うわっ!」

「……ご、ごめん」


 滑り落ちたフチに、エイリは慌てて顔を横に向けた。なんだか間の抜けた雰囲気に、エイリは戸惑い、フチはシーツに尻餅をついたまま低く笑う。初めて見る、少年のような顔だった。


「……とにかく、今は休んだ方が良い。肩だけじゃなく、背中にも大きな傷がある。早く回復して、ルルと一緒にケーキを食べに行くんだろう」


 フチは起き上がり、穏やかな声音で言いながら、一瞬だけエイリの頬を撫でた。

 フチの声に、エイリは瞼が重くなるのを感じる。ルルの薬が効いてきたのか、フチの声に魔力があるのか。


「……すまない、ありがとう、エイリ。……もう2度と」


 こんな目には、と聞こえて、瞼にわずかに熱を感じたあと、エイリは眠りに落ちた。





 どれほど経ったのだろう。

 エイリは再び、ルルの屋敷の一室で目を覚ました。

 目が覚めたきっかけは、ベッドの側でしかめ面をしながら座った男である。

 色素の薄い茶色い髪に、林檎のような紅い瞳。見慣れたはずの幼い顔立ちはパーツを残して消え去って、整った面立ちの青年になっている。信じられないが、シータだ。あの時背中を貸してくれた。


「起きたかよ」

「起きた……」


 エイリはぎしぎしに固まった身体を伸ばそうとし、鋭い痛みに眉をひそめた。だが、前よりはだいぶ良いような気がする。


「寝てろよ、まだあれから3日しか経ってない」


 エイリはうわあ、とシータを見つめた。声変わりしている。


「大人になったんだ俺」


 見れば分かることを言いながら、シータが両手を広げて立ち上がった。マカドニアの一般的な服装である、濃紺の詰襟を着崩していた。あんなに小さかった身体が、信じられないくらい大きくなり、多分、エイリは立ち上がったらシータの顎ぐらいまでにしか届かないと思うほどの身長になっている。


「大人になったねえ」

「なにばーさんみたいなこと言ってんだよ」

「……」

「……」


 沈黙から数秒後、シータは急に俯いた。


「ベリィが、エイリによろしくって、消えた」

「え?」


 エイリは目を瞬いた。言われてみれば、シータの肩口にいる可憐な妖精が見えない。

 シータは下を向いたままぶつぶつと言う。


「俺の空を飛ぶ力は、ベリィがいたから使えてたんだ。俺が大人になったのを引き換えに、ボクはもう側にはいられないからって」

「そうだったの」


 最後に挨拶くらいしたかったのに、とエイリは寂しく思った。飄々としたベリィのことを、実はエイリは嫌いでなかった。

 シータは思い出したのか、目頭を押さえた。

 エイリは、彼はすぐに泣くのは変わらないようだと、年上のシータに胸が温かくなるような気持ちがした。


「寂しいね」

「……寂しい」

「……で?」


 エイリの背後から低い声がする。

 エイリはびっくりして振り返り、シータが真っ赤になった。

 フチがエイリのベッドの背もたれにの縁に座り込み、行儀悪く肘をついている。不機嫌さを隠そうともしていない、珍しい様子だった。


「いたのかよ!」

「いるに決まってるだろう。ルルに頼んであるからな。俺がいる時しか部屋に通さないでくれと」

「だから昨日断られたのかよ!」


 喚くシータに、フチは再び「で?」と首を傾げた。


「何の話があってきた」

「……フチがいるなら話したくない」


 シータは割と強気だった。多分、大人の身体がそうさせている。

 そっぽを向いたシータに、フチが溜め息をついた。


「じゃあ話すな、帰れ」

「……あの、エイリ」

「帰れ」

「話すって言っただろ!」


 仲が悪すぎる。フチは珍しくシータに当たりが強いし、シータはフチに対してすぐに怒る癖がある。

 困ってしまったエイリを見て、シータは毒気を抜かれたように椅子に座り込んで、それからじっと見つめてきた。


「え、エイリは、ネドに帰るんだろ」

「うん」

「俺、手伝うよ」

「え、何で?」


 思わず返した言葉に、シータはめげなかった。


「好きだ」

「え」


 エイリは口を開けた。思わぬタイミングに、反応も出来ずに固まるしかない。


「エイリがいたから大人になりたいと思った。多分10年以上前に、初めてシナンの城で見た時からずっと好きだったし、これからも好きだ」

「……」

「力になりたい。ネドに着いてから、そのあとのことは考えるから、側にいさせてほしい」


 シータは言い切ってから、ガタンと立ち上がった。耳まで真っ赤になっているが、後悔している素振りはなく、強い眼差しで、エイリを見つめてくる。


「か、過去に辛いことがあったのは知ってる。だからすぐに返事はいらないから。好きだ」

「シータ」

「好きだ。じゃあ」


 エイリは慌てて、凄い勢いで立ち去ろうとするシータを止めた。いつのまにか、心臓がすごい音を立てている。


「エイリ?」


 なんとなく分かってはいた。シータは最初こそあれだったが、その後はエイリに親切だったし、親密になりたがった。下心のために違いないと思っていたが、彼はエイリのために犠牲を厭わないような行動をすると、短い間でも嫌というほど理解した。人から好意を向けられるのは、こんなにも胸をざわつかせるのだと思い知った。


 けれども。


「ごめんなさい。シータ、私、貴方に力を貸してもらうことは出来ない」

「……」

「私のことを好きなのは分かった。でも、それでこの先力を貸してもらっても、貴方を好きになることはない。……それと、私は多分、貴方の好意を利用する気がする。今回みたいに」

「……それでいいよ」


 エイリは首を振った。


「私が無理なの」

「……」


 だが、予想に反してシータは落ち込まなかった。


「……よ、」

「え?」


 というかブチ切れた。


「分かったよ! いいよ! 勝手に付いてくからな! どーせシナンに戻ったって今の俺に出来ることなんてないし! 暇だし!」

「ちょ、」

「俺を利用しろよ! それで自己嫌悪して、引け目を感じろよ! そうすればもうお前は、俺を嫌えないだろ!」


 エイリは目を丸くした。全く以って、エイリはシータの負けん気の強さをなめていたのである。

 シータは真っ赤な顔のまま肩を怒らせ、エイリに怒鳴り散らして部屋を出ていった。嵐のように。


「……」


 脱力したエイリの隣で、フチは難しい顔をしながら考え込んでいる。

 エイリは何といったらいいか分からず、長く息をついて「どうしよう」と声を漏らした。


「……」


 フチは何も言わない。

 私が好きなのは貴方なんだよ、と、エイリは隣の小さな騎士を恨めしく想った。そんな風に思われる筋合いはこの男にはないのだと、分かっていても想わずにはいられなかった。


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