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親指ナイト  作者: 真中39
◇3章:嘘つき子供の涙と決意
29/67

12.

 


 ウゥオーーーー。


 狼の遠吠えが悲しく、狂おしく明け方の空に響き渡った。

 シータはそれにはっとして、ふらつきながらライアのもとに膝をつく。


「お姉ちゃん……お姉ちゃん」


 アリアが、すでに動かないライアの身体を揺らしていた。

 そしてフチは、剣を持つ手を下に垂らしたまま、虚ろな様子でシータを見上げた。


「質の悪い毒だ。混ざり物が多いせいで解毒も出来ず、苦しみだけが長く続いた。もっと強い毒で、早く死なせてやるしか出来なかった」


 こんな時でも、この男の声ははっきりとして聞きやすい。

 シータは思わず、頭を地面にこすりつけた。涙が堪えられない。


「何にも……出来なかった……」


 シータは自分を大馬鹿野郎だと思った。子供の身体も、機転の利かなさも、行動力の無さも。どれか1つでもあれば、ライアは死ぬことはなかったかもしれないのに。


「フチ?」


 ベリィが高い声で叫んだ。

 顔を上げたシータは目を剥いた。


「……?」


 フチが頭と胸に手を当てながら、見たことのない顔で地面に膝をついている。剣も取り落としている。目が血走り、誰も見ていないのに、瞳が左右に激しく揺れていた。


「フチ!?」


 様子のおかしいフチにベリィが慌てている。

 フチはそれに答えることもなく、ぶつぶつとうわごとのように呟いた。まるで誰かがここにいるかのように。


「違う、そうじゃない。殺したのは俺だが、欲しがったからじゃない……」


 あのフチが、狂乱しかけている。

 焦ったシータも大声を出した。


「フチ! しっかりしろ!」

「……」


 駆け寄ったベリィに倒れかかるように、フチはフッと目を閉じ、意識を失った。


「どうしたんだ!?」

「……」


 ベリィはフチを支えながら、そっとシータを見上げた。長年の付き合いから、こういうときにはこの小さな相棒は、何かを隠していると知っている。


 隠し事なんか、してる場合じゃないだろ!


 シータが怒鳴ろうと口を開けた瞬間だった。


 再び大きく地面が揺れた。


 シータは心臓が鷲掴みされたような気分になる。

 ざわざわと揺れる森の中、朝日が眩しい空の中。大きな灰色の塊が、ものすごい勢いでこちらを目指して移動してきているのだ。

 直感で、シータは思った。

 あれは、ライアを……友人を殺された怒りに、我を忘れた獣達だ。何百、何千という獣達の集団が、怒りに狂いながらこちらに迫ってきている。


「フチ! シータ!」


 軽い蹄の音に、シータは泣きながら振り返った。

 広場の入り口から、馬に乗ったエイリが現れた。血だらけのドレスに、痛ましい肩の包帯、長さの揃わない血塗れの髪。

 異様な出で立ちだったが、シータは確かめることも出来ず、ただただエイリを見上げる。


「……」


 エイリは蒼白な顔をさらに蒼白にして、一目で状況を把握したようだった。素早く馬から降り、ライアの身体に駆け寄った。


「エイリ!」

「逃げよう」


 エイリはフチを襟元に押し込み、ライアを抱きかかえて立ち上がった。

 シータは頷き、四つん這いになったまま動かないアリアの身体を引っ張り起こす。

 アリアは呆然としたまま、シータに従うだけだ。


 ここにいては危ない。怒りに燃える獣達には人間の事情など到底理解できず、ただただそこにいる人間を傷つけようと、襲いかかってくるに違いない。早く逃げなければ。


「え!?」


 しかし、エイリの乗ってきた馬は恐れをなし、素早くその場から逃げていた。

 あっという間に、獣達が目前に迫っている。


「飛んで!」


 エイリの鋭い声に、シータは思わずアリアを抱きかかえて空へと急浮上した。地響きが身体を揺らし、唸り声とベリィの悲鳴がシータの頭の中を叩く。


「エイリ!」


 ゴス村の家を破壊し、畑を踏み荒らし、獣達は走り去った。もはやライアの身体を通り越して、彼らはどこへ向かうのだろう。


 エイリは地面に這い蹲り、一瞬で泥だらけになった顔を苦悶に歪めた。獣達に踏まれ、蹴られた彼女の身体はぼろぼろだった。真下のアリアと襟元のフチは無事だろうが、彼女は身を呈して庇ったせいで、あちこちから出血している。


「エイリ、エイリ!」

「……っ」

「シータ、まだ来るよ! 足の遅い動物達が、遅れてやって来る!」


 ベリィの声も遮り、シータはエイリのそばに駆けつけた。

 だめだ、と思った。

 シータが一緒に飛ばすことが出来るのは、人だったら1人で限界。アリアで手一杯だ。


「エイリ、立てるか? ……」


 エイリはよろよろと地面に肘をついた。


 まずい、まずい!


 身体の震えがやまない。また獣達がやって来る。

 今度はもう、きっと、エイリの細い身体は耐えられない。


「エイリ、ごめん、ごめん!」


 シータは彼女の背中を抱きしめた。

 エイリと会ってから、何度目か分からない願いを、シータは喉が潰れるくらいの声量で叫んだ。


「悔しい! エイリ、ごめん、俺が大人なら、みんな抱きしめて走れるのに!」

「……」

「空なんて、飛べなくていいから、大人になって!」


 ……あんたを守りたいんだって!


「……シータが、」

「……!」

「シータが大人だったら」


 腰に回った手が、ぐっと握られた。

 シータはぼろぼろ泣きながら、振り返ったエイリの顔を見上げる。

 彼女は困ったように笑っていた。


「すぐ泣くのも治るのかな……」

「……エイリ」

「行って、シータ。アリアがいる」


 手が剥がされる。

 シータが絶望した瞬間、耳元でベリィが囁いた。不気味なほど静かな、切ない声音だった。


「あーあ、()()()()()()

「……?」


 変化は一瞬だった。


「!」


 シータは自分の身体が音を立てて拡張していくのを感じた。関節がばきばきと膨らみ、筋肉が伸びていく。視界が高くなり、エイリの背中を覆うように抱きしめているのは、間違いなくシータだった。


「え、」


 シータは一瞬だけ驚いた。知らない男の手の平が目の前にあるが、自分の意志で動いている。


 間違いなく、シータは大人になったのだ。一瞬で。


「……!」

「し、シータ? え?」


 シータは素早く行動を開始した。


「エイリ! 背中に掴まれ!」


 混乱しているエイリに背中を向け、アリアとライアをそれぞれ片腕で担ぎ上げた。力の抜けたライアの身体は重かったが、シータはそれを軽々と担ぎ上げた。3人分の女の子の体重など、今のシータには何も脅威ではなかったのだ。


 あんなに出来なかったことが出来るようになったのに、シータの頭は妙に冷静で、転ばないように地面を見ながら、川の方へ駆け出した。逃げるとしたらあそこしかないと、偵察に育てられた勘が言う。

 そしてシータの本能はすでに理解していた。もう、自分がこの大空に浮かぶことはない、と。


「シータ!」


 背中でエイリが叫び声をあげた。

 アリアがびくっと身体を揺らし、森の方を見て唖然としている。


 ーー来た!


 それは野生の熊の集団だった。

 両手両足を地面につけ、地面を大きく揺らしながらこちらに走ってくる、何十頭もの黒い塊。目は剣呑に輝き、口元がめくり上がって凶暴な牙が覗いていた。


 川に飛び込むしかない。逃げられる保証はないが、何もしなければ死ぬだけだ。


「エイリさん!?」


 その時。川沿いの森の道の中から、巨大な馬車が現れた。先頭を引っ張る馬が甲高く嘶いては、前足を高くあげて暴れまわっている。

 その後ろの馬車の窓から、グローアとトルクが驚愕している顔が見えた。


「馬鹿!」


 シータは走りながら怒鳴った。


 なんで来たんだ、早く引き返せ、巻き込まれるぞ。


 言葉が、続かない。


「フチ!!」


 シータはつんのめるようにして足を止めた。背中から、エイリの体温が消えている。


「フチ、どこ行くの!?」


 白い羽根が舞い狂い、エイリは何故か、その中で獣の方に向かって走り出したところだった。

 その先には白い鳥が急旋回し、獣達の前に躍り出たところである。


「……!」


 シータは理解が出来なかった。

 白い鳥の背に乗ったフチが、熊達からシータ達を守るように立ちはだかっている。

 そして怒り狂っていたはずだった黒い獣達は、砂埃をたてながら、その場から動かなくなった。目線だけは剣呑に、小さな騎士を睨みつけている。


「あいつ何してんだ……!」

「シータ!」


 駆け寄ろうとしたシータを、ベリィが止めた。睨みつけたシータの眉間の皺を、再び「まあまあ」と言いながら伸ばしてくる。


「ベリィ!」

「大丈夫なんだって。フチはきっと上手くやるよ。不本意だろうけど、ライアの力を手に入れてしまったんだから」

「……?」


 ライアの力?


 はっとして仰ぎ見たシータの前方で、熊達が唸りながら後ずさった。


「……」


 そしてそのまま、踵を返して森の方へ戻っていく。


「……」

「フチ!」


 白い鳥は、よく見ればローリアンの屋敷でもフチを背中に乗せていた。その鳥は空中で高度を変えないまま、ゆっくりと後ろで見ていたエイリに近寄っていく。

 エイリはそれが待てないように、肩を抑えながら鳥に駆け寄った。


「フチ? フチ、大丈夫?」


 白い鳥の背中から、小さな黒い騎士がふらりと落ちた。

 エイリはそれを両手で受け、胸に抱えて俯いた。


 グローアとトルクが馬車から降り、泣きながら近寄ってきた。2人とも状況がよく飲み込めておらず、混乱していた。


「……シータさんなの?」

「アリア! 無事でよかったです! ライアも! ……ライア?」


 アリアが糸が切れたようにシータの腕の中で泣き始めた。シータが彼女とライアを地面に降ろすと、すぐにライアの遺体に縋り付いた。


 そこで、見たことのない灰色の髪の女性が視界に滑り込んできて、ライアが息をしていないことに気付いて顔を蒼白にした。

 姉弟は何があったのかを素早く悟り、アリアを両脇から抱きしめて涙をぼろぼろとこぼしている。


 あまりにも悲しい光景に、シータはかける言葉も見つからない。代わりに。


「……ベリィ」


 隣に浮かぶ親友に、静かに問いかけた。


「フチは……動物と話せるようになったのか? ……ライアに、最後に手を掛けたから」


 ベリィの返事はなかった。それが、何よりの肯定だった。


 獣達に破壊された村はもう、跡形も残っていない。恐ろしいほどの静かな朝がそこにはあって、シータ達の状況とは裏腹に、眩しい太陽が森から顔を覗かせた。狼の遠吠えが再び哀しく聞こえた気がするが、定かではなかった。


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