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親指ナイト  作者: 真中39
◇3章:嘘つき子供の涙と決意
27/67

10.レイジ淑女

 

 ◇



 最初から何もかもおかしいと、エイリは思っていた。

 ローリアンの屋敷に着いてから、何度も感じた憐れみや嘲笑の視線。ローリアンに名乗った際の彼の空気の変わりようと、一瞬で手を取られたあの違和感。人混みの中からシータだけを的確に見つける手際の良さ。


 そう、ローリアンは、この夜会で最初からグローアとトルクという姉弟を玩具にしようと決めていたのだ。彼らを抱いて夜が明けたら、グローアとトルクはお互い以外、全てを失っている。


 事の発端は、おそらくローリアンがルルの生家であるセイリーン家に、このユクという街を自治区へ編入してほしいと願ったことにあるはずだ。ローリアンはライアのネックレスをセイリーン家に献上しようとしたけれど、セイリーン家が望んだのは全く別のことで、それはニオウ川の治水工事を手伝わせることだった。グローアとトルクの村、ゴス村は、ニオウ川の氾濫にあたって有効な対策である放水路の建設の、要所となる場所にあった。


 ゴス村の人々を移動させるために、セイリーン家は巨額の資本金を送ったが、ローリアンはなぜか、ゴス村の人々を移動させなかった。もしくは打診したが、断られたか。

 ともかく彼はゴス村の人々をその場所から移動させず、井戸に薬を仕込むことで、……おそらく殺害しようとしている。


「……」


 フチは頷いた。エイリとシータの飛び飛びの質問で、あっという間に状況を把握したらしい。


 ホール下の喧騒は相変わらずで、動物達は怒っているように見えた。ライアの怒りが伝播したのだろうかと、エイリは思う。


「にわかには信じがたいが、おそらくその通りなんだろうな。ライアは動物達からその情報を聞いて、ゴス村に向かったはずだ」

「トルクとグローアはどこへ?」


 フチは首を振った。


「分からない。だが恐らく、賢い子達だから、出来るだけ作戦通りに動いて……この屋敷に向かっているはずだ」

「ライアの奴、人質だったフチを寄越すなんて、何考えてんだ?」

「……ライアは、もういい、と言っていた」

「もういい?」


 エイリは目を細めた。考え込んでいるフチが、苦しそうな表情を浮かべている。

 エイリはフチが、見た目よりもずっと子供達に情が湧いているのを知っていた。最初こそ命を奪うなどと脅迫したフチだが、屋敷では彼らのわがままに根気強く付き合い、考えを矯正し、時に穏やかに言葉を交わしていた。きっとフチの根底には、子供は無条件で助けるものだという信条があるはずだ。


 エイリはそれを、フチの尊敬すべき側面だと思っている。

 誰もが自分のことで手一杯になっている状況で、あの子供たちは、確かにフチに救いを見出していた。彼らにとって、フチの存在がどれほど心強かったろう。

 かつて、シナンの王宮の中で、子供だったエイリを無条件で助けてくれた、あの人のように。


「フチ」

「……エイリ」


 フチの目が迷いに揺れている。

 彼はこの旅路において、行動を自分で決めるべきではないと考えている節がある。それはあくまで、これがエイリがネドへ行く旅で、自分は護衛を命じられた騎士でしかないと思ってしまっているからだ。


 だから、私が決めるしかない。私は、フチのしたいことを叶えたい。後悔して欲しくない。


 エイリはヒュッと息を吸い込んだ。


「フチ、ゴス村に行って」

「え!?」


 フチもシータも、仰天したように目を丸くした。

 エイリはそのまま言い募る。ここでどう動くかで、あの子供たちの運命が決まってしまう、そんな気がした。


「シータ、お願いします。フチと飛んでゴス村に行ってあげて。ニオウ川に沿っていけばいいから、どこにあるかは分かると思う」

「え、でも……」


 戸惑っているシータを、エイリは腰を落として見上げた。


「ライアは、人には嘘しかつけない。……ライアだけじゃ、ゴス村の人たちは救えないかもしれない」

「……」

「フチと一緒に、ライアを助けてほしいの。ーーお願い、貴方に頼ってばかりだけど、最後にするから! お願いします」


 シータは顔をしかめてから、ややあって頷いた。


「分かったけど、エイリはどうすんの」

「私はグローアとトルクを迎えに行く」


 彼らがここを目指しているのなら、危険な可能性がある。ローリアンはグローアとトルクをもう2度と、この屋敷から返してくれないかもしれない。

 行き場のなくなってしまった彼らを楽しそうに眺めるローリアンを思い浮かべて、エイリはきゅっと口元を引き締めた。


「まず馬を拾ってーー迎えに行って、会えたらゴス村に向かうから。ライアの屋敷までの道で会えなかったら、そこから直接村に向かいます」

「エイリって馬に乗れるのかよ!」

「習ったの、小さい頃にメルンに。ちょっと不安だけど、多分どうにかなると思う」


 エイリはそれから、手の上のフチに視線を合わせた。


「気をつけてね、フチ」

「……エイリも」


 フチは急に、エイリの垂れる髪を一房掴み、額を当てて苦しそうに言った。


「ありがとう」


 それから目を合わせず、フチは踵を返してシータの肩に飛び乗った。

 シータは居心地悪そうにしながら、最後にエイリをちらっと見てから、開いた廊下の窓から飛び立って見えなくなる。

 ベリィが能天気に手を振ったので、エイリも振り返した。





「よし!」


 エイリは気合いを入れて頬を叩いた。とりあえずはここから出て、道すがら馬を貸してもらおう。

 ライアの屋敷からこのユクへの街は一本道で、グローアとトルクの姉弟はそこからこちらに向かっているはずだ。来た道を引き返せば良い。


 しかし。


「!」


 急に後ろから突き飛ばされ、エイリはそばにあった階段を転がり落ちた。痛みに息が止まり、目の前が真っ赤な絨毯で塞がれる。


「……生意気な……」


 起き上がる前に髪を掴まれ、エイリはぐいと背中をそらして頭を上向かされた。


 ローリアンだ。


「……!」

「小僧はどこだ! どこへ逃げた! 貴様、あの薄汚れた子供のーーライアの手先だな!?」


 ローリアンは半狂乱になりながら、エイリの頭を揺さぶった。

 あまりの勢いに頭に鋭い痛みが走り、遅れてぶちぶちと髪が抜ける音がする。

 ローリアンは屋敷の使用人に烈火の勢いで指示を飛ばしながら、エイリの頭を引っ張ってそのまま落とした階段を登ろうとした。


「……!」


 だが、エイリは持っていたナイフでそのままローリアンの手を、髪ごと切りつける。

 ローリアンは悲鳴をあげ、血に濡れたエイリの髪の束をばさっと床に落として、目を丸くした。


「お前……!」


 殺してやる、と痛みに泣きそうになりながらエイリは思った。

 目の前の男は、自分の欲のために女性と子供を食い物にするクズ野郎だ。人の尊厳を踏みにじることを何とも思わないクソ野郎。それはまるで、あのシナンの王じゃないか。


 ーー殺してやる。


 エイリはナイフを握り直したが、そこでフチの顔が頭をよぎった。ここできっと、フチはローリアンを殺したりしない。目的のために役に立たないからだ。


 私の目的は、グローアとトルクをここから遠ざけること。忘れちゃだめだ!


「……っ!」

「!?」


 エイリは振りかぶって走り出した。

 ローリアンは面食らったようだが、後ろから使用人達に怒声をあげて命令するのが聞こえてくる。


「その女を捕らえろ!」

「ヴゥゥアア!」


 狼がエイリの後ろに飛び出し、使用人達が足を止めた。

 エイリはそれを耳だけで把握して、振り返らずに走る。ホールを抜けて玄関にたどり着いた、と思った瞬間。


 肩に衝撃を受け、エイリは前のめりに床に倒れた。


「……?」


 恐る恐る自分の右肩に目をやる。木の棒が生えていると思った。


 信じられない痛みと共に、弓で射られたと気付く。呼吸がうまく出来ないほど、身体中の血液が脈打った。


「……!」

「馬鹿! 傷つけるな!」


 後ろからローリアンの声がする。

 エイリは間抜けにも起き上がることができない。


「は、ははは」


 笑い声がする。キャン!という高い狼の悲鳴も聞こえる。

 冷や汗と涙が止まらない。

 起きろ、と自分を叱咤したエイリがようやく身体を起こした時には、ローリアンが悠々と後ろに迫っていた。


「信じられん精神力だなあ。今度は暗殺者でも雇ったのか? あのクソ餓鬼は」

「……」

「忌々しい親の子だったからなあ。似た者同士だったというわけだ」


 エイリは合点がいって、ローリアンを睨みつけた。


「ライアとアリアの親は、あんたが殺したの」

「そうだよ。邪魔だったから……。うーんでも、代わりにゴスに遣った奴も無能でね。いつまで経ってもあそこから追い出せないんだよなあ」

「……」

「村の奴らも強情でね。土地の利子を高くしたりして追い出そうとしたんだけど、なかなか動いてくれないから……」


 エイリは聞きながら、自分の身体がひしひしと絶望感に浸されていくのを感じていた。


 どうしよう、どうすれば、この状況から逃げられる。


 せめて、グローアとトルクだけでもここから遠ざけられればいいのに。痛みに混乱した頭は解決策を思いつけない。


 いつのまにか周囲にはローリアンの使用人達が溢れ、ジリジリと円を描くようにライアを囲んでいた。

 ローリアンはエイリのそばに膝をついたが、血に濡れた膝にうわあ、汚い、と言いながらすぐに立ち上がってエイリを見下ろしてきた。


「すごい血だ。よく君、へこたれないね」

「……!」

「大丈夫。すぐに治療して、動けなくしてから飼うよ。君みたいな美人、初めて見たもの」


 エイリは笑い出した。悔しくてたまらない。

 フチに会いたくて、自分が情けなくてたまらない。


「治してくれるなら嬉しいですわ。いつか寝首をかいて殺してやれますもの!」

「……へえ」


 エイリの捨て台詞にローリアンの目が細まった、と思った瞬間。


「エイリさん!」

「いやあああ!」


 エイリは今度こそ絶望に俯いた。

 グローアとトルクの悲鳴が玄関の方から聞こえてくる。まさか、もう屋敷についてしまうとは。


 エイリは失敗したのだ。

 ローリアンが驚愕したように顔を上げ、エイリは最後の力でもって姉弟に怒鳴った。


「来ちゃだめ! 逃げて!」

「……え? え、エイリさん?」


 しかし、聞こえてきた思いもよらない人物の声に、エイリははっと顔を上げた。




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