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親指ナイト  作者: 真中39
◇3章:嘘つき子供の涙と決意
26/67

9.子飼いと鳥

 

 ☆



 大変なことになったと、シータは思った。


「そう、こちらだよーーおいで」


 ローリアンは人好きのする笑顔で、広い自室にシータとエイリを招き入れた。真ん中に豪奢な天蓋付きのベッドがあり、天井には、少女や幼い子供たちが裸で戯れている様子が繊細に、それでいて淫靡に描かれている。


 ローリアンは、子供と少女が好きなのだ。夜会に招かれた子供たちも、年若い淑女も同じ。ローリアンに取り入るための道具だったのだ。

 今更思い当たって、シータはゾッとした。


「ローリアンさま」


 エイリは扉が閉まった瞬間、ローリアンの腕を取った。


「どうしたんだい? グローア」

「あの、……わたくし」

「……ほう。弟の前でそういうことはしたくない?」


 エイリは頬を染めて頷いてから、ローリアンを上目遣いに見た。

 シータは自分が見つめられたわけでもないのに、心臓が早鐘を打ってやまない。


 ……エイリって、こんな顔できるのかよ。


 そんなことを考えている場合じゃないことに気がついて、シータは辺りを見回した。ライアのネックレスは今のところ見当たらない。

 あるとすれば、多分、壁際にあるあの革張りの箱の中か。


「わたくし、あの、初めてですの。出来れば最初は、信頼できる貴方だけに、集中させてくださいませ」

「そうかあ……」

「それに、わたくし、閨の中でどうなるか分からないのです。姉は、弟に尊敬されたい生き物なのです。は、はしたない姿は、見せたくないの……」


 うわあああああ!


 シータは首がそっちに向くのを止められない。ポケットの中からベリィに蹴られて、やっとジリジリと壁際に移動し始めた。

 エイリの艶っぽい声がする。馬鹿野郎、とシータは思いながら、無心になって箱にそっと手をかけた。


「? ……」


 箱の中にはネックレスがある。事前にライアに見せられた絵に酷似している。柘榴色の大きな宝石が金の台座に縁取られ、光を反射してキラリと輝いた。

 これだ、と喜ぶ前に、ネックレスと一緒にクシャクシャになった手紙の文面が目に入った。


 親愛なるローリアン殿、から始まり、何故かゴス村とニオウ川という単語、巨額の金額が記載された小切手。最後に、セイリーン家という知らない家の名前。


 シータはびくっと振り返った。

 ローリアンがにこにこしながら、真後ろに立っている。


「こらこら。弟君は手癖が悪いようだ」

「! ……」


 エイリと目があった。

 シータは頭が真っ白だったけど、エイリは何かを察したのか、素早い動きでローリアンを牽制する。


「ごめんなさい。トルクは孤児院から引き取ったばかりで……マナーの勉強が足りないのです。ここはローリアンさまの自室でしょう? トルクを、弟を長く部屋に入れておくのは、恥ずかしながら、良くないことと思いますわ」

「そうかなあ」


 エイリの白い手がローリアンの背中に這った。

 ローリアンとエイリがもつれながら、ベッドに倒れこむ。ベッドが揺れ、天蓋の布がひらりと揺れた。


「焦らさないで、ローリアンさま」


 シータは2度目の非常事態を迎えた。


「君、見た目の割に積極的なんだね」

「お、お嫌いですか?」

「いや、大好き」


 だめだろ!


 再びベリィに蹴られ、シータは咳き込んでから顔を上げた。頬が熱い。身体が反応しそうだ。


 とりあえずネックレスを確保して、しまって、エイリを助けなきゃーー。


 くらくらするままに、シータはネックレスを掴んで、ついでに手紙と小切手も一緒に礼服の内側にしまい込んだ。

 よし、と思った瞬間にエイリの素の悲鳴が聞こえる。


「やっ!」


 シータは心臓が縮み上がった。


「エ……姉さん!?」


 天蓋からエイリの力を失った細い脚が覗き、そのまますとんと下に落ちた。

 その上からぬっと、笑顔のローリアンの顔が出てくる。


「おいで」


 言われるまでもなく、シータはベッドの縁に駆けつけた。

 エイリがベッドに横たわっている。気を失っているらしい。髪が乱れて広がる中に、薄い布が転がっているのが見えた。


「姉さん!?」

「大丈夫、眠ってるだけ」

「お前……!」


 薬か何かを嗅がせたらしい。勢いよく睨んだシータを見て、ローリアンはますます平凡な顔の笑みを深くした。


「僕はねえ、積極的な女の子も好きだけど、何にも知らない男の子も大好きなの」

「!?」


 男がシータの腕を引っ張る。

 強い腕に反射で逆らうことも出来ず、シータはベッドに押し倒された。


「いいね、いいね。姉思いの弟が、目覚めたら初めての快楽に、隣で悦んでいる……彼女は、どんな顔をするかな?」


 こいつ、とシータは目を丸くした。

 ローリアンは唇を舐め、シータの子供の身体の上に乗り上げる。一瞬で礼服のタイが引き抜かれた。


「や、やめろ!」

「怖がらなくていいよ。……じきに良くなる」


 シータは今生の力でもって反抗した。恐怖と、怒りと悔しさに胸が悪くなって、思わず吐きそうになる。押さえつけられるのは、こんなに辛いと思うことなのだと、シータは初めて思い知った。

 ローリアンは思いがけないシータの力に驚いたのか、なだめるようにシータの頬を撫で抜いた。


「君は……ご両親が嫌いなんだね」

「?」

「心配いらない。君は、君たちだけは、僕がしばらく安全に飼ってあげる」


 シータはベッドの縁を掴んで身体を真上に引き抜いた。

 そのまま天蓋から走って逃げ、部屋の壁際に身体をつける。


「あははは!」


 ローリアンが笑いながら、声を荒げて上着を脱いだ。シータの反抗さえ、料理を美味しくするスパイスか何かにしか思えていない、そんな様子である。


「可愛いねえ。マナーがなっていないとお姉さんは言ってたけど、確かにね。でもそういう子を開いていくのが僕は大好き」


 やばい、こいつやばい。


 窓硝子を突き破って逃げれば、おそらく逃げられる。だけどエイリをこの異常者の部屋に置いて行くという選択肢は、シータには思いつかなかった。


「大丈夫だよ。隣には君の大好きな姉さんがいるじゃない。……あとで、姉さんと楽しませてあげるから」

「ーーふざけんな!」


 ジリジリと寄ってくるローリアンから逃げられない。逃げたとてここから離れられないシータは、ぎゅっと目を瞑って自分の身体を呪った。


 自分が大人なら、こんな中年男なんか捻り上げて、エイリを抱いて逃げられるのに。

 空を飛ぶ力なんか、守りたい人が出来たら、何にも役に立たない気がする。


「ふ、グッ!?」


 しかし、ローリアンの声が聞こえて、俯いたままシータは目を瞬いた。ドスンという音に飛び上がる。


「……」


 ローリアンが倒れている。その向こうに、燭台を持ったエイリが立っていた。


「……エイリ……」


 エイリは薬のせいで気を失っていたはずでは。

 混乱するシータを尻目に、エイリは首を傾げて冷たくローリアンを見下ろした。


「とんだクソ野郎ですわ。死んだら、まあ、ごめん遊ばせ」






 エイリには睡眠薬の類が効かないとのことだった。

 ローリアンは案の定死んではいなかったが、エイリが倒れた彼の口元に薬の浸してある布を被せたので、しばらくは起きないだろう。手際の良さに慣れを感じる。

 シータは安堵に尻餅をつき、エイリは意外にもシータのそばに膝をつき、襟口を整えてくれた。怒ったようにぶつぶつ言いながら。


「こいつ最低。ほんとクソ。見境なし。死ねばいいのに」

「え、エイリ、ありがとう」

「……大丈夫」

「えっ? あ、うん、俺は、大丈夫」


 シータは真っ赤になった。エイリは歳下で、女の子なのに。助けられて心配までしてもらって、立つ瀬がない。慌てて、服の中からネックレスと手紙を取り出した。

 一緒にベリィも飛び出してくる。


「やっぱりあったんだね! ……」


 エイリはほっとしたように顔を輝かせてから、怪訝な顔をした。

 シータは急いで手紙を広げる。なんだかとても、嫌な予感がするのだ。


「……」


 2人で覗き込んで手紙を読み終えたあと、エイリの顔は蒼白になっていた。


「エイリ?」


 手紙は、セイリーン家というどうやら大きな資本家から、ローリアンに対して送られている。前後の内容は不明だが、セイリーン家はローリアンから贈られたこのネックレスを送り返しているようだ。

 ニオウ川の氾濫に対する治水工事にあたり、ゴス村及び周辺から、人間を移動させること。それが自治区への編入の条件である、と。この小切手は、そのための資金にしてほしいと。


「トルクとグローアは、こんなこと……言ってなかったよね」

「あ、ああ。……エイリ?」


 エイリの声が震えている。

 シータがまた何があったのか尋ねようとした瞬間、部屋の扉が勢いよく叩かれた。


「ローリアン様!」

「!」


 シータは慌てて扉に駆けつけ、開けられないように張り付いた。

 使用人が何かを言伝に来たらしい。


「ローリアン様?」

「ろ、ローリアンさまは、寝てしまわれました」

「左様ですか? ……」

「な、何かありましたら、お伝えしておきますが」


 では、と使用人は長く息をついた。

 シータとエイリは冷や汗をかきながら目配せする。


 早くここから逃げなければーー。


「ご命令の、件の井戸への薬の混入が終わりました、とお伝えください。おそらく明日の朝には全て終わっているでしょうとも。……ご存知かと思いますが、他言は無用に」

「……」

「?」


 シータは言葉を失った。

 全ての違和感が1つの事実に収束し、残忍極まりない意思が隠れていた姿を現したような、そんな気がした。


「シータ!」


 え。


 エイリの顔が驚愕に染まり、シータは自分の身体が宙に飛んでいることに気がついた。勢いよく開かれる扉に、身体が弾かれたのだ。


「シータ!」

「くっ!」


 エイリが飛び込んでくる。衝突の瞬間、ベリィが力を使ってシータの身体を空中にとどめた。


「ーーこれは!」

「!?」


 エイリはシータを抱きとめたまま、部屋の様子に驚いた使用人達の脇を縫って、ローリアンの部屋から飛び出した。

 そのまま廊下を疾駆するエイリの後ろから、男達の怒鳴り声が聞こえてくる。


「ローリアン様に何てことを!」

「捕らえろ!」

「そっちに行くぞ!」


 エイリが下唇を噛む。

 シータは、エイリの進む先に男達が何人も構えているのを見て、絶望感に頭が冷えた。


「エイリ! 挟まれた!」


 どうしよう!


 廊下の天井に小さな窓が開いている。しかし、エイリの身体が通り抜けられるほどの大きさはない。

 後ろからも前からも、何人もの男達が走ってくる。

 エイリは足を止め、息を荒げながら悔しそうに顔を歪ませた。

 まずい、とシータが思った瞬間だった。


「!?」


 その開いた窓から、小さな白い塊が飛び込んできた。

 使用人達は驚いて足を止めたが、シータの優れた目は、白い塊から黒い小さな人影が飛び降り、使用人のうちの1人の頭に降り立ったのを見つけていた。


「ぎゃああ!」

「!?」


 その使用人が、急に顔を手で覆った。


「え!? ……」


 指の隙間から血が流れ落ち、男達は異常を察したがもう遅い。

 別の男が同じように、目をかばうようにして膝をつく。


「ひ、人だ!」

「小さな男だーー」


 エイリの腕からほっとしたように力が抜けた。

 降ろされたシータは声が出ない。


「グエーッ」

「なんだこいつ!」


 白い塊は小さな鳥で、その鳥はバタバタと廊下を飛びながら使用人達の視界を邪魔した。

 あっという間に膝をつく男達の中から、鋭い声がする。


「エイリ! シータ! 走れ!」


 弾かれたようにシータは走り出した。

 エイリが涙目で、飛んできた黒い塊を走りながら受け止める。


「ーーフチ! ありがとう!」

「エイリ、何にもされてないか!? 大丈夫か?」

「うん、大丈夫!」


 シータはそんな場合じゃないのに、不意に泣きたくなった。こいつ、出来すぎだろ、と。





 シータと、フチを肩に乗せたエイリは、ホールの喧騒を上から見下ろした。


「キャーッ!」


 まさに地獄絵図、阿鼻叫喚である。部屋の中央には3頭の狼が唸りながら徘徊し、大きな窓は鹿の角によって破壊されていた。人々は転げながらホールから脱出しようと、玄関に向かっている。

 ライアの動物達が暴れまわっている。

 シータはおかしいと思った。陽動のためにホールでちょっとした騒ぎを起こすだけだったはずなのに、これでは、瞬時にライアへ疑いが向けられてしまう。


「緊急事態だ。ライアがゴス村に向かうと言って、俺を屋敷に向かわせた。何が起こっている?」


 フチがエイリの手の上で、血のついた針をマントで拭いながら言った。視線が険しく、彼も焦っていることが見て取れた。

 でも、これを知ったらそんなものじゃ済まないとシータは思う。


「フチ、大変なんだよ!」

「?」


 エイリも蒼白な顔をしている。シータは泣きそうになりながら、今までにない剣幕で訴えた。


「グローアとトルクの村は、ニオウ川の治水工事に邪魔なんだ。ローリアンは多分、ゴス村の井戸に薬を入れた。村人全員殺す気だ!ライアの妹が、アリアが危ない!」



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