3.オオカミ少女
◇
「彼女の名前はライア。僕はトルク、姉さんはグローアといいます」
姉弟は少女と自分達をこう名乗ったが、エイリはさらさら、自分達の名前を教える気などなかった。
というかエイリはブチ切れていた。
せっかくのフチとの楽しい旅路が、なんでこんな動物やら憎い国の騎士やらに邪魔されなくてはならないのか!と。
だが、子供達をぶっ飛ばしたからといって、おそらくこの屋敷からは逃げられないだろう。
それは、ライアという少女に鼻を寄せながらも時折鋭い目でこちらを見る狼から、十分に察せられた。
姉弟が代わる代わる口を開く。どうやらまともに意思疎通が出来ないライアの代わりに、彼らが話をしようとしているのだろう。
「ライアは嘘しか話せない代わりに、様々な動物と意思疎通が出来ます。……逃げようとは思わないことです」
「逃げようとすればこの子みたいになるの」
「うるさい!」
エイリは冷たい目で、床に転がって怒鳴り散らすシータを見下ろした。
エイリと目が合い、彼は真っ赤になって黙り込んだ。
トルクという賢そうな男の子が、悩ましげに言う。
「とりあえず、ライアはこう言っています。あなた達の力が必要だから、協力してほしいと」
エイリは眉を寄せて、憮然としながら腕を組んだ。
「嫌ですわ。私達には目的地がありますの。他の人を当たってくださいませ」
「それが、そうもいかないのです。……僕たちも実は、ライアから協力を頼まれたクチなんですが、断ったら殺すと言われてここにいます。監禁ですね」
「断ったら、狼に食い殺されそうになったの」
グローアがぷるぷる震えながら、ライアと狼を指差した。
狼が喉を鳴らしながらこちらを振り返り、ライアが申し訳なさそうに頭を下げてくる。
おおよそ脅すようには見えないその仕草に、エイリは逆に不気味さを感じて身を固めた。
「では、協力ではなく脅迫ということだな」
フチが冷静に、トルクの説明を訂正した。確かに、間違いなく脅迫である。
気づけば廊下の方から、何かの獣が息を潜めて忍んでいるような、低い唸り声が響いてきた。一体この屋敷には、何体の、何種類の動物がいるのだろう。
トルクがゆっくり頷いた。
「ええ。脅迫です。これからあなた達は、ライアに従ってあることを成し遂げなければ、凶暴な獣に食い殺されます」
トルク曰く。
ライアがエイリとフチを捕まえた目的は、ある屋敷に潜入させ、ライアに所縁のある宝飾品を取り返させる、とのことであった。それはこの場所から西にある栄えた街の、ある資本家の屋敷であった。
「ライアはもともとその街から少し離れた場所の村の子で、たくさんの畑を持つ、大きな地主の家の子だったんです」
「でも、お父さまとお母さまが事故で亡くなって、ライアは妹と2人きりになってしまったの」
「そうなのです。そしてそこにある畑を根こそぎ買い叩いたのが、西にある街の資本家、ローリアンです。彼はライア達から土地を奪うだけでなく、お母上の唯一の形見のネックレスまでタダ同然で奪っていきました」
「酷い方ですの」
姉弟は口々に説明をしていく。
それに、ライアが涙ながらに頷いた。そしてぼろぼろに折りたたまれた紙を持ち出し、エイリ達に広げて見せてくる。
分かりにくいが、立派な意匠の大ぶりな宝石のついたネックレスの絵が描いてある。おそらくこれが、ライアの母の形見であるというネックレスなのだろう。
「ローリアンは悪どく、警戒心の強い男です。ライアは取り返そうと何度も屋敷への侵入を試みましたが、全て失敗に終わりました」
「おまけに顔を覚えられて、追われているの。このお屋敷は、ライアが追っ手から身を隠すために長年潜んでいる屋敷なの」
「そうなのです。……そこでライアは考えました」
そこでトルクは、服のポケットからゴソゴソと封蝋された手紙を取り出した。
よく見ると、招待状のようである。
「4日後、ローリアンの屋敷で大規模な夜会が開催されます。周辺の地主や有力な資本家が集まり、ローリアンに資金提供を請うものです」
「わたくしたちは、それに初めて招待されて、ローリアンの屋敷のある街に向かっていたところでしたの」
そこでこの姉弟は、道中でライアから強襲を受けたと言う。
「馬車を引く馬がそこの狼に襲われて逃げてしまいまして。御者も、あっという間にいなくなっていました」
「こ、怖かったの」
「ざ、ざまあみろ」
ライアがおどおどしている。
エイリにもようやく分かってきた。ライアはおそらく、謝っているのである。
「僕たちは最初、ライアからローリアンの屋敷での夜会の際に、隙を見てネックレスを盗み出すように脅迫されました」
「わ、わたくしたちも、実際のところ、協力してあげたかったの」
トルクとグローアは顔を見合わせた。
「……ですが、僕たちは何の変哲もない地主の子供です。知識も力もない。ローリアンの屋敷に入ったとして、そこからどうやって物を盗みだそうというのでしょう」
「そこでライアはまた考えたの。わたくしたちの代わりに、もっと盗みやすい人を行かせればいいんだって」
エイリは再びイライラしてきた。なんとなくエイリ達がこの屋敷に呼び出された理由が分かってきて、その理由がとんでもなく身勝手だということも察したからだ。
トルクはシータを見下ろして、それからライアに目をやった。
「そこでちょうど、ライアの友達の鳥が、空を飛んでいるシータさんを発見しました。これは使える、とライアは思い、シータさんを捕まえました」
エイリは苛立ちに肩を怒らせた。フチが首元に転がり込んでくるのを気にしている余裕はない。
「シータ、貴方、何やってるんですの?それでも元騎士ですの?」
「……ぐう」
シータはこれ以上ないくらい真っ赤になった。
トルクとグローアは構わずに話を進めていく。
「シータさんは容姿に優れ、子供のわりに力も知識もあります。おまけに空を飛べるという便利な力も持っています」
「これ以上ないくらい盗める人なの」
「という訳で、ライアは、僕の代わりにシータさんにローリアンの屋敷に潜入してもらうことに決めました」
でも、とグローアが白い頬に手を当てた。
「わたくしの代わりが足りないの。……そこで、ライアはまた考えたけれども、なかなかいいアイデアが浮かばなかったらしくて」
「暇つぶしにシータさんに飛んでいた理由を聞いたら、なんと妙齢の美しい女性を探しているというわけだったのですね。しかも、居場所が割れている」
「……」
つまりこうだ。
シータはおそらく、ナイアの街に向かう途中のエイリとフチをすでに見つけていたのである。隙を見てエイリ達を襲おうと考えていたのだろう。
そしてエイリ達が捕まったのは、半分、シータのせいでもあるというわけだ。
トルクは片眼鏡を上げ直し、グローアは両手をぱん、と打った。両者とも楽しそうに。
「という訳で、ライアはあなた達をこの屋敷まで誘導しました」
「貴女、女性なのにとっても身軽なの。それに初めて見るくらいお綺麗なの。きっと、ネックレスを盗めるの!」
エイリは拳を力一杯握りしめた。子供相手にでも、怒りを抑えるのが難しいくらい、エイリは怒っていた。
「ふざけないでくださいませ! 勝手にも程がありますわ! ……大体、私がローリアンとやらの屋敷に送り出されたとして、ネックレスを盗むなんて馬鹿げたことはやりませんわ」
そうだ、そのまま逃げてやる。
鼻白んだエイリを尻目に、トルクがニヤリと口角を引き上げた。
「ライアはそれも承知であなた達に頼んでいます。あなたの肩にいる小さな騎士……彼を人質にします。潜入は、貴女とシータさんのみで行います。ネックレスを持って帰ってきてください。そうすれば彼を返します」
「なん……!」
エイリは今度こそ口をパクパクした。怒りに頭が真っ白になる。
だが、エイリより先に怒りを露わにしたのは、意外な人物だった。
「うわっ!」
後ろからシータの驚きの声が上がり、エイリはびっくりして振り返った。
シータの身体に絡みついていた蛇が、いつのまにか床に縫いとめられている。
シータは驚愕しながら尻餅をついて、床で動かない蛇を見つめていた。
「……調子に乗るな」
蛇の顎を貫通し、鋭く光る針が床に突き刺さっている。
その針の柄に手を置いて、フチが蛇の頭の上に座り込んでいた。
エイリはいつのまに彼が肩からいなくなったのか、まるで分からなかった。
「レヴィ!」
ライアが悲鳴をあげた。狼が唸って全身の毛を逆立たせ、場が一気に緊張する。
フチは真顔のまま、普段より数段平坦な声音で言った。
「大きな力を持って人を従わせるのは楽しいだろう。申し訳ないフリでも、他人のせいにしてなすりつけでもすれば、罪悪感もなくなるしな」
「……」
「たしかに俺達は、ライア……お前に従う獣達には敵わない。お前の言う通りにするしか、今のところ生き残る道はなさそうだ。ーーだが、覚えておいた方が良い」
グローアが青くなり、口を抑えて後退った。
エイリもゾッとする。
「俺はいつか機会を見て、お前たちをこんな風に殺そうと思っている。人を脅迫するということは、こういうことだ。……なめるなよ」
「……」
ひ、と誰かの喉が鳴ったのをきっかけに。
「いやあーーーー!」
「ね、姉さん! お、置いてかないで! うわあああ!」
「……!」
姉弟は脱兎の勢いで部屋から逃げ出し、ライアは顔面を土気色にして2人を追いかけていった。
狼も慌ててライアを追う。
「……」
しんと静まり返った室内。エイリ達以外、誰もいなくなった部屋で、3人は黙り込んだ。
口火を切ったのはシータだった。
「怖がらせすぎだろ……」




