2.行方不明のぶつくさ淑女
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あの女、何か隠してるな。
テーブルのささくれを掴んで座りながら、フチは考え込んでいた。
美貌の寵姫と名高いエイリは、たしかに噂にたがわず美しい女性である。たっぷりとしたピンクブロンドの髪に、春の空のような明るい水色の瞳がよく映える、人形のような愛らしい女性だ。
だが、王宮勤めのフチには、彼女の笑顔がまるで会議中の役人共とそっくりに見えていた。
最近なにもかも様子が変だ、とフチは思う。向かない護衛の仕事など任命され、相手は死んだ敵国の王の愛妾である。しかも、無駄に愛想がよく気味が悪いときた。
シナンとの戦争が終わってから、勝利に喜ぶ国内の中で、何か良くないものが蠢いているような気さえ、する。
そもそも今回の決定さえ……。
「うわっとぉ! ……おい、揺れすぎだコラァ!」
ガラの悪い男たちが船番に文句を言っている中、フチは相変わらず考え込んでいた。もともとフチは納得がいくまで考え込む癖があり、こうなるとなかなか思考の渦から抜け出さない。
「きゃーーっ!」
だが、護衛対象の悲鳴が聞こえれば話は別である。
「なんだ!?」
舟番と旅人たちは、慌てて船内の奥を目指して走り出した。フチもそのうちの一人に飛びつく。
何があったのか。エダがついているはずでは。
船内の奥には厠があり、その手前で慌てたようにウロウロしているエイリがいた。
「船が急に揺れて……」
奥に、倒れているエダがいる。頭を打ったのか気を失っているようだ。
「船が急に揺れて、この方……エダが、柱に頭を打ってしまったのです」
男たちがエダを抱き上げて運ぼうか思案している中で、再び船が揺れた。
フチは声を張り上げた。
「エイリ様!?」
船内は揉みくちゃである。押し合いへしあいする男たちに潰されないように頭や肩の上を移動しているうちに、エイリは姿を消していた。
フチは久しぶりに動揺した。これだから護衛なんて向いていないのに。間違いなく自分の落ち度だ。
「妖精さんだ!」
天井から垂れ下がる紐に捕まろうと足をたわめた瞬間に、フチは身体が浮かぶのを感じた。
「初めて見た! 本当にいるんだ、妖精さん!」
フチを捕まえていたのは、先程遭遇したシナン人の少年だった。年の頃は6歳か7歳だろうか、大きな瞳がキラキラと輝き、フチが映っている。
「少年、すまない。頼みがあるんだが……連れて行って欲しいところがある」
フチは仕方ない少年に頼むことにした。この身体のなにが不便かといえば、移動がそうそう簡単に出来ないことである。
「いいよ!」
少年は快諾し、エイリが消えた方に歩き出してくれた。フチへの興味はますます増したようで、矢継ぎ早に質問を投げてくる。
「妖精さんは、あの可愛いお姫様を探してるの?」
「うん、そうだ」
「どこに行く途中だったの?」
「うーん、お姫様の国だな」
適当にいなしながら探し回るも、エイリの姿はどこにも見えない。それどころか波が船体にぶつかる音の合間に、誰かが走り回っているような慌ただしい音がする。
フチが再び焦り始めたところで、階段を上がって甲板に出た。
光に目を細めた瞬間、見知らぬ男の悲鳴が聞こえる。
「!」
フチは瞠目した。
甲板の上でエイリの細い背中がしなり、大きな男が空を舞っている。
「ぎゃっ! ……」
「……最悪」
倒れた男たちは、甲板の上で文句を言っていたガラの悪い男達だった。
3人の男達が積み重なっているその横で、エイリがドレスを叩いて皺を伸ばしている。甲板には、エイリ達以外誰の姿も見えない。
「ほんとクソ。ほんと最悪」
ぶつぶつと低い声がエイリから聞こえ、さすがにシナン人の少年も硬直した。
この状況はどういうことだ。
フチは久方ぶりにかなり驚き、その背中に恐る恐る声をかける。
「……エイリ様?」
「……見たな」
ぞっとした。振り返ったエイリの目に。
「! ……少年、逃げろ!」
エイリの足が甲板を蹴る。
凄まじい勢いで走ってくるエイリに、少年が動けるわけがなかった。
フチは飛び出そうと構えたものの、エイリが跳ぶ方が早い。
「!」
気づけば衝撃に耐えるしかなかった。フチは少年の肩口に掴まり、揺れる身体から投げ出されないように身体を丸める。
「危ない!」
「……!?」
だが、予想に反してエイリは少年を抱きしめ、甲板に転がっていた。
何が何だか分からないまま、フチは慌てて顔を上げる。
「ーー面倒くせえガキと虫が紛れ込みやがったな」
旅人達が剣を構えて、少年がいたところに立っていた。
数は3人。船着場にいた旅人達は、この少年を除き、倒れている3人と合わせて6人。
「貴方達、この子以外、全員グルだったのですね」
エイリが少年を抱えたまま立ち上がった。
空色の目をギラギラと輝かせ、見たことのない表情をしている。
「そうだよ、まったく! 半分やられちまったがな! ええ? クソみてえな依頼だよほんとに!」
先頭の男がイライラしたように吐き捨てた。よく見れば外套から覗く腕は太く、傷だらけである。堅気の人間ではないことが察せられた。
「私の命を奪うよう依頼があったのですね」
「あーそうだよ。ついでにボコボコに犯して捨てろって依頼だ!」
「……」
「ああ! 調子に乗って受けた俺たちがバカだった! どこが深窓の寵姫だよ! 猿みてえに逃げ回りやがって!」
エイリはエダが倒れてからずっと、彼らから逃げ回っていたらしい。
剣を振り回して叫ぶ男が、残る二人に指図をする。
「二人でかかれ! なめるなよ!」
「!」
フチは素早くエイリの首元まで移動していた。
だが、エイリは少年を抱きしめたまま、じっとその場から動かない。
「エイリ様!」
再び、ドンという音と共に船を衝撃が襲う。
走りこんできた男達はその揺れに対応できず、体勢を崩して甲板から滑り落ちた。
「ちっ! ……クソ!」
続けざまに衝撃と大きな揺れ。フチはただ、エイリから離れないようにドレスの襟を掴むしかない。
「……貴方達の依頼主は、全く貴方達を信頼していなかったようですわね」
やっと甲板の揺れが安定したところで、エイリが低い声で言った。
男が耳を覆って怪訝な顔をする。
「なんだと?」
「船の積み荷は確認なさらなかったの?」
「……?」
「爆弾と火薬と武器だらけでしたわよ」
「なっ……!」
フチの背中を冷たい汗が伝った。
大量の積み荷は、フチの抗議を押しのけて、前もってイースが船に積み込ませたものだ。担当はエダだった。
「……エイリ様?」
フチは掠れた声を出した。
そこでやっとフチの存在に気づいたかのように、エイリは眼前にフチを引っ張り出した。
「あら、貴方はご存知なかったの? 可哀想なひと」
「まさか……」
憐れみの視線から目を背けたところで、多数の人間たちが甲板に現れる。舟番の男達と、その先頭に。
「……エダ」
先頭の女騎士は、剣を構えて憎々しげにこちらを睨みつけていた。
「……まさか、おまえが……」
フチは落胆に膝をつきそうになった。
エイリの暗殺を依頼したのはエダということが、この状況からはっきりと察せられた。
「しくじったな……ウォーレン」
「うるせーな! ハナから話が違うだろうが!」
エダは男に苦言を呈し、男はエダを口汚く罵った。
全員グルだったのだ。最初から。
旅人に扮した暗殺者達が共に船に乗り込み、エイリの暗殺の機会を伺っていた。依頼主であるエダはそもそも彼らを信用せず、舟番達を買収し、暗殺の道具を船に積んでエイリの暗殺を狙っていた。そういうわけだったのだ。
そして、何も知らなかったのはフチだけだ。
「何故……俺は、何も聞いていないぞ」
項垂れたフチに、エダは冷たい視線を向けてくる。
持っている剣の鈍色が、ギラリと輝いた。
「当たり前じゃない。対象はそこのあばずれだけじゃないわ。アンタもよ」